2016年03月23日

橋戸稲荷神社境内

橋戸稲荷神社縁起の石碑があります。
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橋戸稲荷神社縁起
 「この社は延長四年(926)に創建された。千住では歴史の古い神社である。初めは千住の渡し場のほとりの小高い丘に小さな社が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から江戸に荷物を運ぶ船頭達の信仰を集めた。
 祭神 倉稲魂命 と稱し、本殿は延徳二年(1490)拝殿は文久二年(1862)に建立された。現在の本殿は土蔵造りで扉を開くと左右に伊豆長八作の雌雄二匹の狐と稲穂の漆喰の彫刻が見られる。」
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手水舎
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境内社1
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境内社2 
傾きが気になります。
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鬼瓦が数個置かれていました。
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狐様もあります。
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水鉢?古井戸?力石?
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千住大橋駅でスカイライナーが時間調整をして止まっていました。
上野行きの各停に乗り帰宅しました。
タグ:神社・寺院
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2016年03月22日

橋戸稲荷神社・伊豆長八作鏝絵

千住大橋のすぐそば ちょうどど石洞美術館の裏手にあたるところに橋戸稲荷神社があります。
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橋戸稲荷神社  足立区千住橋戸町25-1
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ここには 伊豆長八の鏝絵があることで有名です。
《橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵
「当社は、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳2年(1490)の創建という。
もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。 江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に上流の飯能・秩父・川越
方面から物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として栄えた。
文禄3年(1594)拝殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白虎が彫刻された。伊豆長八の作品よして、数少
ない貴重な遺作である。 平成16年3月 足立区教育委員会」
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拝殿
橋戸稲荷神社は、延長4年(926)の創建とも、延徳2年(1490)の創建とも伝えられます。橋戸稲荷神社本殿は、区内唯一の土蔵づくり本殿として、昭和57年に足立区有形文化財(建造物)に登録されています。
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本殿
現在の本殿は 土蔵造りで扉を開くと左右に伊豆長八作の雌雄ニ匹の狐と稲穂の漆喰の彫刻が見られます。
年に3回、2月3日・5月15日と祭礼のときだけ、本殿の扉が開かれお披露目されるそうです。
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《伊豆長八作鏝絵》
「足立区登録有形文化財となっている本殿は珍しい土蔵造りである。 正面、観音開き左右の扉の内側には伊豆長八により鏝絵が画かれ
ている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐・左扉に雌狐が子狐を抱き、背後に稲穂が配されている。子狐を見る母狐の慈愛溢れる
眼差し・優美な白狐の姿態など、名工長八の技量が遺憾なく発揮された名作である。
土蔵造りの本殿も、鏝絵の図柄も、橋戸耕地の稲の豊作を祈願したものと思われ、絶えず水害に苦しんだ農民の願いが込められたものと
考えられる。 この鏝絵の作者長八は文化2年(1805)伊豆松崎に生まれ、文政9年(1826)郷里で左官となり、さらに、天保9年(1830)
江戸の左官源太郎のもとで技術を研いた。その修行の傍ら、狩野派の画法を学び、鏝絵の技法を生み出した。長八の鏝絵は、伊豆はもの
より、関東・東海の各地に見られたというが、震災・戦災で失われてものが多く、現存する作品は貴重である。
平成10年2月 足立区教育委員会」
2015年10月11日ブログ
伊豆の長八―幕末・明治の空前絶後の鏝絵師・吉祥寺美術館
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拝殿前に ガラスケースに入ったレプリカが置かれています。
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レプリカ母狐と子狐 見守る父狐
扉の上部には 稲穂と宝珠が描かれていますが 光ってよく写りませんでした。
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拝殿上の懸魚の二匹の狐も伸びやかです。
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狛犬ではなく狛狐
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こちらものびやかな狐様です。
境内を見ます。
タグ:神社・寺院
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2016年03月21日

千住大橋 奥の細道矢立初めの地 

石洞美術館から千住大橋に行きました。
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千住大橋 隅田川に架かる橋です。足立区千住橋戸町
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千住大橋 奥の細道矢立初めの地 石柱
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松尾芭蕉・曾良の「奥の細道」紀行出発にあたり、初めの一句を 詠んだところ
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奥の細道行程図
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矢立ての初句、『行く春や鳥啼き魚の目は涙』の石碑
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裏側に説明文
元禄2年(1689)3月27日(新5月16日)松尾芭蕉は、門人曾良を伴い江戸深川から船に乗り日光道中初宿千住から奥州、北陸、美濃へと旅立ちました。
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名所江戸百景81 千住の大はし
タグ:史跡・名勝
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2016年03月19日

スペイン陶器展-煌めきのイスパノ・モレスク・ 石洞美術館

ぐるっとパスで入館しました。
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館内は館内はグレーを基調とした造りで 薄暗いですが工藝品が見やすいように配慮しています。
スロープで1階と2階の展示空間を繋いでいます。
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1階のコーナーはは申年にちなんだ展示物の特集でした。
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スペイン陶器展-煌めきのイスパノ・モレスク-
イスラーム勢力の統治下にあったスペインでは8世紀から約700年の間、南部を中心にヨーロッパとは異なる文化が生まれました。
イスパノ・モレスク陶器は、イスラーム陶器の技法を継承し、スペインで焼造された錫釉陶器です。
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「15世紀末にイスラーム王朝が滅亡した後も、スペインに残った陶工たちを中心に東部の窯場が発展しました。マニセスでは、王家や貴族の紋章を描いた大皿など華やかなラスター彩陶器が製作され、パテルナやテルエルでは、緑、青、茶などの顔料で人物や魚などを自由闊達な筆遣いで描いた陶器が製作されました。」説明文より
感想なのですが 日本文化の緻密な絵に慣れ親しんだものとしては スペイン陶器の絵がどうにもなじめませんでした。
絵がおおざっぱで 稚拙に見えてしまったのです。
もちろん 鳥や動物のデフォルメなのかもしれませんが・・・・・
「マニセスでは、王家や貴族の紋章を描いた大皿など華やかなラスター彩陶器が製作され、パテルナやテルエルでは、緑、青、茶などの顔料で人物や魚などを自由闊達な筆遣いで描いた陶器が製作されました。」と説明があるので そうなのかも・・と思いますが。
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石洞美術館を出ると 小さな前庭に 稲荷神社がありました。
屋敷社なのでしょうね。
千住大橋のほうに向かいます。
タグ:芸術鑑賞
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2016年03月18日

石洞美術館・ 千住大橋駅

京成線に乗り千住大橋駅で下りました。
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ここあたりは初めてなのですが 駅前は開発中なのか工事中でした。
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駅から徒歩数分のところにある石洞美術館に行きました。
石洞美術館は千寿金属工業株式会社本社ビルの敷地内にあります。
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石洞美術館  東京都足立区千住橋戸町23番地
外観は銅板葺き三角屋根に煉瓦タイル貼、平面六角形のユニークな建物です。
千寿金属工業株式会社の社長、会長を歴任した、実業家佐藤千寿が収集したコレクションを基に2006年に設立されました。
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石洞美術館の “石洞” とは、佐藤千寿さんの雅号とのことです。
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世界各地の土器や陶磁器、茶の湯釜、ガンダーラの仏像、漆器、青銅器、玉器などが主な所蔵品です。
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スペイン陶器展-煌めきのイスパノ・モレスク 開催中です。
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ラスター彩陶器を中心に、当館の所蔵するスペインの錫釉陶器約60件を初めて一堂に展示。
開催期間 2016年1月16日(土)〜4月3日(日)
タグ:芸術鑑賞
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2016年03月07日

善性寺・東日暮里

羽二重団子本店の目の前にある寺は善性寺。
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善性寺山門と将軍橋  荒川区東日暮里5-41-14
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将軍橋と芋坂
善性寺は日蓮宗の寺院で、長亨元年(1487)の開創と伝える。寛文4年(1664)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となった。
宝永年間(1704-1711)、家宣の弟の松平清武がここに隠棲し、家宣のお成りがしばしばあったことから、門前の音無川にかけられた橋に将軍橋の名がつけられた。
善性寺の向い、芋坂したには文政2年(1819)に開かれたという藤の木茶屋(今の「羽二重団子」)がある。(荒川区教育委員会)
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本堂
前に二本の桜、後にふたつ高層ビル
善性寺は日蓮宗のお寺で、長亨元年(1487)尊重院日嘉を開山として創建したと伝えられます。寛文4年(1664)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、徳川将軍家ゆかりの寺となりました。根岸古寺めぐり9番札所となっています。
多くの彰義隊士がこの善性寺に逃げ込んだと言われています。
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善性寺不二大黒天
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よく手入れされたきれいな境内です。桜の咲くころはもっときれいかも。。。
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境内脇の隼人稲荷
このあと 尾久橋通りに出て鶯谷方面へ行きます。
タグ:神社・寺院
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2016年03月06日

羽二重団子本店・芋坂

羽二重団子本店を出ます。
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建物はビルですが1階は昔の面影を残した造りです。
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根ぎし芋坂と書かれた外灯
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お店が面している音無川を埋め立てた道と芋坂が交差している角に、「王子街道」の石標があります。
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向かって左側(音無川の下流だった方向)には「根岸みち」とあり、右側には「芋坂みち」とあります。
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芋坂
「 善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は未詳。
 明治十五年ころ、日本鉄道会社の東北線(現JR)が通じて分断され、その形状が、失われてしまった。伊藤晴雨が描いた「根岸八景」の「芋坂の晩鐘」は、天王寺の五重塔を望む芋坂の、のどかなたたずまいをよくあらわしている。荒川区教育委員会」
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現在の芋坂です。
慶応4年5月15日、上野の戦争で敗れた彰義隊数百人が日光へ逃げるため、この芋坂を駆け下りました。数名が羽二重団子の店に侵入、刀、槍を縁の下に投げ込み、野良着に変装したそうです。店内にゆかりの品があるのはその理由からです。
JRの高架をはさんで坂下が荒川区、坂上が台東区になります。坂下の部分は、坂らしい傾斜がありません。
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正岡子規の句碑 『芋坂も団子も月のゆかりかな』
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正岡子規、泉鏡花などもよく訪れたそうで、 よく読めませんが店先に両作家の紹介文が掲げられています。
<正岡子規:道灌山より> 『ここに石橋ありて、芋坂団子の店あり。繁昌いつに変はらず。店の中には十人ばかり、腰かけて喰て居り。店の外には、女二人佇みて、団子の出来るのを待つ。根岸にことの鳴らぬ日はありとも、この店に人の待たぬ時はあらじ、戯れに歌をつくる。』 『根岸名物芋坂団子売り切れ申し候の笹の雪』
<泉鏡花:松の葉より>
『「団子が貰いたいね、餡のばかり、」と、根岸の芋坂の団子屋の・・・ 忠略 ・・眞昼間の幕を衝と落とした、舞臺横手のような、つらりと店つきの長い、廣い平屋が名代の團子屋。』
タグ:グルメ
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2016年03月05日

羽二重団子本店内資料等

店内に、歴史的な資料が展示されています。
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入口入って左のスペースに様々な資料が所狭しと展示されています。
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戊辰戦争時の彰義隊士が残した小刀や槍 
お店の歴史を語る帳場格子、帳簿類「懸取帳」「萬売上控簿」。
2階へあがるはしご段や店で使っていた道具類。
そろばん・鏡・蜀台等。戊辰戦争の時分の砲弾(不発弾)。
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「芋坂も団子も月のゆかりかな」子規 
弟子「寒川鼠骨」が書いたもの
久保田万太郎 直筆。「芋坂の団子下げたる賀客かな」
正月の風景の絵
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田山花袋 書 昭和4年 中秋 「羽二重団子」
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お店で使っていたものらしいです。
古銭とともに展示されていました。
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創業当時のお店の絵だと思いますが詳細不明
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創業時のお店の様子 藤の木茶屋
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昭和46年までのお店だそうです。
お店の片隅での展示とはいえ ちょっとした資料館ですね。
タグ:グルメ 建物
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2016年03月04日

羽二重団子本店・日暮里

日暮里駅前です。
西口から谷中のほうには何度か行ったことがあるのですが 今回は東口です。
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太田道灌騎馬像 JR日暮里駅前
太田道灌は、上杉家の家臣で「築城の名人」と讃えられ、江戸城を築城し、江戸に幕府の礎を築いた人です。
この周辺は、道灌ゆかりの地で 今も「道灌山通り」、「道灌山下」という名が残っています。
銅像は鷹狩りの勇姿で、道灌がこの辺でよく鷹狩りをしたそうです。
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東口には繊維関係の問屋さんも多いのですが 今回の目的は「羽二重団子」
駅前から数分歩いたところにあります。
「羽二重団子」本店  東京都荒川区東日暮里5-54-3
文政2年(1819年)創業、約200年前もの歴史を誇る老舗和菓子店。
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「正岡子規」の詩とともに、羽二重団子の歴史が紹介されています。
「文政二年、小店の初代庄五郎が、ここ音無川のほとり芋坂の現在地に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を供しておりました。この団子が、きめ細かく羽二重のようだと賞され、それがそのまま菓名となって、いつしか商号も「羽二重団子」となりました。」
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店内には椅子席と座敷席があり 座敷にはお雛様が飾られていました。
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座敷の掛け軸と大きなどびん。
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創業200年物歴史を物語る資料など。
明治の俳人の正岡子規や、「吾輩は猫である」で有名な夏目漱石も愛した店です。
店頭には 「夏目漱石も食べたお団子!!」というポスターもありました。
文人が愛したため、数々の近代文学の作品に記述があることでも知られています。
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テーブル席は 庭園を眺めることができます。
初代は加賀藩出入りの庭師だったとのことで、その手によって作られた日本庭園だそうです。
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広くはないのですが、築山 滝 池 石塔 お稲荷さまやお狸さま、鳥居、竹林 古井戸など日本庭園の要素がそろっています。
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これが 羽二重団子です。当初の品名は「大だんご」だったとか。
生醤油を塗った焼き団子。一般的な球形ではなく、厚みのある円盤状な大きめの焼き団子。
さらし餡を巻きつけた餡団子。餡団子の餡は、甘さ控えめです。しっとりした餡で口に残らず食べやすいです。
焼き団子は「酒を呑みながらでも食べられる焼き団子」ということで コシがあり歯ごたえのあるしかし 固くはなく弾力があるとても美味しい団子です。
餅米ではなく粳(うるち)米が使われているそうです。
団子を食べながら 庭を眺め お茶を飲みまったりと過ごしました。
タグ:グルメ
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2014年10月04日

葛飾柴又寅さん記念館2

葛飾柴又寅さん記念館入ってすぐは 撮影風景の再現です。監督などスタッフの紹介です。
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葛飾柴又撮影所
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次の寅さんの『 生い立ちコーナー 』では 帝釈天参道界隈のセットです。
帝釈天のミニュチュアがあります。壁には古い映画のポスターなどがあります。
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懐かしい「くるまや」のセット」です。
「このセットは第1作から最終48作まで撮影に使用したセットです。
大船撮影所の閉鎖とともにこの記念館に保存されることになりました。
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2階の寅さんの部屋へ上がっていく階段です。
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茶の間です。
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隣の印刷所。
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くるまや の模型。壁には映画の写真。マドンナと寅さん。
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昭和39年代の帝釈天参道を遠近法を用いて、精巧な模型で再現したジオラマ。高さは2mくらいあります。
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「人車鉄道」
明治32年から大正2年まで、帝釈天への参拝客らを乗せて、金町〜 柴又間の約1.5キロを運行していた人力の鉄道。
人が押している様子が スイッチをいれると動いて再現できます。
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寅さんに関するには 台本をはじめとする小道具や資料が並んでいます。
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寅さん埴輪
2001年(平成13年)8月4日、奇しくも渥美清の5回目の命日に、柴又八幡神社古墳から寅さんによく似た埴輪が出土しました。
その埴輪の複製です。
帽子や目つきなど本当に寅さんに似ていますね。不思議なことです。
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寅さんの全財産。これ一つで全国を回りました。
豊富な写真や資料 映像で寅さんファンは楽しめる記念館です。
記念館を出て 柴又駅へ。
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ふーてんの寅さんを再び眺めて帰宅の途につきました。
寅さん像は これから出かけるようにも 久しぶりに帰ってきたようにも見えました。
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2014年10月03日

葛飾柴又寅さん記念館1

葛飾柴又寅さん記念館は 山田洋次ミュージアムと共通券で入館できます。
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葛飾柴又寅さん記念館(葛飾区観光文化センター内) 
東京都葛飾区柴又6ー22ー19
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入館口の上には・・・・
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寅さんがいました。
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寅さんの雪駄。
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「葛飾柴又は、豊かな自然と温かい心が通い合う街。 東京の北東部、江戸川のほとりに位置する葛飾柴又は、水と緑と下町の風情あふれる町並みが調和した門前町です。」(寅さん記念館 パンフレット)
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吹き抜けの中庭には こころのふるさとマップがあります。
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全ロケ地を焼き付けタイルで地図化したものです。
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こんなところにも寅さん。
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寅さんの休み石。
次 入館します。
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2014年10月02日

山田洋次ミュージアム・葛飾柴又

山田洋次ミュージアムは2012年12月15日オープンしました。
葛飾柴又寅さん記念館の向かいにあります。これは1階からの出入り口です。
展示室は2階にあります。
東京都葛飾区柴又6-22-19 葛飾区観光文化センターB棟2階
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エントランスには、撮影現場の膨大な写真でつくられた、山田洋次監督の巨大な肖像写真があります。
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そして中央には映写機材や映画のフィルムがシンボルとして展示されています。
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1961年のデビュー作『二階の他人』から、2014年1月公開の『小さいおうち』までの作品群を8つのテーマにわけて展示。
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他に作品が受賞した様々な楯やフイルムがあります。
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監督が追い続けるテーマ「家族」が感じられるミュージアムです。
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エレベーターで1階に降ります。
エレベーターの壁には 作品のタイトルがびっしり・・・・
次 お向かいの葛飾柴又寅さん記念館に行きます。
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2014年10月01日

柴又公園・葛飾柴又

山本亭を抜けると、柴又公園です。
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柴又公園は、日本庭園のある山本亭や寅さん記念館を含み、葛飾区の観光名所のひとつです。
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柴又公園の上に上る階段から 山本亭を見ています。
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地図です。
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現在地から 江戸川を見下ろしています。はるか下に見えます。
柴又公園」は、江戸川河川敷と一体となった総合公園。
東京都のスーパー堤防整備事業と共同で整備が進められ、誕生した。総面積5.1ヘクタール。
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スーパー堤防は、大洪水によって越水が生じてもこわれることなく、破堤による壊滅的な被害を防止するとともに、地震に対しても安全な堤防です」と書いてありました。なるほど ずいぶん階段を上ったわけです。
ちなみにこの先には「矢切の渡し」があります。
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スーパー堤防上の公園から 橋を渡っていくことができるのが 山田洋次ミュージアム です。
次 ここに入ります。
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2014年09月30日

山本亭5長屋門・葛飾柴又

山本亭の見学者用玄関を出て 右に行きます。
防空壕跡という標識が見えます。
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第二次世界大戦中に建設された鉄筋コンクリート造りの強固な防空壕だそうです。
屋内から地下に下りる直線的な階段があり、地下室は約6畳の部屋が2室、シャワー室で脱出口があるとのこと。
地下室は 公開していませんが ここが脱出口かな?
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家屋外回りの庭園を歩きます。この道は無料で通り抜けができます。
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屋内の庭園茶室に入る木戸。
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旧玄関前にあった 瓦。
どういうものなのかわかりませんが このあたりは瓦工場の跡地だそうです。
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長屋門が見えてきました。
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長屋門(ながやもん) 
「瓦葺きの木造平屋(1階建て) で伝統的な長屋門(武家屋敷でみられる門) の形式を受け継ぎながらも、外観・内部ともデザインを洋風化している。 通路の両側にある袖部屋(そでべや) は、広さが3畳ほどで、当時は門番が常駐し、客人のお付きの人、人力車の車夫(人力車を引く人) などが控えていたとされている。 ステンドグラスの上げ下げ式窓などが一層洋風の雰囲気を醸し出している。」
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6角形のタイルが敷かれた床に、ステンドグラスの窓など、外観・意匠を洋風化している点が特色です。
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和洋折衷様式の特異な長屋門は、昭和5年から8年に住居兼用であった古い長屋門を取り壊し新築されたものです。
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中央部の円形メダイヨン内の8角形電灯
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長屋門から玄関を見ます。
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道路側からみます。
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立派な長屋門に塀です。ちなみにこの近隣の家の表札には山本と書いた大きなお屋敷がありましたからきっと一族のお住まいなのでしょうね・・・
目の前の急な石段を登り 柴又公園の上に行きます。
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2014年09月29日

山本亭4 和室と庭園・葛飾柴又

鳳凰の間から庭園側の和室に戻ります。
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和室6部屋のうち角部屋にあたる2部屋は、床の間、違い棚、明かり障子、欄間から成り立つ伝統的な書院造りです。
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庭は角部屋の「花の間」の床柱を背にして眺めるのが一番素晴らしく見えるように設計されているそうです。
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和室の天井も高く 欄間も凝っています。
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すべての部屋は廊下を挟んで庭に面し ふすまを開ければ開放的な空間となります。
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角部屋が 花の間。
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山本亭の庭園について
 「山本亭のように、昭和初期の資産家の庭園が当時のまま残されているのはまれであり、都内では旧安田邸(墨田区)、徳富邸(世田谷区)があります。
 当庭園は、縁先や近くに池泉を、背後には緑濃い植え込みと築山を設け滝を落とすという典型的な書院庭園であり、庭園面積は890uです。
 滝は池の最も遠い部分の入江奥に設けられ、庭園の奥行きの深さと心地好い滝の音を作り出し、また限られた池水面をより広く見せるための手法として池の諸方向に入江を設け、池岸を多様に変化せしめています。」
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庭園の面積は約890uで、マツ、ツツジなど約400本の樹木が植えられています。
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昭和初期における庭園様式を現在まで残した買う少ない例で同様の庭園に旧安田邸、徳富邸があります。
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廊下は、天井が数寄屋風で、自然光を意識した大きなガラス戸やガラス欄間となっています。
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古い時計がかけられています。
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旧式な電話機
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クジャクの欄間
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天井の明かりとり。
築造年代が少なくとも3時期に分かれ、東側の座敷3室と台所が古く、玄関・廊下・応接室等の順になっているそうです。
大正時代には珍しい二階建てですが 見学は1階だけです。
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2014年09月28日

山本亭3 鳳凰の間・葛飾柴又

旧玄関には人力車があります。資産家らしく今で言う マイカーですね。
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そとからみた玄関。
人力車の手入れは行われているようです。
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この時も 係りの人が手入れしていました。
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玄関の間 には葛飾区在住の日展理事 福田千恵 作「花菖蒲」
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玄関すぐ右手は鳳凰の間
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入室はできませんから 写真だけ。
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鳳凰の間 邸内で唯一の洋間で昭和初期独特のデザイン。
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白漆喰仕上げの高い天井や、寄木を用いたモザイク模様の床のほか、大理石の暖炉もあります。
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暖炉はヒーターのようです。
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玄関脇に洋風の空間を設けたのは 当時ではめずらしく、客人の応接室だったようです。
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外観も洋館風。
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2014年09月27日

山本亭 2・葛飾柴又

貰ったパンフレットです。
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内側には山本亭の沿革が書いてあります。
山本亭の沿革 
「この建物は、地元ゆかりの合資会社 山本工場(カメラ部品製造) の創設者 故山本栄之助翁の住宅として建てられ、山本家四代に亘る居宅となっていたものを昭和63年に葛飾区が取得したものです。
 山本家はもと浅草の小島町(現・台東区)にありましたが大正12年の関東大震災で被害を受け、その直後柴又のこの地に移転してきたものです。
 建物は、木造瓦葺き二階建で床面積は1階400u、2階50uに地下室、土蔵、長屋門等からなり、大正15年から昭和5年の間、数次に亘る増改築を重ね現在の姿となっています。 その様式は都内でもめずらしい伝統的な書院造から洋風建築までの広がりをもっています。
 また庭園は、縁先近くに池泉を背後には緑濃い植え込みと築山を設け、滝を落とすという典型的な書院庭園の様相を見せています。(面積890u)
 山本亭は大正末期から昭和初期の時代精神が反映された和洋折衷の建物と純和風の庭園とが見事な調和を保っており、その文化財的価値は高く評価されています。」
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山本亭の間取り図です。
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入ってすぐが 舞の間です。
山本亭の各和室では「カフェ山本亭」を営業しており、甘味などをいただくことができます。
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お茶を飲む先客がいたため 全体は写せませんでした。
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坪庭もあります。
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座敷前の庭に面した広い廊下、広い中廊下、土蔵に面した裏側の廊下と廊下がたくさんあります。
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「星」「月」「花」の和室が並びます。
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茶室は見学できませんが 水屋がありました。
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土蔵もあります。
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外から見た蔵です。
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蔵の前には 使用していたと思われる展示品がありました。
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区登録有形文化財 山本亭(やまもとてい) 附 庭園
「 大正末期から昭和初期に建築された和洋折衷の建物と庭園とが調和したもので、同時代に建築された建物等が消失していくなかで葛飾区のみならず都内においても、日本の建築史を知るうえで貴重な文化遺産です。
 建物は、木造2階建て及び土蔵・地下防空壕・長屋門からなり、伝統的な書院造を骨子として洋風建築の要素を取り込み、随所に近代和風建築の特徴を有しています。 また、庭園は、縁先の近くに池泉を背後には緑濃い植え込みと築山(つきやま) を設け、滝を配すなど書院造の庭園を基本としたもので、昭和初期における庭園を現在まで残しています。 葛飾区教育委員会」
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「鳥」 「雪」 「風」の和室が並びます。
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先にすすみます。
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2014年09月26日

山本亭 1・葛飾柴又

柴又帝釈天の白い塀に沿って山本亭へと歩きます。
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途中にみちしるべがあります。
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甥の満男が生きる意味について寅さんに問うたときのセリフが書かれています。
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葛飾柴又 寅さん名言集  第39作寅次郎物語
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そのまままっすぐ行くと 「山本亭」裏門です。
通り抜けは自由です。と書いてあります。
表門の長屋門まで庭を通って行くのは 無料です。
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表門の長屋門。ここは後ほどゆっくり見学します。
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ここは見学者用の入口です。100円で中に入ることもでき、通り抜けなら無料。

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山本亭 東京都葛飾区柴又7ー19ー32
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山本亭は大正末期から昭和初期に建築された和洋折衷の珍しい建物です。
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外からみると 一見普通の家に見えるのですが 昭和時代の富豪の邸宅で内部は実に豪奢です。
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ここが受付。
喫茶(抹茶など)のご利用もできるそうです(有料)。
「寅さん記念館に行かれますか?」と問われ ついでだから行くことにしました。
寅さん記念館(山田洋次ミュージアム)&山本亭セット料金
一般 600円→550円
セットだと割引になります。
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2014年09月25日

邃渓園「大客殿」3・柴又帝釈天

大客殿と回廊に囲まれるスペースにある日本庭園が「邃渓園」です。
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屋根付きの回廊でひとまわりすることができます。
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昭和59年になって、庭を回遊できるように回廊が作られたそうです。
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邃渓園のなかには茶室「不答庵」があります。その名は中国の詩人「李白」の漢詩「山中問答」によるとのことです。
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池泉式庭園 「邃渓園」―江戸最後の名庭―
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向島の庭師永井楽山の設計により、昭和40年に造園されました。
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回廊をめぐると景色がかわります。
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奥に見えるのが大客殿。ちょうど対面になります。
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物見台がよく見えます。
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湧き出るご神水
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帝釈天に仕える神猿
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この位置が外部から庭園への出入り口になります。
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普段は閉じられています。
これで 柴又帝釈天参拝は終わりです。
やはり 有料の彫刻ギャラリーと大客殿が素晴らしくて印象的でした。
機会があれば再訪したいです。
ここから 山本亭に向かいます。
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2014年09月24日

邃渓園「大客殿」2・柴又帝釈天

ガラス障子の広縁を巡らす 「大客殿」。畳み敷の広縁です。
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左側が「邃渓園」になります。
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大客殿は昭和4年製の建物。右手に和室が左手に庭がある。
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「帝釈天の板本尊」複製だと思います。
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広縁の縁の正面中央に張り出した部分中央には(物見台)が設けられ名庭邃溪園がよく見えます。
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建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葦き。
建物内部は四部屋からなる書院造り。
彫刻原型が上部にずらっと並べられています。
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彫刻ギャラリーの、原型です。
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横山大観筆(彫刻下絵) 「群猿遊戯図」 です。
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和室内部に入ることはできませんが 広縁から写真撮影は可です。
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床の間のある部屋でなんと上部は シャンデリアです。
大客殿は、信徒の接待所として設計された建物だそうです。
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一番奥の頂経の間が上段の間。
天井には杉の一枚板を鏡板に用い、折上げ部分に漆を塗っている。
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床の間の「南天の床柱」 は、日本一のものといわれ、直径30cm、滋賀県の伊吹山にあった樹齢約1,500年の南天の自然木を使用したものです。 
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和室の前の広縁。
ここから 回廊を巡ります。
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2014年09月23日

邃渓園「大客殿」1・柴又帝釈天

彫刻ギャラリーを出て 回廊(渡り廊下)を行きます。
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「大客殿」、邃渓園は彫刻ギャラリーと共通の券で行くことができます。
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右は祖師堂
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回廊上部にも彫刻が施されています。
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外からみればこんな感じです。
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外からの大客殿入口。(入れません)
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東京都選定歴史的建造物 「柴又帝釈天題経寺大客殿」
 帝釈天題経寺は寛永年間に創設された日蓮宗の寺院で、境内には、文化・文政の頃の釈迦堂をはじめ、明治以降に建てられた諸堂が多く現存する。 北側の和風庭園(邃渓園) に面した大客殿は、信徒の接待所として設計された建物で昭和4年(1929)に完成した。 この年には釈迦堂拝殿の造営も行われている。建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葺き。ガラス障子の広縁を巡らし、縁の正面中央に張り出し部分を設けているところが外観上の特徴である。 建物内部は四部屋からなる書院造りで、一番奥の頂経の間が上段の間である。 また、床の間には、近江の伊吹山山麓にあった 「日本一」 と言われる大南天の床柱がある。
東京都選定歴史的建造物
所在地  葛飾区柴又7−10−3
設計者  大工棟梁  鈴木源治郎
建築年  昭和四年(1929)
東京都生活文化局
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周りを楽しみながら回廊を歩きます。
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ここから邃渓園(すいけいえん)、「大客殿」 に入ります。
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大客殿 入口です。
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2014年09月22日

彫刻ギャラリー2・柴又帝釈天

風雨塵埃にされされ、金網等があり鑑賞しにくかったので、堂周りに、新たに廻廊をめぐらし、総ガラス張りの「彫刻ギャラリー」を作ったそうです。彫刻は上から下まで彫られていて、観覧しやすいように2階と1階に分かれています。
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エアコンが効いているので ガラス張りでも涼しく鑑賞できます。
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この辺に階下に降りる階段があります。
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どこにも彫刻が施されています。
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こんなところにも・・・・びっしり。
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階段の途中に絵馬の展示があります。
葛飾区登録有形民俗文化財指定の 「柴又帝釈天絵馬」 です。「祈願によって帝釈天さまが出現し、御神水が湧き出でる様子」が見えます。
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「帝釈天の絵馬は明治時代に信者から奉納されたもので、当時の柴又帝釈天の賑わいと信仰を知る貴重なものです。 明治7年(1874) 奉納のこの絵馬は当時の参詣の様子を描いたもので、本堂の奉納提灯や手水場(ちょうずば) の手ぬぐいなどに往時がしのばれます。」 説明文より
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階下部分の彫刻です。
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季節ごとの彫刻があり、龍が支えています。
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見事な龍に見とれてしまいました。
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柴又帝釈天に参拝するひとは多いけれど ツアーなどでは時間がなくて素通りすることが多いそうです。
「彫刻寺」と言われるくらい素晴らしい 彫刻ギャラリーも見学することをお薦めします。
400円の入場料で 大客殿・日本庭園「邃渓園」も見ることができます。
言葉でいいあらわせないほど彫刻ギャラリーに感動しました。 次 大客殿・日本庭園「邃渓園」に向かいます。
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2014年09月21日

彫刻ギャラリー1・柴又帝釈天

柴又帝釈天は「彫刻の寺」と言われるほどで 境内の建造物には彫刻が施されています。
帝釈堂拝殿の奥に位置する帝釈堂内殿には外壁を囲むように彫刻が施されていて 彫刻ギャラリーとして公開されています。
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ガラスで覆われて保護されています。
彫刻ギャラリーと庭園(400円で両方入場可)は 一見の価値ありの場所です。
帝釈堂から そのまま行くことができます。
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帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われています。
胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面は素晴らしいの一言。
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大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作。
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羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。
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それぞれに「法華経説話彫刻」の題と作者 簡単な説明があります。
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彫刻の細かさと立体感に圧倒され ただただ見とれているだけです。
じっくりみれば一日見ていても飽きないでしょう。
四面を廻ると 階段を下りて下の部分を見ます。
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2014年09月20日

柴又帝釈天境内2

映画「寅さんシリーズ」でおなじみの柴又帝釈天は正式には、経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)という日蓮宗のお寺です。
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これは帝釈堂。明治時代、名人・坂田留吉棟梁が仕上げた総欅造りの帝釈堂。堂内には、日蓮聖人親刻の帝釈天板本尊が祀られています。
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葛飾区登録有形文化財
 柴又帝釈天 題経寺・諸堂内
  及び 二天門 建築彫刻一括
     平成4年(1992)2月5日登録
「帝釈堂、祖師堂、二天門、には多くの木彫により建築浮彫装飾が施されています。特に帝釈堂は設計林門作、棟梁坂田留吉の指揮のもとに作られました。内陣外側の胴羽目彫刻10枚は法華経説話を題材にして、加藤寅之助・金子光清・木嶋江運・石川信光・横谷光一・石川銀次朗・加府藤正一・山本一芳・今関光次・小林直光等の彫刻師により制作されました。大正12年(1923)9月、それぞれの彫刻師のもとに運ばれていた欅の彫刻材は、関東大震災によって、すべて焼失しました。その後欅材を全国に求め、発願から十数年の歳月を費やし、10枚の胴羽目彫刻は昭和9年(1934)に完成しました。
 彫刻の下絵は高山栄州が描いています。胴羽目の寸法はそれぞれ縦1.27m、横2.27m、厚さ20cm襖1枚の大きさです。
 他堂や二天門の内外に、施された彫刻も、同じように貴重なものです。
 葛飾区教育委員会」
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帝釈堂の扁額。「喜見城」。帝釈天の居城だとか・・・
帝釈堂の拝殿にも様々な彫刻がありますが、さらに奥の内殿(彫刻ギャラリー)にて本格的な彫刻を見ることが出来ます。
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帝釈天は(柴又七福神 毘沙門天)です。
 題経寺(柴又七福神 毘沙門天
「甲冑を着けた毘沙門天は、インドの神様で右手に宝棒(鉾)を持ち、左手に宝塔を捧げ、足下に悪業煩悩の天邪鬼をふみつけている。仏教の教えを守るとともに、招福・財福を授けてくれる神様である。
 また、別称多聞天といい、四天王のひとりとして、北方守護神として祀られている。
葛飾区 葛飾区観光協会」
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渡り廊下で祖師堂(本堂)とつながっています。
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祖師堂 日蓮宗としての本堂で本尊「大曼陀羅」が安置される。
かつて帝釈堂として信心を集めてきたお堂です。
明治時代、現在の帝釈堂が建てられたことで、旧帝釈堂であった本堂は現在の地に移され、祖師堂になりました。
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日蓮宗 経栄山 題経寺 (柴又帝釈天)
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祖師堂の正面にある南大門
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釈迦堂(開山堂)
文化・文政期のもので、柴又帝釈天最古の建造物。
堂内には白鳳期の釈迦立像や日栄上人像、日敬上人像が祀られています。
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釈迦堂横にある2体の座像。
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2014年09月19日

柴又帝釈天境内1

二天門の正面は帝釈天のご本尊を安置する帝釈堂です。
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正面に伸びている松は瑞龍松(柴又帝釈天 題経寺)です。
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千葉県の中山の法華経寺の題経院日栄上人は、葛飾柴又へ寄った際、見事な枝ぶりの松の木を見とめ、近づいてみると松の下に霊泉が涌いていました。
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日栄上人は師の日忠上人を開山に仰いでこの地に庵を開きました
これが経栄山題経寺のはじまりです。寛永年間(1629)年開山。
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御神水:江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵(いおり)を結んだ。その霊水は現在も湧き出している。
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浄行菩薩:タワシで菩薩を洗い清め、お参りされることで、罪や穢れを清めてくれる。
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手水舎(境内右側) :総ての彫刻に刻銘、後藤流彫工。昭和初期
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鐘楼堂
寅さんの映画によく出てくる鐘つき堂。
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「昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m、四手先の豪壮な桝組と木彫を施し、関東一の鐘楼と言われる。梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高い。」
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鐘楼前の 門。
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帝釈天出現由来碑:葛飾区指定有形民俗文化財
「この碑は、安永8年(1779)題経寺本堂改修のとき発見した日蓮聖人自刻の帝釈天坂本尊を後世に伝えるため、弘化2年(1845)俳人鈴木松什および檀徒石渡忠右衛門等が協力し、その由来を記し、併せて帝釈天の功徳を述べている。
 碑の総高1.48メートル、撰文は宮澤雉神遊、書は萩原?(羽に軍)、刻者は窪世昌である。題経寺縁起の整ったものは、明治29年(1896)に作成されたが、碑は、それ以前における由緒資料として貴重である。
 葛飾区教育委員会」
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境内を順に見ていきます。
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2014年09月18日

柴又帝釈天山門(二天門)

参道の終わり山門(二天門)に向かって右に 赤いポストと公衆トイレがあります。
赤ポストは たてもの園で見ましたがこれは現役のようです。
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その後ろには 帝釈天散歩の標識。駅からは数分です。
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赤いところを巡ります。
後ろには「柴又帝釈天遺跡」の石碑
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古墳時代後期から奈良・平安時代の遺跡地だそうです。
「柴又は、奈良の正倉院に伝わる日本古代史上著名な「養老5年(721)下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記載されている嶋俣里の故地として知られています」
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柴又帝釈天山門(二天門)
 帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する。そして、帝釈堂内に、東方守護の持国天、北方を守る多聞天が、帝釈天の脇士として配置されている。
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明治29年、江戸期建築の最後の名匠と言われた、坂田留吉棟梁によって造りあげられた、総欅造りの豪壮な門である。
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日光東照宮の陽明門を模したと言われ、桝組は、三手先、扇タルキの見事な出来映え。 
帝釈天の中でもひときわすぐれた建造物と言われています。
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屋根には千鳥破風と唐破風が施されています。
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見事な浮彫りの装飾彫刻は、帝釈天の見所の一つです。
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大工は坂田留吉棟梁、彫物師は後藤流の加藤勘蔵師、総欅造りの門。
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この彫刻をみるだけでも 素晴らしい!
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羽目板の彫刻。龍。
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竹に虎。
山門の表内側と 丁寧に彫刻を見て境内に入ります。
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2014年09月17日

柴又駅〜参道・フーテンの寅さん

東京スカイツリーの押上駅から京成線に乗り 高砂駅で金町線に乗り換え柴又駅に行きました。
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高砂、柴又、金町のたったの3駅しかない京成金町線です。
路線距離:2.5km 平日ダイヤで89往復、4両編成。
もとは帝釈人車鉄道と言って、人力の鉄道で 帝釈天の参拝客を柴又〜金町間を往復していたそうです。
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柴又駅へのアクセスは高砂から来るか、金町から来るかのどちらかです。
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京成柴又駅。東京都葛飾区柴又4−8
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駅前のフーテンの寅像
「旅発つ寅次郎がさくらを振り返る」姿を表している。地元商店会と観光客の募金によって1999年に建てられた。銅像の足元には山田洋次監督による寅さんの故郷への思いが刻まれている。銅像が建っている柴又は関東の駅100選に選ばれている。」説明文より
寅さんは損ばかりしながら生きている
江戸っ子とはそういうものだと
別に後悔もしていない
人一倍他人には親切で家族思いで金儲けなぞは爪の垢ほども考えたことがない
そんな無欲で気持ちのいい男なのになぜかみんなに馬鹿にされる
もう二度と故郷になんか帰るものかと哀しみをこらえて柴又の駅を旅立つことをいったい何十辺くり返したことだろう
でも故郷は恋しい
変わることのない愛情で自分を守ってくれる
妹のさくらが可哀想でならない
ーごめんよさくら いつかはきっと偉い兄貴になるからなー
車寅次郎はそう心に念じつつ故郷柴又の町をふり返るのである
 1999年8月 山田洋次」
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柴又駅の横の子育て地蔵尊は“おりつ地蔵”。
説明板によれば 昭和7年、5歳の律子ちゃんが実父に殺されたのを不憫に思った有志が幼い霊を慰めるために建立したお地蔵様です。
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参道入り口にある「映画の碑」 
所在地 葛飾区柴又7ー3ー9
映画の碑
私 生まれも育ちも葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎
人呼んで フーテンの寅と発します  
  山田洋次
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帝釈天参道入り口
京成柴又駅から帝釈天までの約200mの参道は、昔ながらの趣が残っています。
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参道は途中に車道を一本挟んで、参道が帝釈天まで延びています。両側にはいろいろなお店が並んでいます。
年6回の庚申の日には、格別の賑わいを見せるそうです。
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数あるお店の中でも特に有名な ”高木屋” 
ここはロケの際の休憩場所として使われたり、実際の映画の中で登場する とらや(40作目からはくるまや)のモデルともなっているお店です。
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男はつらいよ」の撮影に第一作から第四作目まで使われた とらや
現在の店舗は老朽化のため建て替えられましたが 店舗の奥には、寅さんも使った階段が残っています。
参道をさらに進みます。
タグ:観光 柴又
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