2016年04月26日

昭和記念公園・カナール

入園は青梅線の西立川駅からでしたが 帰りは立川駅からと思い あけぼの口を目指しひたすら歩きました。
広大なのでとにかく 遠いです。
syowtchkw (2).jpg
こもれびの里から歩きはじめ休憩しながら30分ほどで やっとふれあい橋を渡り噴水までたどりつきました。
syowtchkw (1).jpg
カナールの石畳を歩きます。
syowtchkw (7).jpg
カナールの両脇の道はこんな感じです。
syowtchkw (4).jpg
まっすぐな水路の先に噴水があります。
立川口のゲートを出ます。この先は無料ゾーンです。
syowtchkw (6).jpg
ゆめひろばには昭和天皇記念館があります。
syowtchkw (5).jpg
あげぼの口から徒歩10分ほどで立川駅です。
syowtchkw (3).JPG
駅前に くるりん という立川のゆるきゃらがありました。
ふゆにうまれたうさぎのこ だそうです。
昭和記念公園は広すぎて外周は8.0kmほどだそうです。あちこち寄ってまわって とにかく 歩いて歩いて歩き疲れてくたびれました。
タグ:庭園・公園
posted by うめのはな at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年04月25日

昭和記念公園・旧石井家住宅主屋

主屋(おもや)(旧石井家住宅立川市指定有形文化財)の外観です。
syowpnouk (1).jpg
「 主屋は住宅として建築された建物で、建築年代は、ヒロマとナカノマ境の束 柱 つかばしらに打ち付けられていた祈祷きとう札ふだから18世紀後半であると考えられます。」説明文より
syowpnouk (2).jpg
屋根が斜めの部分は蚕棚です。
isimdr.JPG
間取り図
syowpnouk (6).jpg
屋根部分
syowpnouk (3).jpg
オカッテ。囲炉裏に火が入っていました。
syowpnouk (5).jpg
ヒロマから中の間。端午の節句の五月人形がありました。
syowpnouk (8).jpg
広間からオカッテ
syowpnouk (9).jpg
オク。座敷
土間部分の立ち入りだけで 内部は外からの見学です。
posted by うめのはな at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年04月24日

昭和記念公園 農家エリア

長屋門では農機具や 大ノボリの挟み木彫刻などが展示されています。
syowpisi (6).jpg
昭和30年代くらいのものでしょうか・・・
syowpisi (4).jpg
みごとな飾り彫刻です。
syowpisi (3).JPG
江戸末期から明治初頭にかけて、武蔵野の村々の鎮守の神社の祭礼時に幟(のぼり)旗を支える部分に使われていたという飾り彫刻。
syowpisi (2).jpg

syowpisi (5).JPG

syowpisi (10).jpg
外蔵
(旧岡野家住宅)
外蔵には穀物などの収穫物の保管に使用されていました。
建物は、梁行2間半、桁行3間半の二階建で、妻入
syowpisi (9).jpg
脱穀機
syowpisi (8).jpg
この時期は 蔵の中に五月人形が飾られていました。
タグ:庭園・公園
posted by うめのはな at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年04月23日

昭和記念公園 こもれびの里

(昭和記念公園に戻ります。)
日本庭園を出て十数分歩きました。
komorebisto (1).jpg
こもれびの里入口に到着。
komorebisto (2).jpg
花桃が咲き 桃源郷のようです。
komorebisto (9).jpg
こもれびの里は、水田や丘陵畑、農家と屋敷林など、昭和30年代の武蔵野の原風景やそこでの暮らしを再現しています。
komorebisto (6).jpg
茶畑もあります。
komorebisto (10).jpg
小川とあぜ道 そして 田んぼ。
武蔵野の農村風景の再現です。
komorebisto (4).jpg
小川の先には 水車小屋。
komorebisto (8).jpg
長屋門が見えます。
komorebisto (3).jpg
長屋門 (旧石井家住宅立川市指定有形文化財)
komorebisto (5).JPG
長屋門は名主でも苗字帯刀が許された格式高い家でしか立てることが許されなかった建物です。
建築年代は文化・文政年間 19世紀初頭と推定される。
komorebisto (7).jpg
こもれびの里農家エリアには石井家の主屋、長屋門、内蔵などが移築復元されています。
タグ:庭園・公園
posted by うめのはな at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年04月20日

昭和記念公園 盆栽苑

昭和記念公園日本庭園内にある盆栽苑です。
bonsaien (9).jpg
我が国初の国営盆栽苑です。
盆栽は近頃 BONSAIと 外国人に人気です。
bonsaien (8).jpg
山桜がお出迎え。
bonsaien (1).jpg
床の間には五葉松
bonsaien (6).jpg
蝦夷松
bonsaien (3).jpg
これは なんと!ガジュマル。
bonsaien (4).jpg
真柏
bonsaien (7).jpg
野梅 これはヤバイと読みます。
bonsaien (5).jpg
もみじ きれいです!
bonsaien (2).jpg
こういうものもあって BONSAIは奥が深いです。
bonsaien (11).jpg
盆栽苑を出ると山桜が咲いていました。
bonsaien (10).jpg
園内をぐるぐるまわる パークトレイン(有料)
何種類かのトレインがあって 休日はフル回転らしく よくすれ違いました。
タグ:庭園・公園
posted by うめのはな at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年04月19日

昭和記念公園 日本庭園

昭和記念公園の中にある日本庭園です。
syouwjonmom.jpg
日本庭園の入口 南の門
syouwajpn (1).jpg
日本庭園は伝統的な技術を生かした 「池泉回遊式庭園」です。
syouwajpn (3).jpg
四季折々の花木が植えられていて 季節の移ろいをかんじることができます。
syouwajpn (6).jpg
花菖蒲もあります。
syouwajpn (5).jpg
30mの人工の山が造られています。
北の水の流れ。水音が心地よいです。
syouwajpn (4).jpg
流れは池に注がれています。
syouwajpn (7).jpg
西側の岸には「歓楓亭」その南側には「清池軒」があります。
syouwajpn (10).jpg
四阿「昌陽」
syouwajpn (8).jpg
額緑に納った絵を見るようです。
タグ:庭園・公園
posted by うめのはな at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年04月18日

昭和記念公園・春のお花畑

立川市の昭和記念公園にチューリップを見に行きました。チューリップ畑を見るのは二度目です。
西立川駅からは直結しています。
電車も駅で下りる人もすごい人です。
東京都立川市と昭島市にある日本の国営公園で165.3 haと広大な敷地の公園ですから 人が多くても気になりません。
入園して 水鳥の池から渓流広場に向かいます。
syouwakp (1).jpg
渓流広場の下流にある丘はネモフィラ畑です。
416tachika).jpg
淡い水色の中にリナリアも咲いています。
syouwakp (10).jpg
渓流広場のチューリップ。ムスカリの花が流れを表しているとか・・
syouwakp (2).jpg
140品種、23万球の‘チューリップ
syouwakp (7).jpg
渓流の流れに沿って次々に開花して行きます。
syouwakp (4).jpg
チューリップロードを歩きます。
syouwakp (3).jpg
撮影スポット
syouwakp (5).jpg
チューリップ’の咲く「渓流広場」の直ぐ東側「原っぱ西花畑」です。
syouwakp (6).jpg
アイスランドポピー30万本が咲くお花畑です。
syouwakp (9).jpg
原っぱ東花畑の菜の花畑です。
syouwakp (8).jpg
桜の花は散っていますが まだ薄いピンク色が残ってい黄色との組み合わせがてきれいでした。
お花畑を堪能し みんなの原っぱの大けやきの下でシートを広げお弁当を食べました。
4月16日(土)風もほとんどなく さわやかな春らしい天気で行楽日和でした。
ここは五月のシャーレーポピーや秋のコスモス畑も魅力的です
posted by うめのはな at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年01月21日

武蔵府中熊野神社古墳展示館

武蔵府中熊野神社古墳石室は国史跡武蔵府中熊野神社古墳をわかりやすく紹介する施設です。
kmnotenji (11).jpg
映像などでも紹介しています。
kmnotenji (2).jpg
府中市内の遺跡の写真が床にありました。
kmnotenji (10).jpg
1階ロビーには土器
kmnotenji (3).jpg
2階では墳丘土層標本などを展示しています。
kmnotenji (6).jpg
解説パネル
kmnotenji (5).jpg
石室切石
kmnotenji (9).jpg
調査中の写真など
kmnotenji (8).jpg
出土品 銀象嵌の七曜文が描かれた刀の鞘尻金具やガラス玉の写真
kmnotenji (4).jpg
鞘尻金具のレプリカの展示
左は拡大写真
埋葬品の一つである鞘尻金具という太刀の一部には「七曜紋」という中心に一つの円、その周囲を六つの円で囲む文様があり、この文様は日本最古の銭である「富本銭」にも見られる。
甲州街道沿いにこのような古墳があるのを初めて知りました。
年明け早々 いいものを見たという感じです。
posted by うめのはな at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年01月20日

武蔵府中熊野神社古墳・石室復元展示室

武蔵府中熊野神社古墳展示館です。
kfnyho (6).jpg
1階の 古墳の石室を原寸大で復元した石室復元展示室の内部に入ることができます。
実際の石室は、保存のため埋め戻しをしたので内部の公開はしていません
kfnyho (2).jpg
1階の受付でヘルメットとペンライトを借ります。
kfnyho (1).jpg
入口に頭をぶつけないように かがんで入ります。
入口は狭いです。実物大の石室模型です。
kfnyho (7).JPG
玄室、後室、前室の3つの空間が続きますが 入ってしまえば頭をぶつけるようなことはありません。
kfnyho (4).jpg
玄室は円形です。
kfnyho (3).jpg
天井は十分な高さがあります。
入口からは真っ暗で ペンライトがないと歩けません。
kfnyho (5).jpg
展示館内のパネルです。
「墳丘の表面は、2段目・3段目の全面に石が葺かれ、1段目の外周に切石が並べられています。
墳丘の中心部に、3室から成る複室構造の切石積横穴式石室があり、石室下には掘り込み地業が行われています。石室の切石、表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていました。」
石室で使用された石は多摩川で採れるものを使用していたのだそうですが、現在の多摩川では採石できないため、模型を作る際、山梨県や群馬の鬼怒川などの石を使用したのだそうです。
posted by うめのはな at 06:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年01月19日

府中熊野神社・国史跡 武蔵府中熊野神社古墳

府中市西府駅に近い 甲州街道沿いに府中熊野神社があります。
kmnojnjy (12).jpg
府中熊野神社  府中市西府町2-5-9
国史跡 武蔵府中熊野神社古墳は社殿の背後にあります。
kmnojnjy (11).jpg
鳥居のしめ縄が緑です。
府中熊野神社は、江戸時代初期の創建と伝えられ、(現)本宿町1-35地に鎮座、本宿村の鎮守だったといいます。安永6年(1777)上円下方墳のあった当地に遷座したといいます。
kmnojnjy (1).jpg
拝殿
御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと)
社殿  本殿(柿葺入母屋造) 拝殿(入母屋造)
    「市有形文化財指定」
kmnojnjy (3).jpg
熊野神社本殿・拝殿  府中市指定文化財
有形文化財(建造物)
指定 平成二十年五月三十日
「熊野神社本殿の建築年代は、虹梁絵様や彫刻などの構成が簡素であることなどから十八世紀前半と考えられます。本格的に施工された屋根の柿葺(こけらぶき)も造営当時の状態を良くとどめており、江戸時代中期の府中周辺地域における社殿の形態が良好な状態で保存されています。
また、拝殿の建築年代は、室内の長押(なげし)上の壁に掛けられた木板、虹梁上の中備(なかぞなえ)下の墨書及び虹梁絵様から十九世紀前半と推定されます。特に向拝(こうはい)部分は、十九世紀の華やかな装飾を今にとどめています。
本殿及び拝殿ともに、江戸時代中期から幕末における神社建築の造形をよく現している、市内でも数少ない貴重な建築物です。
平成二十一年八月  府中市教育委員会」
kmnojnjy (5).jpg
境内社 八衢(やちまた)比古神 八衢比女神
kmnojnjy (6).jpg
武蔵府中熊野神社古墳
kmnojnjy (7).jpg
武蔵府中熊野神社古墳の概要
飛鳥時代の上円下方墳
「本古墳は、7世紀の中頃の飛鳥時代に築造された、上が丸く、下が四角い上円下方墳です。古代の中国では、天はドームのような半球形で、大地は四角いものと信じられていました。この考えを「天円地方」といいますが、このような宇宙観や思想を背景として築造されたと考えられています。
埋葬された人物
武蔵府中熊野神社古墳が、全国でも類例の少ない上円下方という墳形の古墳であることや、副葬品の質の高さから、その被葬者(埋葬された人物)はおそらく東国の有力者であったと考えられます。残念ながらその人物名は、当時の文献や記録、古墳出土品に名前を記したものがないためわかりません。」説明板より
kmnojnjy (9).jpg
左側に入口
「墳丘の表面は、2段目・3段目の全面に石が葺かれ、1段目の外周に切石きりいしが並べられていました。墳丘の中心部に、3室から成る複室構造の切石きりいし積横穴式石室づみよこあなしきせきしつがあり、石室下には掘り込み地業ちぎょうが行われています。石室の切石きりいしは、表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていました。」
kmnojnjy (4).jpg
国内最大・最古の上円下方墳で、1段目が約32メートルの方形、2段目が約24メートルの方形、3段目が直径約16メートルの円形を呈する3段築成の古墳。高さは復元高で約6メートル。
副葬品などはほとんどが持ち去られていましたが、鞘尻金具さやじりかなぐ 環金具 刀子とうす 釘ガラス玉 ほかなどが見つかっています。
保存整備工事が竣工し、1350年前の築造時の姿を見ることができます。
明治天皇以降の天皇陵が上円下方墳なのですが造りが 似ているな〜と思いました。
古墳南側に国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館があるのでそちらに行くことにしました。
posted by うめのはな at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年01月18日

谷保天満宮3

境内のあちこちに放し飼いの鶏がいます。
yahot3 (4).jpg
ひとなつこいのか すぐに近寄ってきます。
とてもきれいな羽の鶏たちです。
30年ほど前、例大祭で使う獅子頭の毛(鳥の羽根)が足りなくなり 、色々な鳥を飼い始めたのがきっかけだそうでそのころから鶏が放し飼いにされたそうです。
今では谷保天満宮の名物の1つとなっています。
yahot3 (5).jpg
梅林のほうに行く途中 滝のようなものがありました。
yahot3 (6).jpg
筆塚
yahot3 (7).jpg
梅の開花にはまだ早すぎて数本咲いていただけですが 紅白の花が目立ちました。
yahot3 (8).jpg
紅梅の奥の小さなお社
yahot3 (9).jpg
早咲きの梅なのかしっかり咲いています。
yahoum.jpg
実際はまだまだ・・・
梅を愛した菅原道真を祭る神社。
谷保天満宮には350本の梅があり、時期になると見事な花を咲かせます。
また 合格祈願のひとたちの参拝も多い時期です。
yahot3 (3).jpg
参集殿
一の鳥居脇の駐車場近くにあります。
yahot3 (1).jpg
駐車場の端にある 第六天神社
関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社
これで 谷保天満宮をでました。
タグ:神社・寺院
posted by うめのはな at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年01月17日

谷保天満宮2

石段をおりると 二の鳥居をみあげるかたちになります。
yahot2 (8).jpg
「谷保」という地名は 本来「やぼ」と読んだらしいが,鉄道が敷設されたとき 駅名を 「やほ」としたため,地名までが「やほ」と呼ばれるようになったそうです。
“野暮天(やぼてん)”という言葉は「谷保の天神」からきた言葉とされているとか・・・
yahot2 (9).jpg
谷保天満宮の概要
社号天満宮
祭神菅原道真公、菅原道武公
境内社第六天神社、稲荷神社、神明社
yahot2 (1).jpg
座牛
菅原道真公の亡骸を運ぶ途中で座り込み動かなくなった。座牛はこの悲しみを表したものです。
yahot2 (2).jpg
谷保天満宮は交通安全発祥の地
明治41年8月1日 有栖川宮威仁親王は我が国最初の自動車が初めての「遠乗会」で日比谷公園から谷保天満宮まで走行した。
それを記念して、谷保天満宮は「交通安全祈願発祥の神社」と称されています。
yahot2 (3).jpg
撫で牛
境内を先に進むと、右手に撫で牛があります。
参拝者が触るので光っています。
yahot2 (4).jpg
拝殿前には江戸狛犬
yahot2 (5).jpg
両側とも子供がいます。
この他 、参道にも2対の石造狛犬がいます。
また 谷保天満宮の獅子狛犬は中世の木造狛犬像を代表する優品として、2003年に重要文化財指定されました。
現在は宝物館に移されていて 毎日曜日と祝日に公開
所蔵されている獅子・狛犬は、像高各50センチあまり、寄木造、玉眼で鎌倉時代の作
yahot2 (6).jpg
拝殿
創建903年(延喜3年)。
東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれる。
御祭神は菅原道真公。903年(延喜3年)に道真の死を受けて、三男の道武が像を刻み、今の府中市辺りに廟を建てて祀ったのが谷保天満宮の創建とされています。
yahot2 (7).jpg
拝殿の龍 鳳凰の彫刻
木鼻の獅子と獏の彫刻
左側に社務所
拝殿の奥に本殿があります。
弁天池・厳島神社などもありますが そちらへは行きませんでした。
タグ:神社・寺院
posted by うめのはな at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2016年01月16日

谷保天満宮1

国立市の谷保天満宮に行きました。
yahot1 (10).jpg
谷保天満宮(やぼてんまんぐう)は甲州街道沿いにあります。
yahot1 (1).jpg
一の鳥居です。
鳥居は、甲州街道に面し立川段丘面に、本殿は段丘面を一段下った青柳段丘面上にあります。
甲州街道はその昔、もっと多摩川寄りの立川段丘下にあったが、多摩川のたびたびの洪水により、段丘上を通るようになったため 現在のようになったということです。
yahot1 (2).jpg
谷保天満宮社叢  東京都国立市谷保5208
都指定文化財・天然記念物 指定日大正13年2月
「谷保天満宮は、国立市の南、多摩川を望む立川段丘の縁にあります。その由来について『武蔵国多磨郡谷保村天満宮略縁記』は、菅原道真の第3子三郎がここに流され、三郎殿を建立したこと、また、はじめ本宿村の南天神島というところに創建され、津戸三郎為守が霊夢を見て現在地に遷したこと等を伝えています。
社叢とは、いわゆる鎮守の森のことです。17世紀のある時期まで甲州街道は、谷保のあたりでは立川段丘の下を通っていましたので、天満宮の本殿・拝殿は、街道に面し、南向きに建てられています。
甲州街道が段丘上を通るようになると、人の流れも変わり、参道は駅や甲州街道側からこの鎮守の森を抜け、本殿に向かうようになりました。
かつては谷保天満宮を取り囲んで、杉を主体とする鬱蒼とした森が広がっていました。現在は、ケヤキ、ムクノキ、エノキなどが優先する林となっていますが、河岸段丘の豊富な湧水が流れ、神社に風格を添えています。東京都教育委員会」
yahot1 (3).jpg
1000年の歴史ある社叢の中を二の鳥居へと向かいます。
yahot1 (9).jpg
二の鳥居
ここから階段を下ります。
鳥居から下って、本殿があるのもめずらしいです。
yahot1 (7).jpg
手水舎
yahot1 (8).jpg
神楽殿
その向こうは梅林
yahot1 (4).jpg
石段手前に 稲荷社
yahot1 (6).jpg
谷保天満宮稲荷社
小さな狐様が守っています。
yahot1 (5).JPG
淡島・蒼守・稲荷稲荷神社と3社の神社が一つになっています。
タグ:神社・寺院
posted by うめのはな at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月27日

本村八幡神社 土師竪穴住居跡・国分寺市

武蔵国分寺本堂脇から出ると小さな児童公園があって、公園の片隅には竪穴住居跡が残されています。
mtmrhtmn (1).jpg
市指定史跡「土師竪穴住居跡」
「 昭和31年、日本考古学協会仏教遺跡調査特別委員会によって、初めて武蔵国分寺跡の本格的な発掘調査が行われました。
この時、僧寺の金堂・講堂跡とともに薬師堂の西側でも調査が行われ、僧寺の寺域を境する北辺・西辺の両溝跡と寺域の内外に同時代の竪穴住居跡が四棟発見された。この中で、寺域内より発見された二号竪穴住居跡を史跡指定したものです。
この住居跡は、規模が4m×4.2mのほぼ方形で、煮炊きを行った竈が北壁に二ヶ所、東壁に一ヶ所設けられていた。住居内部からは完形の土器八点、完形の(せん)一点など多数の遺物が出土しています。
遺跡名称の「土師」は、当時一般的に使用されていた土器の一種類である土師器を指しており、「土師器を使用していた時代の」という意味です。国分寺市教育委員会」
mtmrhtmn (2).jpg
どれが 土師竪穴住居跡なのだろうと見渡して・・・案内板の後ろの空間に気が付きました。
案内板がなければ この小さな何もない場所が竪穴住居跡だなんてわかりません。
mtmrhtmn (3).jpg
児童公園の隣は本村八幡神社です。国分寺市西元町1-13-23
これは国分寺で最初にできた旧国分寺村の鎮守の森神社で、創設は元和年間(1615-1624年)と云われている。村人は季節の祭り事のたびにここに集まり、生活の中心としてきたそうです。
mtmrhtmn (5).jpg
本村八幡神社 祭神:応神天皇
mtmrhtmn (4).JPG
狛犬さん
mtmrhtmn (7).JPG
境内社として祓戸神社(瀬織津毘売神、速開都毘売神、気吹戸主神、速佐須良毘売神)、榛名神社(祭神:火産霊神、遠山毘売神)が祀られているそうですが 文字が薄れて読めないし 詳細不明です。
mtmrhtmn (6).jpg
武蔵国分寺公園の前を通り JR西国分寺駅に出ました。
今回の国分寺散歩はこれで終了です。
posted by うめのはな at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月26日

武蔵国分寺薬師堂・国分寺市

本堂前の門を出て東に進むと 名主一族本多家の墓がたくさん並んでいます。
墓を通り過ぎると 石段があり中腹に仁王門があります。
kbjyks (1).jpg
国分寺仁王門  市重要有形文化財
国分寺境内にあり、宝暦年間(1751から1764)に建てられた八脚門です。
kbjyks (2).JPG
木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されています。
門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(向かって右・口を開けている)吽(向かって左・口を閉じている)の仁王像が安置されています。
kbjyks (3).jpg
仁王門をくぐり長い石段を上ると 薬師堂があります。
kbjyks (4).jpg
国分寺薬師堂 市重要有形文化財
「単層寄棟造の建物で、昔は萱葺屋根でしたが、昭和60年に銅板葺の屋根になりました。正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されており、10月ごろ年に一度の開帳日があります。また堂内正面 の額にある「金光明四天王護国之寺」の書は、深見玄岱(薩摩藩及び江戸幕府登用の儒書家)の筆によるものです。」
kbjyks (6).jpg
木像薬師如来坐像は国指定重要文化財(大正3年4月17日指定)で 木彫寄木造りの坐像で、身長約1.7メートル膝開き約1.4メートルある。御開帳は毎年10月10日らしいです。
kbjyks (8).jpg
現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。
kbjyks (7).jpg
鐘楼と手水舎
kbjyks (10).jpg
本堂の裏にまわると四国八十八ヵ所巡り石仏群があります。
四国八十八ヵ所巡り石仏群は、四国八十八ヵ所を模した石仏です。札所の番号や詠歌 など刻まれていますが風化したのか読めません。
また盗まれたり壊されたりした石仏もあり全部はそろっていないそうです。
kbjyks (11).jpg
石仏群の後ろの藪に ぽつんと置かれていた石仏さま。
kbjyks (12).jpg
再び石段をくだらなくても 本堂横から出ることができました。
posted by うめのはな at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月25日

武蔵国分寺 万葉植物園・国分寺市

現在の武蔵国の国分寺です。
kbnjtr (2).jpg
医王山最勝院国分寺
山号 医王山 東京都国分寺市西元町1-13-16
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
銅造観世音菩薩立像ほか(東京都指定有形文化財)
仁王門ほか(国分寺市指定文化財)
kbnjtr (4).jpg
『医王山国分寺縁起』によれば、武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたという。その後衰退し、宝暦6年(1756年)頃に薬師堂が再建されました。
現在の本堂は昭和62年に改築されたものです。
kbnjtr (5).jpg
龍の彫刻が見事です。
kbnjtr (6).jpg
本来の国分寺とは奈良時代の741年、当時大流行していた疫病(天然痘)や飢饉から仏の力で国を守るため、聖武天皇の命で諸国に建立された官寺のことです。
律令制の元、国営寺院として全国に展開していた国分寺は他の寺院に姿を変えたり、あるいは消滅したようで 武蔵国分寺も、江戸時代の享保年間に再興されたものだといいます。
kbnjtr (3).jpg
境内には「万葉植物園」として、元国分寺住職が昭和25年-38年(1950 - 1963年)の間に万葉集に歌われた植物160種を集めて造った植物園があります。
kbnjtr (1).jpg
国分寺万棄植物園
 「万葉植物園は、国分寺が建立された頃、編まれた歌集で、中には万葉の歌人たちが植物に託してその心を歌ったものが多くおさめられている。そこで、跡を訪れる方々に、植物を通じ、またそれらを詠んだ歌を通じて当時の人々の考え方や生活などを知って、その昔をしのぶ一助にしてもらいたいとの意図のもとに造られたのがこの万葉植物園である。これらの植物は、当時住職星野亮勝が、昭和25年から38年までの13年間を費やし独力で採集したもので、現在では、当地にて栽植の及ぶ限り、約160種(他に各植物約700種)が8,019平方メートルで万葉植物は一括して 市の天然記念物に指定されています。
kbnjtr (7).jpg
各万葉植物ごとに植物の万葉呼名、和名万葉例歌及びその作者を載せた万葉例歌及びその作者を載せた説明板があります。
数が多くて全部は読めませんでした。
なじみ深い植物だけを見ました。
posted by うめのはな at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月24日

武蔵国分寺楼門・国分寺市

お鷹の道遊歩道を歩きます。
kbjromn (1).jpg
この場所にはベンチなども置かれていて一休みできます。
お鷹の道はこの辺りまでです。
散策路を抜けると 目の前に立派な楼門が表れて驚きます。
kbjromn (4).jpg
前にまわって全体を見ました。
kbjromn (6).jpg
国分寺楼門【市重要有形文化財】 国分寺市西元町1−13−16
kbjromn (5).jpg
前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものです。
kbjromn (7).jpg
板金葺の屋根で、江戸時代の建築様式をよくとどめた、風格ある建物です。三間一戸の楼門で、2階には十六羅漢像(現在13体)を安置しています。
kbjromn (8).jpg
扁額には、『くにをわけ たからをつみて たつてらの すへのよまでも りやく のこせり』という弘法大師の御詠歌が描かれている。
ここをくぐると 現在の武蔵国分寺がある。
kbjrmn.jpg
武蔵国分寺
国分寺の境内は、万葉植物園にもなっています。
posted by うめのはな at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月23日

武蔵国分寺跡資料館・国分寺市

おたかの道湧水園の案内図です。
ota map.jpg
武蔵国分寺跡資料館に入ります。
kbjsryo (10).jpg
中に入ると 玄関に水槽が3つあります。
宇宙メダカとカワニナの水槽です。
kbjsryo (3).jpg
中央にある武蔵国分寺境内の模型です。
kbjsryo (4).jpg
発掘調査で礎石や大量の瓦などが出土しました。
kbjsryo (5).jpg
鉄製の農耕具も出土しました。
kbjsryo (6).jpg
出土品では、瓦の類が多いといいます。
kbjsryo (9).jpg
鐙瓦が展示されています。
kbjsryo (7).jpg
土器なども展示
IMGP1180.JPG
常設展示されている銅造の観音菩薩立像(国分寺市教育委員会蔵)は、1982年に、国分寺とその西側にあった国分尼寺との間の古代の道の跡の上面から発見された仏像です。
また 特別天然記念物のトキのはく製を武蔵国分寺跡資料館で常設展示中。
姉妹都市である新潟県佐渡市よりトキのはく製が貸与されたそうです。
資料館の裏手はすぐ林で 湧きでた水なのか 雨水なのかわかりませんが 建物に沿ってずいぶん水が溜まっていました。
おたかの道湧水園を出ます。
posted by うめのはな at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月22日

「おたかの道湧水園」・国分寺市

「史跡の駅」です。全国にある「まちの駅」の一つです。国分寺市西元町1−13−6
otysien (3).jpg
「おたかの道」と「カフェ」から「おたカフェ」と名付けられました。
トイレのある無料休憩所兼案内所で 「おたかの道湧水園」の入園受付業務も行っています。
ここで 入園券を買います。(100円)
otysien (2).JPG
長屋門が入園口です。案内板に登録文化財 旧本多家住宅長屋門とあります。
旧本多家住宅長屋門 有形文化財(建造物) 東京都国分寺市西元町一丁目1574番1
「江戸末期/1848
木造2階建,寄棟造,亜鉛鉄板葺
「敷地の南端、T字路の突き当たりに建つ。桁行15m梁間4.5mの木造2階建、東西棟の寄棟造鉄板葺。1階は下見板張、2階は漆喰仕上げとする。中央を門口とし、両開戸と潜り戸を吊り、東側に座敷、西側に物置を配する。名主の風格を留める長屋門である。」
創建当時の当主本多良助は旧国分寺村名主・戸長,国分寺村長(現国分寺市)を5回務めている。
otysien (1).JPG
入って左手に 倉があります。この雑然とした倉も重要文化財だそうです。
旧本多家倉
明治/1900/1933改修
木造2階建、鉄板葺、建築面積22u
登録有形文化財(建造物)
「敷地の西側に位置する。桁行4.5m梁間3.6mの木造2階建、切妻造鉄板葺の置屋根とする。東妻面を出入口、2階の東西妻面に開口を穿つ。内壁は板張とし、外壁は昭和の改修で目地を切るモルタル洗出しとする。時代の流行を反映した近代的な倉である。」
otysien (11).jpg
この敷地は江戸時代に国分寺村の名主を務めた本多さんのお屋敷があったところです。
庭の名残らしき感じはします。
otysien (10).jpg
入って右のほうに お鷹の道から見えた武蔵国分寺七重塔推定復元模型があります。
otysien (9).jpg
武蔵国分寺七重塔推定復元模型は市内北町の田中為義棟梁が復元模型設計書を参考に10分の1スケールの縮尺で製作したものです。
otysien (5).jpg
地元ボランティアのガイドさんが案内してくれ奥へと進むと 「おたかの道湧水園」湧水群観察ポイントがあります。
敷地の多くは竹林や雑木林で、湧水ポイントの一つになっています。
otysien (4).JPG
拡大してみました。木の根のあたりの穴が湧水源です。
otysien (6).jpg
園内北側は国分寺崖線になっていて、崖線一帯には湧水源など自然環境が残されています。
緑地保全地域になっています。
otysien (7).JPG
ボランティアのガイドさんが めずらしいものを見せてくれました。
キチジョウソウ(吉祥草)です。
スズラン亜科の常緑多年草。ヤブランにやや似た穂状花序で茎は紫色。
花は白い花被が基部で合生し筒状となっている。果実は赤紫色の液果。
花が咲くと縁起がよいといわれるので、吉祥草の名がある。
「いいことありますよ〜」で ほこっとしました。
otysien (8).JPG
こちらは 武蔵鐙 (むさしあぶみ)
花の特徴は「雌雄異株。テンナンショウ属特有の肉穂花序(花軸が多肉化して花が表面に密生したもの)を出す。花をつつむ仏炎苞のかたちが武蔵の国で作られていた馬具の鐙(あぶみ)に似ていることからこの名前になった。
つぶつぶの肉穂から 花になると 里芋の花のような鐙のかたちになります。
全草有毒だそうです。
次 ガイドさんと別れて武蔵国分寺跡資料館に入ります。
posted by うめのはな at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月21日

お鷹の道・国分寺市

少し先に野菜直売所があります。
otkmit (1).jpg
立派な蔵で 「本」の字が白壁にくっきりと浮き上がってます。
このあたりの農家は本多姓が多いです。
この辺の大地主が本多家という一族で 鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで国分寺が消失したのち どんどん開墾していったらしいです。
屋敷の表札もお墓の名も 本多家ばかりです。
江戸時代に分家し 本多新田を開墾したため崖の上 線路向こうにもに本多という地名が残っています。
otkmit (2).jpg
水辺沿いに散歩道が続きます。
otkmit (4).jpg
名水百選 ホタルの住む川 
ホタルの幼虫が餌にしているカワニナやタニシも生息しているらしいです。
otkmit (5).jpg
崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ−トルを遊歩道として整備 されています
otkmit (3).jpg
お鷹の道・真姿の池湧水群【全国名水百選・都名湧水 】国分寺市東元町3丁目・西元町1丁目
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたことから“お鷹の道”と名づけられました。現在遊歩道として整備され、多くの人々に親しまれています。
otkmit (6).jpg
崖線沿いハケの斜面は鬱蒼たる林があります。こう言った林を「ハケの森」と呼んでいます。
otkmit (7).jpg
ハヤシの中に見えている 七重の塔のレプリカです。
おたかの道湧水園の中にあります。
otkmit (8).jpg
地図です。
次 おたかの道湧水園に行きます。
posted by うめのはな at 06:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月20日

真姿の池湧水群・国分寺市

僧寺北東地域から つづら折りの急な石段を下りていくと崖の途中に赤い鳥居が見えます。
msgtike  (1).jpg
小さな祠です。
msgtike  (2).jpg
稲荷神社です。
msgtysi.jpg
稲荷神社の下は遊水地らしく水が流れています。
msgtike  (4).jpg
真姿の池湧水群 ハケ直下の湧水源です。
msgtike  (3).JPG
名水百選指定地だそうです。
msgtike  (5).jpg
東京都指定名勝の説明板がありました。かなり汚れています。
msgtike  (9).jpg
真姿の池
「真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、 上記の「お鷹の道」と合わせた環境の良さを評価され、環境庁の「全国名水百選」のひとつとしてに選ばれました。また、東京都 の名湧水57選にも入っています。」
msgtike  (8).jpg
真姿の池と真姿弁財天
その昔不治の病に冒されたある美しい姫が池の水を浴びたところ、見事に病が治癒して元通りの美しい姿に戻ったと伝えられているのが、この真姿の池。
msgtike  (6).jpg
真姿弁財天
msgtike  (7).jpg
真姿の池湧水群
msgtike  (10).jpg
<真姿の池湧水群>
「真姿の池は、都内では青梅市の御岳渓流とともに環境庁の「名水百選」に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」の一部であり、東京都の都市計画国分寺緑地にも指定されている。また周辺は東京都の国分寺崖線緑地保全地域にも指定されている。
真姿の池の名の由来は、嘉祥元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分寺を訪れて21日間参詣すると、1人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、そのとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った。それから人々はこの池を真姿の池と呼ぶようになったという伝説からきている。真姿の池は『新編武蔵風土記稿』に「広さ二間四方ばかり、池中の孤嶼に弁天の祠宇を置く、この池水も田地へ灌ぐ」とある。
周辺の雑木林は、下草の刈り払いが行われて管理が行き届いており、国分寺崖線の雑木林景観がよく保存されている。国分寺崖線とは国分寺から小金井・三鷹・調布・狛江を経て世田谷の等々力渓谷に至る標高差約15メートルほどの崖線で「ハケ」と呼ばれている。東京を代表する湧泉の価値を文化財として評価された最初の自然地理的名勝である。東京都共育委員会」
posted by うめのはな at 06:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月19日

史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)・国分寺市

殿ヶ谷戸庭園を出て 国分寺駅前から坂を下ります。
kbjat (1).jpg
青い線が今回歩く道です。
現国分寺の東側の敷地一帯が史跡に追加指定され、市立歴史公園として整備されました。
kbjat (5).jpg
いくつもの史跡が点在しています。
最初に通ったのが史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)です。
kbjat (7).jpg
国分寺崖線の上で発見された武蔵国分僧寺の北側境界の区画溝が、復元展示されています。
kbjat (2).jpg
史跡 むさし国分寺跡 北辺区画溝  所在地 国分寺市西元町1-1
公園内の北側には、僧寺伽藍地の北限を区画する溝が存在しています。
kbjat (4).jpg
素掘りの溝は、幅2.1〜3.0m、深さ0.8〜1.2mあり、ここでは地下に埋没した溝の様子を復元した断面を見ることができます。
kbjat (8).jpg
僧寺北東地域)は金堂、講堂、七重塔などの主要建物がおかれた僧寺伽藍地の北限の境界溝がある公園です。
武蔵国分寺跡【国指定史跡】
「奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じました。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとに認められており、大正11年に国指定史跡に指定されています。
所在地  国分寺市西元町1丁目から4丁目付近」市の説明文より
posted by うめのはな at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月18日

殿ヶ谷戸庭園4・国分寺市

本館展示室です。
tngyzigen (1).jpg
殿ヶ谷戸庭園に関する様々な資料を展示・公開している建物です。
tngyzigen (8).jpg
本館は岩崎彦彌太の別邸として、昭和9年に建てられた洋館です。
tngyzigen (3).jpg
内部は日本間と洋間が融和した和洋折衷の形。 現存しているのは白い部分だけで ごく一部です。
しかし 残っている部分だけも相当広い建物です。
kokubunji106 (38).JPG
殿ヶ谷戸庭園の歴史が写真とともに紹介されていますが 江口時代の建物は 「随宜園」の額以外は一切残っていません。
tngyzigen (2).jpg
昭和初期の所有者であった三菱財閥の岩崎家食堂が現在の展示室です。
tngyzigen (4).jpg
デルビル磁石式卓上電話機
tngyzigen (5).jpg
「展示室シャンデリア」は岩崎家食堂のものを再現したそうです。
tngyzigen (7).jpg
岩崎家時代の建物と食堂のパネルです。
tngyzigen (9).jpg
中門を出ると 左に蔵が見えます。
tngyzigen (10).JPG
「岩崎家が昭和13年頃に新築した倉庫。2階建て鉄筋コンクリートの堅牢な造り。
2階へは滑車で荷物が運搬できるようにした。
関東大震災を教訓にしたと言われています。
また戦時中は岩崎家の書画骨董が運び込まれました。」説明文より
見かけは 堅牢ですが 蔵らしくない 大きな建物で2階建ての1軒家ほどあります。
道路沿いからも見えます。
posted by うめのはな at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月17日

殿ヶ谷戸庭園3・国分寺市

池の上にあるのは茶室・紅葉亭です。
tngykuyti (5).jpg
昭和4年に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取った際 津田鑿の設計で洋風邸宅や数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備しました。
tngykuyti (3).jpg
現在でも茶会や句会などに使用することができます。
tngykuyti (2).jpg
「紅葉亭」の北側部分は休憩所として使われています。
tngykuyti (4).jpg
ここからの眺めがたいへんに美しいです。
tngykuyti (7).jpg
秋の紅葉時はとても美しいそうです。
tngykuyti (6).jpg
井戸水を利用した鹿おどし(ししおどし)
tngykuyti (1).jpg
ししおどしの起源は、1641年、江戸時代の詩人石川丈山が京都に開いた庵「詩仙堂」に由来。裏山の鹿から畑の作物を守ることが本来の目的だったため、「鹿威し」と書く。
tngykuyti (8).jpg
ハケ上の散策路を歩きます。
殿ヶ谷戸庭園は四季折々の植物に出会うことができる庭園です。
tngykuyti (9).jpg
今は秋の七草
tngykuyti (10).jpg
本館・展示室前の芝生広場です。
posted by うめのはな at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月16日

殿ヶ谷戸庭園2・国分寺市

武蔵野台地の起伏をうまく利用して造られた庭園です。
tngytjiro (1).jpg
台地から低地にかけて崖地になっています。
tngytjiro (2).jpg
このあたりの斜面は花木園。
tngytjiro (3).jpg
竹の小径
tngytjiro (4).jpg
孟宗竹の小道からのぼりになります。
tngytjiro (6).jpg
左下に池が見えてきます。
tngytjiro (7).jpg
次郎弁天池
tngytjiro (5).jpg
次郎弁天池の水源はかつて次郎弁天の湧水と呼ばれる名水でした。灌漑のために利用されたり、鷹狩の休憩地にも使用されていたそうです。次郎弁天という名前の由来は不明だそうです。
tngytjiro (8).jpg
次郎弁天池は、園内に湧き出ているハケの湧水を堰き止めて造られています。
tngytbt.jpg
池の上のほうには馬頭観音がありますが 行きませんでした。
btotngy .jpg
展示室案内の写真より
国分寺市内に残る11基の馬頭観音のひとつです。
tngytjiro (9).jpg
国分寺崖線は古来より「ハケ」と呼ばれ湧水を供給し続けてきました。園内にも東京都の名湧水57選に選出された湧水を有しています。
水地点です。湧水量は約37リットル/分で、水温は年間を通して15〜18℃だそうです。
上にみえているのは 紅葉亭です。
posted by うめのはな at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年10月15日

殿ヶ谷戸庭園1・国分寺市

国分寺駅南口です。
tonogyt (1).JPG
ここから徒歩2分。都立殿ヶ谷戸庭園に行きました。
tonogyt (2).jpg
殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は、東京都国分寺市にある有料の都立庭園。
殿ヶ谷戸庭園(随♂)(ずいぎえん)
国分寺市南町二丁目
21,123.59平方メートル(平成27年7月1日現在)
tonogyt (3).jpg
園内は自然の地形を生かした回遊式庭園となっています。国の名勝に指定されています。
史跡名勝天然記念物
「武蔵野段丘の段丘崖(国分寺崖線)に立地し、その縁辺部の湧水と傾斜面の雑木林など豊かな自然環境を生かした風致景観は優秀であり、芸術上の価値は高い。」
庭園の名称は、昔この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来している。
tngytmap.jpg
 「武蔵野の自然の地形、すなわち段丘の崖にできた谷を巧みに利用した和洋折衷の「回遊式林泉庭園」。 ここは、大正2年から4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年には三菱財閥の岩崎家の別邸となりました。昭和40年代の開発計画に対し本庭園を守る住民運動が発端となり、昭和49年に都が買収し、整備後、有料庭園として開園しました。
 平成10年には、東京都指定の文化財(名勝)となり、平成23年に国指定の文化財(名勝)となりました。」説明文より抜粋
tonogyt (4).jpg
手入れのいきとどいた芝生広場です。
入口からのモッコクの林を抜けると、アカマツと芝生の広い空間が広がっています。
「1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭される。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備。」
tonogyt (5).jpg
園内散策路の順路に従い歩きます。樹林で雰囲気が一変する造園手法がみどころ。
tonogyt (7).jpg
花は終わっていましたが 萩のトンネルです。
tonogyt (6).jpg
萩のトンネルをぬけると藤棚。
tonogyt (8).jpg
崖と湧水池。
国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた次郎弁天の池があります。
ハケの湧水は野川へと流れていきます。
tonogyt (9).jpg
拡大図
tonogyt (10).jpg
殿ヶ谷戸庭園(随♂)
藤棚から ハケ下へと下りていきます。
posted by うめのはな at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年02月11日

府中市郷土の森博物館15・旧府中郵便取扱所

甲州街道と名づけられた道を出口に向かって歩きます。
fhyajima (1).jpg
旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)
建築面積: 66.93m2
延床面積: 126.42m2
規  模: 地上2階建
構  造: 木造 銅板屋根
旧所在地: 府中市宮西町4−11
fhyajima (2).jpg
明治4年の近代郵便制度の制定により府中では当時府中番場宿の名主兼問屋の矢島九兵衛が郵便取扱役に任命され、その居宅が郵便取扱所に当てられました。
fhyajima (4).jpg
1985(昭和60)年ごろまで使用されていました。
fhyajima (6).jpg
中には入れませんでした。
fhyajima (7).jpg
明治5年(1872)から22年までの間、府中郵便取扱所(郵便局)として使われた矢島家の居宅の一部を復元したものです。
矢島家は江戸時代には甲州街道府中宿の番場宿ばんばじゅくの組頭くみがしらを勤め、旅籠はたごも営んでました。
明治維新の時は甲州街道を通る官軍の本陣ともなりました。
明治政府が近代郵便制度の確立を急ぐなか、当主の九兵衛が郵便取扱役に任命されると、自宅は窓口を設けるなどの改築が加えられ、郵便取扱所として急遽開設されました。
大正時代には洋風建築に改造され、当主源太郎以降、歯科医院として使われてきましたが、昭和61年(1986)に解体、平成元年(1989)に郷土の森博物館に復元されました。(説明板より)
fhyajima (8).jpg
丸い郵便窓口。顔見えるのだろうか・・・
fhyajima (9).jpg
旧府中町役場庁舎は工事中で見ることができませんでした。
ここが一番見たかったかも。残念!
fhyajima (3).jpg
裏側に和風建物が接続する特色のある建築です。
これで 府中郷土の森博物館はおしまいです。
帰りには観光物産館でおみやげなど買うのもいいものです。
posted by うめのはな at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年02月10日

府中市郷土の森博物館14・旧三岡家長屋門等

ハケ上の道の一番奥に 長屋門があります。
fhnagaya (1).jpg
旧三岡家長屋門
建築面積: 79.63m2
延床面積: 44.11m2
規  模: 平屋建
構  造: 木造 茅葺き屋根
旧所在地: 府中市是政1−15
指  定: 東京都指定有形文化財(平成7年3月指定)
fhnagaya (5).jpg
江戸時代後期の1829年の創建
両側の部屋を総塗り込みの蔵造りとし、その上に萱葺屋根を乗せていることに特色があります。
三岡家は、江戸時代後期に旧是政村の村役人を勤めた家柄で、移築した長屋門はその分家に建てられていたものです。
fhnagaya (2).jpg
門の中に入ると ふるさと体験館です。
fhnagaya (4).jpg
竹馬や輪投げなど昔ながらの遊び道具や農機具が置いてあり 子供たちは石臼の粉ひき体験もできるそうです。
もと来た道を戻ります。
fhnagaya (7).jpg
柄鏡型敷石建物跡
縄文時代中期(今から4500年前)の集落遺跡として知られる清水が丘遺跡で発掘された建物跡を移設したものです。
fhnagaya (6).jpg
反対側に 渦を巻いた井戸があります。
fhnagaya (9).jpg
まいまいず井戸
発掘地:府中市寿町1-6
fhnagaya (8).jpg
国府の街に作られた巨大な井戸の復元。 水くみ場まで、渦を巻くように下りる道がついています。
このらせん状の道のために, カタツムリになぞらえて「まいまいず井戸」と呼ばれるようになった。
fhnagaya (10).jpg
復元にあたっては、羽村市五ノ神の事例を参考とし、螺旋状の道を敷設しました。
ハケ上は 深く井戸を掘らないと水がでなかったのでしょうね。
posted by うめのはな at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年02月09日

府中市郷土の森博物館13・ハケ下の田園風景

ハケ下の小川の流れに沿って歩きます。
fhhakemiti (1).jpg
その先には水車小屋があり、ゆっくりと動いています。
fhhakemiti (2).jpg
ハケ下の水田地帯の用水路で昭和の初めまで見られた水車を新築復元した物です。精米 製粉 藁打ち等に使われました。
fhhakemiti (7).jpg
長さ30mの萩のトンネル
fhhakemiti (6).jpg
すぐわきには地蔵菩薩
fhhakemiti (11).jpg
庚申塔
fhhakemiti (10).jpg

fhbato.jpg
園内には市内各所にあった庚申塔、馬頭観音塔、地蔵菩薩、供養塔などが移築されています。
fhhakemiti (8).jpg
川崎平右衛門定孝(1694〜1767)の銅像です。
「名主として新田の開発や多摩川の治水に取り組む一方、困窮した民を私財を投じて救いこの功績が認められ、幕府より大岡越前守を通じて、サンシュユの苗木が下賜された。後に、幕府代官となり、日本各地の治水事業や鉱山事業に大きな功績を残す。」とのことで 像の背後にはサンシュユ(別名ハルコガネバナ)の木が植えられており、春先には可憐な黄色い花を咲かせます。
fhhakemiti (5).jpg
御瓜田です。江戸時代中期、府中三町(本町・番場宿・新宿)と是政村の水田を、瓜を作るための瓜畑にし、元文2(1737)年からは御進献御瓜として、毎年6000個以上をも熟れ具合に応じて、日々江戸城に送っていたそうです。
fhhakemiti (4) .jpg
郷土の森博物館に再現されたハケ下には水田や畑が再現されのどかな武蔵野の田園風景が見られます。
fhhakemiti (12).jpg
子供たちが米つくりを体験しているそうで その先にはふるさと体験館があります。
posted by うめのはな at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市

2015年02月08日

府中市郷土の森博物館12・旧越智家住宅

階段を降り 小川を渡ります。
萩のトンネルが見えています。
fhkakesita (1).jpg
ハケの下という設定です。
fhkakesita (6).jpg
ハケの下の農家
旧越智家住宅
建築面積: 65.00m2
延床面積: 65.00m2
規  模: 平屋建
構  造: 木造 茅葺き屋根
旧所在地: 府中市南町6−46
fhkakesita (2).jpg
「越智家は、郷土の森の敷地の西隣の旧芝間にありました。色紙型敷地を持つハケ下の一般的な農家で、その母屋は、旧坂浜村(稲城市)から明治22年(1889)に移されており、創建は江戸時代後期に遡ると推測されます。この建物も長い年月の間に改造・増築を繰り返していましたが、郷土の森では創建当初の姿に復元しました。」
fhkakesita (3).jpg
旧河村家住宅と同じく、こちらも養蚕を営んでいた農家の住宅
fhkakesita (4).jpg
入母屋造りの旧河村家住宅に比べて、寄棟造りのこちらの建物は少し小さ目
fhkakesita (5).jpg
養蚕農家の天井です。囲炉裏に火をいれたあとらしく煙っていました。
見学は土間と外部からのみです。
posted by うめのはな at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 府中・国分寺・国立・立川市