2015年07月31日

伝通院 徳川家ゆかりの墓

伝通院には徳川家ゆかりの墓が多数あるのですが ひとつひとつ調べるわけにもいきません。
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一族揃って・・という感じです。
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家斉さんは特定されるだけで16人の妻妾がいて 子だくさんだったそうですから 墓の数もそれ相応に多いのでしょうけど・・・
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子供の頃に早死にした人もいたでしょう。
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震災で倒れたままの墓もあって・・・いずれ修復するのでしょうか・・・
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一段高いところにある立派な墓。
どなたのか ・・・・近寄れませんが「霊鏡院」という法名が見えます。
十一代家斉十六女 ョ胤正室 文姫(霊鏡院殿)の墓なのでしょうか・・・
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正室とは離れたところにある 徳川家康の側室・於奈津の方の墓です。
家康の死後、仏門に入り清雲院と称したお奈津(於奈津の方)は、家康の側室として唯一、小石川伝通院に葬られました。
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伝通院には 徳川家のほか文士・名士・歌人などの墓もあります。
墓は徳川家だけ にしました。
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2015年07月30日

伝通院 孝子の墓 他

千姫の墓の対面に説明書きがあるのが孝子の墓。
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孝子の墓
孝子の墓 (区指定史跡)
慶長7年〜延宝2年(1602〜1674)。孝子は三代将軍家光の正室、前関白鷹司信房の娘。元和9年(1623)京都から江戸に下り江戸城西の丸に入る。寛永2年(1625)家光と結婚するが、公家出身で武家の生活になじめないまま73歳で没す。
東京都文京区教育委員会 平成2年3月
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鷹司孝子 本理院殿照譽円光徹心大禅定尼。
父は鷹司信房、母は佐々成政の娘・輝子(岳星院)
高野山大徳院に御遺骨を分骨して納められている。
孝子の墓の前には亀松君の墓。
説明書きがあるのは孝子までであとは案内図を見るしかないです。
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徳川亀松墓
 (1643年 - 1647年) 月渓院殿。3代将軍徳川家光の次男。
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徳川家宣 次男 家千代君墓
智幻院殿露月涼華大童子
笠の一部が欠けている
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徳川家宣 三男 大五郎君墓
理岸院殿月光秋華大童子
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徳川綱吉 養女 喜知姫墓
智法院殿栄誉本香良薫大童女
案内板がないし みな似ているので写真だけではよくわかりませんが たぶん・・・そうじゃないかなぁという程度。
戒名・法名を書き写すべきでした。でも 近寄れなくてねぇ・・・
間違っていたらごめんなさい。
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2015年07月29日

伝通院 於大の墓・千姫の墓 

本来墓地は好きじゃないので 著名人などの墓があっても墓を見に行くことはしないのですが ここは徳川の女たちが眠る場所。
区の指定史跡になっています。
それに伝通院の墓地は 墓びっしりという感じではなく穏やかな感じがします。
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柴田錬三郎や佐藤春夫などの文化人も多く眠っています。
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於大の墓 (区指定史跡)
享禄元年〜慶長7年(1528〜1602)、徳川家康の生母。三河(愛知県)刈屋の城主・水野忠政の娘。天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚、翌年に家康を生む。
後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝に再婚するも人質として織田方や今川方を転々とするわが子家康を慰め、音信を断たなかったという。
法名、伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼にちなみ、この寺の通り名を「伝通院」とした。
東京都文京区教育委員会 昭和62年3月
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家康公の生母である於大の方は 家康の天下統一後慶長7年(1602)8月、家康の滞在する伏見城にて没。
家康は於大の方の死を悼み、京都の智恩院で葬儀後 江戸に遺骸を送り、伝通院に納骨しました。
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墓地の奥にひときわ大きな墓が並んでいます。
ここが徳川の女たちの眠る場所。
これは千姫の墓です。
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千姫の墓 (区指定史跡)
慶長2年〜寛文6年(1597〜1666)。二代将軍秀忠の娘。
慶長8年(1603)幼少の身で豊臣秀頼に嫁し、大阪城にはいる。
元和元年(1615)城を出て翌年桑名城主・本多忠政の子、忠刻と再婚するも死別とともに天樹院と号して江戸に帰り竹橋に住む。
東京都文京区教育委員会 昭和62年3月
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母は織田信長の妹お市の方の娘、お江(ごう)。寛文6年、69歳の逝去。
タグ:神社・寺院
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2015年07月28日

伝通院本堂・鐘楼堂

山門の正面が伝通院本堂です。
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伝通院の本堂は江戸時代や明治の大火で3回焼けそのたび再建されてきましたが、東京大空襲で境内の建物が全焼、現在の本堂は昭和63年に再建されたものです。
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浄土宗の「関東十八檀林」に数えられるお寺です。常時1000人の学僧が修行していたそうです。
18檀林というのは存応上人の願いにより、江戸幕府が定めた浄土宗の僧の養成所としての18の寺院のこと。
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慶長8年(1603)徳川家康が生母於大の方をこの地に葬りました。
後に堂宇を建立し伝通院となりました。
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「無量山 傳通院 寿経寺」
境内には、於大の方、千姫(豊臣秀頼妻・2代徳川秀忠の長女)をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多い。
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本堂左手にある鐘楼堂
戦火を免れた大梵鐘
天保10年(1839)第五十六代梵誉上人代
昭和41年 第七十三世大河内隆弘上人再建
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鐘楼堂そばに、古泉千樫の歌碑があります。
「雑然と 鷺は群れつつ おのがじし あなやるせなき 姿なりけり」大正3年夏の作
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左側には水町京子歌碑
「わが心の林泉の楓 はやくるなく しばらくあると 哀れといはむ」
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本堂と繊月会館の間から墓地に向かいます。
タグ:神社・寺院
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2015年07月27日

浅草ビューホテル26階

割り込みブログです。
昨日は高校野球が始まったころに調布で軽飛行機が墜落し 驚きました。
高校野球早稲田実が 逆転勝ちして すごいなぁ〜と思っていたら ニュースで浅草ビューホテルの屋上からもくもくと煙があがっている映像が流され26階の厨房から出火したと。
そういえば 写真があったなぁ〜と思い出しました。
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浅草ビューホテル26階レストランからの眺めです。台東区西浅草
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スカイツリービューエリア 額縁の中の絵のようです。
ここランチタイムはブッフェレストランです。
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下を見れば 浅草寺と花屋敷。
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浅草寺の向こうにはスカイツリーと とても眺めのいい穴場的スポットです。
タグ:観光
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2015年07月26日

伝通院山門入って左側

山門を入ります。
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境内側から見た山門。赤い旗の奥は木々がありちょっとした森のようです。
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入ってすぐのところにある 宝篋印塔だかお墓だか・・・何なのかわかりません・・・
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その手前にある 佛足石
明治18年 第六十六世泰成上人造立
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「仏身は金剛にして諸漏あることなく苦し行く時、足は地を離るること4寸、千輻輪相の文跡地に現じ足下の諸の虫蟻は7日安穏なり」
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法蔵地蔵尊
中央のご本尊が法蔵地蔵尊、脇待は、向って右が観世音菩薩、左が勢至菩薩。
このような組合せの三尊はあまり外に例を見ないそうです。
(当初は三体共立派な光背があったが、現在は失われている)
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物故指聖供養塔
通称「指塚」と呼ばれ、指圧普及につとめた日本指圧協会会員が指聖として合祀され名が刻まれる。
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橋本徳壽の歌碑です。
「春いまだ さわがしからぬ 空のいろ 辛夷の花は 白く咲きたり」
橋本徳寿1894−1989 大正-昭和時代の歌人。明治27年9月10日生まれ。木造船技師をつとめる。大正7年土岐善麿(とき-ぜんまろ)の選で第1歌集「船大工」を刊行。のち古泉千樫(こいずみ-ちかし)に師事。
本堂に行きます。
タグ:神社・寺院
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2015年07月25日

伝通院山門前

伝通院山門です。
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伝通院の山門は平成24年の3月に落慶法要が行われた。
白木造りがきれいですが 新しいので重厚さが感じられませんでした。
これから長い年月がたつと風格が出てくるのかも・・
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門標:浄土宗 無量山 傳通院  寿経寺
所在地 東京都文京区小石川三丁目14番6号
山号 無量山
宗派 浄土宗
創建年 応永22年(1415年)
正式名 無量山傳通院寿経寺
別称 伝通院
札所等 江戸三十三箇所観音札所
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院号の「傳通院」は、徳川家康の母親「於大の方」の戒名によるものです。
三葉葵のご紋です。
伝通院の提灯がありました。
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山門左手にある伝通院 処静院跡の石柱
「処静院」の山門前にあった「不許葷酒入門内
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「この石柱は、伝通院の塔頭の一つで伝通院前の福聚院北側にあった処静院の前に建っていたものである。
 石柱の文字は、修行と戒律のきびしさを伝えている。
 処静院は、その後、廃寺となった。
 文久三年(一八六三)二月四日、幕末の治安維持を目的とした組織−浪士隊の結成大会が処静院で行なわれた。
 山岡鉄舟、鵜殿鳩翁、伝通院に眠る清河八郎を中心に総勢二五〇人。その後、浪士隊を離れて、新選組として名をはせた近藤勇、土方歳三、沖田総司などが平隊員として加わっていた。
 一行は文久三年二月八日、京都へと発った。年号が明治と改まる五年前のことであった。」文京区教育委員会案内板
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新選組の前身 新徴組発会の処静院跡
「幕末の歴史に 1頁を残した新選組の前身新徴組は、江戸市中から応募した浪士隊として清河八郎、山岡鉄舟らの呼びかけで、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らが参加し、文久 3年 2月 4日伝通院山内処静院で発会したと記録されています。
処静院は、その後火災に遭い消失したが、この碑建立の一帯が処静院で大黒天に隣接していた。幕末時、処静院住職琳瑞和尚は、清河八郎らを支援したとして佐幕派浪士と見られた武士らに暗殺されたが、今なお伝通院内に墓碑が建立され供養されている。」
案内板より
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幕末の傑僧琳瑞上人
幕末の傑物と称せられている琳瑞は幼時 細谷房蔵と称し 天保元年十月出羽の国 ( 山形県 ) に生まれた。
「幼時より秀才の誉れ高く伝通院山内・処静院住職・福田行誡のもとに学んだ。
その才は見る見る内外に評価され三十有歳にして士々の間においても認められる所となり高橋泥舟、山岡鉄舟等、皆彼のよき理解者であった。
彼は公武合体論を主張し水戸烈公の支持を取り付け、大いに政治的動きをなした。
しかしながらこれは誤解を生む原因となり慶応三年十月十八日深夜、彼は高橋泥舟宅の帰り広井求馬、松岡丙九郎なる人物らに三百坂で刺殺された。
時に三十八歳と記されている。」
(案内板より)
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山門左手には 他に小石川寺町散歩の案内板もあります。
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江戸名所図会 伝通院 案内板の写真です。
さて 山門の中に入らせていただきましょう・・・
タグ:神社・寺院
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2015年07月24日

伝通院の参道

牛天神を出て再び安藤坂を上ります。
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向こうに見えるアーチ型のものは 東京ドームシティアトラクションズのジェットコースターサンダードルフィンです。
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伝通院前交差点です。交差している左右の通りは春日通り、国道254号線です。正面に伝通院が見えます。
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春日通を渡り切ると伝通院の参道です。
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文京区が設置した旧町名の案内板旧表町
【消滅した年】1964(昭和39)年
【現在の町名】小石川2・3丁目
【町名の由来】伝通院の表通りという意味。
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伝通院の門前にある浪越徳治郎氏が設立した浪越指圧本部センター
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浪越徳治郎氏の銅像
おせば生命の泉沸く・・・テルマエ・ロマエを思い出してしまいました。
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彼は伝通院の大檀家だったのでしょうか・・・
伝通院山門入ってすぐのところに 指塚があります。
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2015年07月23日

牛天神 太田神社・高木神社

社務所の近く 社殿左奥に境内社があります。
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左:社務所 鳥居の奥に境内社
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天鈿女命と猿田彦命を祀る太田神社と高木神社
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「太田神社・高木神社は牛天神の境内にあり、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と武の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)のご夫婦をお祀りしています。」
「境内の太田神社は、かつて貧乏神といわれる黒闇天女を祀っていた。
小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける。
とあり、その通りにすると万事よいことづくめで豊かになった。
旗本は神像を彫り牛天神に納めたと伝わる。」御由緒より
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芸能上達、開運招福のご利益があるとされ、京都と関東では牛天神の御末社に祀られています。
歌舞伎役者や新劇人などの芸能人も訪れるそうです。
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牛天神の境内は広くはないです、樹齢百年という御神木のモッコクや水戸光圀から奉納されたうちの一本という桜の木があり風格のある神社です。
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石段をのぼり鳥居をくぐると 別世界のようでした。
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石段を下り また都会のビルに囲まれた喧騒の中に戻ります。
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2015年07月22日

牛天神・中島歌子の歌碑

境内のご神木です。
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ご神木
樹齢100年超の木斛(もっこく)。
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真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれています。
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境内にあった、道祖神と書かれた庚申塔。
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中島歌子の歌碑
中島歌子の歌碑は、歌子の死後、明治42年(1909)に門下生によって建てられました。
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雪のうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ
(訳)雪の降り積もった中で、深く根を入れている若竹が、すくすくと光り輝いて伸びている
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中島歌子(1844年〜1903年)
歌子は、すぐ近くの安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主でした。門下には、梨本宮妃、鍋島侯夫人や、前田侯夫人など、上流、中流層の婦人1,000余人がいました。樋口一葉・三宅花圃らは、その門弟でありました。1903(明治36)年1月30日、60歳でこの世を去りました。
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2015年07月21日

牛天神・狛犬 狛牛 撫で牛

拝殿に向かって右手の狛犬です。
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おかぁさん狛犬です。
子供がおっぱい飲んでいます。
子連れの狛犬はたくさんありますが ここまでリアルにお乳を飲んでいる狛犬は 初めて見ました。
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奉納年は文化六年(1809) 江戸狛犬
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こちらは おとうさんですかね〜
歯の裏まで彫ってあって 母子を守るような感じがしました。
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文化6年(1809)江戸つの 石工鈴木常三郎:肉感がすばらしいです。
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狛牛
笑っているようで 穏やかな表情です。
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のんびり日向ぼっこ・・・・な感じ
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牛石(撫で牛)
これが創建にかかわる「牛岩」
撫でると願いのかなう牛が全国各地にありますが 牛天神北野神社は発祥の地とされています。
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「源頼朝が腰掛た石。撫でると願いが叶います。左側の口元より撫でながらお願い事を唱えて下い。」
と立札に書いてあります。
もちろん 私も撫でました。
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2015年07月20日

「牛天神」北野神社 ご由緒

石段を上がりきると鳥居です。
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奥に見えるのは・・・
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牛天神としての牛をかたどった おみくじむすびどころ
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御由緒書より
源頼朝が1184年東征の際にここの入り江の松に船をつなぎ波風が静まるのを待つ間、夢に菅神(道真)が牛に乗って現れ二つの吉事があると告げた。夢から覚めると、ひとつの岩石があり、夢の中で菅原道真が乗っていた牛に似ていたという。夢の中の菅原道真のお告げ通り、その年、頼家が誕生、翌年には平家を滅ぼして国を平定する。源頼朝は報賽としてこの地に菅原道真の御霊を勧請して社を建立した。
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社殿 文京区春日1-5-2
社号北野神社
祭神菅原道真公
境内社太田神社、高木神社
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「牛天神」は北野神社 “天神様”ですから菅原道真を祀っています。
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「牛天神」は東京都内の梅の名所としても知られています。
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手水舎
平成14年に菅原道真公昇神1100年を記念して建てられたもの
屋根や柱には備前の木を、鉢と花びらには御影石を使用
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梅の花のデザインです。
ライトアップされ、とても神秘的な雰囲気になるそうです。
タグ:神社・寺院
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2015年07月19日

安藤坂・萩の舎跡〜牛天神

文京区伝通院前交差点から安藤坂を下ります。
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文京区立第三中学校の前に安藤坂」の説明板があります。
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文京区教育委員会の標識(平成8年3月)
距離: 249m | 高低差: 12.3m
愛称: 安藤殿坂、網干坂
網干坂という名は このあたりまで海の入江だったことを物語っています。
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文京区立第三中学校の門とアプローチは 三井財閥邸宅の名残です。
元三井八郎次郎男爵邸で大きなバルコニー付き西洋風建築の屋敷があった場所です。
戦火で焼失し今は門だけ残されています。
三井の屋敷の焼け跡は本当に大きく 子供たちにいい環境で学習してほしいという親の願いに共感した三井家が当時所有していた邸宅を提供したそうです。1949年に旧三井邸に校舎が完成。
学校名はその三井家にちなんで第「三」中学校と名づけられました。
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三中から少し先に萩の舎跡の標識があります。
萩の舎跡 東京都文京区春日1-9-28
歌人中島歌子の開いた歌塾のあったところです。中島歌子の歌塾『萩の舎』はマンションが立ち並び 面影はありません。
この熟には、多くの名家から和歌を習う指定が通うとともに、樋口一葉もここで和歌・書道(千蔭流)・古典を学び、佐佐木信綱にして田辺竜子、伊藤夏子らとともに”萩の舎の三才媛”とも呼ばれました。
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安藤坂の中ほど 案内板の前にマンホールの黄色い〇があります。
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このあたりに萩の舎があったという図がありました。
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安藤坂交差点 神田川に向かいさらに下っています。
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交差点を左に入ると 北野神社(牛天神)です。
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北野神社(きたのじんじゃ)牛天神
文京区春日1‐5‐2
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境内に上る石段を眺め・・・ためらいますが せっかくだから上ります。
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2015年07月18日

神宮外苑

神宮外苑は昔近くに住んでいたこともあって 好きな場所のひとつです。246の喧騒から銀杏並木に入ったとたん 別の世界に入ったように感じます。緑の森は都心で大切な場所なのです。
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外苑の案内図
このほかに ラグビー場などもあって開催中などのときは チケット買ってください〜〜の学生さんが声をかけたりしています。
ラグビーはねぇ〜庶民にはちょっとねぇ・・・
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神宮球場
野球の人気も いまいちですけど まだ野球なら親しみやすいかも。
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在りし日の・・・国立競技場
現在解体中です・・・・
東京オリンピック時の聖火台も見えます。
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東京青山一帯に広がる「明治神宮外苑」は、陸軍青山練兵場のあった地です。
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日清、日露戦争の観兵式もここで行われ、多くの兵隊たちが戦地へ旅立った場所です。
しばしば明治天皇親臨のもと観兵式が執り行われました。
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聖徳記念絵画館
昔は 東京観光の名所でもあって修学旅行生なども訪れました。
美しい景観です。国立競技場の照明が見えます。
あの巨大な新国立競技場がこの景観を壊さないかと心配でした。
白紙撤回だそうですが 神宮外苑にふさわしいものができるといいです。
ここはひとつ 日本の伝統技術をいかしたものなんかどうでしょ?
タグ:観光
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2015年07月17日

銀座2丁目あたり

警察博物館を出て中央通りを 銀座2丁目へと歩きます。
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銀座発祥の地  東京都中央区銀座2丁目
銀座役所趾
慶長17年(紀元2272年 西暦1612年)
徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも 通称を銀座町と呼称せられ
明治2年 逐に銀座を町名とする事に公示さる
   昭和30年4月1日建之 銀座通連合会

この碑のすぐ近く 1904年創業の文房具専門店が6月に新しいビルになってオープンしたのでそこへ買い物に・・・
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創業111周年を迎える伊東屋が創業した日でもある6月16日にグランド オープン
ここ 12F建てですがエスカレーターは上りのみしかありません。
それも12階建ての8階までです。
いつものように 上から順に降りてこようとして大失敗!下りは階段しかないのです。
エレベーターは2機設置されていますが 乗り場の動線が悪いし階段のところがエレベーターで 待つ人が多く 一度には乗れないことも続出し 非常に待ち時間が長くて参りました。
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11階はファーム(野菜工場)となっていましたからちょいと見学に・・・
野菜工場「FARM」で作られた野菜は12階にあるカフェで食べることができますが 銀座価格です。
しかも12Fに行ったらなかなかこない エレベーター待ちがしんどいです。
9、10階はプライベートゾーンで階段もクローズ。 エスカレーターはないし エレベーターを待って8階に行くしかないのです。
買い物ですが 目的のものはなかったのです。
困ったときは伊東屋に行けば必ず見つかるという 以前の伊東屋ではなく フロアごとにテーマがあって デスク廻り、トラベル、ホーム&キッチン等々あって文具の品ぞろえはいまいちなのです。各階 おしゃれな空間レイアウトでした。
品ぞろえを期待していたので・・・・ 「残念でがっかりした」という声も多いようです。

ここからぶらぶら歩いて 福井のアンテナショップで まったりすごして(いつもすみません・・・・)若狭牛のメンチカツとコロッケを買い帰宅しました。
タグ:銀座
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2015年07月16日

警察博物館 展示室

1Fには子供が警察官や白バイ隊員の制服を着用し、ヘリコプターやオートバイに乗って記念撮影をすることができる「おまわりさん なりきり体 験」コーナーがあります。
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身長110cm〜140cmくらいまでの可愛い制服が並んでいました。
着替え用のロッカーもあります。
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2階〜4階は日本の警察の始まりから現代までの歴史的資料約1000点を展示しています。
5Fイベントホールです。
東京オリンピック時の映像がモニターに流れていました。
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4F
警視庁音楽隊、装備品、鑑識資器材などのコーナーや、コンピュータゲーム形式の体験学習コーナー
事件の目撃者としてモンタージュ写真作成に協力するコーナーやドライビングシミュレーター(要普通免許)があります。
鑑識機材 装備品 各都道府県のエンブレム
警視庁音楽隊関連資料 古い楽器も展示されています。

3F
殉職警察官の功績を讃える「顕彰コーナー」のほか、警察官の制服や警察執務文書の展示
殉職警察官の顕彰コーナー(遺族の希望があった方のみ展示)は胸が痛みました。
あさま山荘事件の殉職者のコーナーも・・・・

2F
警視庁誕生からの歴史的に重要な資料を展示
西南の役などの銃やライフル 小銃 サーベルなど
関東大震災関連資料

4Fの「君が代」のコーナーは興味深かったです。
「薩摩琵琶歌」の名曲「蓬莱山」の歌詞の中の「君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで」の部分が、薩摩藩士・大山巌によって採用された。
「蓬莱山」の歌詞を作詞したのは、「いろは歌」の作詞でもお馴染みの「島津家中興の祖」島津忠良である。

イギリス陸軍軍楽長のジョン・ウィリアム・フェントンに作曲を依頼し、明治3年(1870年)に国歌が誕生
フェントン版君が代は「歌いづらい」「日本にふさわしくない」と不評で 作り直され明治13年に新しい国歌が完成、これが現在まで続いている「君が代」なのです。
4階では、警視庁音楽隊が再現したフェントン版君が代を聴くことができます。

いろいろな論争がありますが 元々は軍国主義とはあまり関係のない経緯で作られたものです。
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2015年07月15日

警察博物館 1F

LIXILギャラリーの隣は警察博物館です。
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警察博物館  東京都中央区京橋3-5-1
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7階建ての建物です。無料ですしついでだから 見学することにしました。
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警視庁のシンボルマスコット「ピーポくん」
1987年4月17日に誕生し、「ピープル」と、「ポリス」の頭文字をとって「ピーポくん」と名付けられたそうです。
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白バイ(ヤマハFZ750P)も展示されています。
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エントランスには警視庁のヘリコプター「はるかぜ1号」
全国の警察航空機の第1号機で、通算5623時間無事故飛行という記録があるそうです。
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主に皇族の警衛や各国要人の警護の際、車列に先導して警戒に当たったという 側車付白バイ。
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皇族や各国の要人警護に使われた「黒バイ」
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赤バイ(白バイの前身) 大正7年1月、交通指導取締を行うために配備されました。
車体が全部赤く塗られていたので俗に赤バイと呼ばれました。
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展示車は、最初の赤バイと同じ1917年(大正6年)米国製の「インディアン」 (1,000cc)です。
初めて見たときは 消防用かと思いました・・・・
写真撮影は 1Fだけ可能です。
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2015年07月14日

「金沢の町家ー活きている家作職人の技展」LIXILギャラリー

金沢は戦災や震災に遭うことがなかったので今も古い町家が数多く残っています。
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歴史的資産価値のある 加賀百万石の城下町、金沢の町家を保存・修復する職人たちが育成され、また技術も受け継がれています。
日本の伝統建築を支える大工、石工、瓦、左官、畳、建具、表具など継承される職人の伝統技術 にスポットを当てる展示会です。
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「店の間」と「茶の間」を隔てる格子戸。旧涌波家住宅主屋(金沢市指定文化財)
このような格子戸は 福井三国町に残る町屋でも多くみられます。
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畳:立野善吉さん(1932年生)、克典さん(1961年生)
糸筒。畳表を丸めて中に糸を仕込み、使用する針は待ち針、縁を止める「縁引き」など刺す、仕事中の座右の小道具。
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石工:出口昭さん(1942年生)
金沢城の「河北門」「橋爪門」の石垣や敷石の復元工事に携わった。3人の息子が石工の跡を継ぐ。
独特の形をした石を叩き、また割り、彫る道具。
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塀の石積み部分
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左官:中村康さん(1948年生)、藤田秀紀さん(1974年生)
大小様々なコテの数々。壁と柱をつなぐ独特の素材があります。
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建具:西田守男さん(1943年生)
クデゴシと型。クデゴシは、障子の桟や天井の桝目模様の桟の合わせ目を削るノミで、刃の幅や角度がさまざま。
建具師が細工に応じて考案してつくった型と一緒に用いる。
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長さ約270cmの旧平尾家住宅表門(金沢市指定文化財)の柱都現場レポートを展示
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大工:安田正太郎さん(1963年生)
社寺や古民家、町家の修復を手がける。最近では金沢城の「河北門」、「橋爪門」復元の棟梁を務めた。
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表具:永嶋明さん(1949年生)
打ち刷毛。掛け軸の裏打ち用に用いられる(シュロの毛)。刷毛は表具師にとって一番大事な道具。
奈良の吉野で漉かれた紙で掛軸に使う美栖紙と呼ばれるサンプルもありました。
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瓦:長田和明さん(1948年生)
親方として石川県内外の寺社仏閣の修復をはじめとした瓦葺きに携 わる。

今回の展示は実際に使われた道具や材料、さらに工程サンプルなど170点ほど。
町家の伝統技術を受け継ぐ職人さんたちにスポットをあてた展示会です。
無料で見ることができます。
1階の入り口のバスルームに目を奪われ・・・水道代が大変だなあ〜などと思いつつギャラリーをでました。
タグ:イベント
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2015年07月13日

鍛冶橋交差点〜LIXILギャラリー

三菱一号美術館からJRの線路をくぐり鍛冶橋交差点に出ます。
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鍛冶橋通りと外堀通りと交差する鍛冶橋交差点
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鍛冶橋跡    千代田区丸の内
「この交差点とJR線の間には、かつて江戸城の外堀があり、鍛冶橋という橋が架けられていました。
鍛冶橋のさきには江戸城の外郭門の一つ鍛冶橋御門がありました。門の名前は『江戸紀聞』に「鍛冶町へ出る御門なればかくいへり」とあり、交差点の向こう側にあった鍛冶町に由来していると考えられます。門には鉄砲十挺、弓五張、長柄十筋、持筒二挺、持弓一組が備えられ、柳之間詰めの一万石余の外様大名が一年ずつ警備を担当しました。門内には南北の町奉行所が移転を繰り返し、一時期は中町奉行所も設けられました。門前には、幕府の御用絵師として有名な狩野探幽が屋敷を拝領し、以来代々住んだため、この家は鍛冶橋狩野家と称されました。
明治維新後に門が撤廃された後も、外堀には引き続き鍛冶橋が架けられていましたが、昭和20年代に、外堀が戦災の瓦礫によって埋め立てられたため、鍛冶橋はその役割を終えました。
平成15年(2003)3月 千代田区教育委員会」
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鍛冶橋交差点 日東紡ビル前に水戸芸術館のタワー似たものがありました。何なのでしょ?
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加島美術の前を通り 「東京スクエアガーデンの横を通り(このあたりはもう中央区)中央通りにでます。
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LIXILギャラリーです。中央区京橋 3-6-18 東京建物京橋ビル LIXIL:GINZA 2F
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金沢の町家‐活きている家作職人の技‐展  ギャラリー1
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「クリエイションの未来展」第4回 伊東豊雄展 「ライフスタイルを変えよう −大三島を日本で一番住みたい島にするために−」ギャラリー2
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大三島(おおみしま)(愛媛県今治市)は、瀬戸内海の中央部に浮かぶ人口約6000人の島だそうです。
今回の目的 「金沢の町家ー活きている家作職人の技展」をじっくり見ることにしました。
タグ:イベント
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2015年07月12日

Cafe 1894文明開化ランチ・三菱一号美術館

美術館を出てすぐ レストランCafe 1894に行きます。時間は11:07分。
11時オープンなのにもう席が奥から埋まっている感じでしたが待ち人がいないので 数分で席に案内してもらえました。
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明治期(1894 年)に銀行営業室として利用された空間を復元しレトロな感じのたミュージアムカフェです。
東京都千代田区丸の内2−6−2 三菱一号館美術館1F
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2層吹き抜けの高い天井が明治期の 銀行の特徴を表しています。
何度か来ていて 窓際の席は外が絵のように見えていいのですが 今回は入口の席です。
次々と 客が入ってきてオープン10数分で 行列となりました。
展覧会タイアップメニューに「文明開化ランチ」を注文しました。(1894円・税込)
暁斎が生きた幕末は 文明開化とともに衣食住のあらゆる物に西洋文化が流入しました。
暁斎はいち早く洋食を好んで食べたと言われています。
「文明開化ランチ」はそんな暁斎に食べて欲しいという思いで作ったそうです。
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江戸切子のグラスに入っているのはアルコール分のない甘酒で 食前酒のようです。
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まわりを氷で冷やしているので 冷たくて甘くて ほんの一口ですが美味しかったです。
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前菜は、季節のものから蒸し穴子 と焼き茄子のテリーヌ。
野菜はほとんど生でコリコリしているものを味噌で食べます。
テリーヌはほんのりアナゴの味がしました。
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メインはデミグラスに八丁味噌を加えたソースの牛肉煮込みにマッシュポテトを添え。
牛肉はとろとろだけど 野菜が生っぽくて固かったですがそれが特徴なのかもね
主食はパンを選びました。これに 300円でドリンクがつけられます。ハーブティーを注文。
文明開化のメニューはデザートにアイスクリンやカステイラなどがありました。
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3人で行ったのですが 一人は定番メニューCafe1894ガーデンプレートランチハーブティー 付きを注文しました。
順番を待つ人が目に入り 長居もできず 食事を終えてすぐ出ました。
タグ:グルメ
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2015年07月11日

画鬼・暁斎「狂ってたのは、俺か、時代か?」・三菱一号美術館

画鬼・暁斎「狂ってたのは、俺か、時代か?」
暁斎は、幕末に生まれ、6歳で浮世絵師歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じてその正統的な修行をしました。
浮世絵も描ければ、伝統的な狩野派の技法を持つ 幕末明治に「画鬼」と呼ばれた天才絵師です。
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明治14(1881)年に上野公園で開催した内国勧業博覧会で、「枯木寒鴉図」(こぼくかんあず)で、絵画では最高章となる妙技二等賞牌を受賞した絵師が近年まで 埋もれていたのか・・・
「狂ってたのは、俺か、時代か?」ってキャッチフレーズもわかります。
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暁斎がコンドルに贈った「大和美人図屏風」は コンドルにすべてを伝えるため 目の前で描いたといいます。
戯画の名手ではありますが 狩野派の絵師としての高い技法がよくわかります。
暁斎とコンドルの出会い― 第二回内国勧業博覧会からはじまる展示です。
暁斎とコンドルの交流をはじめ コンドルの絵やコンドルが設計した鹿鳴館の階段や金唐紙も展示されています。
今回約120年ぶりに里帰りをしたメトロポリタン美術館が所蔵している作品が展示されています。
暁斎絵日記」が面白かったです。
暁斎は毎日絵日記をつけていましたが墨で走り描きされた絵日記には当時の人間模様が描かれていて味のあるなものです。
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会場唯一のフォトスポット
会場内には猫だけでなく、鳥、魚、狐、カエル、虎、猿・・・そして妖怪などの作品が多数展示されています。
黒幕でしきられている 18禁の春画コーナーもありました。
《河竹黙阿弥『漂流奇譚西洋劇』パリス劇場表掛の場》 明治12(1879)年 の絵は 西洋文化が流入してきた明治時代、コンドルの影響を受けたのか洋画風で一見 暁斎の絵には見えませんでした。
近年、下図が発見されたことにより、この作品が暁斎のものだと判明したそうです。
なんでも描ける 天才絵師ですね。
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最後は出口に座っている コンドルさんとの撮影スポットです。隣に座るのは・・・遠慮しました。
タグ:芸術鑑賞
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2015年07月10日

画鬼・暁斎 KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル・三菱一号美術館

東京駅丸の内の地下通路を通り 三菱一号美術館に行きました。
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北口広場にあった 動輪が南口広場に移動されていてその裏側は 七夕飾りでした。
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地下通路から美術館入口の表示に従い入ると こんな素敵な壁に出会います。
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その前の天井飾りも ゴージャスです。
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この奥が美術館入口です。
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通路のポスターです。
画鬼・暁斎 KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル
会期 2015年6月27日(土)〜9月6日(日)*展示替えあり
前期:8月2日(日)まで/後期:8月4日(火)から
10:00〜18:00
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ジョサイア・コンドルによって設計された三菱一号館は、美術館として2010年に生まれ変わりました。
明治政府の「お雇い外国人」として来日したコンドルは、ニコライ堂や旧岩崎邸をはじめ数多くの建築物を手がけ日本近代建築の父とも言われました。コンドルは日本を愛し 日本人の妻をめとり 日本美術を海外に紹介しました。
そのコンドルが師と仰ぎ、終生尊敬したのが河鍋暁斎だったのです。
30歳の年の差ですが 二人の親交は厚く親子のような師弟関係だったと思われます。
コンドルは暁斎から自身の暁とコンドルの故郷である英国を合わせた、暁英(きょうえい)という画号まで授けられました。
120年の時を越え コンドルの設計した三菱一号館美術館で河鍋暁斎の展覧会が行われるのも 館外深いものです。
チケット(1500円)を買い 中に入ります。
タグ:芸術鑑賞
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2015年07月09日

松林山大円寺・阿弥陀堂

大圓寺の境内右手に阿弥陀堂があります。
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石のお七地蔵とは別物で 実物は阿弥陀堂の中に「お七地蔵菩薩像」と共に 西運上人の木造も安置されているそうです。
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無量寿院阿弥陀堂
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阿弥陀堂には「木造阿弥陀如来三尊像」(区指定文化財)が祀られています。
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木造阿弥陀三尊像 説明板があります。
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鐘楼堂
西運念仏講の記念事業として建てられたものだそうです。
お七と吉三の碑の横には可愛い「道祖神」があります
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夫婦道祖神です。微笑ましいです。
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六地蔵
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庚申塔は門を入ってすぐ右手に3基並んでいますが 車が止められていて正面から見ることができませんでした。
寛文7年(1667) 貞享元年(1684) の文字が見えます。
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サルが庚申塔に登場したのは室町も末、庚申待ちの夜阿弥陀、観音、山王などがまつられ庶民を守ってくれたそうです。
側面に「三界萬霊等」「南無阿弥陀佛」と彫られているので供養塔なのでしょうか・・
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行人坂敷石造道供養碑
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横に説明板がありました。
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山門をでようとしたら 可愛い地蔵様。
ほっこりして 大円寺を出ました。坂を下ったところが目黒雅叙園です。
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2015年07月08日

松林山大円寺・文化財等

境内左側 釈迦堂の本尊釈迦如来立像(国重文)は、鎌倉初期の清涼寺式生身の釈迦像です。
御開帳していないので そのお姿を拝観はできませんでした。
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生身の釈迦如来立像 (国指定重要文化財)
「京都清涼寺の釈迦如来立像の模刻。鎌倉時代には、釈迦信仰の復古的なな高潮によって盛んにに作られました。大圓寺の釈迦如来像は、胎内から鏡や結縁者戒名等を記した紙片・女性の髪・木札などが発見され、鏡には、「建久四年舟治氏乙犬丸」の線刻銘があり鎌倉大仏を鋳た舟治氏と同姓の工人の名が記されています。年代の明らかな清涼寺式釈迦像の中でも建久四年(1192)は最も古い釈迦像です。
生身の釈迦像として、像の胎内には人間の胎内にあるのと同様の五臓が絹や綿の布で作られ、文書や経巻、宝玉などとともに納められています。」説明板より
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仏足石
仏足石(ぶっそくせき)とは、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。
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大円寺本堂前にある薬師如来
自分の体の悪い部分と同じ場所に、金箔を貼りつけると改善するとのこと。
よく見ると手足の部分の金箔が少ないように思えます。
頭の悪い人 顔の悪い人 内臓の悪い人が多いのですかねぇ・・・でも顔が悪いって?
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目黒川の太鼓橋に使用された石材という碑があります。
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太鼓橋に使用されていたと思われる寸法の異なる長方形の古い石材の上に七福人石像が置かれています。
左には ベンチのような長方形の石材もありました。
「八百屋お七の恋人吉三は、その法名を西運と改め、お七の菩提を弔うため江戸市民から寄進された浄財を基に行人坂の石畳、太鼓橋を石の橋にした。」と書かれています。
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西運上人の板碑とお七地蔵像
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阿弥陀堂前の板碑
「万葉集出画撰の画家・大亦観風(おおまたかんぷう)氏の描かれた西運上人が木枯らし吹きすさぶ中、黒衣の裾をなびかせながら、隔夜日参一万日念仏行を勤められている姿
吉三発心(きちざほっしん) 只たのむ かねの音きけよ 秋の暮」
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2015年07月07日

松林山大円寺・大円寺石仏群

山門正面が本堂です。 目黒区下目黒1-8-5
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天台宗延暦寺派で「松林山大円寺」といいます。
寛永の初め、湯殿山の修験僧・大海法印が大日如来を祀り、祈願の道場を開いたことが、この寺の始まりと伝えられてます。
大円寺は大黒天を祀っており、大円寺の三面大黒天像は、山手七福神の大黒天となっています。
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明和の大火は明暦の大火、文化の大火とともに江戸三大大火のひとつと言われています。
明和9年2月(1772)、本堂から出火、麻布、京橋、日本橋地区を焼きつくし約1万5000人の死者をだす大惨事となりました。
放火犯は武州熊谷無宿の真秀という坊主で火元となった大円寺は、その後約70年間、幕府から再建の許可が下りなかったそうです。
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「新編武蔵風土記稿」のよれば大円寺では焼死人々を供養するために、天明頃(1781〜9)境内に五百羅漢像等を建立したということです。
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東京都指定有形文化財
大円寺石仏群 520躯(釈迦三尊像 3躯、十大弟子像 10躯、十六羅漢像 16躯、五百羅漢像491躯)
天明年間(1780年代)、前述の目黒行人坂火事の犠牲者追悼のために作られたとされている。
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石仏の顔や姿はひとつひとつ 違っています。
中には苦悩の顔と思われるものもあります。
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石造五百羅漢像群の前に、赤い布を巻かれた地蔵様が安置されています。
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とろけ地蔵
明和の大火によって溶けてしまった地蔵様だそうで、品川の海に沈んでいたものを漁師が引き上げられ 大円寺に安置されたそうです。
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昔から悩み事をとろけさせてくれるご利益のあるお地蔵様として信仰を集めている。
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大円寺には様々な文化財があります。
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2015年07月06日

目黒行人坂〜大円寺山門

JR目黒駅西口から 行人坂を下ります。
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この坂はとても急ですが 人通りの多い坂です。
右手は ホリプロの社屋がいくつか立ち並んでいます。
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江戸時代、この辺りは、富士見茶屋があり目黒不動尊へ参詣客が 一休み。
かつては高台の景勝の地で 富士山の眺めもよく 目黒川に続く荏原台(えばらだい)の方角に沈む夕日が趣深く 夕日の岡(ゆうひのおか)と呼ばれていました。
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行人坂は目黒区下目黒と品川区上大崎にまたがる坂です。
この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られています。
坂道沿いに大円寺(だいえんじ)、明王院(みょうおういん)などがあり、江戸から目黒に抜ける主要な交通路でした。
多くの行人たちが周辺に住み修行するようになったため、「行人坂」と呼ばれるようになったと云われています。 mgrgynin (4).jpg
目黒川架橋供養の勢至菩薩石像を祀る「勢至堂」があります。
目黒川架橋供養勢至菩薩石像(1704年、八百屋お七の恋人とされる吉三(西運)により造立)
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目黒川架橋供養勢至菩薩石像(区指定文化財) 大円寺境内
 「下から台座(97cm)、蓮座(20cm)、頭上に宝瓶のついた宝冠をかぶり、両手合掌、半跏趺坐の勢至菩薩像(52cm)の3段になっています。
台座の前面と両側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを語る銘文が刻まれています。銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中江戸市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けたことがわかります。目黒川架橋の史実を物語る貴重な資料です。平成3年3月 目黒区教育委員会」
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お堂の脇に、この坂の守り神「行人坂 坂守天人の石像」の像があります。
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大円寺(だいえんじ)(目黒区下目黒一丁目8番5号)
この大きな石 以前は境内にあったのですが現在は山門前にあります。
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山門も新しくなっていました。松林山大円寺
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明和9年(1772年)2月、この寺の本堂から出た火は、江戸の三分の一を焼く大火となり多くの死傷者を出しました。本堂脇の崖面には、この目黒行人坂大火の犠牲者を慰霊するために建てれた石仏群(せきぶつぐん)(都指定文化財)があります。
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2015年07月05日

丸の内オアゾOO広場のゲルニカ

東京駅丸の内北口前です。
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2012年10月に復原工事が終了してもうすぐ3年。少し汚れてきたかな・・・
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北口の横断歩道を渡ると 丸の内オアゾです。
オアゾとはエスペラント語でオアシスの意味。
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丸の内オアゾOO広場(おおひろば)
丸の内(O:マル)と大手町(O:オー)をつなぐ広場」というのが名称の由来。
ピカソの『ゲルニカ』の原寸大複製陶板壁画が飾られています。
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ゲルニカとはピカソの絵画で、1937年フランコに協力するナチスドイツの爆撃機によって破壊されたバスク地方の古都ゲルニカ(地名)
Gernika)の惨劇を描いた作品です。
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18枚のピースを組み合わせたあのゲルニカは、セラミック製でかなり忠実に本物を復元しているとのこと。
製作したのは四国の鳴門に大塚国際美術館を持っている陶板技術で名高い大塚近江工業 。
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丸の内仲通りの路上に、多数の現代彫刻が展示されていますが これらは箱根にある彫刻の森美術館との提携で設置されているもので、その一環としてゲルニカが置かれたということです。
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人が入って全体を見渡せないので 2Fから写してみました。
OO広場は無料の休憩スペースになっています。時々 イベントも行われます。
以前 この2FにはJAXAの情報発信の場として情報センターJAXAiがありました。
入場料は無料で ハヤブサや宇宙服 イトカワの模型など展示されていて とても有意義な場所だったのですが 2010年4月26日に行われた事業仕分け第2弾において「廃止」と結論付けら2010年12月28日付で閉鎖されました。
JAXAi見学施設は 筑波や相模原などと、遠いです。
地方から出てくる人も待ち時間の間に立ち寄れるし 人が多く集まる東京駅前だからこそ 意義があったと思うのですが 無駄の一言で閉鎖されてしまい 残念です。
タグ:観光
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2015年07月04日

こんにゃくえんま3・汎太平洋の鐘

木の陰になっていて 見えにくいのですが 鐘楼があります。
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元禄3年に鋳造された源覚寺の釣鐘は一度サイパンの南洋寺に送られ、所在不明になっていましたが 戦後の1965年に米国・テキサス州にてこの鐘が発見第二次世界大戦を経て平和のシンボルとして再び源覚寺に帰ってきました。
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現在では除夜の鐘として大晦日に突かれているそうです。
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汎太平洋の鐘
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南洋群島物故者慰霊像
第二次世界大戦でサイパンなど南洋群島で犠牲になった人たちを追悼する菩薩像。
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南洋の貝やサンゴが供えられています。
グアムの観光ガイドの人に聞いた話では 兵隊たちは ピンク色に咲く南洋桜の花を見て故国日本を思い出していたそうです。
どんなないか 帰りたかったことでしょう・・・胸が痛みます。
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南方艦隊の写真
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「雲ガハシル
学徒ガ征ク
空ニ
同期ノ華
参千六百」
こんにゃくも塩地蔵も驚きましたが この南太平洋で散った人たちの慰霊の場所が心に残りました。
タグ:神社・寺院
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2015年07月03日

こんにゃくえんま2・閻魔堂 塩地蔵

正面が閻魔堂です。
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源覚寺 東京都文京区小石川2丁目23番14号
山号 常光山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩
創建年 寛永元年(1624年)
正式名 常光山源覚寺
別称 こんにゃくえんま
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『こんにゃくえんま』及び、脇侍の地蔵菩薩像・奪衣婆像がまつられている。
こんにゃくえんま像』は、鎌倉時代の作といわれ、像内から寛文12年(1672年)に修復された記録が発見されている100.4センチの木造の閻魔大王の坐像である。運慶派の仏師が造立した仏像 (文京区指定有形文化財)
閻魔堂は完成から150年以上たっていたため老朽化しており、現在の建物は2003年に再建されたものである。
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「源覚寺の閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。
宝暦年代のころ、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。」寺のHPより
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こんにゃく・・・・
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新しそうな獅子
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古瓦 (寛永元年(1624)に伝通院三世定誉が徳川秀忠から隠居地として1344坪を拝領して開山)
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源覚寺の毘沙門天
「小石川七福神」のひとつで、閻魔堂の右側奥のあるお堂の中に祀られています。
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雪のように白いものが見えました。近寄ってみます。
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なんと 塩地蔵でした。
2体で1組のお地蔵さまです。お地蔵さまの体に塩をつけてお祈りすると、体の同じ部分の病気が治るといわれています。
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「塩」ということで、お相撲さんもお参りに来るらしいです。
それにしても・・・塩だらけ。
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2015年07月02日

こんにゃくえんま1・商店街

地下鉄春日駅から文京区シビックセンターと礫川公園の間の道を歩き こんにゃくえんまを目指します。
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この先の通りは歩道のみアーケード付き商店街になっています。商店街の名前もえんま商盛会。
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こんにゃくえんま前交差点です。
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看板建築のような店があるその脇が入口です。
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その少し先を見ると いかにも古いという建物が目につきました。看板も右から読みます。
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大亜堂書店
小石川の地に大正末期に創業。 その後、昭和7年より現在の店舗。
震災後の看板建築の典型で壁のスクラッチタイルの建物です。
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源覚寺の入口は路地のようでわかりにくいですが 「こんにゃくえんま」の石標が建っています。
目を患った老婆に自分の右目を授けた閻魔さま、老婆がお礼にこんにゃくを供えたことからこの名があるとか・・・
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入口に嘉永5年(1852)造立のお百度石があります。
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入り口から、正面に閻魔堂が見えます。
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