2015年11月30日

学習院大学1 西門〜血洗いの池

目白駅すぐ隣に学習院大学があります。
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学習院大学西門  東京都豊島区目白1-5-1
守衛さんに見学したいと申し出て 記帳。入館証を首から下げます。
学習院の目白キャンパスには、7 つの国登録有形文化財の建物があります。
建物の外観を見るだけで 校舎内には入れません。
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キャンパスマップを貰ったので それを見ながら歩きます。
まず西5号館の右のほうに行きます。
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銀杏やどんぐりが落ちていてぬるっと滑る 土の階段をおりると血洗いの池があります。
血洗いの池という恐ろしい池ですが 堀部安兵衛が血刀を洗ったという言い伝えのある池です。
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どことなくジベルニーのモネの池に似ています。
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池の上に出ると西2号館です。
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模擬法廷教室があるそうです。
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横からみるとこんな感じです。
タグ:文化財 建物
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2015年11月29日

豊島区立 目白庭園

目白通り 寛永堂の脇道を数分歩くと目白庭園があります。
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豊島区立 目白庭園  東京都豊島区目白3-20-18
閑静な住宅街に平成2年11月15日に開設された本格的日本庭園です。
豊島区が自然に接し、伝統文化を育む場として、日本の伝統的な技と匠を結集して建設しました。
目白庭園の外側は、長屋門と築地塀(ついじべい)で囲まれています。
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入園は無料です。
庭園の敷地面積は2,842u、園内の中央に池を配置し周囲を園路で巡る泉水回遊式庭園で、四季折々の自然に触れることができます。
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「赤鳥庵せきちょうあん」
「赤鳥庵」は、 京都の北山杉を用いた木造平屋建ての数奇屋造りで、 茶道・華道・句会などに利用できます。
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赤鳥庵由来
この庭園内の池の南側に建つ数奇屋造り「赤鳥庵」の名称は、大正七年(1918年)にこの地で創刊された子どものための文芸雑誌「赤い鳥」にちなんだものです。
雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉によって主宰され、芥川龍之介、有島武郎、北原白秋、西条八十ら当時の著名な作家や詩人の献身的な協力のもとにわが国児童文学の基礎を築きました。
その後、 昭和十一年(1936年)に廃刊するまで、数々の名作とともに坪田譲治、新美南吉ら新たな童話作家を世に送りだしました。
その全盛期、 赤い鳥社兼鈴木三重吉宅は、 庭園の東側(現目白三〜十八)にありましたが、他に、このあたりの森の中の隠居家風の一軒家を事務所として借り、「赤鳥庵」と名づけていたとも伝えられています。
なお、「赤鳥庵」にかかる額は、鈴木三重吉長男・珊吉氏の筆によるものです。
 東京都豊島区
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紅葉のこの時期は 夜間のライトアップがあります。
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大池の水際に浮いているように見える六角浮き見堂
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六角形の屋根の頂部には、「赤い鳥」をイメージした益子焼の屋(おく)頂(ちょう)飾りをのせています。
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滝も流れています。上のほうには滝見台もあります。
滝の高さは約4m、毎分3トンの水が流れ出ています。また、池の広さは約500uです。
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滝から飛び石を渡ると ベンチがあります。
池には大きな大きな鯉がゆったりと泳いでいました。
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池に映る 赤鳥庵
ぐるりと1周まわると元の入口に戻りました。
タグ:庭園・公園
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2015年11月28日

目白通りグルメ

JR目白駅です。
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駅前の目白通りを落合方向に少し歩くと お菓子の店があります。
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創業は寛永七年(1630)という京都三条菓子司 寛永堂の目白本店です。
東京都豊島区目白3丁目14
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3年ほど前にオープンした店で 販売ゾーンと喫茶ゾーンにわかれています。
高い天井 ステンドグラスと豪華な雰囲気です。
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壁もこのとおり・・・・席数が多いのでゆっくりできます。
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今回は お抹茶と上饅頭をいただきました。
目白通りに出て 再び落合方向へ少しあるくと赤い壁のお店があります。
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パニエドレギュームpanier de legumes    東京都新宿区下落合3丁目17
店名の「パニエドレギューム」とは、フランス語で「野菜の籠」という意味。
フランスで腕を磨いたという女性のオーナーシェフのお店です。
中はこじんまりしていて テーブル席には10人ほどしか座れません。
すぐ満席になります。予約がベターなのかも。
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ランチコースで 真鯛のソテー、白ワインソースを選択。
野菜のスープ 又は サラダ パン、コーヒー 又は 紅茶付き。
パリッとした焼き上がりで美味しかったです。
季節の野菜が添えられたヘルシーなフレンチで野菜もとても美味しかったです。
テーブルの小さな1輪の花の心配りもよかったです。
タグ:グルメ
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2015年11月27日

三渓園20・三渓園天満宮 観心橋(終)

大池に沿ってあるくと 観心橋(かんしんばし)のたもとに神社がありました。
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「三溪園天満宮」
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三渓園天満宮
この天満宮はもと間門天神といい、三渓園にほど近い間門の旧家高梨家の先祖が 本牧の丘の中腹に建てたものです。 昭和52(1977)三渓園に移されました。
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天満宮の位置には、かつて楠公社(なんこうしゃ)が建っていました。
 狛犬の頭が欠けていました。空襲で破壊されたそうです。
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 楠公社と観心橋 三渓園昔むかし
「楠公とは、南北朝時代の武将・楠正成のこと。社殿の建物は、もと大阪・観心寺にあったもので、楠正成が建武元年(1334)に建立、自らの守護神・牛頭明王(ごずみょうおう)を祀ったと伝えられた。三渓園への移築後は、高村光雲門下の彫刻家・米原雲海作の楠公の木彫像が安置されていたが、空襲の爆撃により社殿と楠公像はともに失われた。現在の天満宮の鳥居脇にある首の欠け落ちた狛犬は、楠公社があった頃からのもので空襲による破壊の痕が生々しく残されている。
手前にかかる橋は観心橋で、その名は楠公社の由緒(観心寺)による。」
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天満宮の先には、杉の茶屋が有ったが、戦災で焼失したとの昔むかしの案内板がありました。
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観心橋からの眺めは絶景ポイントのひとつです。
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観心橋を渡っていくと、大池に突き出した所に涵花亭があります。
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涵花亭からは大池がぐるりと見渡せます。
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大池そばにある高浜虚子句碑
鴨の嘴より
  たらたらと
    春の泥
この句は、昭和8年3月、三渓園で詠まれたものです
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苑路終わり藤棚近くに大きなひいらぎもくせいの木がありました。
葉の端に柊の葉のような棘があります。
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小舟がありました。
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大池に浮かぶ小舟も風情があります。
1周して正門に戻りました。
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あかい線が歩いたルートです。
これで 三渓園は終わりです。
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2015年11月26日

三渓園19・待春軒 旧燈明寺本堂

今は失われた「待春軒」の昔むかしの案内板がありました。
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「待春軒」三溪園昔むかし
寒月庵と同じくもと江戸の豪商川村伝左衛門が所有していたもので、栃木県大オ(おおしま)製糸場内から移された建物。場内にあった明治12〈1879〉年には、アメリカ合衆国大18代大統領を務めたユリシーズ・S・グラント〈1822〜1885〉が日光滞在中のある日ここに遊び、昼食をとったという。三溪園に移築後、この建物には「御やすみ、お茶随意 待春軒」という案内書きがつけられ、初音茶屋と同じ湯茶の接待を行っていたほか、さらには句会・歌会や茶会などの席としても場所を提供していたようである。
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「待春軒より横笛庵、六角堂を望む」 三溪園昔むかし
待春軒より横笛庵、六角堂を望む。
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現在の待春軒(たいしゅんけん)
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「月影の茶屋」 三溪園昔むかし
屋根は杉皮葺きであろうか、隣接した田舎家の風情にあわせた簡素な建物である。詳細は不明であるが、園遊会などの際に茶の接待などに用いられたものと考えられる。明治41(1908)年の新聞(横濱貿易新報)記事によれば障子に「白露の里 月影の茶屋」と記されているとある。今では、この月影の茶屋も田舎家も田舎屋もその姿はみられなくなってしまったが、いまだ山里の風情は変わらずに漂っているようだ。
現在は 大池の畔に、三渓園茶寮・月影の茶屋・雁ヶ音茶屋などが並んでいて食事・休憩の場になっています。
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大漁地蔵と書いてありました。
穏やかで優しいお顔です。
待春軒の隣 外苑の大池に面して旧燈明寺本堂があります。
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旧燈明寺本堂【重要文化財】室町時代建築
三重塔と同じ京都燈明寺にあった建物です。 三溪園には、1988年(昭和62年)に5年がかりで移築・保存作業が行われました。
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旧燈明寺本堂
燈明寺歯現在廃寺となっていますが近年まで京都府相良郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院です。自伝に寄りますと聖武天皇の勅願によって天平7年(735)に開創されたといわれています。この建物は形式上、室町時代初期に建てられたものと推定されます。昭和22年の台風で被害を受けた後解体し保存されていましたが、昭和62年(1987)に三溪園に移築されました。
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京都符相楽郡加茂町の燈明寺から移築されてきた建物
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1988年から5年がかりで京都から移築され、中世の密教寺院の姿が復元されています。
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内部です。
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本堂の裏に、石段を伴った古い石垣があります。
石垣の上にはかつて、今は戦災で失われた皇大神宮が建っていました。
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「皇大神宮」三溪園昔むかし 
?寒月庵、待春庵、とともに栃木県大オ(おおしま)製糸場内から移された建物。三溪園は、梅・桜のほかに秋草の名所としても知られ、秋にはこの皇大神宮の石段の上からフヨウやオミナエシ、ハギ、ススキなどの花野が眼下一面にながめられたという。昭和20(1945)年、空襲の爆撃により焼失、現在、鳥居や石段・燈籠の一部が残るのみである。
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大池に沿って歩きます。
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2015年11月25日

三渓園18・旧矢箆原家住宅内部

旧矢箆原家住宅は、 建物内部の様子を見ることが出来ます。
入るとすぐ右手に 厩があり運搬具や馬具が置かれていました。
馬の体調管理のため屋内で飼われていました。
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おいえ
家族団らんの場でもあり 接待や村の話し合いの場です。
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だいどころ
食事や調理の場で囲炉裏に火が入っていました。
常時火入れをしているようで裏には薪がたくさん積まれていました。
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台所から一段高くなっています。
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ざしき
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平面図
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仏間
大きな仏壇が嵌めこまれています。
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おくざしき
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なかのまからひろまを見ています。
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欄間には扇
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二階にあがると 回廊になっていて整理棚があります。
屋根裏のつくりを見ることができます。
農耕用具や 養蚕道具 生活用具などが展示されています。
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一重三階、入母屋造、茅葺、
北面及び東面庇付、こけら葺、南面水屋附属
時代区分:江戸後期
莊川村民家の代表的なもの
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1階の端にみずやがあり 水船があります。
山からの水を水船に貯えていました。
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2015年11月24日

三渓園17・旧東慶寺仏殿〜旧矢箆原家住宅

木立の中に建つ 重要文化財・旧東慶寺仏殿です。
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鎌倉の東慶寺にあった仏殿を明治40年(1907)に移築したものです。 
旧東慶寺仏殿は寛永十一年(1634)、第二代将軍徳川秀忠の長女・天樹院千姫によって建立されました。禅宗様(唐様)の特色を色濃く残した貴重な建物です。
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東慶寺は弘安8年(1285)、北条時宗の妻だった覚山尼が創建した寺で、駆け込み寺あるいは縁切り寺として有名でした。
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旧東慶寺仏殿は木立に囲まれた中にあります。奥の高台にかつては六角堂(望仙亭・ぼうせんてい)も建っていたらしいです。sketoke (11).jpg
六角堂
正式には望仙亭と称されたあずまやで 海や庭園内が見渡せるよう この付近の高台に建てられていた。
現存していません。
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田舎家 三溪園昔むかし
石置き屋根の古民家で、由緒は不明。障子に古い証文や暦、子どもの手習いの反古紙を用い、入口には美濃笠や鍬などを掛けるなど内部に趣向が凝らされていたばかりでなく、建物の周辺にも季節の野菜を植えた畑や竹林、鶏を入れた籠や井戸などを配し、田舎の生活を疑似体験できるような演出が随所に盛り込まれていた。こうした田舎家の鄙びた風情は、三溪が最も好んだものの一つで、来客があった場合などにその接待に使われ喜ばれた。
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「旧東慶寺仏殿」の左手に、合掌造りの巨大な建っています。
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旧矢箆原家住宅【重要文化財】1750年頃(宝暦年間)
この建物は岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にありました。江戸時代宝暦年間〈1751〜1764)飛騨三長者のひとりといわれた岩瀬の(矢箆原佐助)の家として飛騨高山の大工によって建てられたと伝えられています。御母衣ダムの建設によって湖底に沈む運命となりましたので、所有者矢箆原家から三渓園に寄贈され、昭和35年(1960)移築されました。
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屋根は入母屋造りで火打窓が珍らしく、この家の格式の高さを物語っています。
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左が式台付玄関をもつ書院造り、右が普通農家の造りで、左右で全く異なる形式構造をもっていることです。
岩瀬(矢箆原)佐助は、飛騨三長者のひとりで、飛騨地方の民謡に「宮で角助、平湯で与茂作、岩瀬佐助のまねならぬ」、三人の真似はできない、と歌われるほどでした。
この建物は内部公開をしています。
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2015年11月23日

三渓園16・横笛庵

寒霞橋を渡ってすぐのところにある横笛庵です。
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横笛庵 建築年不明 
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草庵風の茶亭
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建物内に横笛の像が安置されていたことから横笛庵と称されています。
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横笛庵
高倉天皇中宮建礼門院につかえた横笛と平重盛の重臣滝口入道(斉藤時頼)との悲恋は有名です。横笛は寺にこもり入道から送られた千束の恋文をもって己の像をつくりました。その像がこの庵に安置されていましたが第2次世界大戦中に被害を受け失われてしまいました。
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「横笛庵内に安置されていた横笛の像」三溪園昔むかし
横笛は今から800年程前、平清盛の娘・建礼門徳子(高倉天皇の中宮)に仕えた官女で、平家物語には平重盛の従者・斉藤時頼(滝口入道)との悲恋が語られている。この像はその横笛が滝口入道から送られた恋文をもって作ったと伝えられたが、現存しない。なお、横笛が出家後に住んだといわれる奈良・法華寺にも同様の像が伝わっているが、関わりなどは不明である。
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横笛が、他の人々の恋が実ることを願って、時頼から寄せられた千束の恋文で作った己の像は、 「縁結びの像」として知られていました。
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「寒霞橋と横笛庵」三溪園昔むかし 
奥に見える茅葺の建物は、今ではもう失われた待春軒、手前の風景は現在もほぼ変わっていないが、横笛庵の屋根の頭頂部には植物を植え付けた「芝棟」と呼ばれるしゃれた演出が施されている。芝棟は、山梨県から関東・東北地方にかけてみられるもので、三溪園ではアヤメ科のイチハツなどを植えていたようである。横笛庵は、落飾した(尼姿の)横笛像を安置した草庵風の建物だが、芝棟にイチハツの花が咲く初夏の一時期、あたかも髪飾りを付けた清楚な女性を思わせる装いとなった。
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2015年11月22日

三渓園15・林洞庵

初音茶屋の後方に緑に隠れた茶室があります。
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林洞庵 1970年(昭和45年)建築 
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昭和45年(1970)に 宗偏流林洞会から寄贈された茶室で、八畳の広間と四畳の小間からなっている
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内部に流祖・山田宗偏の揮毫による「林洞」の額が掲げられていることからこの名がある。
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茶室は貸出施設です。
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寒月庵 三溪園昔むかし
三渓が所有していた製糸場の一つ栃木県大オ(おおしま)製糸場内から移された建物。かつては江戸の十人衆の一人といわれた赤穂藩出入りの豪商・河村伝左衛門が所有していた草庵で、元禄の頃(18世紀)には忠臣蔵で有名な大石内蔵助がたびたび遊んだといわれる。
1951(昭和26)年伊豆山の旅館に移され、現在跡地にこの林洞庵が建てられた。
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渓流の岸辺に何やら石の祠がありました。
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2015年11月21日

三渓園14・初音茶屋

急な石段を下りると 滝のある場所に出ます。
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滝があって渓流となっています。
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臥竜梅の梅林もあります。
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四阿かと思いましたが「初音茶屋」という案内板がありました。
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初音茶屋 
かつて三渓園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書きしるされた茶屋。 当時はいつでも麦茶がふるまわれたという。 芥川は大正4年(1915)の初秋、ここでの印象を
「ひとはかり うく香煎や 白湯の秋」
と俳句に残しています。
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初音茶屋 三溪園昔むかし
「当時、三溪園は誰もが自由に出入りできたばかりでなく、無料の湯茶サービスもあった。その場所の一つがこの初音茶屋である。中央の炉に煤竹の自在かぎで吊るされた真黒な鉄瓶には絶えず湯がたぎり、白湯に米・小麦粉を煎って香ばしくした香煎を入れたものや温かい麦茶がふるまわれたという。大正4(1915)年三溪園を訪れた芥川龍之介は、友人であった三溪の長男への手紙にこの湯茶接待の印象を書き、「ひとはかり うく香煎や 白湯の秋」という句を詠んで締めくくっている。また、別の記録では、屋根を葛が一面に這いまわりその葛の端が六方の軒に垂れ下がっていたとあるが、写真はまさにその風情である。」
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寒霞橋(かんかばし)
この橋は先ほどの滝からの流れにかかる橋で開苑当時からあります。
寒霞橋の上流、下流で蛍が観賞できるそうです。
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2015年11月20日

三渓園13・三重塔

展望台から戻る途中にあった 三渓園昔むかしの説明板です。
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聚星軒
竹を編み込んだ壁など 中国風の意匠で「支那館」とも呼ばれた。明治20年頃松風閣とともの 初代善三郎が築造したようであるが 大正12年の関東大震災により倒壊し 現存しない。
周辺には中国で産する大湖石の石組みが残っているようです。空地はありましたが石組は、見つけられませんでした。
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小砂利ですべりそうな道を下ります。
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途中に出世観音がありました。石段を登ります。
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外苑の中心的存在、ランドマークとして小高い丘の上に建つ旧燈明寺の三重塔建(重要文化財)です。
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旧燈明寺三重塔【重要文化財】1457年(康正3年)建築
三重塔は、もと京都府相楽郡加茂町の燈明寺にあったものを大正3年に三渓園に移築したものです。燈明寺は天平7年(735年)聖武天皇の勅願によって建てられた寺院だそうですが、この三重塔の様式は室町時代に立てられたもので、関東では最古の塔だということです。
三溪園には、1914年(大正3年)に移築されました。
燈明寺はすでに廃寺となっていて、現在は存在しない。
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塔は高欄のない縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間板張り、中備えは三間とも間斗束
三層とも三手先組物、二軒繁垂木
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旧 燈明寺三重塔(重要文化財、室町時代 康正三年 1457年、本瓦葺、高さ 23.9m)
ここから 急な石段を下っていきます。
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2015年11月19日

三渓園12・海岸門 松風閣

内苑と外苑を隔てる海岸門が見えてきました。
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「海岸門」
御門と同じ京都の西方寺にあったもので、江戸時代の建築
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三渓園は東京湾に面した谷あいの地に作られていて、昔はこの先が海岸線でした。
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鎌倉の神宮寺の僧房だった御谷館の写真がありました。茶屋として利用されていたようです。
海岸線がすぐ目の前です。
海岸門から先が外苑です。明治39年の開園当時から一般公開されていたエリアです。
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松風閣は明治20年頃の完成の煉瓦造り2階建ての建物で、命名は伊藤博文。
風光明媚な東京湾を一望でき 原邸を訪れた賓客をもてなす重要な建物でした。
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関東大震災により倒壊。現在は建物の一部が廃墟として残されるのみです。
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現在は、奥の一段と高いところにコンクリート造りの松風閣という展望台が作られています。
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やっとの思いで展望台にあがったのですが・・・
見晴らし景色はよくないです。コンビナートばかりです。
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ちなみに この展望台の真下には断崖が連なっているそうです。
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2015年11月18日

三渓園11・蓮華院

春草盧から下ります。
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石段を下りると 石碑があります。
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不許酒肉五辛入山門の石碑
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その先に竹藪に囲まれた茶室があります。
三渓自身が大正16年(1917)に建てた茶室です。
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蓮華院 1917年(大正6年)建築
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もとは、現在の春草廬の位置にありましたが、 第二次世界大戦後に竹林にある茶室という構想のもとに現在の位置へ再築されました。
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竹林です。
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6畳と2畳中板の茶室があり、土間と壁には宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子が用いられている。
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蓮華院という名は、三溪が茶会を催した際に広間の琵琶床に、奈良東大寺三月堂の不空羂索観音が手に持っていた 蓮華を飾ったことに由来しています。
そろそろ内苑も終わりです。海岸門に向かいます。
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2015年11月17日

三渓園10・春草盧

石棺の奥に奥に「春草盧」(しゅんそうろ)が建っています。
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茶室の庭の腰掛待合。
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織田信長の弟・織田有楽斉(うらくさい)の作と伝えられている三畳台目の茶室。
大正7年(1918)にが三渓園に移築された。
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春草廬【重要文化財】桃山時代建築
平面図左側の、横T字部分が元の九窓亭。上が床(とこ)、下が台目畳。
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三畳台目(さんじょうだいめ)の小間茶室。
春草廬は、茶室内に九つの窓があることから、かつて"九窓亭と呼ばれていました。
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右側の部分が三溪が増築した水屋と広間。
戦前は増築部分(水屋と広間)を含めて臨春閣の裏手にあり白雲邸とつながっていたそうです。
戦時中の戦火を避けて解体保存されていたとのことです。
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山あり屋にありの このような道です。下ります。
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2015年11月16日

三渓園9・聴秋閣

月華殿 金毛窟 天授院から下ると右手に二層の楼閣風の建物があります。
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重要文化財の「聴秋閣」(ちょうしゅうかく)は書院造のユニークな形をした建物です。
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屋根の上に二階の小さな部屋だけが乗っかっています。日本家屋にしてはめずらしい不調和な感じです。
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聴秋閣【重要文化財】1623年(元和9年)建築
江戸前期/1615-1660
一階上の間、次の間、二階二畳及び階段室より成る、二重、上重寄棟造、
下重入母屋造、総檜皮葺
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徳川家光が佐久間実勝に命じて二条城内に建造させたもので、当時は「三笠閣」と呼ばれていた。
後に春日局が賜ったと伝わる建物です。
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裏側です。ここから右奥に行きます。
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聴秋閣から少し奥に行くと 石棺があります。
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手前のは家形石棺身
5〜6世紀のもの。奈良海竜寺付近から出土。
奥は、舟形石棺蓋
3〜4世紀のもの。奈良法華寺付近から出土。
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2015年11月15日

三渓園8・旧天瑞寺寿塔覆堂

順番があとになりましたが 池を渡る橋 亭しゃの手前に 旧天瑞寺寿塔覆堂があります。
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豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願で建てた寿塔(生前墓)を納める建築。
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旧天】瑞寺寿塔覆堂【重要文化財1591年(天正19年)建築
「寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のことです。豊臣秀吉の母、大政所が大病を患ったとき、その平癒を祈願するため京都大徳寺内に天瑞寺を建てました。その後、回復したことを喜び、母の長寿を祝って天正20年(1592)この寿塔を建てました。明治35年(1902年)覆堂のみ三溪園に移築し、寿塔は大徳寺内、竜翔寺(りゅうしょうじ)内にあります。」
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旧天瑞寺寿塔覆堂【重要文化財】
桃山/1591
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、本瓦葺 1棟
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迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾
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「近年の修理で(ときょう)の中から天正19年の墨書名発見され、寿塔創建の年代と一致、これにより秀吉の建立したことが明らかとなりました。今日秀吉建立と確認できる建物がほとんどないので、その価値は極めて高いものとなります。」
現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないものだそうです。
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旧天瑞寺寿塔覆堂の前にあった手水鉢
池の向こうに見えるのが臨春閣 
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2015年11月14日

三渓園7・天授院

月華殿 金毛窟の前には石灯籠や石鉢がありました。
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その奥にあるのが天授院【重要文化財】です。
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天授院【重要文化財】1651年(慶安4年)建築
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国指定重要文化財(1960.06.09)
名称:天授院(てんじゅいん)
慶安4年(1651)建築
構造:桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、茅葺
「もと鎌倉心平寺地蔵堂と推定される。
大正二年ごろ三溪園内に移された。室町時代末期の唐様の堂。
もとは、建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂で、大正5年(1916)に移築されました。
建築様式は禅宗様(ぜんしゅうよう)を主体としています。」説明文より
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三溪園では、原家の持仏堂とされました
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少し離れてみるのが美しい・・・
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高い場所にあるのでここから下ります。
足が悪い人にはこのあたりは 無理かと思います。
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あちらこちらに多宝塔などがありました。
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2015年11月13日

三渓園6・月華殿 金毛窟

かなり急な石段を登ります。
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けっこう高台になります。石段の正面が月華殿です。
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月華殿【重要文化財】1603年(慶長8年)建築
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初代徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれています。 1918年(大正7年)に春草廬と共に移築されました。
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月華殿の障壁画は、桃山時代の画家 海北友松(かいほうゆうしょう)によるものだとか・・・
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大正7年(1918)に、三渓園に移築された。
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三溪が建てた金毛窟とつながっています。
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金毛窟 1918年(大正7年)建築 
三溪が建てた一畳台目(いちじょうだいめ)の極小の茶室です。
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金毛窟という名は、床柱に京都大徳寺の山門 金毛閣の高欄の架木を使用していることにちなみます。
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建物内部はもちろんのこと 柵があり建物のすぐそばに行けないです。
月華殿とともに茶室としての貸し出しは行っているようです。
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2015年11月12日

三渓園5・臨春閣 その3

順路に従い裏庭に行きます。
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通路は石が敷いてあり歩きやすいです。
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住之江の間の裏庭におかれた、手水鉢が見えます。
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広縁がぐるりと部屋を囲っています。
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臨春閣の裏庭の身代わり灯篭
千利休が刺客に襲われた時交わし刀の刃が 灯篭に当たり利休は助かったそうです。
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丸い飛び石を渡ると竜安寺垣・木戸で仕切られた向こうに、三溪が晩年を過ごした白雲邸が見えます。
垣根の中に行くことは出来ません。
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白雲邸は、原三渓が大正9年(1920)、隠居所として建てた数奇屋風建築。
家族と暮らした鶴翔閣から離れ、亡くなるまでのおよそ20年を夫人と過ごした住まいです。
裏山の岩盤を利用した立派な防空壕が作らています。(入口の穴が見えます。)
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裏山が見えますが 大雨で崩れたのか一部土がむき出しの部分がありました。
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2015年11月11日

三渓園4・臨春閣 その2

池の途中にある亭しゃ(木へんに射)です。
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三渓自ら設計した亭しゃは、北の政所の高台寺 の月見台がモデルだそうです。
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ここでの月見や 紅葉を眺めるのも風流です。
また広縁からこの亭しゃを見るのも いいものです。
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中には入れませんが 縁側から中をみることはできます。
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十三夜の月見飾り
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この造り 東の桂離宮というのもうなずけます。重要文化財の「臨春閣」は三渓園の一番見どころです。
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欄間には雅楽の笙と笛など本物の楽器があしらわれています。
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瓢箪文手水鉢
秀吉が愛用したと伝えられる手水鉢で,後年籐堂高虎が賜り伊賀上野城にあったもの。
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この後ろから 裏庭に行くことができます。
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2015年11月10日

三渓園3・臨春閣 その1

再び三渓園です。
三渓記念館を出て 内苑路に戻ると 広大な芝と池の向こうに数寄屋風書院造りの建物が3棟連なって建っているのが見えます。
一年に一回(5月の連休)しか公開されないので 普段は建物外周の縁側にそって、外から内部を覗くように観るだけです
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臨春閣です。これは右側の2棟。
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臨春閣 【重要文化財指定】 1649年(慶安2年)建築
「桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘 巌出御殿(いわでごてん)ではないかと考えられています。」
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大正6年(1917)に三渓園に移築したものである。徳川8代将軍は、幼児の頃この巌出御殿で育ち、享保元年(1716)に将軍職に就いた、と言われています。
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臨春閣は御三家の別荘の様子を今に伝えるの建築として、我が国の住宅史上、宮家の別荘だった桂離宮と並ぶ双璧とされている。
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内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。
(障壁画は複製画で、原本は園内の三溪記念館で展示)
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この先は池で 別棟に行くにはぐるっとまわらなければなりません。
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対岸から見た水の上の臨春閣
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別棟の庭から観ています。
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2015年11月09日

中央区立泰明小学校・銀座

銀座みゆき通りは銀座5丁目と6丁目の間の通りです。
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新街路灯創設10周年のペナントには鳳凰の絵があります。
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みゆき通りの街灯は上に金の鳳凰の装飾なのです。
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つきあたりが 中央区立泰明小学校です。
半円形の窓の校舎、アーチ形の塀とヨーロッパのお城のようなフランス門。
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みゆき通りと門扉
 この通りは明治天皇が宮城より海軍兵学校に御行幸された折りにお通りになられたことからみゆき通りと呼称されるようになったといわれている。
 また門扉は、その時代南フランスの貴族の館で使用されていたものである。
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中央区立泰明小学校は、1999(平成11)年10月に東京都の歴史的建造物に選定されました。
また、平成21年2月に経済産業省より「近代産業遺産」に指定されました。
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アーチ形の塀の向こうには数寄屋橋公園があります。
東京市(当時)は、復興小学校に隣接して小公園を多く設けました。泰明小学校脇の数寄屋橋公園は、その一つです。これは、小学校を災害時の避難拠点と考え、公園を隣接させることによってその機能を強化するという考えによるものだそうです。
今では 都会のオアシスとなっています。
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泰明小学校は改修工事が終わったばかりで外壁がきれいになっていますが 以前はツタのからまる緑に覆われた校舎でした。
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中央区立泰明小学校   東京都中央区銀座5丁目1番13号
現三代目校舎
東京都選定歴史的建造物
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「中央区立泰明小学校
 泰明小学校は明治11年に開校し、現在使用されている建物は、関東大震災を機に、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造りの校舎として立て替えられたものである。
 表現主義と呼ばれる建築様式の建物で、カーブを描く壁面やアーチ窓を使った外観に特徴がある。L字型校舎の南端に位置する玄関部分には、柱や入口屁等に個性的な装飾が集中して施され、建物の顔となっている。これらの意匠は、震災復興期につく
られた他の小学校ではあまり見受けられない個性的なものである。また、校庭に面した側の窓は他の学校よりも大きくとられ、開放的な印象を与えている。
 蔦のからまる校舎は銀座のシンボルとして人々に親したまれおり、今なお往時の景観を残している。」
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教員室、校長室等のある事務等の玄関
おおきな柳の木が見えます。
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銀座の柳二世」とあります。
その裏側に説明板があるのですが 読めないです。
北村透谷・島崎藤村記念碑もあります。
 泰明小学校は明治十一年(1878)6月に開校され、北村透谷・島崎藤村はその初期の卒業生でした。
ここは銀座という場所柄 多くの著名人達の出身校で名門小学校として知られています。
北村透谷はペンネームに銀座近くの「数寄屋橋(すきやばし)」をもじって透谷(すきや)としたということです。
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泰明小学校玄関前にある「平和の調べ」像。
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昭和五十三年六月二十五日 泰明この日百年(泰明小開校百周年・同幼稚園開園25周年)
昭和53年6月25日は泰明小学校創立100周年の日
明治11年、元数寄屋町1の1に第一大学区第一中学校区第十七番東京府公立泰明小学校として創立。当時は2階建ての赤レンガの校舎だったとのことです。
タグ:文化財 建物
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2015年11月08日

アーバンファーム・パソナ東京本社

東京駅日本橋口バスターミナルの対面に緑のもじゃもじゃのビルが見えます。
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9階建てビルの壁面は緑で覆われています。パソナのビルです。
向こう側の壁面も同じように緑です。むこうは果樹が多かったかな・・・
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株式会社パソナ 東京都千代田区大手町2-6-4
アーバンファームは一般の人も見学できます。
ロボットがお出迎え。
1階の総合受付で見学申し込みをします。
見学できるのは 1階と2階です。
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オフィスのあらゆる場所に植物が栽培され、一階には90uの水田まであります。
稲刈りあとの水田です。稲の生育に合わせて照明の高さを変更することができるそうです。
照明と温度の管理によって年3回の作付けが可能だそうです。
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稲刈りあとの藁と上のほうはきゅうり。
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これはキヌアの畑です。
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管理された水耕栽培のトマト
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オフィスのあちこちで植物が栽培されていて なんだか楽しそうな職場です。
水田の奥にはカフェもありました。
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温度や照明で管理された野菜たちです。
そのままつまんで食べたくなります。
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未来の農業のひとつですねぇ〜
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成長を促す赤系のライトと形を整える青系のライトを併用することでバランスの取れた育成ができるそうです。
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2階は打ち合わせスペースになっていて 打ち合わせ中のグループが仕事中でした。
その壁面やパーティションにも野菜が栽培されていて オフィスなのか植物工場なのか・・・・
オープンで一風変わったパソナのオフィス、植物と人との共生をめのあたりにした感じです。
仕事中でも見学できるというのがすごいです。
見学できないほかの階でも栽培がおこなわれているらしいです。
なかなか楽しい社会科見学でした。
タグ:イベント
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2015年11月07日

皇居東御苑二の丸庭園

秋晴れの空 せっかく東御苑に来たので三の丸尚蔵館を出て 二の丸庭園まで行きました。
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向こうに見えるのは諏訪の茶屋
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ビルの谷間のオアシスです。
外国人の訪問者が多いです。ここには 中国人の団体さんなどはあまりみかけないので ゆっくり廻ることができます。
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二の丸庭園は小堀遠州作の回遊式庭園を復元したものです。
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現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当り、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。
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松もきれいに剪定されていて 美しい庭園です。
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この池の鯉はヒレナガニシキゴイという珍しい種類でインドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配させたもので、尾びれや胸びれが普通の鯉よりも長いのが特徴です。
ひらひらと長い尾ひれで 金魚のようです。
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池 山 谷 滝 飛び石 などとても日本的で調和のとれた風景です。
二の丸庭園だけを見て 東御苑を出ました。紅葉にはまだ少しはやくて残念でした。
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2015年11月06日

「1920s-30s モダン・エイジ 光と影の造型美・ 三の丸尚蔵館

大手門から皇居東御苑にはいりました。
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東日本大震災で壊れた白壁もきれいになった 大手門です。
受付で入園札を貰います。
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三の丸尚蔵館  東京都千代田区千代田 皇居東御苑
「三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え,故秩父宮妃のご遺贈品,香淳皇后のご遺品,故高松宮妃のご遺贈品,三笠宮家のご寄贈品が加わり,現在約9,800点の美術品類を収蔵しています。」宮内庁説明文より
同館は美術品などを置くスペースが不足しており、2021年度までに2階建て、延べ床面積約3200平方メートルを増築するという発表がありました。
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第70回展覧会「1920s-30s モダン・エイジ 光と影の造型美」
平成27年9月12日(土)〜12月6日(日)
前期:9月12日(土)〜10月12日(月・祝)
中期:10月17日(土)〜11月8日(日)
後期:11月14日(土)〜12月6日(日)
休館日:毎週月・金曜日,展示替の期間
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中期展示を見ました。
東京は大正12年(1923)の関東大震災の復興、モダンガールが銀座を闊歩する世の中です。大正から昭和初期の宮中を飾った品々が展示されています。
中期展示では鏑木清方の6曲1双の屏風「讃春」が展示されています。
黒塗りの車を広場前を走り、霞の中に浮かぶのは清洲橋など近代産業が生み出したモチーフが描かれています。
ヨーロッパなどから 皇室に献上された品や アール・デコなどに影響をうけた作品など大正ロマン,昭和モダンとも呼ばれる社会風俗を表した作品などが展示されています。
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飴谷有民、渡邊萬里作の「舟形花盛器」はバッファローの角のようです。
一部屋だけの小さなスペースですが ここは上質なものが展示されるので毎回楽しみです。
もう少し広くなって 展示数が増えるといいです。
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2015年11月05日

ローズガーデン・ファンケル銀座スクエア

割り込み記事。三渓園は後日再開。昨日銀座に行きました。
銀座5丁目 ファンケルビル前にきれいなバラが飾り付けてありました。
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みとれていると 右のほうに案内のポスターが・・・
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ファンケル 銀座スクエア 10F ロイヤルルーム
オータムローズガーデン
東京都中央区銀座5丁目 8-16 
2015年10月30日(金)〜11月6日(金)
普段は開放されていないテラスガーデン付きの10F特別フロアです。
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地上40m 銀座の空中庭園です。
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今年は多くの種類のバラが来ているとのことでした。
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所狭しとバラが咲き誇っています。 協力:京成バラ園芸
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地上40mに出現した優雅なバラの世界!
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秋のバラのほうが 柔らかな感じがしました。こういうバラ園もいいですね!
春に神代植物公園のバラを見に行きましたが屋外で 暑くて日差しが強くてゆっくりみることができませんでした。
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フラワーアレンジもとてもよかったです。
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好きなミニバラが足元に・・・
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これは黒真珠。黒バラの一種です。
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ロイヤルルームでゆっくりお茶することもできます。
季節ごとに ガーデンイベントがあるそうです。HP見て エレベーターの中で説明してくださったのが 館長さんだと知って驚き!
他の季節の花も見てみたいです。近くだし また行きます〜〜
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壁画ギャラリーは、田村能里子画伯 作「FUN-FUN」(縦4m〜横11m)
壁画に描かれた11人の女神達です。
バラの優雅な余韻を残し 外に出ました。
外の世界は 中国人の観光客であふれていてしかも混み合う歩道の あちこち集団で 立ち止まっていて・・・・ちょっと興ざめしました。
これが 銀座の現状です・・・
タグ: 銀座
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2015年11月04日

三渓園2・鶴翔閣〜内苑

大池の反対側には水蓮池があります。
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横浜の名所として親しまれてきた三渓園の周辺では、古くから多くの絵はがきが販売されました。
その昔の絵葉書と現在を対比する 説明板が随所に設けられています。
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「開園100周年記念野外写真展 三渓園 昔むかし」は当初は1年間の予定だったのですが、『好評につき常設となりました』とのことです。
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大池の向こう側の高台の上には旧燈明寺三重塔が見えています。
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現在は木々が育っていますが昔の人も々景色を見ながら歩いたのですね〜
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右奥に 原家本宅だった鶴翔閣(かくしょうかく)があります。
この日は 結婚式があり立ち入り禁止で残念!
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原三渓が本宅として建てた建物です。明治35年(1902)に着工し明治42年(1909)に竣工した邸宅は、床面積が約950平米(290坪)と広大。
鶴翔閣は、家族の住まいとしての居住棟と、来客用のさまざまな機能を備えた棟から構成されていますが大富豪の自宅にしては華美ではなく非常に簡素な和風建築です。
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内苑に入ります。
御門【横浜市指定有形文化財】1708年(宝永5年)頃建築
京都東山の西方寺にあった薬医門。
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大正初め頃の御門の写真には、現在みられる脇のくぐり戸は見あたらない。
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開園当時は当時は、「桃山御殿門」とか「桃山御門」と呼ばれていたそうです。。御門の奥にある臨春閣(りんしゅんかく)が聚楽第の遺構とされていたためです。しかし、臨春閣が江戸時代初期に建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」(いわでごてん)と判明したため、今では単に「御門」と呼ばれています。
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御門を入ると、右手の松の並木の奥に白い土壁の塀があり 三渓が隠居所として大正9年(1920)に建てた数寄屋風の「白雲邸」(市指定有形文化財)がある。亡くなるまでの20年間、三渓はここに住んでいたといいます。
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白雲邸門
白雲邸と揮毫された扁額。三溪の茶友である実業家・松永耳庵(じあん)こと松永安左ヱ門(やすざえもん。1875〜1971)の筆による。
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つきあたりは「臨春閣」の門。
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左に曲がると 三渓記念館
三溪園の創設者・原三溪に関する資料、三溪自筆の書画、 ゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春閣の障壁画などを展示しています。
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2015年11月03日

三渓園1・横浜市

東京駅から横須賀線で約30分。
横浜駅で根岸線に乗り換え根岸駅からバスにのり 本牧バス停で下ります。
桜道を数分歩くと 交差点に出ます。
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その交差点にあるのが クレールというパン屋さん。
「クレールさんのコロッケは美味しい」というので コロッケとコッペパンを買いました。
コロッケはサクサクして評判通り美味しかったです。
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三渓園のほうに歩くと 鳥居がありました。○○神社ではなく亀の子さまとあります。
神奈川県横浜市中区本牧三之谷37-6付近
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「亀の子石」または「亀の子様」と呼ばれているようです。
亀の子たわしが乗っているのが亀の子石らしいです。
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亀の子石の由来
「大昔のこと、漁師の網にかかった大亀がそのまま石に化したのだと伝えられている。
いつの頃からかこの亀の子石はのどを守る神、特に百日咳に効験ありとして信仰され、百日咳などを患うと、この神様からたわしを借りてのどをこすり、また小児の食した茶碗をこのたわしで洗うと不思議に咳が治るといわれている。
三七さんしちの結願で治ると亀の子たわしを倍にして返礼する習わしがある。
本牧三之谷町内会 横浜本牧観光協会」
亀の子たわしは1907(明治40)年、初代西尾正左衛門が発明ですが どうなんでしょ?
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そのまま桜道をまっすぐ行くと 三渓園です。本牧バス停から10分くらいです。
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桜道は約600mほど続く 三渓園への道です。
今も昔も桜の名所です。
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自動販売機でチケット購入。500円。
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三渓園  横浜市中区本牧三之谷58-1
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入口で パンフレットを貰います。
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三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開された名園です。
17.5haの敷地に国の重要文化財建造物10棟、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有します。
起伏のある自然をいかした日本庭園です。
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あまりにも広大です。ゆっくりと時間をかけて順路通りに巡ります。
まずは 大池と蓮池の間を歩きます。
正門から園内に入ると、大池が広がっていて 池畔には枝垂れ柳もあり風情のある風景となっています。
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2015年11月02日

馬車道六道の辻通り〜関内駅・横浜

馬車道十番館の傍の交差点に「六道の辻通り」の石碑があります。
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六道は仏教用語で、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道の6つの道のことで、六道の辻は現世とあの世の境目とのことですが 馬車道にある六道の辻の由来は 桜木町・常盤町・尾上町・住吉町などに六本の道が通じていて、交通の要所となっていたということです。当時六差路があったと思われます。
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六道の辻の角は老舗レストラン「勝烈庵」の馬車道総本店です。
獅子頭共用栓が風格を表しています。
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勝烈庵のカツレツは、1927年創業当時のレシピをそのまま守っているそうです。
この次はぜひ 食べてみたいです。
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勝烈庵」の入口の右手に「ハマの街灯点灯の地」の石碑があります。
「明治19年(1886年)に日本最初の電力会社・東京電灯会社が開業しましたが、その3年後の明治22年(1889年)に横浜には横浜共同電灯会社が設立されました。
明治23年(1890年)に横浜共同電灯会社が中区常盤町に火力発電所を建設、同年10月1日に横浜市内約700の電灯と街灯が一斉に点灯されました。
これが神奈川県で初めて電力供給が行われたもので、それを記念して建てられたのがこの碑です。」
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関内駅のほうに歩くとトラファルガーのガス灯の近くに「近代街路樹発祥之地」の碑が建っています。
慶応3年(1867年)に通りに沿って柳や松を植えたことを記念するものです。
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トラファルガー広場のガス灯
チェス盤のような模様のある煉瓦敷きの広場がトラファルガー広場です。
1805年、ナポレオンの率いるフランス・スペイン艦隊を、スペインのトラファルガー沖で撃沈して英国を救った英雄、イギリス海軍ネルソン提督の活躍と栄誉を称して作られたのがトラファルガー広場です。
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このガス灯は、ロンドンの中心的存在であるトラファルガー広場のガス灯と同じものです。
明治5年(1872年)日本最初のガス灯が馬車道に灯されたことを記念して、設置されたものです。
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モニュメント「新風」
新風」は小田襄の作品で、横浜ロータリークラブ創立50年記念として1977年に建てられたものです。
関内駅はすぐです。
横浜の開港当時、幕府は開港場の取り締まりのために開港場一帯を川と掘り割りで周囲と隔て、出入りする橋には関門を設けていました。
この関門の内側を「関内」と呼び、外側を「関外」と呼びましたが、これが現在のJR根岸線「関内」駅の名称の由来となっています。
関内駅からJR根岸線に乗って帰宅しました。
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2015年11月01日

馬車道十番館・横浜

馬車道十番館で一休みすることにしました。
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開港当時の面影を物語る数多くの建造物や資料は 関東大震災でほとんど失われてしまいました。
馬車道十番館は、当時の建築様式で 明治の西洋館を再現したものです。
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馬車道十番館の前に置かれている牛馬引水槽
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大正6年(1917年)当時の横浜の陸上交通の主力であった牛馬のために神奈川県動物愛護協会の前身である日本人道会と横浜荷馬車協会が現在の横浜市磯子区八幡橋際に設けたものです。
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このあたりは 明治の先覚者でガス事業の創始者でもある高島嘉右衛門家の跡だそうです。
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古い電話ボックスがありました。(中は普通の公衆電話です)
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大砲なんかもあったりして・・・横浜らしいです。
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1階の喫茶コーナーの中に入ると ステンドグラスの吹き抜けの空間が広がります。
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馬車道十番館ビスカウトはお土産に最適。
ビスカウト(Biscuit)は西暦1550年頃、カステラなどの西洋菓子とともに日本に伝来しました。
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でも 今回はオリジナルブレンドコーヒーとケーキにしました。
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