両国駅から 数分のところに区立本所松坂町公園があります。
公園といっても 広場や遊具などもなく普通の公園とは違っています。
約98平方メートル(29.5坪)しかありません。

ここは赤穂浪士によって討ち入りを決行された現場で吉良邸跡なのです。

本所松坂町公園 墨田区両国3−13−9
吉良邸は、浅野匠頭守による殿中刃傷事件の後の元禄14年(1701)9月3日に吉良上野介義央が当地を拝領して建設された吉良家の上屋敷で、坪数2,550坪ありました。当地で赤穂浪士による仇討ち事件が起こり、その名所を惜しんだ地元の両国3丁目町会有志会が発起人となったのがきっかけとなり、本所松坂町公園として残されています。
吉良邸跡
元禄時代の当時は付近の一帯が吉良義央の邸宅であり、その広さは約8400平方メートル(2550坪)と言われています。
現在、本所松坂町公園になっているのは、およそ北側の部分です。
浅野内匠頭の刃傷事件の後、赤穂藩士が討ち入るとの噂があったため、本所松坂町へと移って来た。上野介がこの地に住んだのは1年半に満たない期間でした。

吉良上野介義央の座像

吉良家家臣二十士碑

「みしるし洗い井戸」
史実かどうかは定かではないですが 首洗いの井戸だそうです。

松坂稲荷大明神
敷地内に鎮座する松坂稲荷。
もと兼春稲荷と称し吉良邸内にあったもので、この地がまだ宅地開発される以前から、この周辺の土地に祀られていたものです。

飯澄稲荷
吉良邸跡のなまこ壁の目の前にの角に鎮座しています。
横に 「鏡師 中島伊勢住居跡」という案内板があります。
中島伊勢は、葛飾北斎(1760〜1849)の養父であった人物です。
一説には北斎は伊勢の妾腹の子であったとも言われていますが 母は吉良家家臣の小林平八郎の娘という説もあります。
北斎もこの墨田に住み 忠臣蔵」とかなり縁が深いということです。
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