2016年04月10日

甘泉園公園・新宿区早稲田

新江戸川公園は文京区ですが 神田川の対岸は新宿区です。
都電荒川線早稲田駅・面影橋駅の近くに甘泉園(かんせんえん)公園があります。
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甘泉園(かんせんえん)公園  新宿区西早稲田三丁目5番 
大名屋敷跡につくられた日本庭園
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江戸時代宝永年間(1704-1711年)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永三年(1774年)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。
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「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。
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甘泉園公園は、新宿区立唯一の回遊式庭園です。日本の歴史公園100選のひとつです。
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神田川の傾斜地を利用しているため 池の水は段丘の高低差を利用して引かれています。
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池のある低地から 高台のほうに抜けると水稲荷神社の社務所前に出ます。
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水稲荷神社 新宿区西早稲田3−5−43  
早稲田水稲荷神社は日本稲荷古社の随一だそうですが 今回は社殿まで行きませんでした。
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堀部安兵衛の碑
堀部安兵衛助太刀の場所の碑です。
「元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。」
石段を下り 早稲田通りに出て数分で東京メトロ早稲田駅です。
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歌川広重の面影橋(東京メトロ東西線 早稲田駅の壁)です。
タグ:庭園・公園
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2015年09月13日

玉ちゃんの像・新宿住友ビル広場

新宿住友ビルは、白い三角形のビルです。
ここの51階レストランフロアの一角に展望ロビーがあり無料で 行くことができます。
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都庁は目の前です。
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都庁の展望室も無料です。
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西新宿は高層ビル群なのです。
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新宿住友ビルの広場です。
ちょうど 新宿アートプロジェクトというイベントをやっっていたらしく 街中アートの作品がありました。
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その広場に玉を持った黒い猫の像があります。
世界的に著名な彫刻家・造園家「流 政之」氏の作品 玉ちゃんの像
 「 ひとにいのちあれば ねこにもいのちあり
  江戸の里をひらきし太田道灌
  この地の北でいくさに敗れ
  あわやいのちを失わん時
  一匹のねこあらわれにげ道をあんない
  いのちをとりとめ江戸を開いた
  なれどこのかくれた江戸の恩猫も
  ねこなるゆえに名ものこらぬはふびん
  江戸のいゝたま玉ちゃんと名づけ
  のちのちまでの江戸のまもりとす
        つくりびと  流 政之
         ねこの生まれ 文明狂年」
説明文によれば 太田道灌が文明九年(1477)の江古田ヶ原の戦に敗れた時、逃げ道を案内して道灌の命を救った猫だとのこと。
道灌の命を救ったこの猫は、「江戸の恩ねこ」とされています。

世界的に著名な彫刻家・造園家「流 政之」氏の像は大手町 さわり大黒 (流政之作)でも紹介しましたが 思わず微笑む和みのある像で私は好きです。
このあと JR新宿駅まで歩き帰宅しました。
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2015年09月12日

平和祈念展示資料館・体験コーナー(抑留者 引揚者)

シベリアの冬、外気温マイナス30度、飢えに耐えながら 重労働を強いられました。
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飢えと労苦で亡くなった方も多く、日ソが国交を回復する昭和31年末まで帰国できない方もたくさんいました。
抑留者には強制労働だけではなく、赤化洗脳がありました。
昭和21年(1946年)から「民主運動」の名目で実施されました。
民主運動(=スターリン礼賛と社会主義革命のための洗脳教育)
日本共産党委員長徳田球一が『反動は、シベリアの土とになれ』といって、洗脳されたものだけを日本に返すように要求したからだそうで す。
第007回国会 考査特別委員会 第15号
昭和二十五年三月三十一日(金曜日)より
「昭和25年3/31、衆院考査委員会で吉田幸平が証人に立ち、徳田要請が初めて公の場で証言されました。日本新聞には「反動は還すな、 白カバのコヤシになれ」といった記事が掲載されるようになり、同年暮れからは日本で発行されている共産党機関紙「アカハタ」の記事も何故か 日本新聞に転載されるようになった。」
洗脳されてしまった人は内地に引き揚げた後、東京代々木の日本共産党本部にあいさつに向かったそうです。
こういう事実を初めて知り 愕然としました。
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これはシベリア抑留者の一日分の食事。黒パン350gとわずかな薄いスープのみでした。
「シベリア抑留者たちに与えられた1日分の黒パンサンプル。ちいさいです。
木製フォーク、スプーン、ナイフは強制抑留中に作ったものです。
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ソ連軍は日本が降伏したのちも侵攻を止めず、数週間にわたって南進を続けました。
ソ連が侵攻した地域は矢印で示されています。
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手作りの大きなリュック。死んだ子供などのおむつや衣類を縫っていろいろなものを作ったそうです。
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子供の手を引く母親。食料はコーリャン。亡くなったり はぐれたり 売られたりした子供たちが大勢います。
ソ連は日ソ不可侵条約を破って、旧満州と北方領土に侵攻した。 それが中国残留孤児の始まりでもあり いまだ占領を続けている 北方領 土問題も、 「8・9ソ連侵攻」から始まっています。

日本政府のポツダム宣言を受諾下 8月14日に起きた葛根廟事件では、数千人の避難民が退避している際にソ連軍から一斉射撃を浴びた後、戦車で轢き殺された。その後 生存者も死者も中国の暴民によって衣服をはがされ、強姦されました。

平和祈念展示資料館には情報(所蔵図書)検索コーナーもあります。
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たまたま知って入ってみた平和祈念展示資料館ですが 貴重な体験をしました。
HPでは 来館できない遠くのひとのため ショート映像のコーナーや詳しい展示品の説明があります。
また 巡回展もやっているそうです。
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2015年09月11日

平和祈念展示資料館・体験コーナー(兵士)

体験コーナーです。
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このコーナーだけは撮影可です。
兵士の衣類を着たり、千人針に触るといった体験ができます。
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兵士の軍装品(復元)
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軍装リュック(約20kg)です。持ち上げてみることができます。
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武運長久と書かれた千人針です。
上はラッパの音を実際に聞くことができます。
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軍の食事の時の合図がラッパのマークの正露丸のCMの音だと初めて知りました。
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「兵士・抑留者の服を着て写真を撮ろう!」のコーナーです。
抑留者の防寒外套はかなり重いそうです。
これを身にまとい 極寒の中重労働をさせられたのです。
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2015年09月10日

『抑留者と家族をつないだ言葉ー葉書に託した想いー』平和祈念展示資料館

常設展示のほかに企画展示コーナーがあります。
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企画展『抑留者と家族をつないだ言葉ー葉書に託した想いー』
平成27年6月23日(火) 〜9月27日(日)
午前9時30分〜午後5時30分 (入館は午後5時まで
「企画展では、俘虜用郵便葉書とともに、葉書の内容に関連した、防寒具や『日本新聞』などの資料を展示。
俘虜用郵便葉書とは、ソ連から抑留者に支給された、主に赤十字社を経由して故郷とやり取りができる往復葉書です。
ソ連側による検閲があったため、葉書には、抑留生活の実態や抑留先の詳しい所在地を書くことができないといった、さまざまな制約がありました。」
抑留者が家族に宛てた葉書
黒く塗られた葉書
検閲を少しでも逃れようと カタカナだけの葉書
元気で暮らしているという嘘の葉書

家族が抑留者に宛てた葉書などもあり 抑留者や残された家族の心情や、当時の苦しい状況などを伝えています。

「戦後強制抑留者とは戦争が終結したにもかかわらず、シベリアを始めとする旧ソ連やモンゴルの酷寒の地において、乏しい食糧と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられた方々です。」
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シベリアでの強制労働の様子を描いた「シベリアからの手紙」
無料の配布資料です。72ページ。
いかに悲惨な状況だったかが よくわかります。
塊で渡される黒パンを平等に切り分けるための苦労や、それによる仲間間の争い。
乏しい食料 飢えに耐えられず ソ連兵に防寒具の両袖を配給のバンと交換 したといいます。
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パンフレットより。
きつい強制労働、少ない食料、極寒。最初の1年で多くの人がなくなったそうです。
極寒の地では、亡くなった仲間を埋葬することもできず、ただただ遺体に雪をかけただけだという。
あまり語られることのなかった シベリア抑留者の実体験を 子供でもわかるように漫画にしています。
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満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽
こちらは 引揚者の労苦を描いた漫画です。72ページ。
亡くなった母親が遺した満州からの引揚げの苦しくつらい状況を綴った3冊の手記から父親や姉妹たちの悲しい思い出と、希望を失わず必死に生きてきた母親の姿を知った・・・・
満州に花嫁として渡った母の幸せだった時期 そして突然のソ連侵攻で 逃げなければならなかった様子。
ソ連兵に襲われないよう 女たちは丸坊主になり 男たちに囲まれて逃げた。
列車の中で死んでいく人たち・・・そこには民間人でありながら 悲惨な状況に追い込まれた人々の姿が描かれていました。
読んでみて よかったです。もっと多くの人に読んでもらいたいです。

尚 この2冊は電子コミックになっていますので 誰でも読むことができます。

posted by うめのはな at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区

2015年09月09日

平和祈念展示資料館・常設展示

受付でパンフレットをもらい中に入ります。
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パンフレットの見取り図です。
体験コーナーだけ 撮影可です。ほかは不可。
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平和祈念展示資料館
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階
入場無料
展示規模:約600u
施設内容:兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦に関する資料を展示
施設構成:常設展示室(兵士、戦後強制抑留、海外からの引揚げコーナーなど)
企画展示室 、体験コーナー、情報メディアコーナー、図書閲覧コーナー、ビデオシアターなど
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兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦の順に展示されています。
戦争に至った経過を12分ほどの映像で見ました。
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兵士のコーナ
召集令状(赤紙) 千人針・慰問袋・兵士の装備品などが展示されています。
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戦後抑留者と言えば シベリア抑留です。
不可侵条約を破り 終戦間際に突如侵攻してきた ソ連軍のきわめて残虐な行い。
そこから逃れるため 着の身着のままで逃げざるを得なかった日本人。
労役確保のため 兵士だけではなく 民間人も捕虜として捕まえシベリアに送った卑劣なソ連軍 。
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戦争が終結したにもかかわらず、シベリアなどの酷寒の地で乏しい食糧と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられた約57万5千人に及ぶ戦後強制抑留者の方々の労苦を紹介しています。
飢えと寒さで バタバタと何人もの人が亡くなっていきました。
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海外からの引揚げコーナーでは 関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどでわかりやすく展示しています。
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満州からの引揚げ船「白竜丸」の船底の様子を 体験者の証言をもとに再現したジオラマです。
この船にはカメラマンも乗っていて写真をもとに再現。
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2015年09月08日

新宿住友ビル48階・平和祈念展示資料館

都営大江戸線都庁前駅です。
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A6出口です。
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新宿住友ビルに直結しています。
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 新宿住友ビル 東京都新宿区西新宿2-6-1
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階段の手すりが 人 なのを発見!!
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エレベーターで 48階へ・・・・・三角形のf気抜け部分を覗くとこんな景色になります。
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新宿住友ビルの48階には 平和祈念展示資料館があります。
平和祈念展示資料館は、戦後も労苦体験をされた 兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦の三つの労苦を扱う資料館です。
ここにこのような施設があったことを まったく知りませんでした。たまたま 乗った都営線のポスターで初めて知り行ってみることにしたのです。
しょうけい館(戦傷病者史料館)
復興記念館(東京都慰霊堂付帯)
東京大空襲・戦災資料センター
東京にある これらの施設は知っていました。
もう少し 広報したほうがいいのでは・・・・
posted by うめのはな at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区

2015年09月03日

衣服が語る戦争・文化学園服飾博物館

新宿の文化学園服飾博物館に行きました。
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文化学園服飾博物館
東京都渋谷区 代々木3丁22-7 新宿文化クイントビル
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1Fロビーだけが撮影可能
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衣服が語る戦争
2015年6月10日(水)〜8月31日(月)
ここは前にも 別の展示で 入ったことがあるのですが 最終日にたまたま この企画を知ったので入ってみました。
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明治時代から昭和戦前期を中心とした戦時下の人々の着物や数少ない洋装。
欧米の服なども少し展示してありました。
「装苑」「スタイル」などの当時の雑誌なども紹介していました。

まず昭和初期のころの 着物の飛行機や国旗などに驚き・・子供服の軍服に驚き・・・
これは外国でもミリタリールックがあったので 日本だけではなかったです。
昭和初期では和服の生地を使ったドレスなどもありました。

質素 倹約で代用品や国民服の展示がありました。
女性は着物を改良した 更生服 モンペです。

主に戦前における生活と衣服、そして戦時中の衣服の展示構成でした。
1階では 中国の服や陣羽織などの展示がありました。
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2014年12月04日

新宿区立中村彝アトリエ記念館・内部

靴を脱いで 上がります。
明るい陽射しが差し込んでいます。
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中に入ると、すぐに北側の大きなトップライトが目につきます。
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アトリエの天井は一部を除きほぼそのまま現存していたそうです。
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床や天井、壁の腰板など、大正5年当時の建築部材を利用して復元。
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彝の使用したイーゼルや家具・調度品(複製)を展示しています。
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元居間の部分。彝の生活の空間であり、療養の日々を送った部屋です。
映像で彝の生涯や作品紹介ビデオが流れています。
庭へ出る扉があります。
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アトリエから奥を見ています。
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キイの部屋 台所の隣の3畳の和室。
中村彝は生涯独身で 17歳で肺を患い37歳の若さで亡くなっています。
岡崎キイという同郷の老婦人が身の回りの世話をしていました。
実の親子のような信頼関係で結ばれ病状の悪化した 彝を最後までお世話していました。
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台所部分に置かれていたのは 屋根を支えていた古い部材です。
屋根架構のキングポストトラス(中央に束つかのある洋風小屋組)で枕梁を架け渡しそこに掛かる跳ね梁が屋根を支えていました。
これらの古い部材は強度の問題で再利用が認められなかったそうです。
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当時の平面図
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再現した部分。
1911年中村彝は、新宿中村屋の主人相馬愛蔵・黒光(こっこう、本名良)夫妻の厚意により、中村屋の裏にあったアトリエに住み 新宿中村屋の愛娘相馬俊子に激しい恋をしました。
中村屋サロン美術館が2014年10月29日開館しました。
この日は 林 芙美子記念館〜佐伯祐三記念館〜中村彝記念館と巡りました。
かなり歩きました。この後 目白駅まで徒歩で行き 帰宅しました。
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2014年12月03日

新宿区立中村彝アトリエ記念館・外観

佐伯祐三アトリエ記念館を後にして、少し広い道に出ます。
ここに聖母病院があります。
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1931年(昭和6)12月「マリアの宣教者フランシスコ修道会」によって国際聖母病院が建設されました。
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聖母病院 東京都新宿区中落合二丁目5番1号 
その前には 旧聖母大学があります。
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学校法人聖母学園と学校法人上智学院の合併 により解散。
聖母大学の敷地・施設を受け継ぐ形で上智大学の看護学科が開設された。
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新宿区中井・落合地区は、大正・昭和初期に、高級住宅地として分譲され文化人などが多く住みました。
その地区内の、林芙美子記念館→佐伯祐三アトリエ記念館→中村彝アトリエ記念館と、散策コースとなっています。
黄色線で移動しました。道幅は狭いです。
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住宅街に中村彝(つね)アトリエ記念館があります。
コンクリートの壁にという文字が刻まれていました。その部分だけ拡大し貼り付けました。
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新宿区立中村彝アトリエ記念館 新宿区下落合3-5-7
「中村彝は大正期に活躍した洋画家で、大正5年(1916)、新宿区下落合にアトリエを新築しました。この下落合に残る彝のアトリエを復元・整備し、2013.3月17日(日)から新宿区立中村彝アトリエ記念館として公開しました。新宿区」
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手前に明るい芝生の庭があり、下見板張りの、山小屋風のかわいらしい建物です。
このアトリエは大正5年(1916)に建てられ、最近まで奇跡的に廃屋で残っていました。
資料を基に復元し 公開しました。
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下見板やドアなどは当時の材を使って復元したとのことです。台所部分です。
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裏に合わると 井戸がありました。
下落合の豊富な地下水を活用する防災井戸も兼ねているとか・・・
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入ってすぐの右側にある 管理棟(展示室)から見ました。
展示室では解説パネルで彝の生涯や画業を紹介しています。
作品は高精細度写真です。
次 アトリエの中に入ります。
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2014年12月02日

新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館

佐伯公園に入ると 洋瓦が薄いブルーで彩られた、チャペルのような三角屋根のアトリエが見えます。
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新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館 東京都新宿区中落合2-4-21
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佐伯祐三のアトリエだった建物を整備して新宿区が平成22年(2010年)4月に開館しました。
ここはテラスになっていて ミニギャラリー兼案内所です。
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管理室側は和風です。
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元住居部分がテラスになっているそうです。
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佐伯は31歳で死去するまで、画家としての活動期間の大部分をパリで過ごしており、この地で生活をしたのは4年余りですが彼が日本で唯一創作活動の拠点にした貴重な場所です。
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大正期のアトリエ建築です。
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アトリエに入ると、北面に高くて大きな窓があります。
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自画像とデスマスク
「佐伯祐三と下落合」 の映像を係りの人が見せてくれました。10分ほどです。
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フランスから一度帰国した直後に集中して描いた 「下落合風景」 12点の写真パネルや佐伯の略歴などが展示されています。
実物の絵や遺品はここにはありませんでした。
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当時のアトリエ兼住宅の模型
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間取り図。
1920(大正9)年に結婚した佐伯はその翌年この場所にアトリエと住居を建てました。未亡人が亡くなると住居部分は壊されてアトリエだけがそのまま残されていました。
撤去された住居部分はアトリエに接続していました。、その平面を木造のテラスで表して部屋の境も分かるように工夫してあります。
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隣の小部屋には 画家でもあった米子未亡人と娘彌智子についての資料が展示されていました。 佐伯祐三はパリで亡くなっていますが、その半月後に6歳の長女も亡くなり、夫人の佐伯米子はひとり日本に帰り、下落合にもどって、亡くなるまで暮らしたそうです。
次 中村彝アトリエ記念館に向かいます。
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2014年12月01日

林芙美子記念館〜佐伯公園

林芙美子邸は中井の小高い山の麓にあたる絶好の場所に建っています。
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住宅の右側には階段があって裏山に行くことができます。
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ここにも道祖神・・・
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裏山から見たアトリエ棟
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生活棟の台所 便所 使用人部屋あたりです。
平成26年12月8日(月)〜平成27年2月16日(月) (敷地内地盤改良工事のため臨時休館)
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林芙美子記念館を出て「佐伯祐三アトリエ記念館」に向かいます。
地図に従っていけば あの四の坂の急な階段を上ることになるのでいやになり 黄色線に沿って山手通りに出ました。
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山手通りです。
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山手通りから 狭い住宅街の中に入るのですが ここまで標識もなにもなく 不安を覚えながら歩きました。
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この狭い道をまっすぐ行き 少し曲がります。
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新宿区立佐伯公園入口 東京都新宿区中落合2-4-2
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「佐伯祐三アトリエの地」の説明板
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2014年11月30日

林芙美子記念館・アトリエ棟

石蔵ギャラリーの隣はアトリエ。
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靴を脱いで中に入ります。
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アトリエ(現展示室)
画家であった夫・緑敏がアトリエとして使用していた。
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波乱万丈の人生だった林芙美子氏も 画学生だった手塚緑敏と内縁の結婚をした後は落ち着いた。
養子を得て短い幸せな時期を過ごし、わずか47歳の若さで急逝。
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庭から見る書斎。
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裏から見るとこの部分
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書斎2
納戸として作られました。最初の書斎が芙美子は明るすぎると言って、奥の納戸に移ってしまいました。
半障子の落ち着いた部屋です。
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庭から観る寝室
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寝室
はじめ、この部屋と奥の次の間は芙美子の書斎として造られました
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書庫
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次の間
インド更紗模様の押入れ
寝室 次の間 書庫と3間続きです。
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和風数寄屋造りをベースにしながら和風モダンの香りのする独創的な家です。
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2014年11月29日

林芙美子記念館・庭

玄関前には竹が植えられています。
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林芙美子生存中は 庭一面に孟宗竹が植えられていました。死後、その面影は客間前の庭付近に見られるだけとなりました。
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坂の途中にあった門。
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作家林芙美子が晩年を過ごした家を保存する形で 記念館として再生したものです。
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庭には、芙美子が好きだった竹を始め、寒椿、ざくろ、かるみや、おおさかづきもみじなど、芙美子が愛した木々が植えられています。
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庭にはこんなものもありました。
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当時の面影をそのまま残しているそうです。
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名園・庭園という感じです。
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生活棟からアトリエ棟に行くまでも庭が楽しめます。
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水路もありました。
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植物には名前の標識があります。
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庭の片隅にある石蔵ギャラリー
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年4回の展示替えがあるそうです。
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2014年11月28日

林芙美子記念館・生活棟

入館料150円を払い 入口の土間から生活棟からまわります。
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屋内は入れませんので 庭から見るだけです。
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勝手口と土間の通路。
竣工当時は戦局が厳しく三十坪以下の建築制限があったため、林芙美子名義の棟と、夫・緑敏名義の棟を二軒に分ける形で建設されたそうです。
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勝手口から台所を垣間見ることができます。
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?料理上手の台所。林芙美子さんは身長が143cmしかなかったそうで、流し台は彼女の背丈に合わせて造らたとのことです。
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総ヒノキの当時としては珍しかったであろう落とし込み式風呂
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間取り図でみると台所脇に小部屋があります。板敷 二段ベッドの使用人部屋
便所と同じくらいの広さ。狭いなぁ・・・
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茶の間 パンフレット説明より
「掘りごたつ、釣り戸棚、二段押し入れ、収納式神棚、多くの小引出しなどを備えたこの部屋は、暮らしやすさを考えた一家団らんの場でした。
ちゃぶ台を囲んで一家が集まる時、芙美子の母・キクは、常に右手床の間の床柱前に、大きな座布団を敷いて座ったそうです。」
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旧林芙美子邸(新宿区立林芙美子記念館) 新宿区有形文化財
 設計:山口文象建築事務所(担当:角取庸司)
 施工:大倉土木
 竣工:昭和16(1941)年8月
 構造:木造平屋
 所在地:東京都新宿区中井2-20-1
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 小間 パンフレット説明より
「 奥の棚に小さな仏壇が置かれたこの部屋は芙美子の母・キクが使っていました。しかし、男性の書生がいるときにはその寝室にもなりました。また、客間がいっぱいになったり、ひき会わせたくない客がぶつかると、客間としても使われました。
画家であった夫・緑敏のために作られました。」
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庭からみた小間
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玄関 パンフレット説明より
「人気作家となり、多くの仕事を抱えていた芙美子のもとには、原稿の受け取りや執筆依頼の客が毎日何人も訪れました。そのため、芙美子や家人は居留守を使うこともたびたびあったそうです。」
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玄関から客間を見ています。
客間 パンフレット説明より
「玄関脇に位置するこの部屋には、芙美子の原稿を取りにきた記者達が何人も待たされていました。
朝10時ごろから入れ替わり立ち替わり記者がやってきたそうです。
しかし、芙美子お気に入りのごく親しい記者は茶の間に通されたといいます。」
生活棟を見て庭を戻りアトリエ棟に向かいます。
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2014年11月27日

林芙美子記念館・落合〜中井

東京メトロ東西線の落合駅で降り 林芙美子記念館に行きました。
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都営地下鉄の中井駅のほうが便利なのですが 東西線を利用しました。
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途中 山手通り沿いに最勝寺という寺があります。
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真言宗豊山派寺院  新宿区上落合3-4-12
この先を左折します。
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新宿区の落合台地を東西に流れる妙正寺川を渡ります。台地の南側斜面には、多くの坂があります。
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東から西に一の坂から八の坂まであって、地元町会による標識が取り付けられています。
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四の坂を上ると 林芙美子記念館です。先の階段手前です。
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坂の途中の門です。ここからは入れません。
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ここが入口です。
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中に受付があります。
林芙美子記念館 東京都新宿区中井2丁目20-1 
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作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
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屋内は立ち入りできませんが 庭先から見学することができます。
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2014年04月26日

東京都庁展望室

東京都庁の展望室に行きました。東京都新宿区西新宿2-8-1
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第一本庁舎1階専用エレベーター前で荷物検査を受けました。
外国人団体観光客がかなり来ていました。
まず北側展望室へ。45階まで55秒で上ります。耳が・・・・・
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地上202mの高さから東京のまちを一望できます。
新宿パークタワー、東京オペラシティ方面です。
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少しかすんでいて 富士山は見えませんでした。
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真下に新宿中央公園が見えます。
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方角によって見える要所の説明写真がありました。
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コクーンタワーの向こうには東京スカイツリー。
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こんな感じの窓です。
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中央は博品館。土産物などですが おもちゃなどは東京限定品も多かったです。
食事のできる カフェなどもあります。
トイレは44階にあります。ここを使用して驚き!!
使用後のトイレットペーパーが山のように積まれていて 不潔感が!!
某国の人たちは 水に流さないそうですけど、旅行会社の人は日本での使い方をきちんと説明すべきでしょうねぇ〜
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壁際にさりげなく 都庁の模型がありました。
一度 したに降ります。2階で下ろされます。
再び 1階に行き 今度は南側専用エレベーター前に行きます。
団体客は南には行きませんので こちらはとてもすいていました。
ここでも 荷物の検査があります。
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新宿御苑とドコモタワーが見えます。
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ドコモタワーの右に かすかに東京タワーが見えます。
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明治神宮の森。
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エレベーターで2階へ・・・休日の都庁はがら〜〜〜んとしていました。
迷路のような地下道を歩き 地下鉄に乗りました。
タグ:観光 建物
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2014年04月23日

新宿御苑 7・門

新宿御苑上の池 そばには2つの茶室があります。
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これは 茶室・楽羽亭です。
日本庭園に鴨場があった明治時代に、皇族の休憩所として建てられました。昭和20年(1945)の戦災で焼失し、昭和62年に再建しました。
新宿御苑には入苑門が3つあります。
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新宿門
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新宿門にあるインフォメーションセンター
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千駄ヶ谷門
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大木戸門
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旧大木戸門門衛所
構造規模:鉄筋コンクリート平屋建て  屋根瓦葺き
延べ面積:48.70m2
設計:宮内庁内匠寮
竣工年:昭和2年
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歴史的建造物の一つで 昭和2年に創建された門衛所。外観は和洋折衷、自然の中に立つ建物をデザインコンセプトとしたとされています。
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旧新宿門門衛所
臨時の入苑券売り場があり 門が開いていました。
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昭和2年に建てられた門衛所。
当時の独特のデザイン性や、御苑の歴史的・景観的価値が評価されている建造物です。
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大木戸門から新宿門に沿い 玉川上水・内藤新宿分水散歩道があります。
ここは無料区域です。
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平成21年度から23年度にかけ整備を行い、全区間(全長540m)が平成24年3月に完成しました。
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説明板の写真です。
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江戸の飲料水を確保するために、承応3年(1654年)に開設された玉川上水は、多摩川の羽村堰(羽村市)から四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43kmの区間を、土を掘り抜いただけの開渠で造られていました。
 四谷大木戸から江戸市中へは、石や木で造られた水道管を通じて、水が供給され、淀橋浄水場が完成した明治34年(1901年)ころまで、玉川上水は、江戸・東京の人々の貴重な水源でした。
この散策路にはいろいろな植物が植えられていて ネームプレートがついているので この区間だけでも楽しめます。

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2014年04月22日

新宿御苑 6.旧洋館御休所 

19日(土)は新宿御苑内の旧洋館御休所 内部公開日でした。
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内部見学は 玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えます。
説明用のB4の説明板を渡されますが 室内に入ることはできず ロープ越しにみるだけです。
写真撮影は 一切不可。玄関にある見取り図も不可でした。
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玄関車寄せ。ここから中に入ります。
玄関ホール左手に旧御食堂があります。テーブル 椅子  カーテン じゅうたん とても豪華です。
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厨房がないので料理は外のレストランから取り寄せたとか・・・・
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旧洋館御休所 (きゅうようかんごきゅうしょ)

 天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に創建され、大正時代後半からはクラブハウスとして使用されました。
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竣工 :1896年(明治29年)
所在地:東京都新宿区内藤町11番地(新宿御苑内)
設計 :宮内省内匠寮
構造 :木造平屋建て、スレート葺・鉄板葺
備考 :平成13年重要文化財指定
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建物は宮内省内匠寮により設計され、19世紀後半のアメリカの住宅を中心に流行したスティック・スタイルを基調に建てられています。
創建後、皇族の来苑が増えると共に4度にわたる増改築が行われています。
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居室のまわりを ぐるりと明るい廊下が取り囲んでいます。
大正13年に妃殿下や婦人の浴室、トイレ、化粧室が増築されたそうです。
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お風呂は 天皇、 妃殿下、 お付きのもの用と3つありました。
旧御居間の螺鈿細工の見事な テーブルとイスは旧御涼亭にあったものだそうです。
撮影不可なら せめて パンフレットくらい欲しかった・・・・
続きます。

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2014年04月21日

新宿御苑 5

19日、再び新宿御苑に行きました。
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つつじ山のつつじも真っ赤できれいです。
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今度は 千駄ヶ谷門から入り 下ノ池からまわりました。
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目的はこれ!ケンロクエンキクザクラ(兼六園菊桜)です。
葉っぱが青々と茂っているので 近寄ってみないとわかりません。1種1本(新宿御苑内)の桜です。
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菊桜という名前のとおり菊咲きの品種で、花びらの枚数は100〜300枚にもなります。
サトザクラの栽培品種で 石川県の兼六園に原木があることから名まえがついたとのことです。
都内でも非常に珍しい桜です。
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ハナミズキも咲いて桜と共演です。
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ウコンの花に赤みが出て来たので よくみないとウコンとわかりません。
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ギョイコウ(イギリス庭園)です。
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こちらも赤みが出てきています。
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藤の花も咲き始めています。
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大木戸門近くの玉藻池です。
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江戸時代の内藤家の屋敷跡の面影をとどめる庭園です。
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現在の大木戸休憩所には、御殿が建てられていたそうです。
池、谷、築山、谷をしつらえた景勝地「玉川園」が造られたといわれています。
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玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成ししました。
新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷といってもいいでしょう。
花見の喧騒から離れて この池は穏やかで 静かでカモ、や鯉、亀がまったりと泳いでいます。
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御苑の桜も 花びらがが散り もうすぐ今年の 見納めとなります。
続きます。

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2014年04月20日

新宿御苑 4

新宿御苑の新宿門から苑路を右にしばらく行くと 大きな、いかにも老樹というような木があります。
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モミジバスズカケノキ(紅葉葉鈴懸の木)幹周り6.6m 樹高11.5m 樹齢100年以上
新宿御苑では明治30年ころ、イギリスから種子を輸入し栽培したものです。
モミジバスズカケノキ(紅葉葉鈴懸の木)はスズカケノキとアメリカスズカケノキの交配種。別名「プラタナス」
大木戸門そばのフランス式整形庭園内、プラタナス並木の160本がこの木と同い年の木ですが 幹の太さが全く違います。
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自然のまま育った木と 剪定し整えた木の差です。御苑には同じ年の木が250本植えられているそうです。
プラタナス並木の木々は剪定後の枝が挿し木にされ苗木となり、日本各地の街路樹や公園樹として活用されています。
御苑のプラタナスは、全国の母樹とも言えます。
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新宿御苑のシンボルともいうべき ヒマラヤスギ 樹高20.5m 樹齢約130年
スズカケの木の近くにあるものです。
新宿御苑では、剪定など人の手を加えることなく、広い敷地でのびのびと育っているため円錐形になっています。
雪であちこち枝が折れたせいか 形が悪くなっています。
ヒマラヤスギはイギリス風景式庭園の芝生など園内各所に約380本あり、その多くが明治時代に植えられたと考えられています。
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すぐ近くにあるのが ハンカチノキです。
中国原産の落葉高木です。 春に花が咲き、球状の花をかこんで、葉の変化した2枚の総苞片がのび、ひらひらと風に揺れる姿がハンカチーフに似ていることが名前の由来だそうです。
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新宿御苑には、一カ所に3本の「ハンカチの木」が植えられています。
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御苑には桜だけではなくいろいろな花が咲いています。
三角花壇のキンギョソウです。
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ハナニラの紫色もきれいです。
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大温室に向かいます。
旧温室から5年がかりで建て替え工事を行い 2012年にオープンしました。
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面積約2,750m2 高さ約15m
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高低差のある通路で 上からも観察できます。
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中央の池には睡蓮が・・・滝の水音も心地よいです。
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順路に従い歩くと 橋を渡りそこから外を眺めることができました。
熱帯系の植物がほとんどですが 入口にはボタンの鉢植えがあったりランの栽培の部屋もあったりします。
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途中でみかけた ミッキーマウスノキ。正式な名称はオクナ・セルラタ
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 ●が3つで・・・・ということらしいです。
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まぁねぇ〜

タグ:庭園・公園
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2014年04月19日

新宿御苑 3:旧御涼亭

新宿御苑で池を巡っていると 池のほとりに中華風の建物が見えてきます。
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新宿御苑旧御涼亭
です。
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新宿御苑旧御涼亭(台湾閣) 都選定歴史的建造物
 建設年 昭和 2 (1927)  設計者 森山 松之助 木造 平屋建
卍形の平面をもつ御休息所をはじめ、屋根の形や色、内部装飾などで中国の建築にならっており、日本では数少ない本格的中国建築の一つ。柱に台湾杉、天井の鏡板に台湾篇泊や台湾絵など、台湾から取り寄せた部材が多く使われている。
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新宿御苑旧御涼亭
 この建物は皇太子(後の昭和天皇)御成婚記念として台湾在住邦人の有志から贈られたものである。旧御休息所の平面形状に卍形のモチーフが見られるなど、清朝中期以降の台湾で用いられた建築様式(中国南方のピン南建築様式)の特徴が現れている。
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国内においても希少な本格的中国風建築で、大倉集古館(1927年築、東京都港区虎ノ門)と並ぶ本格的中国風建築物です。
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平成の保存改修工事では、屋根まわりの形状を創建時の姿に復元するとともに、耐震補強を行い、あわせて、破損・腐朽部の修繕を実施した。
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玄関前の渦巻き形のコンクリート装飾
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玄関の丸窓:「於物魚躍(あゝ満ちて魚踊れりと)」天子を賛美する言葉です。
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反対側には非公開の控室
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外から見た控室部分:漆喰の壁に映えます。窓は見えにくくなっています。 
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扉の木彫り 花をモチーフ
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天井: 装飾が中国風
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台湾杉を使用しているとのことです。
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手摺りの下の模様が中華風の独特の格子模様(ビンナン様式)
床の敷瓦はすり減りが目立つ。
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屋根の反り 出窓の手摺り部分が独特の反り返り。
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異国情緒を漂わせています。
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ここから見る 日本庭園は美しいです。
次行きます。

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2014年04月18日

新宿御苑 2

新宿御苑は東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園です。
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江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があった地に、明治39年の皇室の庭園として新宿御苑が造られました。戦後 一般に公開され 国民公園として親しまれています。「玉藻池」を中心とする回遊式日本庭園は、内藤家下屋敷の庭園『玉川園』の遺構であり、安永元年(1772年)に完成しました。
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「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」があります。
また、数少ないわが国の風景式庭園の名作とされています。
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池の風景を集めてみました。
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続きます。
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2014年04月17日

新宿御苑 1

新宿御苑に八重桜の花見に行きました。(4・15)
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満開!天気はいいし 気持ちのいい日でした。
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あちこちで お弁当を食べる人がいますが 混んでいるという感じではありません。
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外国人が多かったです。
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つつじ山はあと少しという感じです。
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桜・桜・どちらも桜・・・
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青空に桜の色が映えます。
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時折 風に花びらが舞います。
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はなびらのじゅうたん・・・
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大きな桜の木の下でひとやすみ。
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向こう側が見えて また違った風景が見えました。
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全部まわるのは大変です。
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桜を中心に御苑を歩きます。
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大きな桜の木の下は写真を撮る人が集まります。
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これは洋館脇の 大きな桜。こんもりとしてきれいです。
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2月の大雪で折れた枝が多かったのか いつもの年より枝ぶりが悪い気がしました。
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こんな景色もまた いいものです。
続きます。
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2014年02月03日

信濃町煉瓦館・旧食養研究所跡

信濃町駅前に巨大な煉瓦つくりの建物があります。
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信濃町煉瓦館です。
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慶応病院の敷地の一部、旧食養研究所跡に建てられました。
片隅にその記念碑があります。
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医学部食養研究所跡地記念碑
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旧食養研究所跡
「食養研究所は大正15年に益田孝ら財界人の厚意により設立され、栄養増進、食事療法、ビタミン学の研究等が行われていました。昭和2年には臨床細菌研究室も併設、栄養研究に加えて医学部の研究拠点として、臨床と基礎の共同研究が推進されました。昭和8年には医学部食養研究所の研究成果実践の場として大学病院に病院食養部が設置され、日本初の病院給食へとつながっています。食養研究所は平成2年11月27日に幕を閉じるまで、慶應義塾医学はもとより日本の医学の発展に大きく貢献しました。碑の後方には医学部食養研究所の壁の一部が残されています。」
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建物全部が煉瓦ではなく レンガ部分は外側のみ。
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ガラス張りのビルをレンガの壁ではさんでいます。
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長方形に大きな円がくりぬかれたデザインです。
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下部は煉瓦で カーブを描いています。
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信濃町煉瓦館 東京都新宿区信濃町35番地
竣工:1995年 設計者 内藤設計,清水建設
構造 SRC  地上階数 6 階  地下階数 1 階
外装 韓国産ホフマンレンガ中空積みおよびスライスホフマンレンガ改良圧着張
特徴 エントランス部は巨大な円,
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煉瓦は 黒く焦げています。
ホフマン窯は日本の近代化を支えてきたが、現在稼働しているものはない。

タグ:建物
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2014年02月02日

慶応大学・信濃町

JR信濃町駅です。
「信濃町」の地名は、譜代大名の永井信濃守家(大和国新庄(櫛羅)藩主1万石)の屋敷があったことに由来。
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駅近くには慶応大学病院があり医学部の建物があります。
近年その建物が次々と建て替えられているので 今のうちに残っている古い建物を見ておこう思いました。
線路に沿って西に歩きますが 病院の建て替え工事中のフェンスで囲まれています。
その脇を右に曲がると 建て替えられてしまった立派な校舎があります。少し歩くと見えてきたのが三四会館です。
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これは三四会(医学部同窓会)の建物。
その隣にあるのが 信濃町メディアセンター 。
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信濃町メディアセンター (旧北里記念医学図書館)。
この図書館は、 初代医学部長・北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう 1853-1931)を偲んで、 全国の篤志家からの募金30万円を基にして、1937年(昭和12年)10月7日に竣工し、 1944年(昭和19年)3月に慶應義塾に寄贈されました。
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竣工 1937年(昭和12年)  東京都新宿区信濃町35
設計 和田順顕  鉄筋コンクリート造2階建て
外装   正面ポーチ錆花崗岩、稼働正面階段花崗岩、壁面は艶消しタイル貼り
建築様式 近世復興式 円アーチが美しいロマネスクスタイルです。
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入口の御影石の列柱が特徴です。ドア枠などは新しいものだと思います。
その隣は医学部予防医学教室の建物です。
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よくぞ残っていてくれた・・という感じです。
すでに80年以上たっているのでいつ取り壊されても不思議ではありません。
この建物だけが慶應の校章をつけています。
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慶應医学部 予防医学教室
正面 鉄筋コンクリート造4階建て
竣工 1929年(昭和4年)  設計 曾禰中條建築事務所
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直線模様のついた壁,バルコニーも直線です。上部にはダクトがへばりつき 武骨な感じです。
この前面の建物は解体工事中でした。
間に合ってよかったという感じでした。 

タグ:建物
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2014年01月30日

明治記念館6 庭園・さざれ石

1000坪の庭園にはおよそ2000本、50種類の樹木が繁っているとのこと。
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とても手入れの行き届いた美しい庭です。
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新緑の季節には手で芽を摘み、冬になればコモを巻き大切にしているそうです。
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雪吊りをして手をかけて手入れをしてあります。
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みごとな 臥龍梅です。
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庭の片隅にある 鬼瓦です。
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菊花紋入り鬼瓦(おにかわら)」です。
明治記念館はもともと当時の皇居であった赤坂御所の別殿として明治14年に建築され、写真の「鬼瓦」は、昭和41年に行なわれた屋根の大改修時に記念として残されたものです。
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その隣には 天然記念物のさざれ石。国歌「君が代」に歌われたさざれ石です。石灰石が雨水で溶け、長い年月をかけて凝結、浸蝕し、コケむしてできたものといわれています。
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天然記念物の「さざれ石」
「この石は、学名石灰質角礫岩といいます。

石灰質が長い年月の間に雨水に溶解され、その時に生じた粘着力の強い乳状液が次第に大小の岩を凝結して巨岩化し、河川の浸蝕作用により露出し苔むしてできたものです。
千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまでと国歌「君が代」にも謳われているように珍しい石 目出度い石であるといわれています。

奉納者 岐阜県揖斐郡春日村 昭和63年10月26日奉納 」
今回の 明治記念館訪問は十分楽しめました。

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2014年01月21日

神楽坂散歩17 神楽坂仲通り

神楽坂仲通りです。いよいよ今回の神楽坂散歩も終わりです。
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神楽坂仲通り(かぐらざかなかどおり)

神楽坂仲通りは、神楽坂下から神楽坂を上がり右側に曲がり大久保通りに抜ける横道です。
神楽坂通りは逆転式一方通行という交通規制があります。午前と午後で一方通行の向きが変わります。
正午一時間のランチ・タイムは歩行者天国です。
神楽坂仲通り商店会という商店会があり飲食店が多いからでしょうね。
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神楽坂仲通りを軽子坂のほうに少し戻ります。
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神楽坂仲通りから見た かくれんぼ横丁です。
かくれんぼ横丁の石畳は兵庫横丁の石畳と同じデザインの石畳です。
かくれんぼ横丁は、神楽坂仲通りと兵庫横丁を結ぶ横丁で、「お忍びで遊びに来た人を後ろからつけてきても横に入られるとわからなくなる」ところから名付けられた横丁です。 花柳界の雰囲気を今も残している場所です。
石畳や黒塀、趣向を凝らした建築など江戸情緒を残しています。
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神楽坂仲通りから早稲田通りに戻ります。
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飯田橋駅西口で 今回の神楽坂散歩は終わりです。
次の機会にはは 矢来町 や赤城神社方面を散歩しようと思っています。

タグ:神楽坂
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2014年01月20日

神楽坂散歩16 芸者新道

本多横丁側から入った芸者新道です。
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芸者新道は、神楽坂に待合や置屋、料亭が集まっていた頃の花柳界の名残を名に残す路地です。
本多横丁から神楽坂仲通りに抜ける道です。まっすぐで緩やかな坂になっています。
この芸者新道は、明治時代にできた道で、芸者さんたちが近道に利用することが多かったそうで 「ロクハチ通り」と呼ばれたこともあるそうです。料亭の一回目の開始が後6時で、二回目が8時からだったことに由来するそうです。
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途中で見かけた 日本初のシードルバーの文字。
シードル(りんごの発泡酒)で 林檎を発酵させて造られるアルコール飲料。
元料亭を改装した建物で2012年秋オープンのBARレストランだそうです。
その先を行くと 仲通りにぶつかる手前に越前そばの旗がありました。
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これはもう入らねば・・と昼食タイム。
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落ち着いた和風な感じで 広いです。
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越前おろしそばをいただきました。
店主の原崎さんと同郷のよしみでお話しました。
勝山の生まれで平泉寺や奥越のことなどなつかしく話してくれました。
数年前にこの神楽坂で開業したそうです。もちろん越前のそば粉を自ら手打ちしているそうです。
日本橋の清恵さんの蕎麦より細めで江戸風でした。
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神楽坂 九頭龍蕎麦 新宿区神楽坂3−3
角地で この先は神楽坂仲通りです。
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神楽坂の矢来公園辺りには江戸時代当時4万坪の広大な敷地を有していた、若狭小浜藩邸がありました。
福井と神楽坂はご縁があり 福井IN神楽坂のイベントなどが行われています。
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2014年01月19日

神楽坂散歩15 本多横丁

兵庫横丁から本多横丁に入ります。
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本多横丁 新宿区神楽坂3丁目と4丁目の間
本多横丁は、「神楽坂最大の横丁」と言われ、飲食店を中心として50軒以上の店舗が軒を連ねています。
お蔦さんの神楽坂日記 :西條 奈加(著)この本は本多横丁に住む僕とお蔦さんの物語です。
もと芸者でいまでも粋なお蔦さんは、神楽坂・本多横町 で履物店を営んでいるという設定。 人情味あふれる内容。粋なお蔦さんの姿が書いてありとても面白いです。シリーズ本です。 この影響で神楽坂を散歩してみました。
由来を書いた説明板がありました。
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本多横丁

 その名の由来は、江戸中期より明治初期まで、この通りの東側全域が旗本の本多家の邸地であったことによる。御府内沿革図書第十一巻切絵図説明に、本多修理屋敷脇横町通りとあり、往時は西側にも武家屋敷の立ち並ぶ道筋であった。なおこの本多家は、碌高1万5百石をもって明治を迎えた大名格の武家と伝えられる。
 神楽坂界隈は明治以降、縁日と花柳界で知られる商店街として発展し関東大震災後より昭和初期には、連日の夜店が山の手銀座と呼ばれる賑わいをみせ、この横町も、多くの人々に親しまれるところとなった。
 後の太平洋戦争末期には、この地も空襲により焼土と化したが、いち早く復興も進み、やがて本多横丁の旧名復活を期して商店会発足となった。
 石畳の路地を入れば佳き時代の情緒を伝え、また幾多の歴史を秘めて個性豊かな商店通りとして歩みを続けている。
 昭和60年(1985)7月 本多横丁商店会
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ここを進むと 右側(西側)に路地が2つならんありました。
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見返り横丁。旅館「和可菜」の裏で袋小路になります。
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見返し横丁。見返し横丁は見返り横丁よりも新しく出来て、言葉のあやでついた名だそうです。
ここも先は袋小路です。
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本多横丁の東側に行くのは2本の路地があります。これは芸者新道です。
もうひとつは「かくれんぼ横丁」です。
ここから 芸者新道に入っていきます。

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