2014年12月31日

大國魂神社4・府中散歩4

拝殿左手にある水神社です。
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水神社(祭神は水波能賣
この神水は神社の地中120mからくみ上げられているとのこと。
また水神は身体健康子孫繁栄を司る神
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拝殿右手には住吉神社・大鷲神社
住吉神社
御本社は大阪住吉にあり、その分霊を祀ている。海上守護の神、除災招福の神として崇敬せられている。
大鷲神社
御本社は大阪堺の大鳥神社でその御分霊を祀ている。運の神・商売繁盛の神として信仰が厚い。?
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狛犬。
ちょうど保育園児が集団で来ていて 子供たちが置いたドングリの実が・・・
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東照宮
元和4年(1618)二代将軍秀忠の命によって造営された。 徳川家康公歿後、駿河国久能山から下野国二荒山に霊輿を遷された時その途次、この国府の斎場に一夜逗留せられたのでその遺跡を後世に伝える為造営された。
ここは閉じられていました。
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東照宮狛犬
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御神馬舎
中を覗いてみたら白馬の像が見えました。
他にも境内社はあるようですが 今回見れたのはこのくらい・・・
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拝殿前の中雀門を出ます。
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東京都指定有形文化財
神社建築としては、三殿一棟は特異である。構造は9間社、流造、向拝、5間、銅版葺、三間社流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造。
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亀石。
反対側に鶴石があります。
隋神門の塀に沿って 府中街道のほうに出ます。
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鳥居前の狛犬
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大國魂神社を出ます。
ここから府中本町駅が近いです。
今年も 今日でおしまい。
来年は いい年でありますように・・・・
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2014年12月30日

大國魂神社3・府中散歩3

随神門を入り 右手が宝物殿です。
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宝物殿
一階には八基の神輿と大太鼓が格納され、二階には重要文化財の狛犬を始め御神宝等数々の宝物を展示している。
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神楽殿
神楽殿は昭和6年4月、内務省により昭和天皇の御大典記念事業として建設された。
平成7年4月御本殿屋根修理と同時に改修工事を行う。
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大国魂神社鼓楼
鼓楼は、太鼓を懸け時刻を報ずるための建物で、元来中国で発達し、わが国へは鎌倉時代に移入され、主として寺院に設けられた。そして江戸時代になると鐘楼と相対して造られることが多く、宇治の万福寺や日光東照宮のものがよく知られている。
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慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設された。
正保3年(1646)の火災で焼失、約200年余後嘉永7年(1854)再建される。
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参集殿
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中雀門 昭和44年7月建て替え
延べ 80m
梁  2m
軒高 2.5m
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中雀門から覗いた拝殿
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古そうな狛犬
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拝 殿
流 造:切妻千鳥破風  銅板葺素木造:50坪
明治18年改築され、昭和53年改修された。現在の拝殿は明治18年官幣小社に昇格の年に完成。
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大國魂神社は大國魂大神を武蔵国の護り神としてお祀りした社で出雲大社の大国主大神(因幡の白兎を助けた神)と同じ神との事です。
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菊のご紋があります。
東京五社」のひとつです。
「東京五社」とは - 東京の格式の高い5つの神社のこと。日枝神社、明治神宮、靖國神社 、大國魂神社、東京大神宮の5社を指す。
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今年1月の東京大神宮から 12月の大國魂神社で 東京五社全部巡りました。
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次に 境内社に行きます。
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2014年12月29日

大國魂神社2・府中散歩2

大鳥居をくぐり 左手にあるのが境内社宮乃盗_社です。
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祭 神:天鈿女命(あめのうづめのみこと)
例 祭:7月12日
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源頼朝の妻、北条政子の安産を祈願した神社で創立は本社と同時代といわれている。
演芸の神、安産の神様として崇敬されていて 宮乃盗_社例祭にて「青袖舞」を奏し終了ののち本社へ参向し「杉の舞」を奏す。
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忠魂碑
大東亜戦争における郷土出征戦没兵士の忠魂を偲んで建立。
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手水舎
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隨神門
平成二十三年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業として改築
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門は高さ8.5m幅25m、門扉は高さ4.5m幅4.7m。扉一枚は畳5畳分程
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木鼻の獅子
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正面には随神像、後面には恵比寿大國が納められています。
享保二十年(1736)に是政出身の代官川崎定孝により奉納された「随神像」に倣い製作
くらやみ祭での神輿や大太鼓の出入りをスムーズにするよう設計されている。
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随神門前 狛犬
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随神門の脇にそびえ立つモミの木
大國魂神社には七不思議と言われる伝説に 拝殿前にある樅の木から四季絶えることなく雨のように雫が降ってくると言う伝説があります。
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拝殿前に進みます。
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2014年12月28日

馬場大門ケヤキ並木〜大國魂神社1・府中散歩1

年末ですし 横浜西洋館散歩は 年明けまで休止し 東京五社の一つである 大國魂神社散歩にします。
京王線府中駅のすぐ西側には、南北約500mにわたってけやきの並木が続いています。
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大きな石碑があります。
大正13年(1924)、国の天然記念物に指定。
けやきの並木道が指定されているのは、日本で唯一ここだけです。
ケヤキ並木を左に歩いて行き大國魂神社へ行きます。
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馬場大門ケヤキ並木
1062年、源頼義、義家父子が寄進したといわれる歴史ある馬場大門けやき並木道です。
新緑の頃は緑のトンネルになり 美しいそうです。
通りは、中央に自動車道路があり、ケヤキ並木が両側にあり、広い歩道があります。
歩道の植え込みには 万葉の歌碑などもあります。
大國魂神社の参道でもあります。
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途中にある覆屋の中の石仏ニ基。
右側の庚申塔。柱状型、日月・青面金剛・邪鬼・三猿。刻字は右側面「天保七申年十二月吉日(1836)」
左側の石仏。柱状型、風化が激しく刻まれた内容は不明
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八幡太郎源義家公之像
源頼義・義家父子が「前九年の役」出陣の途中で大國魂神社に戦勝を祈願、康平5年(1062)の凱旋の際にお礼としてケヤキの苗木1000本を植えたことに始まると説明板にある。
「源 義家(みなもと の よしいえ)は、平安時代後期の武将。河内源氏の源頼信の孫。
頼朝、義経の先祖にあたり、前九年、後三年の役で安倍貞任、宗任と戦った。
京都の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称す。」
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「ケヤキ並木馬場寄進の碑」
「従是一之馬居迄五町余 左右慶長年中御寄附之馬場」
平成5年12月22日府中市文化財に指定。ケヤキ並木両側の歩道部分が、かつて馬場だったそうです。
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旧甲州街道を渡ると、大國魂神社です。
神社入口の大鳥居近くにある、樹齢900年のご神木(大ケヤキ)
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大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)社号標 東京都府中市宮町3ー1
武蔵国の守り神として「大國魂の大神」を祀った古社。
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大鳥居
昭和26年(1952)に奉納された高さ 9.5メートルの大鳥居。御影石製の鳥居では、日本一の大きさのものといわれる。
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大鳥居両側の 狛犬
尾の無い石造参道狛犬
台座に 「社宝の木彫り狛犬を模して作ったもの」と刻まれている。
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「神戸稲荷神社(ごうどいなりじんじゃ)」。
神戸(ごうど)とはこの辺りの旧町内名
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狐様の顔が ちょっと怖い。
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参道石灯籠
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参道を奥へ・・・
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2014年12月27日

旧山手68番館〜フェリス女学院・横浜山手西洋館12

奥に進むと 高原のロッジのような建物があります。
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山手公園管理事務所 旧山手68番館 横浜市中区山手町
テニスコートのクラブハウスも兼ねています。
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旧山手68番館
竣工1934年(昭和9年) 
移築 昭和61(1986)年
この建物は、 東洋バブコック(現:バブコック日立)の社員C.F.フランコ(C.F.Franco)の住宅として建設されました。
1986年(昭和61年)に現在地へ移築されました。
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公園管理事務所として使われていますが、クリスマスの時期には、他の西洋館と同じように、クリスマス飾りがされます。
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もともとは開放ベランダが設けられた、バンガロースタイルの外国人向け賃貸住宅でした。
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暖炉もあります。
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こじんまりとした 西洋館です。
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再び 元の道を戻りカトリック山手教会の角を右にまがり 山手本通りに出ます。
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山手本通りに面してフェリス女学院中学校高等学校があります。
フェリス女学院中高等部1号館 横浜市中区山手町17
設計:森山伊望
施工者:宮内建築事務所
建築年代:昭和4年
平成14年(2002年)に再建。昭和4年(1929年)当時の外観意匠で復元・再建された。
正門脇にに大きなヒマラヤスギがあります。
横浜市の名木古木に指定されていて 樹齢130年と推定されていますが 枝が切り取られたり 剪定されたりしていた本来の姿をとどめていませんでした。
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少し歩くと 目立つ尖塔がみえます。
これはモルモン教の教会だそうです。教会もいろいろありました。
この通りは 広いお屋敷が多く その景観も 旧外国人居留地にふさわしい建物ばかりです。
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山手本通りを元町公園方向に進むと 西洋館最大規模のベーリックホールがあります。
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2014年12月26日

カトリック山手教会〜山手公園・横浜山手西洋館11

外交官の家を出て 山手本通りを歩きます。
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両側に並ぶ広い敷地の豪邸や洋館を眺めながら しばらく歩くと教会の尖塔が見えてきます。
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カトリック山手教会 です。
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カトリック山手教会 1933年(昭和8)年 横浜市中区山手町44
設計 J.J.スワガー
施工 関工務店
横浜市認定歴史的建造物
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カトリック山手教会は明治39年に創設された古いカトリックの教会です。最初の教会は大正12年の関東大震災によって完全に崩壊してしまい、現在の建物は昭和8年に再建されたものです。
尖塔アーチの窓に背の高い鐘塔を持った、典型的なネオゴシック様式の教会建築。
内部には細かな装飾が施された列柱などを備え、日本一美しい聖堂とも呼ばれています。
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カトリック山手教会前の信号を右に入り、緩い坂道を50mほど行く とフェリス女学院大学山手キャンパスの正門前には横浜市指定名木古木のタブノキがあります。
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さらにゆるい坂道を下っていくと 右手に公園が見えてきます。
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山手公園   横浜市中区山手町230
横浜市地域史跡 日本最初の洋式公園 (山手公園)
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山手公園は、外国人居留地住民の要望で日本政府から貸与された約6千坪の土地に居留地住民が造成した公園で、日本最初の洋式公園となった。
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日本庭球発祥之地」記念碑
1874年(明治7年)にイギリスでローンテニスが始まり、その2年後の1876年(明治9年)に横浜にテニスが生まれ、山手公園で初めてテニスがプレーされた。
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山手公園120周年」の記念
1944年(昭和19年)に山手公園は横浜市に管理が移り、1998年(平成10年)にテニスの発祥の地とされ、テニス発祥記念館を設けました。1990(平成2)年に 公園開設120周年記念の行事が行われました。
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テニス発祥記念館
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緑多く 静かな山手公園は、今も1880年代の山手居留地の面影をよく残していると言われます。
さらに奥へと進みます。
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2014年12月25日

外交官の家5・横浜山手西洋館10

階段正面には内田定槌が執務に使った書斎があります。
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書斎
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2階には客用寝室がありました。
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この部屋が元客用寝室です。
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2階は展示室となっています。
各展示室では、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示しています。
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内田定槌の資料を集めたギャラリー。
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廊下の書斎と寝室の間には、天井に仕掛けがあり 滑車を使った屋根裏収納が可能です。
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洋館と和館のつなぎ目です。
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現在展示室になっている小部屋は息子さんの部屋だったそうで 夫婦と息子さんは洋館で生活をし 娘たちは和館に部屋を持っていました。嫁いだ先で困らないようにという配慮で洋風の生活を娘にはさせなかったといいます。
この先は付属棟で 階段を降りると入口に戻ります。
以上 外交官の家 でした。
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2014年12月24日

外交官の家4・横浜山手西洋館9

玄関ホールには2階への階段があります。
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2階への階段と扉のステンドグラス。
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間取り図。2階はプライベート空間です。
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主寝室
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暖炉
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西洋風のバスタブと水洗トイレ。木製の便座
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奥様が主に使っていた 八角形のスペース。
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陽子夫人が一番気に入っていた場所だそうです。
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家具も当時のものを再現している。
次 2階の他の部屋を見ます
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2014年12月23日

外交官の家3・横浜山手西洋館8

小客間は食事前のウェイティングルームや食後のひとときのための部屋です。
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小客間は落ち着いた雰囲気の部屋です。
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隣の大客間との間には可動の仕切りがあります。
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八角形の塔屋の1階にあたるサンルームです。
窓の下にある腰板は左右に可動し、換気できるようになっています。
日本家屋によく見られる無双窓(むそうまど)と呼ばれる仕掛けです。
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サンルームは小客間から大客間まで繋がっています。
サンルームは、外とみなされるようで 鎧戸が中にあります。
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サンルームから大客間へ。
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応接室として使われた大客間
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大客間は、暖炉や窓が外に張り出しています。
壁には陽子夫人の肖像画。
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タイルの暖炉
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玄関ホールの2階へと続く、緩やかな階段。
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2014年12月22日

外交官の家2・横浜山手西洋館7

1階間取り図です。
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元は 西洋館の主屋に和館を付属した建物だったそうです。
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入ってすぐの部分がその名残です。
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食堂側です。
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バラをモチーフにしたステンドグラス。
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入ってすぐが食堂
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暖炉
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重厚な家具
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重厚な玄関ホール
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優しい色使いのステンドグラス
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玄関扉は、すりガラスに内田家の家紋 「丸に剣三つ柏(まるにけんみつかしわ)」
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邸内に招かれた客人も穏やかな気持になれそうです。
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小客間がありサンルームが大客間まで続いています。
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2014年12月21日

外交官の家1・横浜山手西洋館6

外交官の家は、1910年(明治43年)に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館です。
国の重要文化財に指定されています。
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外交官の家(旧内田家住宅) 国重要文化財(平成9(1997)年5月)
所在地中区山手町16
構造・規模木造2階、塔屋付
建築年代明治43(1910)年(平成9年(1997)年移築)
設計・施工(設計)J.M.ガーディナー、(施工)不明
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外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)に建てられたものです。
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1997年(平成9年)に、内田定槌の孫の宮入久子氏から横浜市に寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元のうえ一般公開されました。
建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。
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外交官の家正面玄関側
入口を入ると30mほどのアプローチがあり 前庭となっています。
アプローチにはバラが植えてあります。
芝生や木立のある素敵な庭です。
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玄関。ここからは 見学者は入れません。
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玄関扉の飾り
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模型の全体像です。付属棟には、喫茶スペースがあります。
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2014年12月20日

山手イタリア山庭園・横浜山手西洋館5

ブラフ18番館から 山手イタリア山庭園へ 階段を上ります。
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一段と高い場所にある「外交官の家」が見えてきます。
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山手イタリア山庭園  中区山手町16
庭園は根岸線の線路を見下ろす崖の上に位置しています。石川町駅のホームから見上げると かなり高いところに外交官の家が見えます。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、イタリア山と呼ばれています。
中央には水路があり、それを取り囲むように花壇が配されています。
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外交官の家のほうから見ています。
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イタリアで多く見られる庭園様式を模し水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園です。
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喫茶コーナーのテラス席。庭園内には随所にベンチが置かれ、のんびりとくつろぐことができますが 外交官の家には喫茶室も併設されているので 景色を楽しみながらすごすこともできます。
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庭園から 玄関前にまわります。
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ここが 入館口になります。
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2014年12月19日

ブラフ18番館庭・横浜山手西洋館4

2階の窓から見える庭園の様子や木々が美しい。
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ここは かなり高い位置なのです。
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ギャラリーです。庭にはベンチが置かれています。
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紅葉がきれいです。
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「山手イタリア山庭園」からは少し低い位置になります。2階からの眺めです。
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庭に出ると 北側に展望デッキがあります。
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横浜の市街やマリンタワー、 ベイブリッジも見えます。
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木々が多く 静かで穏やかな空間です。
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建物北側です。
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ここから 「山手イタリア山庭園」に行きます。
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階段を上ると 外交官の家が見えます。
さらに階段を上ります。
タグ:横浜 観光 建物
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2014年12月18日

ブラフ18番館2階・横浜山手西洋館3

2階へ行きます。
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階段には震災前の古い部材が使われている。
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2階廊下の突き当たり。
左の扉は玄関ポーチの上のバルコニーに出る扉です。
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2階は談話室、閲覧室、展示室。
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2階には椅子があるので くつろぐことができます。
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坂道をあがってきたので ゆったりとした椅子でくつろげるのはありがたいです。
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この展示室には暖炉があります。
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ブラフ18番館の暖炉は木製で彫刻が施されたものです。
2階からの眺めもまた格別です。
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2014年12月17日

ブラフ18番館1階・横浜山手西洋館2 

館内は震災復元期の外国人住宅の暮らしを再現しています。
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1階2階ともに中心を廊下が通り、その両側に部屋があります。
1階廊下の上部の斜めの格子がアクセントになっています。
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左手のダイニングルーム。柔らかな日差しが心地よいです。
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テーブルや椅子は、本牧にある洋館、バーナード邸にあったものだそうです。
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暖炉
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居留地に家具を納入していた横浜家具を復刻したそうです。
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ダイニングの向かいはリビングルーム
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ミントグリーンのドアや窓枠がいい感じです。
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隣のサロン。サロンにあるピアノは、100年くらい前に作られた。松本ピアノだそうです。
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サロンとの間の壁に暖炉があります。
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庭に面した部分はリビングからサロンまで続くサンルームになっています。
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高台の端に面しているサンルーム。
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鎧戸の下についたストッパーは、バイオリンの胴にある「f字孔」のようで おしゃれです。
換気口は鋳物グリルの装飾.
2階に上がります。
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2014年12月16日

石川町駅〜ブラフ18番館・横浜山手西洋館1

JR京浜東北・根岸線「石川町駅」です。
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石川町駅元町口(南口) 横浜市中区石川町二丁目
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駅の前に 洋館への地図があります。
地図に従い 駅すぐ横の路地に入ります。
地図で見ると近そうに見えるけど、高低差大の大丸谷坂を登ります。
かなり急な坂で 途中バテそうになったころ 左下に大丸谷地震地蔵尊が見えます。
関東大震災で犠牲になった人たちの慰霊だそうです。
坂がきつくて もういや!とおもう頃 坂の途中から山手イタリア山庭園の裏口があります。
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今までの疲れも 吹き飛び すたすたと階段を上ります。
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本来の玄関部分は閉鎖され、内部見学のための入館口はここです。
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模型です。
入館口の南側にはホールが併設され、これは有料で使用できます。
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ブラフ18番館  横浜市中区山手町16
最初は山手町45番地に建っていましたが、現在地が旧山手居留地18番地であったことからこの名になっています。
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洋館の玄関側。オレンジ色のフランス瓦、グリーンの窓枠と鎧戸、白い壁のバランスが美しい洋館です。
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大正末期に建てられた外国人住宅で、1991年までカトリック山手教会の司祭館として使用されていた。1993年にイタリア山庭園内に移築復元しました。
ベイウィンドウ・上げ下げ窓・鎧戸・サンルームなど、当時の外国人住宅の特徴が見られます。
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入口で 靴を脱いで中に入ります。
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2014年12月15日

福徳神社・日本橋室町

福徳神社は、中央区日本橋室町にある稲荷神社です。
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この地で1千年以上の歴史を持つ「福徳神社」の新社殿が2014年10月に完成したばかりです。
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防火地域のため純木造にはできなかったそうですが、鉄骨造りにした上で、表から見える部分にはふんだんに吉野ヒノキを使い 屋根は銅板ぶき。
徳川家康も参拝したという由緒正しい神様は、江戸時代中期頃までは、商家が軒を連ねる繁華街となった日本橋で大切にされていました。
“流浪の神様“と新聞記事になったこともある福徳神社。江戸時代後期から最近までは不遇の連続で 廃社や火災による消失、再開発などによって、居場所が定まらないまま、日本橋地区をお社だけが点々としていたとのことです。
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現在の本殿ができる前は 鳥居前の広場にこのような仮宮がありました。
移転のあと現在も同じ場所 ガラスケースの中には新しいお社が置かれています。
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この新しい本殿の中に 元のお社がそのまま移転して置かれています。
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狛犬ならぬ神狐
豊穣の蔵のを加えてる左側
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右側は宝珠
一応 阿吽です。花火で玉屋!鍵屋!って言うのは神狐からきているそうです。
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宝くじの当選を祈願するための幸運鈴
購入した宝くじを三宝の上に乗せ、その上で鈴を鳴らしてお祓いを行ってから祈念すると 幸運が・・・
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【福徳神社の由緒】
清和天皇の貞観年間(860 〜876年)には既にこの地に鎮座していたといわれる。
神社の主祭神は「宇迦之御魂神」(うかのみたまのみこと)で五穀豊穣の神様。人々は神社を福徳稲荷とも呼びその周囲に広がる鎮
守の森を稲荷の森と名付け、社地に立つ一里塚を稲荷の森塚と呼んでいた。この度の再建において、当時の塚に書かれていたと伝わ
る文言を記した一里塚を再現した。
徳川家康をはじめとする歴代将軍も信仰し、二代将軍・秀忠が1614年の正月に参詣した折には、「福徳とはまことにめでたい神号で
ある」と称賛の言葉を残したといわれ、この時、椚(くぬぎ)の木からなる鳥居に若芽が萌え出たことから「別名:芽吹稲荷」と命
名された。この由緒にちなんで、新しい社殿の横にはお御籤を結び付ける木として、くぬぎの木を植えている。
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江戸末期の農耕の図を描いた五風亭貞虎作「豊年萬作之圖」(福徳神社所蔵)。画面右側、後方の森の中に「福徳稲荷」のお社が見
える。
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江戸時代、徳川秀忠が参拝をしたとき、鳥居から若芽が出ていたために「芽吹神社」という別称がついた福徳神社。12月というのに 枝垂れ桜に数個の花が咲いていました。
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神社の隣に、約1千平方メートルの「鎮守の森」を2016年度までに造り、地下には商業スペースを設ける計画だそうです。
タグ:神社・寺院
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2014年12月14日

にほんのクスノキ・日本橋室町

日本橋三越前の通り沿いにはいくつかのアンテナショップがあります。
今回 寄ったのは次のショップ。
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奈良まほろば館 
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にほんばし島根館  
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三重テラス ここはYUITOの中にあります。
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YUITOの地下入口 日本橋の日本橋室町野村ビル内に設置した商業施設です。
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「にほんのクスノキ
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「樹齢100年とも推定されるこのくすの木は、日本橋より東海道、山陽道へとつながる長崎街道の入口ともいえる「北九州・黒崎」宿の街道脇に、長年に亘って2本並んで佇んでいたものです。その堂々とした姿はまさに御神木と呼ぶに相応しいもので、五街道の起点に再生された「日本橋室町野村ビル」の守神として、約1,000kmの道のりを経て移植されました。 」
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YUITOの御神木  再開発のシンボルとして北九州・黒崎から日本橋へ 
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YUITOとコレド室町の間は 和風な店構えです。
本町通りと町年寄喜多村家 という説明板がありました。
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説明文
本町通りと町年寄喜多村家
本町通りは、徳川家康 が江戸の町造りに着手した時から江戸の中心となっていました。天正18年(1590年)関東に転封となった家康は、浅草に抜ける本町通り沿いに金座や町年寄の屋敷地を下賜しました。現在の天伝馬本町通り(当敷地北側の通り)です。関ヶ原の戦いに勝利した家康は、慶長8年(1603年)更に「天下普請」を開始し、新橋から神田まで南北に貫く目抜き通りを造りました。これが現在の中央通りで、このとき日本橋 が架けられました。翌慶長9年(1604年)日本橋に五街道 の起点が設定され、北に向かう中山道と日光街道はこの交差点で分岐し、日光街道は本町通りをとって東に向かいました。天正から慶長の城下建設で、奉行衆の下で市街地造成と町割りなどに携わった樽屋・奈良屋・喜多村の三年寄が江戸の町政を担うようになりました。喜多村家の役宅は当ビルの敷地にあり、初代彦右衛門の出身は加賀(金沢)だと伝えられています。

浮世小路と料亭百川(ももかわ)
福徳神社南側の通りは、江戸時代「浮世小路」と呼ばれていました。延宝期(1673?81年)の「江戸方角安見図」には「うきよしやうじ」と記載されています。小路と呼ぶのは、この地に屋敷があった町年寄喜多村家の出身地、加賀の方言によって発音されていたことを示しています。浮世小路の東端北側には、落語噺の舞台としても知られる料亭百川 があったとされています。百川は江戸屈指の料理茶屋として繁盛し、幕末にペリー 艦隊が来航した時には、乗組員全員にすべて自前で本膳を提供したほどの力がある料亭でした。小路にあった福徳神社 は小さいながら、遠い平安時代前期からこの地に鎮座していたといわれる由緒ある神社です。徳川家康をはじめ歴代将軍から厚く崇敬されましたが遷座や敷地の縮小を繰り返して、今日にいたりました。縁起の良い名前もあって、江戸時代には氏子である瀬戸物町や伊勢町等の商人達から多くの信仰を集め、富くじ興行でも大いに賑わいました。ここ室町をはじめ日本橋地区で働く人々をそれぞれ「福徳神社広場」、「新浮世小路」と名付けました。
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赤い鳥居は 福徳神社です。
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2014年12月13日

貨幣博物館・日本橋

日本銀行です。
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その前に 貨幣博物館があります。
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貨幣博物館   東京都中央区日本橋本石町1丁目3ー1
貨幣博物館は、日本銀行金融研究所内の2階フロアに設置されている博物館です。
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入館口です。
無料です。中に入ると受付があります。
赤いじゅうたんが敷かれた階段を上り 二階が博物館です。
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館内には古代から現在に至るまでの「日本の貨幣史」、世界の貨幣・紙幣を紹介する「さまざまな貨幣」、および「テーマ展示コーナー」があります。
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受付でもらったパンフレットです。
発掘された貨幣や、藩札、軍票、記念硬貨 外国の通貨などが順路毎に約4000点展示されています。
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効率よく廻れます。おじゃべりは禁物。警備員さんに注意されます。
撮影も不可です。
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廻ったあとに ショップに置いてある この前は撮影可です。
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一億円!!重かったです。10kgです。
売店があり ほとんどが自動販売機で買えるようになっています。
この博物館のお土産は とても面白くて 本当にここでしか買えないものばかりです。
貨幣饅頭やせんべい、コインチョコ、お札のタオル、お札のあぶらとり紙、裁断されたお札が入っているボールペン、キーホルダーなどユニークなものばかりです。
東京土産にいいかも!
残念ながら リニューアルのため12月29日から2015年11月頃まで休館します。
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2014年12月12日

三越前〜西河岸橋・日本橋

東京都の木 銀杏も 黄色く色付いて今が 見ごろ。
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日本橋に行きました。
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三越日本橋本店 「東京都選定歴史的建造物」
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シンボルのライオン像 
この像が誕生したのは大正3年(1914) 100歳です!!
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向かって左
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向かって右
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通称 日銀通りにかかる西河岸橋
日本橋から一石橋までの日本橋川右岸地域が西河岸町という地名であった事から「西河岸橋」と名づけられました。
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初代は明治24年に架設 
大正14年に現在の橋に架け替え
平成平成2年に修復
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橋の上から見る 日本橋川と日本橋。
高速道路に覆われ 風情がない・・・・
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日本橋魚河岸があったのは日本橋川北岸の東寄り。対してその西側、一石橋までの北岸にあったのが裏河岸です。
次 日銀前の 貨幣博物館に行きます。
タグ:文化財 建物
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2014年12月11日

横浜赤レンガ倉庫 2・横浜散歩

赤レンガ倉庫 2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。
保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていました。
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1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり まわりは赤レンガパークとして整備されました。
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横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設になりました。
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2号館の中は 飲食店などの商業施設で にぎわっています。
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ここでしか買えないものもあって なかなか楽しいショッピング施設です。
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背面は鉄骨造バルコニーとなっていて そこには日本最古の荷役用エレベーター塔屋があります。
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横浜赤レンガ倉庫2号館 2階のバルコニー
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横浜赤レンガ倉庫2号館 2階のバルコニー海側の端に 幸せの鐘があります。
かなり大きな音で響きます。
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赤レンガパークの石畳は明治時代のままで レール跡も残されています。
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旧プラットホームのレール並びになるバス停です。
止まっているバスは 横浜市営交通の 横浜観光スポット周遊バス『あかいくつ』 です。
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1回100円 一日券500円。
レトロ調の可愛いバスです。
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2014年12月10日

横浜赤レンガ倉庫 1・横浜散歩

横浜赤レンガ倉庫は横浜港の物流拠点として明治から大正に建設され、文化商業施設として生まれ変わった歴史的建造物です。
明治政府によって保税倉庫として建設され、当時の正式名称は新港埠頭保税倉庫
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赤レンガ倉庫1号館 神奈川県横浜市中区新港一丁目
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1号館は 2002年、文化施設として開館。
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1号館の保存階段。
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荷物の上げ下ろしのスロープをガラスで覆って保存。
ガラス張りで 下が見えて怖いです。降りるときのほうが段差がわからず 怖かった・・・
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1階の床にはガラスで 見えるようになった保存展示物があります。
これは100年瓦
百年瓦について. 1994 年に始まった改修工事の際に、赤レンガ倉庫 1 号倉庫、 2 号倉庫の屋根瓦 14 万枚すべてが新しい瓦に葺き替えられました。その瓦は 「百年瓦」と名付けら限定頒布されました。
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当時の煉瓦
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吊戸
400kgの防火扉をスムースに動かすアメリカ製の部品です。
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お菓子で作られた 赤レンガ倉庫
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横浜赤レンガ倉庫に使用された煉瓦の数は2号館で約318万個だそうです。
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避雷針の先端から高さまでの長さは3m。
当時の姿に復元し 現在も機能しているということです。
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真ん中の4階部分に見える 一番上の窓の部屋は 揚重機室。荷物を運ぶクレーンの機械室だったそうです。
関東大震災後 撤去され2階3階の開口部に窓が取り付けられました。
現在は施設管理施設になっています。
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2014年12月09日

赤レンガパーク・横浜散歩

汽車道は港湾緑地として整備されています。
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コスモワールドなどみなとみらい21地区が見えます。
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汽車道は凱旋門のようなナビオス横浜の下を通っています。
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万国橋交差点
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横にはワールドポーターズ。ショッピングセンターです。
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ワールドポーターズの二階部分は 国際大通りと万国橋通りの交差点に架けられた楕円形の歩道橋 新港サークルウォークにつ ながっています。
新港サークルウォークから 赤レンガ倉庫を見ています。
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赤レンガ倉庫のバス停なのですが ここにもレールが轢かれています。
旧横浜港プラットホームがあった場所です。
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赤レンガパークからは 横浜3塔が見えます。
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横浜ベイブリッジ方面
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風車も見えます。
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次 赤レンガ倉庫に入ります。
左が1号館 右が2号館です。
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2014年12月08日

桜木町駅〜汽車道・横浜散歩

横浜 桜木町駅です。
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1872年、日本で最初に鉄道が開通した時に初代の横浜駅として開業したのが 現在の桜木町駅です。
駅内には 初代の駅舎等の写真がありました。
桜木町というと 山崎まさよしのヒット曲「One more time, One more chance」の舞台となった場所です。
駅から少し行くと 日本丸メモリアルパークがあります。
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日本丸は1930年に進水した、文部省の航海練習帆船。1984年9月16日に退役した後、1985年4月よりパーク内の展示ドックで浮体展示されています。横浜港をテーマにした・横浜みなと博物館があり 船内見学もできます。
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日本丸展示ドックは国の重要文化財に指定されています。
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観覧車から見ていますが これが汽車道と橋梁です。
汽車道とは神奈川県横浜市の桜木町駅前と新港地区とを結ぶ、鉄道廃線跡を利用して1997年に開通した500mほどのプロムナードです。
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汽車道の3つの橋梁は「旧臨港線港一号橋」「旧臨港線港二号橋」「旧臨港線港三号橋」として近代化産業遺産群に指定されています。
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汽車道から見える帝蚕倉庫事務所(旧・横浜生糸検査所附属倉庫事務所) 【横浜市指定文化財】
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万国橋 
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ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルと観覧車
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ランドマークタワー
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汽車道の正面には赤レンガ倉庫が見えます。
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2014年12月07日

藤野厳九郎旧居・登録有形文化財(建造物)

藤野 厳九郎(ふじの げんくろう、1874年7月1日 - 1945年8月11日)は、日本留学時代の魯迅の恩師として知られています。
愛知医学校(名古屋大学医学部の前身)卒業 東京大学で解剖学の研究をしたのち、知人の紹介で仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に講師として赴任、1904年7月に解剖学講座の教授に昇格しました。
1915年、仙台医専は東北帝国大学医学部に改組された。帝国大学の教員には帝大卒の資格が必要であったため、医学校卒の藤野は資格を満たせず、退官して郷里の福井県に戻り、三国町で開業医となりました。」説明文より抜粋
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記念館の横にたつこの住宅は昭和8年(1933)から同20年(1945)まで厳九郎が夫人と暮らしていた三国にあった旧居を昭和59年(1984)に移築したものです。
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木造2階建て、瓦葺、妻入りの家で、玄関や台所、1階と2階にある2室続きの和室などほぼ往時のまま残されています。
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パンフレットにあった間取り図です。
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昭和初期の三国の町屋形式の家です。
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藤野先生の息子さんの玩具もありました。
懐かしいブリキのおもちゃです。
駅前ですから 電車(越前鉄道)の時間待ちにでも見学することができます。
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2014年12月06日

藤野厳九郎記念館・あわら温泉湯のまち広場

あわら温泉湯のまち広場には 藤野厳九郎記念館があります。
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「藤野厳九郎記念館は、昭和58年芦原町と中国の浙江省紹興市との間で締結された友好都市を記念して、藤野家遺族の方から三国町宿
にあった旧居が寄贈されたものです。」説明文より
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中国の文豪・魯迅が、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に留学していたときに師事したのが藤野厳九郎です。
その師弟愛は、小説「藤野先生」につまびらかに綴られています。」
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記念館内の資料室に展示してある書籍、医療器具、 書簡など多くの遺品は、藤野厳九郎の人柄を知る上で、貴重なものです。
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藤野厳九郎は、解剖学教授として周樹人(魯迅)と師弟の交わりのあった仙台医学専門学校(現東北大学医学部)を辞して以来、主として生まれ故郷である本荘村(現あわら市)下番に住み、医師として診療に当たった。
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資料室に展示してある数々の遺品とともに、藤野厳九郎の人柄をしのぶことができます。
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厳九郎が耳鼻科医として使用した医療器具、書簡、自筆ノート等が展示されています。
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昭和8(1933)年から逝去した昭和20(1945)年までの12年間は、文夫人と三国のこの家で暮らしました。
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藤野厳九郎旧居 登録有形文化財(建造物)
昭和前/1926〜1945/1983・2011移築
木造2階建、瓦葺、建築面積61u1棟
福井県あわら市温泉1-203-1
登録年月日:2013 06 21
あわら温泉湯のまち広場の東側に南面して建つ。木造二階建、切妻造妻入、桟瓦葺で、南面及び東面に下屋を廻らす。外壁のほか、窓の外側も腰高に簓子下見板を張り寒風対策を講じる。室構成などに日本海沿いの旧三国町における町家形式を伝える、近代和風住宅。 (文化庁)
次 家屋の中を見ます。
posted by うめのはな at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都以外

2014年12月05日

あわら温泉湯のまち広場足湯・福井県あわら市

東京散歩 一休み・・・・
福井  あわら市駅前に平成26年4月18日オープンした 足湯です。
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芦原(あわら)と足湯で 芦湯・・。
しかし あわら市だと芦原温泉って 書けない・・・・
混浴とありますが あくまでも足!!
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なんとこの施設 無料なのです。
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中もこのように区切られていますから グループ単位で楽しめます。
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総ヒノキ造りで地元福井県産の笏谷石(しゃくだにいし)を利用した造りの足湯です
内部には泉質が異なる5つの浴槽を備え、同時に30人以上が足湯を楽しめるという。
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あわら市温泉 湯のまち広場(あわら市温泉1丁目1)
「あわら温泉湯のまち広場」は、えちぜん鉄道のあわら湯のまち駅前にある公園です。
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浴槽には嫁おどしの像が並びます
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嫁おどしとは・・・地元の人ならだれでも知っている伝説です。
越前国吉崎御坊(現在の福井県あわら市吉崎)近くの嫁威谷(同あわら市嫁威)に伝わる伝説で 意地の悪い姑が嫁を威そうと思い つけた鬼女のお面が、顔からはずれなくなってしまったという伝説です。
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地下90メートルから湧き出る約60度の源泉だそうで まったり足湯。
タオルの自動販売機や、女性専用の更衣室があるので旅行客でも安心して入れます。
タグ:観光 福井
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2014年12月04日

新宿区立中村彝アトリエ記念館・内部

靴を脱いで 上がります。
明るい陽射しが差し込んでいます。
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中に入ると、すぐに北側の大きなトップライトが目につきます。
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アトリエの天井は一部を除きほぼそのまま現存していたそうです。
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床や天井、壁の腰板など、大正5年当時の建築部材を利用して復元。
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彝の使用したイーゼルや家具・調度品(複製)を展示しています。
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元居間の部分。彝の生活の空間であり、療養の日々を送った部屋です。
映像で彝の生涯や作品紹介ビデオが流れています。
庭へ出る扉があります。
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アトリエから奥を見ています。
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キイの部屋 台所の隣の3畳の和室。
中村彝は生涯独身で 17歳で肺を患い37歳の若さで亡くなっています。
岡崎キイという同郷の老婦人が身の回りの世話をしていました。
実の親子のような信頼関係で結ばれ病状の悪化した 彝を最後までお世話していました。
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台所部分に置かれていたのは 屋根を支えていた古い部材です。
屋根架構のキングポストトラス(中央に束つかのある洋風小屋組)で枕梁を架け渡しそこに掛かる跳ね梁が屋根を支えていました。
これらの古い部材は強度の問題で再利用が認められなかったそうです。
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当時の平面図
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再現した部分。
1911年中村彝は、新宿中村屋の主人相馬愛蔵・黒光(こっこう、本名良)夫妻の厚意により、中村屋の裏にあったアトリエに住み 新宿中村屋の愛娘相馬俊子に激しい恋をしました。
中村屋サロン美術館が2014年10月29日開館しました。
この日は 林 芙美子記念館〜佐伯祐三記念館〜中村彝記念館と巡りました。
かなり歩きました。この後 目白駅まで徒歩で行き 帰宅しました。
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2014年12月03日

新宿区立中村彝アトリエ記念館・外観

佐伯祐三アトリエ記念館を後にして、少し広い道に出ます。
ここに聖母病院があります。
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1931年(昭和6)12月「マリアの宣教者フランシスコ修道会」によって国際聖母病院が建設されました。
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聖母病院 東京都新宿区中落合二丁目5番1号 
その前には 旧聖母大学があります。
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学校法人聖母学園と学校法人上智学院の合併 により解散。
聖母大学の敷地・施設を受け継ぐ形で上智大学の看護学科が開設された。
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新宿区中井・落合地区は、大正・昭和初期に、高級住宅地として分譲され文化人などが多く住みました。
その地区内の、林芙美子記念館→佐伯祐三アトリエ記念館→中村彝アトリエ記念館と、散策コースとなっています。
黄色線で移動しました。道幅は狭いです。
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住宅街に中村彝(つね)アトリエ記念館があります。
コンクリートの壁にという文字が刻まれていました。その部分だけ拡大し貼り付けました。
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新宿区立中村彝アトリエ記念館 新宿区下落合3-5-7
「中村彝は大正期に活躍した洋画家で、大正5年(1916)、新宿区下落合にアトリエを新築しました。この下落合に残る彝のアトリエを復元・整備し、2013.3月17日(日)から新宿区立中村彝アトリエ記念館として公開しました。新宿区」
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手前に明るい芝生の庭があり、下見板張りの、山小屋風のかわいらしい建物です。
このアトリエは大正5年(1916)に建てられ、最近まで奇跡的に廃屋で残っていました。
資料を基に復元し 公開しました。
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下見板やドアなどは当時の材を使って復元したとのことです。台所部分です。
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裏に合わると 井戸がありました。
下落合の豊富な地下水を活用する防災井戸も兼ねているとか・・・
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入ってすぐの右側にある 管理棟(展示室)から見ました。
展示室では解説パネルで彝の生涯や画業を紹介しています。
作品は高精細度写真です。
次 アトリエの中に入ります。
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2014年12月02日

新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館

佐伯公園に入ると 洋瓦が薄いブルーで彩られた、チャペルのような三角屋根のアトリエが見えます。
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新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館 東京都新宿区中落合2-4-21
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佐伯祐三のアトリエだった建物を整備して新宿区が平成22年(2010年)4月に開館しました。
ここはテラスになっていて ミニギャラリー兼案内所です。
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管理室側は和風です。
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元住居部分がテラスになっているそうです。
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佐伯は31歳で死去するまで、画家としての活動期間の大部分をパリで過ごしており、この地で生活をしたのは4年余りですが彼が日本で唯一創作活動の拠点にした貴重な場所です。
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大正期のアトリエ建築です。
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アトリエに入ると、北面に高くて大きな窓があります。
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自画像とデスマスク
「佐伯祐三と下落合」 の映像を係りの人が見せてくれました。10分ほどです。
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フランスから一度帰国した直後に集中して描いた 「下落合風景」 12点の写真パネルや佐伯の略歴などが展示されています。
実物の絵や遺品はここにはありませんでした。
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当時のアトリエ兼住宅の模型
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間取り図。
1920(大正9)年に結婚した佐伯はその翌年この場所にアトリエと住居を建てました。未亡人が亡くなると住居部分は壊されてアトリエだけがそのまま残されていました。
撤去された住居部分はアトリエに接続していました。、その平面を木造のテラスで表して部屋の境も分かるように工夫してあります。
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隣の小部屋には 画家でもあった米子未亡人と娘彌智子についての資料が展示されていました。 佐伯祐三はパリで亡くなっていますが、その半月後に6歳の長女も亡くなり、夫人の佐伯米子はひとり日本に帰り、下落合にもどって、亡くなるまで暮らしたそうです。
次 中村彝アトリエ記念館に向かいます。
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