2015年10月31日

横浜馬車道散歩

馬車道は、神奈川県横浜市中区にある地域名及び道路名で行政上の正式な町名ではありません。
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慶応2年(1866年)に関内地区が大火に見舞われ街の大部分が焼失しました。
この火災からの復興計画で決定された3本の幅60フィートの道路の一つが馬車道です。
外国人はこの道を馬車で往来しており、、この道は「馬車道」と呼ばれるようになりました。
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パンフレットを貰い 県立歴史博物館から関内駅まで散歩してみました。
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馬に関するものがあちこちにあります。
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花壇の部分も馬。
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ベンチにも馬のマーク
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下岡蓮杖顕彰碑」最上部にカメラがあります。
明治元年、日本人として最初の写真家下岡蓮杖によって写真館「相影楼」が、馬車道に開かれました。
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日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖(一八二三〜一九一四) 伊豆下田に生まれる。
文久二年(一八六二)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応三年(一八六七)太田町五丁目角地に『富士山』と『全楽堂』『相影樓』の看板を掲げた写真館を開き大繁盛をした。
数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献しました。
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浜の時守
「浜の時守」は、兒玉慎憲の作品で高さ6mのステンレスのモニュメント。一番上に時計があります。
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平和T 関内ホールの玄関前 作者はマルタ・バン
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あちこちにガス灯があります。
タグ:横浜 観光
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2015年10月30日

横浜馬車道駅界隈歴史的建造物

神奈川県立歴史博物館の建物は横浜正金銀行本店として1900年(明治33年)に着工し、1904年(明治37年)に完成しました。
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旧横浜正金銀行本店本館(現・神奈川県立歴史博物館)
所在地:中区南仲通5-60
竣工 - 1904年(明治37年)
構造・規模 - 石・煉瓦造、地上3階、地下1階、正面中央八角塔屋付、ドライエリヤ石塀附属
建築面積 - 1,998.3平方メートル
設計:妻木頼黄
辰野金吾の日本銀行本店、片山東熊の赤坂離宮迎賓館とともに 記念碑的建築で、国指定の重要文化財となっています。
 「この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建物であることから、昭和44年3月12日には国の重要文化財に指定。
 また、我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関のあり方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡に指定されました。」
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ドーム側は旧館の玄関に当たり、現在は真裏にあたる新館が正面玄関になっています。
旧館はネオ・バロック様式で、その特徴はイタリア・バロック風の壁面彫刻と、マンサードと呼ばれる切妻屋根の組み合わせで 宮殿のようです。
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これは横浜アイランドタワー低層部です。
 旧第一銀行横浜支店
設計 - 西村好時(清水組)
竣工 - 1929年(昭和4年)
構造・規模 - R.C造、地上3階、地下1階
備考 - 横浜市認定歴史的建造物
低層部旧所在地 - 神奈川県横浜市中区本町5-46
備考 - 横浜市認定歴史的建造物 (平成2年認定)
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正面の列柱はトスカーナ式という古代ローマ建築様式の一種
「1929年(昭和4年)築の歴史主義建築である旧第一銀行横浜支店のバルコニー部分を曳家工法で移築して組み込み、同時にそれ以外の外観部分をファサードで形態復元した。2003年(平成15年)度には横浜市認定歴史的建造物に選定されている。」
1階部分はカフェとして営業中で中に入れます。カフェの天井は2階まで抜けでTVドラマでも見かけます。
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外観の一部だけを残したこの建物は 旧川崎銀行横浜支店(現・損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル)です。
所在地:中区弁天通5-70
構造・規模:RC造3階・地下1階/現建物SRC造9階
建築年代:1922年(大正11年)
設計:矢部又吉/現建物 日建設計
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設計者の矢部又吉は横浜生まれでドイツに学んだ建築家で、隣の旧横浜正金銀行本店の設計者妻木頼黄の弟子。
ファサード2面を残して歴史的建造物の保護・再生の一手法を示した先駆的作品
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凹凸のある石材を使用し荒々しい感じを出す石積みを、ルスティカ積みといいます。
このような感じの建物は 銀行建築によくみかけます。
横浜にはいろいろな建物があってみどころたくさんなのですが 今回は馬車道を歩きます。
タグ:横浜 建物
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2015年10月29日

神奈川県立歴史博物館・常設展

神奈川県立歴史博物館です。
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この前に大砲が置かれています。
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旧居留地90番出土の大砲 説明文より
「この大砲は、山下居留地90番地中からm昭和34年にオランダ製の11ポンド砲とともに出土した帝政ロシア製の32ポンド砲です。出土地では、かつてスイスの商社シーベル・ブレンクル商会(慶応元年・1865年創立)が営業していました。この大砲は同商会の取扱商品だった。使われなくなった大砲を錨に作り変えて、横浜に出入りする船舶に販売しようとしたもので、関東大震災によって地中に埋まってしまったものと推定される。
幕末・明治初期の外国人居留地と、そこで営業した外国商館の活動を知る事ができる貴重な資料で、横浜教育委員会より当館へ委託されたものです。
口径165センチ。 全長220センチ。 重量1690キロ。」
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神奈川県立歴史博物館常設展を見ます。
展示は、3階の展示室から時代順に見学できます。
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旧石器時代から古代。埴輪の顔が可愛いです!
古都鎌倉を中心とした鎌倉時代や 相模国分寺などの展示。
横浜開港時代や関東大震災。
そして現代の民族などに分けて順にみることができます。
2階に置かれていた大きな大砲に驚きます。
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思いがけない【眞葛焼】の展示がうれしかったです。
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常設展2階・近代のコーナーで、眞葛焼を一部展示替えを行いながら常時10点程度展示。
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眞葛焼は、開港後まもない横浜で、宮川香山によって始められたやきものです。
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渡り蟹は本物のようです。
これはすごいものを見ました。
世界を驚愕させた横浜生まれの眞葛焼(まくずやき)。
この次は宮川香山 眞葛ミュージアムにぜひ行きたいです。
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2015年10月28日

『没後100年 五姓田義松 −最後の天才−』・神奈川県立歴史博物館

横浜へ行きました。馬車道駅前です。
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この建物は 国の重要文化財である旧横浜正金銀行本店です。
ここに 「神奈川県立博物館」があります。
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神奈川県立歴史博物館入口です。神奈川県横浜市中区南仲通5-60
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開催中の『没後100年 五姓田義松 −最後の天才−』を見に行きました。
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入場券は 常設展とセットで1100円です。
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五姓田 義松 ごせだ よしまつ、安政2年4月28日(1855年6月12日) - 大正4年(1915年)9月4日)
明治時代最高の洋画家五姓田義松の没後100年展。
明治政府や皇室の依頼で、要人の肖像画も多く描 き 宮廷画家として活躍。
1878年より明治天皇の御付画家として北陸・東海地方の行幸に同行しました。
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前期・後期あわせて800点ほどの作品や資料だそうです。油彩画、水彩画、デッサンのほか、書簡や履歴書などの資料などがあり展示点数がものすごいです。きれっぱしのデッサンから 本格的な肖像画、手紙などもこれでもか・・というくらい並んでいます。
鉛筆、水彩、いずれも緻密で天才と言われただけあって 確かなデッサン力です。
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鑑賞の手引きなるものを貰いましたが読む暇もなく 展示物を見るだけで精いっぱいでした。
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鉛筆画や水彩画は初期のものもあれば 25際のとき留学したパリからの帰国後のもももあります。
旅先や東京・横浜の風景 人々の顔や町の風俗などが細かく描かれていて 明治維新の頃の様子がうかがえます。
習作のデッサンの数が多くて よくぞこんなに残っていたものだと・・・・
油彩画では 初期の「婦人像」や「自画像」などは10代で描いたのかと 驚きです。
肖像画や風景画の制作が主となっていきます。
作品には自画像や家族を描いたものが多くあります。
20歳で描いたという母の臨終の前日の姿を描いたという「老母図」は衝撃的です。
絵に関していえば 早熟の天才画家だったのでしょう。素晴らしい展示会でした。
【没後100年 五姓田義松 −最後の天才−】
2015年11月8日(日)まで
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2015年10月27日

本村八幡神社 土師竪穴住居跡・国分寺市

武蔵国分寺本堂脇から出ると小さな児童公園があって、公園の片隅には竪穴住居跡が残されています。
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市指定史跡「土師竪穴住居跡」
「 昭和31年、日本考古学協会仏教遺跡調査特別委員会によって、初めて武蔵国分寺跡の本格的な発掘調査が行われました。
この時、僧寺の金堂・講堂跡とともに薬師堂の西側でも調査が行われ、僧寺の寺域を境する北辺・西辺の両溝跡と寺域の内外に同時代の竪穴住居跡が四棟発見された。この中で、寺域内より発見された二号竪穴住居跡を史跡指定したものです。
この住居跡は、規模が4m×4.2mのほぼ方形で、煮炊きを行った竈が北壁に二ヶ所、東壁に一ヶ所設けられていた。住居内部からは完形の土器八点、完形の(せん)一点など多数の遺物が出土しています。
遺跡名称の「土師」は、当時一般的に使用されていた土器の一種類である土師器を指しており、「土師器を使用していた時代の」という意味です。国分寺市教育委員会」
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どれが 土師竪穴住居跡なのだろうと見渡して・・・案内板の後ろの空間に気が付きました。
案内板がなければ この小さな何もない場所が竪穴住居跡だなんてわかりません。
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児童公園の隣は本村八幡神社です。国分寺市西元町1-13-23
これは国分寺で最初にできた旧国分寺村の鎮守の森神社で、創設は元和年間(1615-1624年)と云われている。村人は季節の祭り事のたびにここに集まり、生活の中心としてきたそうです。
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本村八幡神社 祭神:応神天皇
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狛犬さん
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境内社として祓戸神社(瀬織津毘売神、速開都毘売神、気吹戸主神、速佐須良毘売神)、榛名神社(祭神:火産霊神、遠山毘売神)が祀られているそうですが 文字が薄れて読めないし 詳細不明です。
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武蔵国分寺公園の前を通り JR西国分寺駅に出ました。
今回の国分寺散歩はこれで終了です。
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2015年10月26日

武蔵国分寺薬師堂・国分寺市

本堂前の門を出て東に進むと 名主一族本多家の墓がたくさん並んでいます。
墓を通り過ぎると 石段があり中腹に仁王門があります。
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国分寺仁王門  市重要有形文化財
国分寺境内にあり、宝暦年間(1751から1764)に建てられた八脚門です。
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木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されています。
門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(向かって右・口を開けている)吽(向かって左・口を閉じている)の仁王像が安置されています。
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仁王門をくぐり長い石段を上ると 薬師堂があります。
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国分寺薬師堂 市重要有形文化財
「単層寄棟造の建物で、昔は萱葺屋根でしたが、昭和60年に銅板葺の屋根になりました。正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されており、10月ごろ年に一度の開帳日があります。また堂内正面 の額にある「金光明四天王護国之寺」の書は、深見玄岱(薩摩藩及び江戸幕府登用の儒書家)の筆によるものです。」
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木像薬師如来坐像は国指定重要文化財(大正3年4月17日指定)で 木彫寄木造りの坐像で、身長約1.7メートル膝開き約1.4メートルある。御開帳は毎年10月10日らしいです。
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現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。
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鐘楼と手水舎
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本堂の裏にまわると四国八十八ヵ所巡り石仏群があります。
四国八十八ヵ所巡り石仏群は、四国八十八ヵ所を模した石仏です。札所の番号や詠歌 など刻まれていますが風化したのか読めません。
また盗まれたり壊されたりした石仏もあり全部はそろっていないそうです。
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石仏群の後ろの藪に ぽつんと置かれていた石仏さま。
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再び石段をくだらなくても 本堂横から出ることができました。
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2015年10月25日

武蔵国分寺 万葉植物園・国分寺市

現在の武蔵国の国分寺です。
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医王山最勝院国分寺
山号 医王山 東京都国分寺市西元町1-13-16
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
銅造観世音菩薩立像ほか(東京都指定有形文化財)
仁王門ほか(国分寺市指定文化財)
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『医王山国分寺縁起』によれば、武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたという。その後衰退し、宝暦6年(1756年)頃に薬師堂が再建されました。
現在の本堂は昭和62年に改築されたものです。
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龍の彫刻が見事です。
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本来の国分寺とは奈良時代の741年、当時大流行していた疫病(天然痘)や飢饉から仏の力で国を守るため、聖武天皇の命で諸国に建立された官寺のことです。
律令制の元、国営寺院として全国に展開していた国分寺は他の寺院に姿を変えたり、あるいは消滅したようで 武蔵国分寺も、江戸時代の享保年間に再興されたものだといいます。
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境内には「万葉植物園」として、元国分寺住職が昭和25年-38年(1950 - 1963年)の間に万葉集に歌われた植物160種を集めて造った植物園があります。
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国分寺万棄植物園
 「万葉植物園は、国分寺が建立された頃、編まれた歌集で、中には万葉の歌人たちが植物に託してその心を歌ったものが多くおさめられている。そこで、跡を訪れる方々に、植物を通じ、またそれらを詠んだ歌を通じて当時の人々の考え方や生活などを知って、その昔をしのぶ一助にしてもらいたいとの意図のもとに造られたのがこの万葉植物園である。これらの植物は、当時住職星野亮勝が、昭和25年から38年までの13年間を費やし独力で採集したもので、現在では、当地にて栽植の及ぶ限り、約160種(他に各植物約700種)が8,019平方メートルで万葉植物は一括して 市の天然記念物に指定されています。
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各万葉植物ごとに植物の万葉呼名、和名万葉例歌及びその作者を載せた万葉例歌及びその作者を載せた説明板があります。
数が多くて全部は読めませんでした。
なじみ深い植物だけを見ました。
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2015年10月24日

武蔵国分寺楼門・国分寺市

お鷹の道遊歩道を歩きます。
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この場所にはベンチなども置かれていて一休みできます。
お鷹の道はこの辺りまでです。
散策路を抜けると 目の前に立派な楼門が表れて驚きます。
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前にまわって全体を見ました。
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国分寺楼門【市重要有形文化財】 国分寺市西元町1−13−16
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前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものです。
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板金葺の屋根で、江戸時代の建築様式をよくとどめた、風格ある建物です。三間一戸の楼門で、2階には十六羅漢像(現在13体)を安置しています。
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扁額には、『くにをわけ たからをつみて たつてらの すへのよまでも りやく のこせり』という弘法大師の御詠歌が描かれている。
ここをくぐると 現在の武蔵国分寺がある。
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武蔵国分寺
国分寺の境内は、万葉植物園にもなっています。
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2015年10月23日

武蔵国分寺跡資料館・国分寺市

おたかの道湧水園の案内図です。
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武蔵国分寺跡資料館に入ります。
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中に入ると 玄関に水槽が3つあります。
宇宙メダカとカワニナの水槽です。
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中央にある武蔵国分寺境内の模型です。
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発掘調査で礎石や大量の瓦などが出土しました。
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鉄製の農耕具も出土しました。
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出土品では、瓦の類が多いといいます。
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鐙瓦が展示されています。
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土器なども展示
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常設展示されている銅造の観音菩薩立像(国分寺市教育委員会蔵)は、1982年に、国分寺とその西側にあった国分尼寺との間の古代の道の跡の上面から発見された仏像です。
また 特別天然記念物のトキのはく製を武蔵国分寺跡資料館で常設展示中。
姉妹都市である新潟県佐渡市よりトキのはく製が貸与されたそうです。
資料館の裏手はすぐ林で 湧きでた水なのか 雨水なのかわかりませんが 建物に沿ってずいぶん水が溜まっていました。
おたかの道湧水園を出ます。
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2015年10月22日

「おたかの道湧水園」・国分寺市

「史跡の駅」です。全国にある「まちの駅」の一つです。国分寺市西元町1−13−6
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「おたかの道」と「カフェ」から「おたカフェ」と名付けられました。
トイレのある無料休憩所兼案内所で 「おたかの道湧水園」の入園受付業務も行っています。
ここで 入園券を買います。(100円)
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長屋門が入園口です。案内板に登録文化財 旧本多家住宅長屋門とあります。
旧本多家住宅長屋門 有形文化財(建造物) 東京都国分寺市西元町一丁目1574番1
「江戸末期/1848
木造2階建,寄棟造,亜鉛鉄板葺
「敷地の南端、T字路の突き当たりに建つ。桁行15m梁間4.5mの木造2階建、東西棟の寄棟造鉄板葺。1階は下見板張、2階は漆喰仕上げとする。中央を門口とし、両開戸と潜り戸を吊り、東側に座敷、西側に物置を配する。名主の風格を留める長屋門である。」
創建当時の当主本多良助は旧国分寺村名主・戸長,国分寺村長(現国分寺市)を5回務めている。
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入って左手に 倉があります。この雑然とした倉も重要文化財だそうです。
旧本多家倉
明治/1900/1933改修
木造2階建、鉄板葺、建築面積22u
登録有形文化財(建造物)
「敷地の西側に位置する。桁行4.5m梁間3.6mの木造2階建、切妻造鉄板葺の置屋根とする。東妻面を出入口、2階の東西妻面に開口を穿つ。内壁は板張とし、外壁は昭和の改修で目地を切るモルタル洗出しとする。時代の流行を反映した近代的な倉である。」
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この敷地は江戸時代に国分寺村の名主を務めた本多さんのお屋敷があったところです。
庭の名残らしき感じはします。
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入って右のほうに お鷹の道から見えた武蔵国分寺七重塔推定復元模型があります。
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武蔵国分寺七重塔推定復元模型は市内北町の田中為義棟梁が復元模型設計書を参考に10分の1スケールの縮尺で製作したものです。
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地元ボランティアのガイドさんが案内してくれ奥へと進むと 「おたかの道湧水園」湧水群観察ポイントがあります。
敷地の多くは竹林や雑木林で、湧水ポイントの一つになっています。
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拡大してみました。木の根のあたりの穴が湧水源です。
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園内北側は国分寺崖線になっていて、崖線一帯には湧水源など自然環境が残されています。
緑地保全地域になっています。
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ボランティアのガイドさんが めずらしいものを見せてくれました。
キチジョウソウ(吉祥草)です。
スズラン亜科の常緑多年草。ヤブランにやや似た穂状花序で茎は紫色。
花は白い花被が基部で合生し筒状となっている。果実は赤紫色の液果。
花が咲くと縁起がよいといわれるので、吉祥草の名がある。
「いいことありますよ〜」で ほこっとしました。
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こちらは 武蔵鐙 (むさしあぶみ)
花の特徴は「雌雄異株。テンナンショウ属特有の肉穂花序(花軸が多肉化して花が表面に密生したもの)を出す。花をつつむ仏炎苞のかたちが武蔵の国で作られていた馬具の鐙(あぶみ)に似ていることからこの名前になった。
つぶつぶの肉穂から 花になると 里芋の花のような鐙のかたちになります。
全草有毒だそうです。
次 ガイドさんと別れて武蔵国分寺跡資料館に入ります。
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2015年10月21日

お鷹の道・国分寺市

少し先に野菜直売所があります。
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立派な蔵で 「本」の字が白壁にくっきりと浮き上がってます。
このあたりの農家は本多姓が多いです。
この辺の大地主が本多家という一族で 鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで国分寺が消失したのち どんどん開墾していったらしいです。
屋敷の表札もお墓の名も 本多家ばかりです。
江戸時代に分家し 本多新田を開墾したため崖の上 線路向こうにもに本多という地名が残っています。
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水辺沿いに散歩道が続きます。
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名水百選 ホタルの住む川 
ホタルの幼虫が餌にしているカワニナやタニシも生息しているらしいです。
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崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ−トルを遊歩道として整備 されています
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お鷹の道・真姿の池湧水群【全国名水百選・都名湧水 】国分寺市東元町3丁目・西元町1丁目
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたことから“お鷹の道”と名づけられました。現在遊歩道として整備され、多くの人々に親しまれています。
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崖線沿いハケの斜面は鬱蒼たる林があります。こう言った林を「ハケの森」と呼んでいます。
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ハヤシの中に見えている 七重の塔のレプリカです。
おたかの道湧水園の中にあります。
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地図です。
次 おたかの道湧水園に行きます。
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2015年10月20日

真姿の池湧水群・国分寺市

僧寺北東地域から つづら折りの急な石段を下りていくと崖の途中に赤い鳥居が見えます。
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小さな祠です。
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稲荷神社です。
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稲荷神社の下は遊水地らしく水が流れています。
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真姿の池湧水群 ハケ直下の湧水源です。
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名水百選指定地だそうです。
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東京都指定名勝の説明板がありました。かなり汚れています。
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真姿の池
「真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、 上記の「お鷹の道」と合わせた環境の良さを評価され、環境庁の「全国名水百選」のひとつとしてに選ばれました。また、東京都 の名湧水57選にも入っています。」
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真姿の池と真姿弁財天
その昔不治の病に冒されたある美しい姫が池の水を浴びたところ、見事に病が治癒して元通りの美しい姿に戻ったと伝えられているのが、この真姿の池。
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真姿弁財天
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真姿の池湧水群
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<真姿の池湧水群>
「真姿の池は、都内では青梅市の御岳渓流とともに環境庁の「名水百選」に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」の一部であり、東京都の都市計画国分寺緑地にも指定されている。また周辺は東京都の国分寺崖線緑地保全地域にも指定されている。
真姿の池の名の由来は、嘉祥元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分寺を訪れて21日間参詣すると、1人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、そのとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った。それから人々はこの池を真姿の池と呼ぶようになったという伝説からきている。真姿の池は『新編武蔵風土記稿』に「広さ二間四方ばかり、池中の孤嶼に弁天の祠宇を置く、この池水も田地へ灌ぐ」とある。
周辺の雑木林は、下草の刈り払いが行われて管理が行き届いており、国分寺崖線の雑木林景観がよく保存されている。国分寺崖線とは国分寺から小金井・三鷹・調布・狛江を経て世田谷の等々力渓谷に至る標高差約15メートルほどの崖線で「ハケ」と呼ばれている。東京を代表する湧泉の価値を文化財として評価された最初の自然地理的名勝である。東京都共育委員会」
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2015年10月19日

史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)・国分寺市

殿ヶ谷戸庭園を出て 国分寺駅前から坂を下ります。
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青い線が今回歩く道です。
現国分寺の東側の敷地一帯が史跡に追加指定され、市立歴史公園として整備されました。
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いくつもの史跡が点在しています。
最初に通ったのが史跡武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)です。
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国分寺崖線の上で発見された武蔵国分僧寺の北側境界の区画溝が、復元展示されています。
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史跡 むさし国分寺跡 北辺区画溝  所在地 国分寺市西元町1-1
公園内の北側には、僧寺伽藍地の北限を区画する溝が存在しています。
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素掘りの溝は、幅2.1〜3.0m、深さ0.8〜1.2mあり、ここでは地下に埋没した溝の様子を復元した断面を見ることができます。
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僧寺北東地域)は金堂、講堂、七重塔などの主要建物がおかれた僧寺伽藍地の北限の境界溝がある公園です。
武蔵国分寺跡【国指定史跡】
「奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じました。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。
武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとに認められており、大正11年に国指定史跡に指定されています。
所在地  国分寺市西元町1丁目から4丁目付近」市の説明文より
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2015年10月18日

殿ヶ谷戸庭園4・国分寺市

本館展示室です。
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殿ヶ谷戸庭園に関する様々な資料を展示・公開している建物です。
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本館は岩崎彦彌太の別邸として、昭和9年に建てられた洋館です。
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内部は日本間と洋間が融和した和洋折衷の形。 現存しているのは白い部分だけで ごく一部です。
しかし 残っている部分だけも相当広い建物です。
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殿ヶ谷戸庭園の歴史が写真とともに紹介されていますが 江口時代の建物は 「随宜園」の額以外は一切残っていません。
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昭和初期の所有者であった三菱財閥の岩崎家食堂が現在の展示室です。
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デルビル磁石式卓上電話機
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「展示室シャンデリア」は岩崎家食堂のものを再現したそうです。
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岩崎家時代の建物と食堂のパネルです。
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中門を出ると 左に蔵が見えます。
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「岩崎家が昭和13年頃に新築した倉庫。2階建て鉄筋コンクリートの堅牢な造り。
2階へは滑車で荷物が運搬できるようにした。
関東大震災を教訓にしたと言われています。
また戦時中は岩崎家の書画骨董が運び込まれました。」説明文より
見かけは 堅牢ですが 蔵らしくない 大きな建物で2階建ての1軒家ほどあります。
道路沿いからも見えます。
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2015年10月17日

殿ヶ谷戸庭園3・国分寺市

池の上にあるのは茶室・紅葉亭です。
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昭和4年に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取った際 津田鑿の設計で洋風邸宅や数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備しました。
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現在でも茶会や句会などに使用することができます。
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「紅葉亭」の北側部分は休憩所として使われています。
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ここからの眺めがたいへんに美しいです。
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秋の紅葉時はとても美しいそうです。
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井戸水を利用した鹿おどし(ししおどし)
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ししおどしの起源は、1641年、江戸時代の詩人石川丈山が京都に開いた庵「詩仙堂」に由来。裏山の鹿から畑の作物を守ることが本来の目的だったため、「鹿威し」と書く。
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ハケ上の散策路を歩きます。
殿ヶ谷戸庭園は四季折々の植物に出会うことができる庭園です。
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今は秋の七草
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本館・展示室前の芝生広場です。
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2015年10月16日

殿ヶ谷戸庭園2・国分寺市

武蔵野台地の起伏をうまく利用して造られた庭園です。
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台地から低地にかけて崖地になっています。
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このあたりの斜面は花木園。
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竹の小径
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孟宗竹の小道からのぼりになります。
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左下に池が見えてきます。
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次郎弁天池
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次郎弁天池の水源はかつて次郎弁天の湧水と呼ばれる名水でした。灌漑のために利用されたり、鷹狩の休憩地にも使用されていたそうです。次郎弁天という名前の由来は不明だそうです。
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次郎弁天池は、園内に湧き出ているハケの湧水を堰き止めて造られています。
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池の上のほうには馬頭観音がありますが 行きませんでした。
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展示室案内の写真より
国分寺市内に残る11基の馬頭観音のひとつです。
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国分寺崖線は古来より「ハケ」と呼ばれ湧水を供給し続けてきました。園内にも東京都の名湧水57選に選出された湧水を有しています。
水地点です。湧水量は約37リットル/分で、水温は年間を通して15〜18℃だそうです。
上にみえているのは 紅葉亭です。
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2015年10月15日

殿ヶ谷戸庭園1・国分寺市

国分寺駅南口です。
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ここから徒歩2分。都立殿ヶ谷戸庭園に行きました。
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殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は、東京都国分寺市にある有料の都立庭園。
殿ヶ谷戸庭園(随♂)(ずいぎえん)
国分寺市南町二丁目
21,123.59平方メートル(平成27年7月1日現在)
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園内は自然の地形を生かした回遊式庭園となっています。国の名勝に指定されています。
史跡名勝天然記念物
「武蔵野段丘の段丘崖(国分寺崖線)に立地し、その縁辺部の湧水と傾斜面の雑木林など豊かな自然環境を生かした風致景観は優秀であり、芸術上の価値は高い。」
庭園の名称は、昔この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来している。
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 「武蔵野の自然の地形、すなわち段丘の崖にできた谷を巧みに利用した和洋折衷の「回遊式林泉庭園」。 ここは、大正2年から4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年には三菱財閥の岩崎家の別邸となりました。昭和40年代の開発計画に対し本庭園を守る住民運動が発端となり、昭和49年に都が買収し、整備後、有料庭園として開園しました。
 平成10年には、東京都指定の文化財(名勝)となり、平成23年に国指定の文化財(名勝)となりました。」説明文より抜粋
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手入れのいきとどいた芝生広場です。
入口からのモッコクの林を抜けると、アカマツと芝生の広い空間が広がっています。
「1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭される。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備。」
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園内散策路の順路に従い歩きます。樹林で雰囲気が一変する造園手法がみどころ。
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花は終わっていましたが 萩のトンネルです。
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萩のトンネルをぬけると藤棚。
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崖と湧水池。
国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた次郎弁天の池があります。
ハケの湧水は野川へと流れていきます。
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拡大図
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殿ヶ谷戸庭園(随♂)
藤棚から ハケ下へと下りていきます。
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2015年10月14日

三鷹市山本有三記念館

風の散歩道沿いにあるのが 三鷹市山本有三記念館です。
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三鷹市山本有三記念館(三鷹市下連雀二丁目12番27号)
三鷹市山本有三記念館は大正末期の本格的な洋風建築です。
昨年訪問した時に 屋内・屋外と細かく写真を写したので今回はほとんど写しませんでした。
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今の時期は東京都文化財ウィークの期間ですから 関係する施設ではいろいろなイベントをやっています。
ここでも スタンプラリーをやっているようです。
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1階は常設展です。有三ゆかりの品々が展示されています。
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「史実と創作―有三が描いた歴史」展
会期:2015年9月12日(土)〜2016年3月6日(日)
2階の3つの部屋では企画展です。
山本有三の作品の中で約3分の1を占めているのが歴史物のジャンルです。
「西郷と大久保」や「ウミヒコ・ヤマヒコ」など、有三の史劇と歴史小説を一挙に展示しています。
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「作家・山本有三が1936年から1946年まで家族とともに住んだ家を記念館として公開しているものです。
大正末期に建てられた本格的な洋風建築で、石を自然に積み上げたような煙突や、個性的にデザインされた3つの暖炉が見どころです。
希少な建築物として1994年に三鷹市の文化財に指定されました。」
記念公園になっている庭園もとてもいい庭で たくさんの人がスケッチをしていました。
どうやら 公募展があるようです。
山本有三記念館写真等は昨年のブログに載せています。
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2015年10月13日

太宰治文学サロン〜風の散歩道

三鷹市芸術ギャラリーから 徒歩2〜3分のところに太宰治文学サロンがあります。
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太宰治文学サロン 東京都三鷹市下連雀3-16-14
ビルの1階にある 小さなサロンです。
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この文学サロンのある場所は通っていた伊勢元酒店の跡地だそうです。
「太宰治文学サロンは平成20(2008)年の歿後60年と翌年の生誕100年を記念して、太宰が通い「十二月八日」に登場する、伊勢元酒店の跡地に平成20年3月に開設されました。」説明文より
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太宰治は、38歳という短い生涯の中で昭和14年9月より三鷹の下連雀に家族とともに移り住み、疎開期間を除いて約7年半を過ごしています。
三鷹での太宰の写真、太宰ゆかりの場所の地図などのパネル展示のほか、太宰直筆原稿(複製)、初版本などの資料や解説文を紹介しています。愛用した火鉢も置かれていました。企画ごとに展示の入れ替えがあるそうです。
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サロンを出て 玉川上水沿いの風の散歩道を歩きます。
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太宰治が入水したと思われる地点に記念碑文がありました。
昨年の桜桃忌にもこの場所を歩いています。今回は二度目の散歩です。
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玉鹿石(ぎょっかせき)
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太宰治の故郷、青森県五所川原市金木町特産の銘石)
風の散歩道を むらさき橋からさらに先に進みます。
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2015年10月12日

川崎のぼる 〜汗と涙と笑いと〜 展・三鷹市美術ギャラリー

三鷹市美術ギャラリーに行きました。
三鷹駅から直結 CORAL(コラル)5階にあります。
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三鷹市美術ギャラリー    東京都三鷹市下連雀3-35-1
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川崎のぼる 〜汗と涙と笑いと〜 展
2015年 8月1日(土)〜10月12日(月・祝)
川崎のぼるはマンガ家です。
梶原一騎が原作を書いた「巨人の星」の作画を担当したマンガ家と言えば 誰もがおもい当たるのではないでしょうか。
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1967年から三鷹市に居住し生み出された作品など、戦後マンガ史と共に歩んだ川崎のぼるの約60年にわたる画業をふりかえるものです。
第1部 一球入魂 〜「巨人の星」連載開始
第2部 一騎当千 〜汗と涙と笑いと
第3部 一意専心 〜マンガ家・川崎のぼる誕生
第4部 一所不在 〜少年誌から青年誌へ
第5部 心機一転 〜絵本・イラスト・熊本での活動
各所に 関連グッズ、特にフィギュアが置かれています。
会場内には川崎のぼる文庫があり 読むことができます。
ファンにはたまらない 展示会でしょうね。
最後に川崎のぼるの執筆道具がありました。
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会場外には撮影コーナー
星一徹がテーブルをひっくり返す名シーン。後ろに立って写真を撮ります。
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鏡に自分を映して、星一徹に怒られているカットが撮影できるコーナーです。
ギャラリーですから そんなに広いわけではありません。
人は パラパラ程度でしたが 熱心に見ている人もいました。
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2015年10月11日

伊豆の長八―幕末・明治の空前絶後の鏝絵師・吉祥寺美術館

武蔵野市立吉祥寺美術館に行きました。
コピス吉祥寺の7階にあります。以前このビルには伊勢丹吉祥寺店がありました。
3基あるエレベーターが1基しか動いていなくて・・・待ち時間が長くてみな イライラ。
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武蔵野市立吉祥寺美術館
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-16
生誕200年記念 伊豆の長八 ―幕末・明治の空前絶後の鏝絵師
?2015年9月5日(土)〜10月18日(日)
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東京では初めての伊豆長八の展覧会で 地元・松崎の伊豆の長八美術館の所蔵作品を中心に、静岡県内や都内近郊の寺院・個人宅に伝わる貴重な長八の鏝絵や漆喰細工など約50点が出品。
塗額からはじまり、塑像、掛軸、ランプ掛け、建築装飾、特殊作品とカテゴリーごとに展示されています。
会場が狭いので びっしりという感じで並べられています。
入場者がとても多くて それもじっくり見る人がほとんどで ぶつかったりもしました。説明文が下すぎて腰をかがめないと読めないので通路をふさぐのです
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拡大図
幕末明治前期の江戸/東京で活躍した伊豆・松崎出身の左官であった伊豆の長八(本名:入江長八1815−1889)は 漆喰壁に鏝を使った浮彫と彩色を施した装飾「鏝絵」の随一の技を餅 建築・調度・塗額などの上に傑作をつくり上げていきました。
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会場で撮影可だった壁の説明写真。漆喰の作り方。
鏝絵は立体的であるのはもちろんですが 繊細な描写はまるで細筆をつかったような 鏝さばきです。
写実的で繊細で その細やかさには驚きます。
会場最後には いろいろな大きさのコテが並んでいました。
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これも撮影可の場所
鏝絵だけでも素晴らしいのに、塑像や 狩野派の絵師・喜多武清から学んだという日本画もレベルが高いです。
建築装飾は江戸にも多くの作品を残したそうですが、震災や戦災で残っているものは数少ないそうです。
その中でも残された土壁の鏝絵なども展示されていました。
江戸時代 西洋のように油絵具で絵を描くことがなかったので 漆喰をつかい立体的に仕上げる鏝絵はさぞかし斬新で素晴らしいものだったのでしょうね。
いつの世にも 町の中にも秀でた天才という人物は存在し 後世にその文化を伝えていくのですね。

同時開催
浜口陽三記念室
ささやかに、閃光 ―小品を中心に―
2015年7月2日(木)〜10月18日(日)

萩原英雄記念室
あじさいの頃…萩原英雄の青い世界
2015年7月2日(木)〜10月18日(日)
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2015年10月10日

八芳園庭園3・白金台

池のまわりを歩きます。
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角亭です。四阿は休憩するにふさわしい場所に自然に溶け込んで置かれています。
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角亭の辺りから池を見ると 二筋の沢飛石の連なりが見られます。
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「その昔、この付近の丘陵地帯に沼があり、そこから流れていた川の跡を池にしたものです。昔は、農業用水として使われており、池の上方には水車小屋があったとも言われています」ということです。この「沼」とは旧・今里村(白金台1丁目付近)にあった玉縄池(玉名池)という湧水池(現存せず)で、古くは玉川上水の分水である三田用水の水も通じていたそうですが、とにかく、その池から流れ出た玉名川の水をせき止めて池としたようです。ちなみに玉名川は古川(渋谷川)の支流で、新古川橋付近で古川に合流していました。もちろん、現在は暗渠化されています。」池の説明文より
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水亭
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八芳園の庭園は「樹」「石」「水」「土」を絶妙に配置し 自然のままを再現。
池の現在の水源は地下水の汲み上げということです。
鯉が泳ぎます。
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井戸らしきものも・・・
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園路を巡り 散策路を戻るとき 道標を見つけました。
南 江戸へ・・と読めます。
どこにあったものなのでしょうか・・・
自然を残し 自然を生かしたとてもいい庭園で 心落ち着きました。
紅葉の時期はさぞかし 美しいだろうな〜と思いをはせ 八芳園をでました。
タグ:庭園・公園
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2015年10月09日

八芳園庭園2・白金台

八芳園庭園は久原房之助がこだわった「自然のまま」を基本理念としています。
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自然に溶け込んでいる 丸亭。
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緑の中に茶室があります。
茶室 霞峰庵(Kahoan)
旧・久原邸より移築されたものです。
「霞峰庵」は、「久原房之助」の雅号です。
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霞峰庵は、入母屋桟瓦葺きで、深い庇は銅板葺きです。茶席は三畳台目向切の小間の席で、躙口の他に濡縁のついた貴人口が設けられてい ます。
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結婚披露宴会場白鳳館
実はこれが八芳園の中でも最上級の場所らしいです。
和風の一軒家を貸しきりだそうで 座敷は144畳敷の広さで都内屈指の大広間。
日本建築の枠を集めた建物だそうです。
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八芳園の庭園内には2つの茶室がありますが これは「茶室 夢庵」
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明治時代、横浜の貿易商 田中平八によって建てられた茶を移築したものとのこと。
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庭の端に置かれた灯篭。
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瓦土塀(練塀)
弥陀六の灯籠
 「源氏によって滅ぼされた平家の供養のために彫られたと伝わる灯籠。各地の平家敗戦の地に建立されたが、現在、無傷のものはこの一基だけ」
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八芳園の庭園内の大護神社は、神武天皇、明治天皇をはじめ、明治維新の志士を御祭神とする神社。
建国記念日である本日2月11日が祭日です。
タグ:庭園・公園
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2015年10月08日

八芳園庭園1・白金台

八芳園正門です。東京都港区 白金台1-1-1
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八芳園正門として利用されているこの門は、明治時代の渋沢邸だった時の屋敷門だそうです。
結婚式場や料亭、レストラン などが敷地内にあります。
実はこの中にあるスラッシュカフェを利用したくて 行きました。
警備の人がいて カフェの利用を告げると たったいま大型バスが2台入って90分ほどは貸し切り状態です。と・・・
その間 中に入って散策していいと庭の散歩マップを渡してくれてました。
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八芳園は「庭園のみの見学はご遠慮ください」とのことで 利用者だけが庭に入れます。
右手に下っていきます。
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八芳園・壺中庵(旧久原房之助邸)が見えます。現在は料亭。
江戸時代初期、徳川家康の側臣の一人である、大久保彦左衛門の下屋敷と言われ、5万平方メートルの広大な敷地を持ち、大正時代には政財界の巨峰・久原房之助氏の別荘としての歴史を持つ名園。
「四方八方どこから見ても美しい場所」という意味を込めて「八芳園」と命名。
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木戸門
こから庭園に入ります。なだらかな起状に富む日本庭園が広がります。
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十三層塔 江戸時代中期の元文年間の銘が刻まれている御影石の層塔で伊賀の上野にあったものといわれています。
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六角亭。ここでしばし休憩。hapouen1 (3).JPG
「東京白金台の自然の丘陵と小川跡を利用してつくられた八芳園は、樹齢数百年の樹木や渡り鳥の姿等を見ることのできる由緒ある日本庭園です」
もらった マップを見ながら芝生の前を 左に進みます。
道沿いにたくさんの盆栽が並ぶ通称盆栽ロードです。hpoenniw (1).jpg
樹齢何百年もの みごとな盆栽ばかりです。
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奥に見えるのは壺中庵。
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白金台の丘陵と小川の跡を利用した庭園です。茶席が見えています。
上段は広い芝生広場 斜面はきれいに刈りこまれたサツキやツツジ、下部には池があります。
タグ:庭園・公園
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2015年10月07日

目黒通り〜桑原坂・白金台

白金台駅の前の目黒通りを八芳園のほうに歩くと右手に瑞聖寺(港区白金台3-2-19)があります。
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ここは、江戸時代からの由緒ある禅寺で、 本堂は明様式を伝える江戸中期の黄檗宗仏殿として国宝に指定されています。
今回は立ち寄らずその先を右に曲がります。
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桑原坂(くわばらざか) 港区白金台一丁目と三丁目の境界
説  明: 今里村の地名のひとつである。その起源について特別の説は残っていない。
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この坂は八芳園前をから桜田通りのほうに下っています。
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すぐ先に小さな稲荷神社があります。
古地老稲荷神社(こじろういなりじんじゃ) 東京都港区白金台1-5
「昔「江戸の名物は火事」といわれたほどで火伏せの稲荷信仰がさかんでありました。 中でも古地老稲荷さまは 「あが縁日の存続する限りこの地に出火をみせじ」 との強いご神託より、文政十三年、日吉坂上に鎮座されたもので、しかも縁日には霊妙不可思議にも必ずといってよいほどに雨のおしるしがある。 土民その霊験をかしこみ、 火伏の稲荷、人丸様、 火止る様とも呼び、お祀りしました。 この境内に、大正四年六月石刻連名の方により、 遷宮され、ご神託どおり歴史に出火のないこと、 わけても大正十二年九月一日の関東大震災にも第二次世界大戦空襲にも、火災を免れたのは祭神のご利益と信仰し昭和二十年迄は、神前に神楽、余興を奉納し、盛況でありました。」案内板より
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地元の人々が守り続けている火伏せ稲荷神社。
江戸の大火、関東大震災、第二次大戦のすべての火を避けたという。またこの神社の縁日には必ず雨が降るという言い伝えもあるようです。
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隣は八芳園入口です。
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2015年10月06日

東京大学医科学研究所・白金台

目黒通りと外苑西通りに囲まれている東京大学医科学研究所の敷地内を通りました。
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白金台駅2番出口すぐです。
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正門前です。
研究所敷地内には附属病院があります。
近代医科学記念館も設置されています。
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正門扉の模様。本郷などの東大の門の模様も立派でそれぞれ違います。
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東京大学医科学研究所本館(1号館)
1892年、ドイツ留学から帰国した北里柴三郎の研究のため福沢諭吉が私財を投じて設立した研究所が、「大日本私立衛生会附属伝染病研究所」
初代所長の北里柴三郎は、伝染病研究所が内務省から文部省に移管され東京大学に合併される時、移管に反対して所長をやめ 北里研究所をつくりました。
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東京大学と同じ 内田祥三の設計で内田ゴシックと呼ばれる意匠です。
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本館は連続した建物で大型のアーチが連なる車寄せがあります。
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東京大学医科学研究所本館(1号館)
旧東京帝国大学附置伝染病研究所 1937(昭和12)年
設計 : 内田祥三
施工 : 大倉土木、大林組
東京都港区白金台4-6-1
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褐色のタイル貼りが施されていて、本郷の東大とそっくりで どこにいるのか混乱しそうです。
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東京大学の本郷や駒場キャンパス校舎などを多数設計した内田祥三氏の「内田ゴシック」といわれるデザインパターンのゴシック調の建物で 1号館は長い連続した建物です。
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西門を出ると プラチナ通り。松岡美術館が近いです。
ノーベル賞受賞で脚光をあびた 北里研究所(付属病院 大学白金キャンパス)はこの敷地の少し北にあります。
タグ:建物
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2015年10月05日

松岡美術館・常設展

1階は常設展です。
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現代彫刻室内にはヘンリー・ムアの大きな像が3点
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古代東洋彫刻展示室には多数の石造彫刻群
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ずらりと並ぶ石像
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わが国では珍しいインド中世ヒンズー教神像彫刻の数々
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緻密な彫刻
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エジプトのブロンズ神像や浮彫、ギリシア・ローマの大理石像などの展示室
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セクメト女神
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エジプト彩色木棺
1階ホールには 正面ロビー中央にブールデル「ペネロープ像」もあります。
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アンケート1位に輝いたのはジャコメッティ 猫の給仕頭です。
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ディエゴ・ジャコメッティ / 『猫の給仕頭』 (1967)ブロンズ 松岡美術館蔵
しなやかな猫の姿がなんともいえません。
なんとなく宮沢賢治の猫の事務所の童話を思い出しました。
タグ:芸術鑑賞
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2015年10月04日

わたしの好きなシロカネ・アート・松岡美術館

白金台駅です。
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シロカネーゼの愛称で呼ばれていたころもあったかなぁ・・と思いつつ 今では庶民的なドンキホーテや100均の店 スーパーなどが並ぶのを見ながら プラチ ナ通りを歩きます。
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松岡美術館  東京都港区白金台5-12-6
ここは いいものを展示してくれるのでよく行きます。
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玄関前の羊像
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「創立40周年記念 特別企画  わたしの好きなシロカネ・アート Vol.3 もう一度会いたい、松岡コレクション」展。
2015年創立40周年を迎えた松岡美術館は約1800点の松岡コレクションの中から、お客様のリクエストの多かった作品を選出し 1年かけて 展示していくという企画です。
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第3回目(Vol.3)は、2007年から2014年までの8年間のアンケートからいままで展示機会があまりなかったため、順位は低いものの心に残っ た、古代オリエント遺物、東洋の陶磁器と玉器、日本とヨーロッパの絵画を展示。
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ここは撮影自由なのがうれしいです。
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清次郎と美術館のあゆみ 創立者・松岡清次郎の愛蔵品を初公開
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「人はどんなに偉くなっても、やがて忘れられる。
 そこへいくと、古代の第一級の美術品はずっと後世に残る。
自分が集めたものを、未来の人々に鑑賞してもらう。これが私の夢ですよ」
松岡清次郎
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これまでの数多くのポスターがずらり。
なつかしいものもたくさんありました。
タグ:芸術鑑賞
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2015年10月03日

蔵王権現と修験の秘宝・三井記念美術館

三井記念美術館(東京都中央区日本橋)に行きました。
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特別展 蔵王権現と修験の秘宝 平成27年8月29日(土)〜11月3日(火・祝)開催中
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チケットです。
修験道の根本聖地である金峯山寺 、鳥取の三佛寺の蔵王権現像を中心に 修験に関わる仏像や多数の蔵王権像展示。
三佛寺の投入堂などの写真もところどころにありました。
「天空の神と仏の世界」と銘打った展示会です。
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パンフレットです。
「修験道は、日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教、陰陽道などが習合した日本独自の宗教で その主尊が蔵王権現。役小角が吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。」
修験道の開祖と言われる飛鳥時代から奈良時代の人物 役小角 (えんのおづぬ = 役行者) さんの像もいくつか展示されていましたが 表情が悟りというか 穏やかなので驚きました。
展示室には大小 同じポーズの蔵王権現像が並びなんとなく かわいらしい感じがしました。
蔵王権現、右足を蹴り上げ、右手に三鈷杵、左手は剣印、三眼の忿怒相という姿なのです。
別室には国宝 藤原道長の経筒や 掛仏や銅鏡なども多数展示。
吉野の仏像 如意輪寺の蔵王権現像(重文・鎌倉時代)の衣や火焔光背の赤が綺麗に残っていて驚きました。

三佛寺(三仏寺)の狛犬が風雪にさらされ顔を失った狛犬などが・・
そして平安時代の木造の蔵王権現像がたくさん並んでいました。
髪をさかだてた、荒々しい表情は 不動明王や愛染明王を思い起こさせました。
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「秋の3館めぐり」三館合同キャンペーン
・三井記念美術館 「蔵王権現と修験の秘宝」 8/29-11/3 ・根津美術館 「根津青山の至宝」 9/19-11/3 ・五島美術館 「一休―とんち小僧の正体」10/24-12/6
観覧済み入館券を慶事すれば、ほかの2展覧会の入館料が割引になります。
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お昼は日本橋のたもと 日本橋川を眺めながらいつもの 越前そば。
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福井のおろしそば。鰹節 ねぎ おろし汁をそばにぶっかけていただきます。
久しぶりに 御清水庵 清恵。
今回は 季節もののハモのミニ天丼を付けていただきました。
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2015年10月02日

東京駅ぶらぶらと・・

はとバスに乗った9月18日 東京駅丸の内駅南口前のKITTE 1階アトリウムを通ったら 天井にこんなものが・・・
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21日が日本郵便のキャラクター「ぽすくま」の誕生日だそうで そのイベントだったらしいです。
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これは 東京ステーションホテルのスイートルームの窓から見た 行幸通りの真下 地下通路です。
ここは両側の壁のウィンドウがギャラリーになっています。
ちょうど 世界の鉄道 駅の写真が展示されていました。
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東京駅丸の内地下にある スレート108枚を組み合わせた壁画「輝き」
石絵は、縦1.9メートル。横2.5メートルほどで 雄勝町の小中学生150人の力作です。
東京駅のドーム屋根材には、宮城県石巻市の雄勝(おがつ)地区産の建設資材「天然スレート」が使用されています。
 「東日本大震災の直後、同地区は巨大な津波に襲われ、復元工事のため、市内の文化財修理会社が保管していた6万枚以上のスレートも広範囲に流失しました。その後業者が2週間かけて回収し、約4万枚が駅舎の屋根に用いられました。」
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「この石絵は東京駅舎に使用されている屋根材同様の雄勝産天然スレートを20p角に加工し1枚ずつ子供達が彩色した108枚を組み合わせ一つの大きな石絵にしたものです。富士山を照らす旭日は勇気の光、星は希望の輝きで大地を照らすこの作品は、被災から復興へ立ち上がる日本を象徴したものです。
この石絵が東日本大震災後の復興と更なる発展・進化のシンボルとして震災により被災した全ての子供達の勇気と誇りの源となり、未来に向けて語り継ぐものとなることを願ってやみません。」説明文より

地下連絡通路を通り 八重洲側の大丸地下街へいきました。
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職人が手作りする様子を見ることができるアートキャンディ専門店「パパブブレ」
FLASH無しの撮影可の表示がありました。
ガラスの仕切りの中で実演がはじまりました。
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鉄板の上に20kgもの鍋から熱々の飴を流し、色をつけて練り、伸ばして重ねてさらに伸ばし、柄入りキャンディをつくります。
数人で 伸ばしていきます。面白いくらい伸びていきます。
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最後は棒状にしてカット。できあがりです。袋に詰めて販売。
試食もできます。この時間は チョコバナナ味の飴でした。
キャンディライブ実演
約1時間毎に1日7〜8回実施だそうです。
タグ:観光
posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 千代田区