2014年11月30日

林芙美子記念館・アトリエ棟

石蔵ギャラリーの隣はアトリエ。
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靴を脱いで中に入ります。
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アトリエ(現展示室)
画家であった夫・緑敏がアトリエとして使用していた。
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波乱万丈の人生だった林芙美子氏も 画学生だった手塚緑敏と内縁の結婚をした後は落ち着いた。
養子を得て短い幸せな時期を過ごし、わずか47歳の若さで急逝。
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庭から見る書斎。
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裏から見るとこの部分
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書斎2
納戸として作られました。最初の書斎が芙美子は明るすぎると言って、奥の納戸に移ってしまいました。
半障子の落ち着いた部屋です。
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庭から観る寝室
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寝室
はじめ、この部屋と奥の次の間は芙美子の書斎として造られました
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書庫
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次の間
インド更紗模様の押入れ
寝室 次の間 書庫と3間続きです。
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和風数寄屋造りをベースにしながら和風モダンの香りのする独創的な家です。
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2014年11月29日

林芙美子記念館・庭

玄関前には竹が植えられています。
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林芙美子生存中は 庭一面に孟宗竹が植えられていました。死後、その面影は客間前の庭付近に見られるだけとなりました。
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坂の途中にあった門。
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作家林芙美子が晩年を過ごした家を保存する形で 記念館として再生したものです。
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庭には、芙美子が好きだった竹を始め、寒椿、ざくろ、かるみや、おおさかづきもみじなど、芙美子が愛した木々が植えられています。
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庭にはこんなものもありました。
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当時の面影をそのまま残しているそうです。
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名園・庭園という感じです。
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生活棟からアトリエ棟に行くまでも庭が楽しめます。
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水路もありました。
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植物には名前の標識があります。
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庭の片隅にある石蔵ギャラリー
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年4回の展示替えがあるそうです。
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2014年11月28日

林芙美子記念館・生活棟

入館料150円を払い 入口の土間から生活棟からまわります。
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屋内は入れませんので 庭から見るだけです。
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勝手口と土間の通路。
竣工当時は戦局が厳しく三十坪以下の建築制限があったため、林芙美子名義の棟と、夫・緑敏名義の棟を二軒に分ける形で建設されたそうです。
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勝手口から台所を垣間見ることができます。
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?料理上手の台所。林芙美子さんは身長が143cmしかなかったそうで、流し台は彼女の背丈に合わせて造らたとのことです。
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総ヒノキの当時としては珍しかったであろう落とし込み式風呂
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間取り図でみると台所脇に小部屋があります。板敷 二段ベッドの使用人部屋
便所と同じくらいの広さ。狭いなぁ・・・
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茶の間 パンフレット説明より
「掘りごたつ、釣り戸棚、二段押し入れ、収納式神棚、多くの小引出しなどを備えたこの部屋は、暮らしやすさを考えた一家団らんの場でした。
ちゃぶ台を囲んで一家が集まる時、芙美子の母・キクは、常に右手床の間の床柱前に、大きな座布団を敷いて座ったそうです。」
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旧林芙美子邸(新宿区立林芙美子記念館) 新宿区有形文化財
 設計:山口文象建築事務所(担当:角取庸司)
 施工:大倉土木
 竣工:昭和16(1941)年8月
 構造:木造平屋
 所在地:東京都新宿区中井2-20-1
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 小間 パンフレット説明より
「 奥の棚に小さな仏壇が置かれたこの部屋は芙美子の母・キクが使っていました。しかし、男性の書生がいるときにはその寝室にもなりました。また、客間がいっぱいになったり、ひき会わせたくない客がぶつかると、客間としても使われました。
画家であった夫・緑敏のために作られました。」
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庭からみた小間
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玄関 パンフレット説明より
「人気作家となり、多くの仕事を抱えていた芙美子のもとには、原稿の受け取りや執筆依頼の客が毎日何人も訪れました。そのため、芙美子や家人は居留守を使うこともたびたびあったそうです。」
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玄関から客間を見ています。
客間 パンフレット説明より
「玄関脇に位置するこの部屋には、芙美子の原稿を取りにきた記者達が何人も待たされていました。
朝10時ごろから入れ替わり立ち替わり記者がやってきたそうです。
しかし、芙美子お気に入りのごく親しい記者は茶の間に通されたといいます。」
生活棟を見て庭を戻りアトリエ棟に向かいます。
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2014年11月27日

林芙美子記念館・落合〜中井

東京メトロ東西線の落合駅で降り 林芙美子記念館に行きました。
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都営地下鉄の中井駅のほうが便利なのですが 東西線を利用しました。
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途中 山手通り沿いに最勝寺という寺があります。
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真言宗豊山派寺院  新宿区上落合3-4-12
この先を左折します。
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新宿区の落合台地を東西に流れる妙正寺川を渡ります。台地の南側斜面には、多くの坂があります。
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東から西に一の坂から八の坂まであって、地元町会による標識が取り付けられています。
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四の坂を上ると 林芙美子記念館です。先の階段手前です。
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坂の途中の門です。ここからは入れません。
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ここが入口です。
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中に受付があります。
林芙美子記念館 東京都新宿区中井2丁目20-1 
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作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
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屋内は立ち入りできませんが 庭先から見学することができます。
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2014年11月26日

虎ノ門金刀比羅宮

虎ノ門の地名 昔、江戸城の外郭門「虎之御門」があったことに由来しているそうです。
虎ノ門オフィス街の パワースポットとして知られているのが虎ノ門 金毘羅宮です。
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敷地内には、金刀比羅宮との複合施設として高層オフィスビルの虎ノ門琴平タワーがあり、社務所や神楽殿といった施設と一体化しているます。
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手水舎
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水路の上の神楽殿
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虎ノ門金刀比羅宮  都選定歴史的建造物
東京都港区虎ノ門1丁目2番7号
建 物    建設年 昭和 26 (1951)
設計者    設計者 伊東 忠太
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虎ノ門金刀比羅宮
 「讃岐丸亀藩主の京極高知が領地・讃岐の金刀比羅宮大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請。その後延宝7年(1679)に現在の虎ノ門に移る。こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、
大変賑わったといわれる。
 社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに總尾州檜造り、銅板葦きである。日本最初の建築史家伊東 忠太の設計校閲による建物で我が国古来の建築技法が随所に用いられている。
 なお、社殿の奥の本殿は昭和58年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造り、銅板葦きとなっている。東京都生活文化局 」
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伊藤忠太と聞いて 築地本願寺などを思い浮かべました。我が国古来の建築技法が随所に用いられています。
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銅鳥居
 この銅鳥居は、文政四年(一八二一)十月に奉納された明神型鳥居で、「金刀比羅大神」の扁額が掲げられています。
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円柱には青竜・玄武・朱雀・白虎の霊鳥・霊獣が飾られ、下部には奉納関係者の名前が刻まれています。
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願主・世話人の多くは芝地域の商人と職人でした。 江戸市中の地名・人名もみられます。
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百度石
 正面に「百度石」、背面に元治元甲子年(一八六四)十二月吉日」の銘があります。
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境内には2つの境内社があります。喜代住稲荷神社
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結神社
すぐ前は千代田区ですが 虎ノ門金刀比羅宮は港区です。 いわゆる「こんぴらさん」と言われる金刀比羅宮系列社の中では、首都圏でも、結構、大きい部類に入ります。
伊藤忠太氏の金毘羅宮を拝観したのち 虎ノ門駅に向かいました。
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2014年11月25日

溜池山王〜虎の門

東急キャピトルタワーの脇を抜けると議員会館が見えます。
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衆議院第一議員会館
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総理大臣官邸
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溜池山王駅入り口(パークタワー前)
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溜池交差点
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外堀通りを虎の門方向へ歩くと 虎の門ヒルズが見えてきます。
東京都港区虎ノ門一丁目23番1号 - 4号
地上52階
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「マッカーサー道路」の通称で知られる都市計画道路環状2号線(新橋-虎ノ門区間愛称 新虎通り)が3月29日開通し、「虎ノ門ヒルズ」の地下躯体を貫通しています。中央区築地から虎ノ門までの地下トンネルの名称は「築地虎ノ門トンネル」
この界隈 あちこち道路整備中で 迷いました。
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虎ノ門駅に行く途中見かけた石碑
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新聞創刊の地 千代田区霞が関3-8-1
読売新聞は 1874(明治7)年に この地で「日就社」によって創刊されました。
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旧文部省庁舎 登録有形文化財 千代田区霞が関3-2-
このすぐ前が虎ノ門駅です。
タグ:建物
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2014年11月24日

クルーズ船 飛鳥U・横浜港

21日(金)14時ころ 偶然 横浜大桟橋に入港したばかりの飛鳥Uに出会いました。
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横浜港大さん橋国際客船ターミナル 神奈川県横浜市中区
「飛鳥II」の船籍港は横浜港です。
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すごく大きい!
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ついたばかりで デッキに人の姿が見えます。
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先日は 晴海ふ頭で にっぽん丸を見てきましたが 二度も客船をみることになるとは・・・
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対岸の赤レンガパークからは全体像が見えます。
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艦種:クルーズ船 総トン数:50,142トン全長:241 m 全幅:29.6 m 喫水:7.8 m 収容能力:960人(乗客) 乗組員:545人
この日は 神戸から横浜に入港。
21(金) 14:00入 21(金) 21:00出
24(月) 9:00入  24(月) 14:00出
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2014年11月23日

山王日枝神社2・千代田区永田町

境内にある『稲荷神社』へ向かいます。
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拝殿前は 駐車場化していて正面から写真を撮るのは難しい・・・
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奥に『八坂神社』『猿田彦神社』があります画これも金網越しにしか見れません。
ちょっと小さい狛犬が一対
この狛犬はもともと文政3年(1820)に、当時神田神社境内に鎮座していた南伝馬町天王社に奉納されたもの。
明治34年(1901)に石製燈籠などその他の南伝馬町天王社に由来する旧来の石造物とともに日枝神社境内に移転、再設置されたと思われます。千代田区登録有形文化財
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町会の神輿庫
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稲荷参道鳥居
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途中からは連続の鳥居。平成26年奉納の赤い鳥居もありました。毎年寄進されているのでしょうか・・・
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社殿広場から見た 神門
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神門の内側には神猿像が一対泰安されている。
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神門の外側には随身像
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表参道(山王男坂)の石段を上ると この神門
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左手には 宝物殿
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その脇にはさざれ石
この石は岐阜県揖斐郡春日村の山中より発掘され運ばれたもの。
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日枝神社男坂、52段の石段を担ぎあがる連合宮入は勇壮だそうです。
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表参道鳥居。
ここから 東急キャピトルタワー脇を抜け 首相官邸前に出ます。
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2014年11月22日

山王日枝神社1・千代田区永田町

地下鉄 溜池山王駅を出て外堀通りを赤坂見附方面に少し歩くと 大きな鳥居があります。
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日枝神社の「山王鳥居」です。
鳥居の上が尖がってます。山王鳥居・合掌鳥居とも言って 大山咋神(おほやまくひのかみ)を祀ったお社に用いられる特徴的な鳥居だそうです。
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山王鳥居の先に上り専用のエスカレータがあります。
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この日枝神社は、皇居の南西、以前は星が丘と呼ばれた高台にあります。
この先にもうひとつ エスカレーターがあります。
ありがたくエスカレーターで上らせていただきました。
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境内図がありました。
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上りきると 社務所や南神門があります。
ここから入らず 奥に回ると「神門」から入ることができます。
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日枝神社拝殿  東京都千代田区永田町2丁目10番5号
山王日枝神社は、鎌倉時代初期に江戸太郎重継が居館に日吉の大神を勧請したことにはじまるといいます。
徳川家・江戸と非常に関係の深い神社。
江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。
大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。
山王社が現在の日枝神社となったのは明治時代になってからで日吉権現の元地である比叡山の名をとってつけられた。
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社殿の両脇には狛犬ではなく「猿神様」がいます。
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赤ちゃんを抱いています。夫婦の猿だそうです。
猿(えん)と「縁」が通じることから、縁起が良く、縁結びの神社として有名。
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山王日枝神社夢御殿
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銅製燈籠。千代田区指定文化財、有形文化財(工芸品)指定
明暦三年の火事で被災した山王社が現社地に遷座したのち、万治二年(1659)四月晦日に、幕府による法事が執行された際に奉納されたものだといわれています。
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毎年4月末には満開になる「藤棚」の下は休憩所になっています。
見事な藤棚。花の咲くころに 一度見てみたいものです。
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2014年11月21日

旧神谷伝兵衛稲毛別荘3・千葉市稲毛

南東隅の廊下突き当りには、半円状に突き出た出窓があります。
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半円の床の部分は、板張りで砂壁という純和風の作りです。
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外観は洋風。和洋折衷的です。
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屋根架構はキングポストトラス(中央に束つかのある洋風小屋組)で 屋根のこう配部分は資料などが展示してありました。
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稲毛の海岸 松林の写真も展示されています。
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ワイン王の歴史を物語る 資料や写真も展示
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丸窓がおしゃれです。
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牛久シャトー
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浅草神谷バーの電気ブラン
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神谷主催の当時のワイン・パーティーの様子。
矢印は板垣退助。
別荘には台所がなく、
来客があった時は 現在市民ギャラリーとなっている和館(内家部分)で料理を作って供したそうです。
これで稲毛散歩はおわります。
帰りは京成稲毛駅に出たものの 電車の本数が少なく さらに徒歩で10分ほど先のJR稲毛駅まで歩きました。 途中昼食をとり休憩できる店がぜんぜんなくて 疲れました。
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2014年11月20日

旧神谷伝兵衛稲毛別荘2・千葉市稲毛

外観は洋風ですが 2階は和室です。
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12畳の主和室と8畳の和室
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床の間横の脇障子には金箔の漆絵が付けられています。
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漆絵はそれぞれ異なった図柄。左は麒麟、中は獅子、右は山水。
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床柱には葡萄の木を使用しています。
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ぶどうの巨木
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欄間の意匠は葡萄
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違い棚や付け書院を合わせもった本格的和室
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天井を竹格子で組み、部屋全体をぶどう棚に見たてた仕上げ。
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2段の折り上げ格天井
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内側和風の窓。外は洋風仕上げ。
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1枚の木からくり抜いたもっこく型の窓
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東と南の面には畳敷きの廊下が設けられています。
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2014年11月19日

旧神谷伝兵衛稲毛別荘1・千葉市稲毛

旧神谷伝兵衛稲毛別荘です。無料で一般公開されています。
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旧神谷伝兵衛稲毛別荘  千葉県千葉市稲毛区稲毛1-8-35
国・登録有形文化財(1997.05.07)
竣工1918年(大正7年)
市内に残るコンクリート建築としては最も古いものの一つ。
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一階ピロティ正面にロマネスク様式に通じる5つの連続アーチがあります。
外観は白色タイル仕上げ 隣の市民ギャラリーは神谷別荘の外観に合わせています。
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神谷伝兵衛は浅草の神谷バーや牛久のシャトー神谷で有名な明治時代の実業家でワイン王です。
牛久には、シャトーカミヤ本館や、 神谷傳兵衛記念館があります。
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1階 ピロティ。
もともと別荘で 庭に面した洋間からこのピロティに出て ワインでも飲んだでしょう。
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1階洋間(広間)寄木張りの床です。
シャンデリアや暖炉は昔のまま。イスなどは張り替えていますが、木質部は昔のまま。
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暖炉タイルはアールヌーヴォー調
この洋間はロープが張られ 中に立ち入ることはできません。
説明板が 置いてありました。次の通り
初期の鉄筋コンクリート建築
「稲毛別荘建築は、大正6年4月に着手し、大正7年には竣工したと思われるが、設計者等や施工者等の記録が無<、残念ながら特定できていない。
 洋館の構造は、鉄筋コンクリート造り、半地下、地上2階建で、屋根架構は、キングポストトラス(中央に束のある洋風小屋組)である。
 この洋館は、千葉市内に現存する鉄筋コンクリート建築として最も古く、全国的に見ても初期の建築で、大正12年(1923)の関東大震災による煉瓦建築の崩壊ぶりをみるまで、一般的な建築構造として充分認められていなかった時期に建築されたものとして、建築史のうえからも大変貴重である。」
建築様式と内部の特徴
「建物の外観は、一階ピロティ正面にロマネスク様式に通じる5つの連続アーチがあり、建物全体の外壁を白色磁器質タイルで仕上げ、昭和初期に導入されるモダニズム建築への変化をうかがわせる特徴を持っている。
 建物の内部は、一階が本格的な洋間であるのに対し、二階が和室となっている。
 一階内部の装飾は、玄関天井のシヤンデリアの中心飾にぶどうのモチーフを用いたり、広間に設けたマントルピースに絵かきタイルを用いて床を寄木張りとするなど、 華やかなあしらいとなっている。階段は、典型的な洋風階段と見せながら、一階か ら二階へ続く壁を緩やかな曲線の白漆喰仕上げとし、途中2箇所花台をあしらうなど、一階洋室と二階和室を結ぶために、意謙的にしつらえている。」
神谷伝兵衛稲毛別荘とリゾート地稲毛
「稲毛海岸は、明治21年(1888)千葉県第1号の海水浴場が設けられ、同時に砂丘の松林に観光客用の宿泊施設「海気館」が建てられて、潮干狩りと海水浴などが楽しめるリゾート地として開かれた。
 神谷伝兵衛は、大正6年、休養を第一の目的に稲毛別荘の敷地を、「海気館」と地続きで日当たりが良く砂浜に近いここ斜面地に求めた。伝兵衛61歳の時である。
 当初の別荘建物等の構成は、現存している洋館1棟の他に、隣接して和館1棟と付属施設2棟の計4棟からなっていたようである。
 初代伝兵衛は、別荘を週末に利用する程度であったと言われ、2代目以降は一年のうち5月につつじ見物、8月に海水浴などの避暑として利用していたと言われている。」
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玄関ホールの天井のシャンデリア
付け根の部分の彫刻がブドウの模様
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階段のカーブが面白い
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階段は、典型的な洋風階段です。
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しかし一階か ら二階へ続く壁は緩やかな曲線の白漆喰仕上げ。途中2箇所花台があります。
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1階から2階への階段は洋間から和室への変化をうまく つなげている。
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階段吹き抜けの照明
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2階には和室があります。
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2014年11月18日

千葉市民ギャラリーいなげ・千葉市稲毛

稲毛浅間神社を出て 国道14号線沿いに歩くと 千葉市民ギャラリー・いなげの駐車場があります。
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7〜8台くらいしか止められないと思います。
その駐車場の崖側 黒松の中に 小さな神社があります。
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この神社の詳細はわかりませんでした。
崖にある階段を上ります。
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階段の途中に 旧神谷伝兵衛稲毛別荘の写真があります。
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上りきると 千葉市民ギャラリー・いなげの門です。
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千葉市民ギャラリー・いなげ 千葉県千葉市稲毛区稲毛1-8-35
旧神谷伝兵衛稲毛別荘に隣接しています。別荘の 旧和館があった場所だそうで 昭和63年開館。
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エントランスの周りには、庭園が広がっています。
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いくつかの像なども置かれています。
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稲毛の松林などの景観を生かした庭です。池もあります。
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門を入って右側が旧神谷伝兵衛稲毛別荘です。
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洋館と和館からなっていたが、現在は洋館のみ現存。
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入場は無料です。中に入ります。
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2014年11月17日

稲毛浅間神社3・千葉市稲毛

稲毛浅間神社には八坂神社、大宮神社、稲荷神社、小御嶽神社、厳島神社、室神社、香取神社、若宮社、三峰神社、水神社、山王社、天王社の境内社があります。
目についたものを撮影してきました。
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稲荷神社
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三峰神社
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神明社
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大宮神社
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庚申様
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水神宮
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山王宮
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天王宮
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古そうな 狛犬と灯篭
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二の鳥居からの参道
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二の鳥居を出て 国道14号線を行きます。
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2014年11月16日

稲毛浅間神社2・千葉市稲毛

緩やかに上る参道を歩きます。
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右手に新しい鳥居が見えました。
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八坂神社です。
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浅間神社本殿はこの先一段と高い場所にあります。
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階段下にある 手水舎
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階段を上ると かなり広い境内(広場)になっています。
七五三の時期だからか キティちゃんも鎮座していました。
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稲毛浅間神社   千葉市稲毛区稲毛1-15-10
霊峰富士山を神と仰ぐ富士信仰の古社
御鎮座 大同三年(西暦808年) 
富士山本宮浅間大社から勧請したとされている。
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「1187年(文治3年)に社殿が再建された際に、富士山の形に盛り土が行われ、富士山の方角にむけて社殿が建てられた。三本ある参道もこの時、富士山に倣って作られたもの。境内の広さは最盛期(江戸時代)には東西四百間(約720m)、7町5反歩(22500坪)にも及んだという。現在の境内は約6400坪。社殿は昭和41年に再建されたもの。」説明文より
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神楽殿
例年1月1日、5月5日、7月15日、11月3日、11月23日に神楽が奉納される神楽殿。この神楽は1504年に九州方面から伝えられたといわれる由緒あるもので、千葉県指定の無形民俗文化財となっている。
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2014年11月15日

稲毛浅間神社1・千葉市稲毛

愛新覚羅溥傑仮寓の入り口 国道14号線沿いの隣は稲毛浅間神社の二の鳥居です。
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「昔は海の中に建っていた鳥居」が一の鳥居と言われています。
現在は万葉軒の蕎麦屋敷地にあたりその場所に万葉軒社長が奉納した鳥居です。
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稲毛浅間神社には、三本の参道があり、国道14号線に面しているほうが正面です。
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こちらは 京成稲毛駅からせんげん通りにある 鳥居です。
すぐとなりにもう一つ 鳥居と参道があります。
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ゆるやかな参道が続く せんげん通りの鳥居をくぐりました。
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入ってすぐ左手に木の鳥居があります。
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厳島神社(市杵島姫命) いちおう水の上です。
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手水舎
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天明の文字が見えるので古いものなのでしょう。
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小御嶽神社(磐長姫命)
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ご神体???狛犬も一対 ありました。
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出羽三山の月山神社、出羽神社、湯殿山神社の文字が書かれています。
緩やかな 坂道を上がっていくと 富士山の方向にむけて建てられているという社殿があります。
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2014年11月14日

愛新覚羅溥傑仮寓4・千葉市稲毛

玄関の受付に 「白雲木」の写真があり 裏庭でみることができますというので 裏庭にまわりました。
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客間 屋根の上に 「しゃちほこ」
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客間 縁側前は藤棚
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こじんまりとした いい庭です。
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当時は この庭から 海が見えたのでしょうね・・・
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裏手にあった コンクリート製の防空濠
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太平洋戦争末期に作られた《鉄筋の防空壕》だそうです。
その当時はどなたが住んでいたのでしょう?
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当時は宮中にしか植えることが認められなかった白雲木が植えられています。
五月に白い花が咲きます。
昭和十二年十月、浩は新婚の稲毛宅を離れ、皇帝溥儀・皇后婉容の待つ「満州国」へ旅立つことになりました。
故大正天皇妃・貞明皇后さまは、満州へ嫁がれる浩さまの心情を思い、宮廷花の白雲木の種を「満州に植えるがよい」と浩さまに下さったのですが 、寒冷の満州では芽吹かない心配があり、実家の嵯峨家に栽培を依頼したそうです。
嵯峨家で育った2本の木の種子を この地に蒔いたのですが なかなか発芽しませんでした。
平成十一年の春、白雲木が花芽を持ったそうです。
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「福永こ生寄贈=(浩・結婚の折に、貞明皇后より拝領した木の孫です。)」という解説が記されています。
愛新覚羅溥傑仮寓を出ます。
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2014年11月13日

愛新覚羅溥傑仮寓3・千葉市稲毛

居間の座敷を庭から見ています。
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清朝最後の皇帝溥儀の弟・愛新覚羅溥傑は 愛妻・嵯峨浩(ひろ)と新婚時代の半年間をこの家で過ごしました。
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居間の奥に洋間が一部屋だけあります。
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溥傑夫妻の写真が飾られています。
政略結婚ではあったが、夫婦仲は昭和62年に浩夫人が先立つ最後まで睦まじかったといいます。
終戦直後の満州で捕らえられ、15年間もソ連と中国で 収容所生活を送った溥傑。妻との再会は16年後でした。
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愛新覚羅溥傑氏は最晩年の来日時に際し、この家を再訪しています。
「溥傑(1907ー1994)は、学習院に留学し、卒業後は旧陸軍士官学校に進みました。
満州建国で帰国し、即位した兄・溥儀を助けたが、昭和20年にソ連が満州に侵攻し、逃れる途中、兄とともに捕虜となりました。
中国に送還された溥傑は、昭和35年まで戦犯として服役し、釈放後にようやく妻との再会を果たした。
平成6年に北京で亡くなるまで、その一生を日中友好に捧げ、両国の架け橋となった。」説明文より
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庭には離れ座敷があります。
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凝った造りの離れ床の間です。
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床の間に飾られているポスターは溥傑・浩夫妻の半生をドラマ化したときのもので 溥傑は竹野内豊、浩夫人は常盤貴子。
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2014年11月12日

愛新覚羅溥傑仮寓2・千葉市稲毛

主座敷前廊下から居間を見ています。
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結霜硝子を使った欄間。
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建具の美しい家
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縁側の欄間。
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主座敷前の柱にあるベル。呼び鈴の役目か・・・
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居間前 縁側
保養地の別荘として建てられたものを東京市神田区・鈴木家(水飴商「笹屋」)が購入し その後愛新覚羅溥傑夫妻が半年ほどすごした家となったそうです。こじんまりとしたつくりです。
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8畳の二間続きです。手前が寝室だったそうです。
天井は竿縁天井で、床の間はない。
現在は写真や資料を閲覧する部屋になっています。
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中国では椅子とテーブルの生活であることから 生活様式を変え 六畳の離れを書斎、奥の八畳にベッドを置き寝室、次の間を居間にしたそうです。
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居間縁側から玄関を見ています。
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部屋にあった写真を見ると 浅間神社前(現在は国道14号線)は 松林と海だったことがわかります。
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昭和40年頃までは ここから先は海だったのですね〜
現在は 稲毛海岸まで住宅地となっていますが 東日本大震災時 液状化で大被害を受けた場所です。
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2014年11月11日

愛新覚羅溥傑仮寓1・千葉市稲毛

国道14号線 浅間神社の鳥居の脇を入ります。
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千葉市ゆかりの家・いなげ(旧愛新覚羅溥傑仮寓)の案内板があります。
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千葉市ゆかりの家・いなげ(旧愛新覚羅溥傑仮寓) 千葉市稲毛区稲毛1ー16ー12
清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟である愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)氏と浩夫人は、昭和12年 新婚時代の半年ほど過ごした家です。
稲毛海岸は東京の保養地で このあたりは目の前に松林が広がっていた海岸でした。
千葉県で初めて海水浴場が開かれ、避暑地として多くの文人墨客が 訪れた。大正から昭和にかけて、松林を中心に別荘・別邸が建てられました。
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玄関
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玄関の格子戸。
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格子戸が美しい。
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受付 入場:無料
「建物は西側、海岸に向かって接客施設、東側(神社境内側)に居間や台所などの日常空間を配する。格天井の客間にはアンチークな 照明具が残り、柱や建具には良質な材料が使われ、しかも丁寧に仕上げられている。(資料より)」
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二間続きの客間。主座敷10畳と8畳。
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ラストエンペラー系図
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嵯峨家 浩系図
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溥傑由来の品屋系図が飾られています。
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東と南は庭に面しています。
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床の間を配した主座敷は格天井。
照明は衣桁の形を取り入れたもの。
結霜硝子を使った欄間。
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庭から見た 客間
続きます。
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2014年11月10日

千葉トヨペット本社(旧日本勧業銀行本店)・千葉市稲毛

JR幕張本郷駅で京成千葉線に乗り換え 京成稲毛駅に着く。
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ここは千葉市ですが 想像していた大きな駅ではなくて 少々驚きました。
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駅にも 駅前にも 地図も現在地を示す案内板もなにもなくて 困りました。
聞こうにも まず人がいない・・・・
せんげん通り という通りはありますが どっちに行っていいのやら途方にくれました。
都内なら 駅構内 駅前 どこにでも地図があって現在地を確認できるので 困らないのですが ・・・
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困って 駅前にある 稲毛園 の店の中にいた人に 聞きました。
この目の前の道を まっすぐ行けば 浅間神社の森 ですよ。と教えてくれました。
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今回は 4か所を訪ねます。(パンフレットの地図です)
国道14号の交差点近くに 千葉トヨペット本社があります。
ところがこの国道を横切るのに 長い横断歩道橋を渡らなくてはならず それだけで疲れ果てました。
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お城のような建物ですが 現在も営業中の会社です。
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千葉トヨペット本社  国・登録有形文化財(1997.07.15)
旧日本勧業銀行本店
竣工1899年(明治32年)6月
所在地千葉県千葉市美浜区稲毛海岸4ー5ー1
設計妻木頼黄、武田五一
構造木造2階建て、瓦葺
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「この建物は、 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)に日本勧業銀行の本店として建てられました。
その後、1926年(大正15年)に本店改築のため、 京成電気軌道会社(現:京成電鉄)に売却され、 千葉県千葉郡津田沼町(現:習志野市)の谷津遊園に移築され楽天府と名付けられました。
そして、1940年(昭和15年)に千葉市に移築され、 1961年(昭和36年)まで千葉市役所庁舎として使用され、 1965年(昭和40)年に現在地に移築されました。」説明文より
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営業中の会社ですので 内部は見ることができませんでした。
千葉県に唯一残る武田五一の作品で 唐破風をもつ中央の玄関から左右対称 全体の意匠は和風を基調としています。
国道沿いの 自動車会社とこの建物・・・なんとも不思議な 感じがしました。
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2014年11月09日

晴海客船ターミナル・中央区晴海

晴海客船ターミナル  東京都中央区晴海5丁目7番1号
晴海客船ターミナル6階は展望台です。
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晴海埠頭公園が見えます。エレベーター塔から展望台への通路から写す。
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展望台は実は こんな感じで視界が良くないので 3階デッキからのほうがよく見えます。
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レインボーブリッジ
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東京タワーも見えます。
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3階送迎デッキ
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にっぽん丸
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エレベーター塔と展望台
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晴海客船ターミナルからみた 中央清掃工場と 勝どきのマンション
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1階広場の赤いモニュメントです。
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1階広場から展望塔を見ています。
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2階ロビーですが ここは出航者専用
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1階エントランスロビー 
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バスターミナル。帰りは晴海埠頭から東京駅丸の内南口行きに乗りました。築地 銀座 有楽町を通ります。
タグ:観光
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2014年11月08日

にっぽん丸・中央区晴海埠頭

11月6日 午前10時に晴海埠頭に にっぽん丸が入港しました。
翌日には出航してしまうので 昨日7日客船を見に行ってきました。
晴海ふ頭客船ターミナルに 人はほとんどいませんでした。
3階送迎デッキから見学できます。
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大きすぎて 全体像は撮れませんでした。
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にっぽん丸
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総トン数22,472トン
全長166.6m
全幅24.00m
旅客定員524人
就航1990年(2010年改装)
船籍日本(東京)
運航会社商船三井客船株式会社
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一度くらい豪華客船のクルージングしてみたいです。
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大きな救命ボートが見えます。
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3階送迎デッキ
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バルコニーに椅子とテーブル。
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上からみると船の上がよく見えます。
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地上に降りても 近づくことはできず金網越しです。
にっぽん丸は7日16時 出航。次の寄港地はブルネイ・ダルサラーム国のブルネイ・ムアラだそうです。
タグ:イベント
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2014年11月07日

瀧谷寺(たきだんじ)・福井三国町

三国駅から三国港駅方向へ線路沿いに 5分ほど歩くと こんもりとした森があります。
その森の中に 開山永和元年(1375)の古刹(こさつ)「瀧谷寺」があります。
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瀧谷寺(たきだんじ) 福井県坂井市三国町滝谷1ー7ー15
歴史と文化財の寺 名勝庭園・国宝重要文化財
「瀧谷寺(たきだんじ)は、福井県坂井市にある真言宗智山派の寺院。山号は摩尼宝山。本尊は薬師如来。
1377年(永和3年)睿憲が崎浦に建てた庵に始まり、1381年(永徳2年)今の場所に移った。領主などから帰依を得、多くの塔頭・末寺を有した。」
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この門までも 福井の名石「笏谷石」が敷かれています。
子供の頃は自由に出入りできたので よくこのあたりで遊びました。
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参道の両側は江戸時代に植えられた杉で鬱蒼としており 苔が生えていて滑りやすいのですが そのためか緑のシートが敷かれていました。しかし 木が老齢で衰えているのがわかります。
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龍の口
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龍泉院
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山門  
鐘楼(しゅろう)を兼ねた山門は総槇材両袖付の風格ある古建築
柴田勝家が寄進、その後元禄に改修された鐘楼門。
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境内には名勝庭園や 国の重要文化財の鎮守堂や観音堂、開山堂など貴重な建物が並びます。
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鐘楼
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本堂
「 間口十一間、奥行八間の寄棟造りで江戸時代中期の建造物です。内部の中央正面は瑠璃殿で本尊薬師如来をお祀りしています。本堂にある鏡橡の間の格天井には明治の画家源西園の豪華な花鳥画六十三枚が描かれています。
また、欄間の竜の彫刻は、三国の生んだ天才彫刻家山田鬼斉の手になるものです。」案内文より
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指定文化財 石龕開山堂
 「室町石仏または朝倉石仏(笏谷石) 内側石棺に十三仏が浮き彫りにされています。 この石室は、堀江氏(元奈良大乗院荘園預かり本荘の庄の地主)が室町時代に築造したものです。また、堀江氏は後に織田信長と相通じ、当寺は信長より「陣取放火」等の禁制状をうけ、兵火からまぬがれることができたと言われいます。」案内文より
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名勝(国指定)
庭園  1929年名勝指定。江戸時代前期作。面積1700平方メートル
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境内 庭園は撮影可。本堂内部は不可。
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石庭 林泉 などを配す山水庭園で四季折々の変化が美しい。
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客殿を望む
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山門の「摩尼宝山(まにほうざん)」の扁額は貞享四年(1687年)に智積院第七世瑞応泊如運敝(うんしょう)僧正の筆によるものです。
再訪した時もう少し詳細に見てみます。
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2014年11月06日

「みくに龍翔館」・福井三国町

福井三国町の「みくに龍翔館」です。高台の上にあるので目立ちます。
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「みくに龍翔館」 福井県坂井市三国町緑ヶ丘4-2-1
竣工 - 1981年(昭和56年)
構造 - 鉄骨鉄筋コンクリート造
規模 - 本館:地下1階、地上3階、塔屋2階、最高部38.2メートル 、別館:平屋建
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1879年(明治12年)建設された旧龍翔小学校の外観を忠実に復元したものです。
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木造の旧龍翔小学校の模型です。
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玄関入って 正面中央の吹き抜けに、博物館のシンボルとしてベザイ船5分の1模型を展示。
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三国湊は北前船の寄港地で栄えました。
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三国祭りの山車の模型とかのコーナー
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残念ながら 人がほとんどいませんでした。
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展望台からは 三国港と海が見えます。
普通のどこにでもある風景ですが そこにはそれぞれいろいろな歴史や文化があります。
まちおこしや リピーターを増やす観光客誘致は 訪問する人の目線で見るのがいいのかもと思っています。
ふるさとを離れたひとに意見を聞くほうが 見えなかったものが見えてくるかも。。。。。
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2014年11月05日

雄島 越前松島・福井三国町

福井県三国町の東尋坊です。
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東尋坊は輝石安山岩の柱状節理の岸壁で地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物及び名勝に指定されています。
東尋坊の名のいわれは 有名な話です。
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東尋坊から見える 小島は 雄島です。福井県坂井市三国町安島
「雄島の名は、ここが高僧の修行の場であり、女人禁制だったことに拠る。」
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朱塗りの橋を渡って島に渡ります。
今は女人禁制では ありません。
越前海岸で一番大きく、標高27メートル、周囲2キロ。無人島。
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大湊神社の鳥居です。
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雄島に本宮があり、対岸に陸宮(あげのみや)があります。
昔は橋がなかったので 陸宮を造ったとのことです。
千年以上の歴史があるとされる大湊神社の例大祭「雄島祭り」では 海と陸から男女のみこしが対面する“逢瀬(おうせ)”が観られます。
男衆の「舟みこし」と未婚の女性が担ぐ担ぐ「乙女みこし」です。
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78段の階段を上がります。まわりは、ヤブニッケイやタブの樹木が茂る 原生林の森です。
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大湊神社 拝殿。この真後ろに本殿があります。白雉年間に勤請されたと伝えられる式内社でした。
かつての社殿は織田信長の兵によって焼き払われており 元和7年(1621年) 福井二代藩主松平忠直の寄進。
本殿・拝殿ともに福井県の文化財に指定されています。
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展望台のようになっていて 東尋坊が望めます。
海のそばには何らかの理由で熱残留磁気が特に強く、近くに置いた方位磁針の向きがずれるほどの岩が何か所かあり 磁石岩と呼ばれています。
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海岸近くの湧き水は 塩分のない真水で 夏でも冷たく 瓜が割れたという言い伝えから 瓜割の水といいます。
原生林が生い茂る 自然と神秘の島と言われています。
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越前松島です。
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遊歩道を歩きます。
東北の松島に似ていることから 越前松島と言われています。
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聖り穴
越前松島三洞穴のひとつです。
様々な土器や道具などが出土したことから縄文時代から弥生時代にかけての横穴式住居跡だと言われています。
漁師さんたちが お祀りしたそうです。
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越前松島の岩石は黒色で緻密な玄武岩質安山岩から成り柱状節理。下部は角礫状。
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東尋坊への観光客は あまりこちらには来ないのですが 私は越前松島のほうが 好きです。
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2014年11月04日

越前蕎麦・福井三国町

東京散歩ちょっと 一休み。
9月下旬  福井県坂井市は白い蕎麦の花が一面に咲いていました。
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越前そばは大根おろしで食べます。
昭和天皇が1947年(昭和22年)に福井に来られた時 お食べになった「越前の蕎麦」がお気に召され その後も「越前の蕎麦」の話をされたことから「越前そば」と呼ばれるようになったという逸話もあるそうです。
私はこの越前蕎麦が好きで 東京でも越前そばのお店まで食べに行きます。たいてい 冷たい蕎麦です。
ふるさと三国では かけ蕎麦も普通の大根おろしの入ったそばだったので 帰省するたびに 地元の店に蕎麦を食べに行きました。
ところが・・・・どうも様子が変わってしまって・・・
町おこし団体「越前坂井辛み蕎麦であなたの蕎麦で辛み隊」というのが 名物として辛味大根を使ったそばを推進しているらしく坂井・三国名物「辛み蕎麦」なるものになってしまって。。。。
おろしそばと注文するとこれが出てきて驚き! 
辛みが強すぎて 蕎麦の味が全くわからない。
辛味ばかりで 食べられない 。辛いの苦手には無理!まして子供には絶対無理!
ネットでも 辛過ぎて蕎麦の味がわからない、そんな声が聞こえます。
B級グルメ化して 特徴あるものを・・という気持ちはわからないでもないですが 私は 以前のような 青首大根の汁がやんわりかかった 普通の越前そばが好きです。
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となりのあわら市の店に行くと 普通のおろしそばが出てきます。
三国のおろし蕎麦は、福井のおろし蕎麦とは別物となっていくのでしょうか・・・・
越前そばというイメージはなく とても残念です。
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越前鉄道です。
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ここは終着駅。三国港駅。福井県坂井市三国町宿1丁目
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三国漁港
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もうすぐ越前カニ解禁です。毎年11月6日
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三国港突堤(通称:エッセル堤) 竣工年: 明治15年
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三国海水浴場。サンセットビーチ。
これから 三国は冬仕度・・・・越前蕎麦でも送ってもらい 大根おろしで食べようかな!
タグ:グルメ 福井
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2014年11月03日

佃公園〜リバーシティ21

住吉神社を出て 再び隅田川護岸の佃公園をあるきます。
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佃大橋と聖路加タワー
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対岸の亀島川水門と霊岸島水位観測所(右▽)
3角形のフレームは高さを表わす記号▽をイメージしています。
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住吉水門近くの護岸で扇型のモニュメントのようなものに気が付きました。詳細は不明です。
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隅田川テラスと みどりの風像
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植え込みの中に建つ みどりの風像 を隅田川から撮影しています。
石川島灯台跡もよく見えます。
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中央大橋です。
隅田川はフランスのセーヌ川と友好河川を結んでいます。
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中央区平和都市宣言碑
あかつき公園  浜町公園  佃公園の3か所にあります。(3か所ブログ掲載)
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桜の季節に隅田川船上から見た リバーシティ21  東京都中央区佃2
「1986年に着工、2000年に完成した超高層住宅で、石川島播磨重工業鰍フ工場跡地を中心に、隅田川沿いの堤防・遊歩道、公園・緑地
、学校、住宅を含めて再開発されたものです。」
佃・月島の下町情緒あふれるまち並みとの対比が面白いところです。
TV 映画の撮影によく使われる場所です。有名人も多く住んでいるそうです。
リバーシティ21内の公園で見かけた保育園児らしい集団は 英語で会話する多国籍の子供たちでした。
これで 今回の月島散歩は終了です。
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2014年11月02日

住吉神社境内・中央区佃

住吉神社境内を見ます。
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龍神社 (竜王弁財天)
「境内社の中で一番大きな祠が末社の龍神社である。
御祭神に龍姫大神(たつひめのおおかみ)、於迦美大神(おかみのおおかみ)、竜王弁財天を祀る。」
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佃小橋の元にあった龍王弁財天の祠は 渋釜で煮る網の作業所の近くにあったため、火熱の害を受けやすく天宝9年に龍神社に合祀されました。
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入船稲荷神社
江戸湊の入口で入船と言う。
お稲荷さんは佃の渡船場があった方を向いている。
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船魂神社 文久3年奉祀(1863)
船や航海の安全を守護する神社
玉垣に「佃島漁業協同組合」と銘があります。
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拝殿脇に 赤レンガの古い倉庫のようなものがありました。
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神社に赤レンガは珍しい?昔の神輿庫?
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赤レンガ前にあった ちいさな祠。
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神楽殿。
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拝殿前の狛犬。
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石灯籠と金属製の燈籠。
「燈籠は仏教の伝来と共に渡来したといわれる灯籠は、奈良時代から多く作られ、平安時代になると、神社に灯明を奉納する献灯(けんとう)としても用いられるようになりました。」
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「和らかでかたく 持ちたし人ごころ」五世川柳水谷緑亭(1787〜1858)の句碑
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鰹塚
鰹の慰霊のため 昭和28年5月に東京鰹節類卸商業協同組合によって建立。
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鰹塚の手前に 「写楽終焉ノ地」の碑があります。
「寛政九年七月七日没」
「この人 両足指六本なので 本名庄六となり
それが転じて画号 写楽となる
職業は欄間の彫師後に下駄屋甚兵衛となる」
と書いてあることに驚きました。
写楽といえば 寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月の僅か10ヶ月の間に 145点ほどの錦絵作品を出版したのち、忽然と浮世絵界から消えてしまったという 伝説の浮世絵師です。
その後の 消息も不明だったはずなのですが・・・・
思いもよらなかったものに出会いました。
住吉神社を出ます。
タグ:神社・寺院
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2014年11月01日

住吉神社・中央区佃

中央区佃にある住吉神社です。
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住吉神社 中央区佃1-1-14
住吉神社は江戸初期に、摂津国西都郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、天保3年(1646年)に現在地に創建された佃島 の鎮守です。
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入口に 佃島由来の説明書きがあります。
佃島の漁師が守護神として建てた神社です。
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正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、明治15年(1882年)6月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁(たかひと)親王で す。
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陶製扁額(住吉神社) 中央区民文化財
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住吉神社水盤舎
 区民有形文化財・建造物
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石造の水盤には『天保12年(1841年)白子組』と見え、木綿問屋組合が寄進したものです。
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水盤舎の欄干の装飾
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「水盤舎には、四周の欄間に石川島の灯台を背景にした佃の渡し、網を打つ小舟などの佃島周辺の昔の様子がしのばれるなつかしい風景の、浮き彫りの彫刻があります。」
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水盤舎の脇には 神社には珍しい二宮金次郎像がありました。
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住吉神社拝殿  中央区佃1-1-15
創建年代文政5年(1822)
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由緒
「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」とト部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘
の小戸の阿波伎原に於いて顕われた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。」
佃島は江戸湊の入り口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
posted by うめのはな at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区