2014年10月31日

住吉小橋・石川島灯台跡・佃公園

住吉小橋(すみよしこばし)は、佃川支川に架かる橋です。
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バリアフリーの手すりで 橋名が見にくいです。
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東京都中央区佃一丁目で 住吉神社に通じる橋です。
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橋を渡ると  石川島灯台跡 (人足寄場跡)です。
人足寄場は、江戸近郊にいた無宿人のうち捕縛されて入墨あるいは敲の刑になったものや吟味したものの無罪が確定したものを収容した施設でした。
石川島の人足寄場は寛政2(1790)年に火附盗賊改方長谷川平蔵宣以が老中松平定信に建議して創設されたました。
正式な名称は「加役人足寄場」と言い 無宿人の 保安処分 授産施設のようなものだったのでしょう。
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石川島灯台跡モニュメント 下部はトイレ!
「 石川島の灯台は慶応2年(1866)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。」そうで 現在の形とは違うようです。
佃公園を整備時 モニュメントとして灯台を建設したとのことです。
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佃公園です。
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リバーシティ21地区の西側に位置し隅田川沿いにある細長い公園で、遊歩道が整備されています。
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ここは 日本庭園風の公園の一部です。
佃公園は桜の名所です。
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2014年10月30日

佃小橋〜佃島渡船跡〜住吉水門

佃波除稲荷神社の近くにある赤色の欄干の橋は「佃小橋」です。
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佃小橋の下の水路は隅田川からの入り江となっています。
日の出湯の煙突が見えます。新旧入り混じったなんとも不思議な光景です。
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佃堀  中央区佃1丁目
「佃堀(佃川支流)は、江戸時代の埋め立てで残された東西の佃島間と、人足寄場として利用された石川島との間に残された運河の名残りです。」
佃川は明治26年(1893年)に、月島を埋め立て造成したときに形成されました。幅50m程の運河でしたが、佃大橋を架ける際に埋め立てられ、現在は道路になっています。
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浮かぶ小舟と赤い橋。後ろの高層マンションの対比が面白い。
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佃小橋  中央区佃1丁目
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佃小橋を渡ると 下に「此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱、抱が埋設されておりますので、立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。佃住吉講」という看板が立っています。
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住吉神社の大祭で使う幟(のぼり)を支える抱木(だき)と棹(さお)が埋められており、大祭前に掘り出されます。
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佃小橋を渡りきると 隅田川護岸に出ますが つきあたりに佃まちかど展示館があります。
・ 千貫神輿
・獅子頭「龍虎・黒駒(中央区民有形民俗文化財)・ほか3対」/計5対
・複製古地図(明和)〈240年前〉
・佃例祭写真・佃街並み写真
などが展示されていますが ガラス越しに見るだけです。
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すぐ近くの 堤防に上る階段下に 石碑があります。
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佃島渡船跡  中央区佃1丁目
(中央区民文化財)
「佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲である。徳川初代将軍家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住まわせたところという。この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡しである。
明治9年(1876年)7月には、渡し銭1人5厘の掲示札の下付を願い出ている。大正15年(1926年)東京市の運営に移り、昭和2年(1927年)3月、無賃の曳船渡船となった。この石碑は、この時に建てられたものである。
昭和30年(1955年)7月に1日70往復となったが、昭和39年(1964年)8月、佃大橋の完成によって廃止された。
渡船の歴史を記念する区民史跡として、中央区民文化財に登録されている。」中央区説明板より
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北条秀司代表作の碑  中央区佃1-2-10
右隅にあります。
石碑の下の説明では、北条秀司は芝居「佃の渡し」を作った劇作家とのことで、それにちなんで立てられたとのことです。
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護岸に上がると 佃大橋が見えます。
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反対側。中央区湊地区方面 を見ています。
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住吉水門。 中央区佃1丁目
「住吉水門は、佃堀(佃川支流)が隅田川に合流する地点にあり、1965年に完成しました。通常時は、船舶が通航するために開放していますが、高潮あるいは津波時には、周りの月島水門、浜離宮水門などとともに閉鎖され、佃、月島等の防潮堤で囲まれた地域の住民の生命・財産を守ります。」
タグ:文化財
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2014年10月29日

佃天台子育地蔵尊・中央区佃

佃波除稲荷神社の前の民家の脇に 「佃天台地蔵尊」入口 の表示があります。
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家と家の間の隙間しかなく 不思議に思いましたが入ってみました。
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すると路地の中ほど 右手におおきなイチョウの木が見え その奥に地蔵尊が見えました。
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屋根を貫く大きなイチョウの樹で天井をくりぬいてあります。
外からみると 銀杏の木は屋根を越して上に出て大きく成長しています。
昔からここに地蔵尊と銀杏の木があり 開発とともに民家が立ち並んだが この地蔵尊と銀杏の木は大切に守られてきたのでしょう。
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地蔵尊の祠はなく 周囲の家の壁が自然にお堂のような祠のようになっています。
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佃天台地蔵尊  中央区佃1-9-6
黒い板のような石に線画でその姿が彫られています。線刻の地蔵像というのはめずらしい・・・
このお地蔵様は古いので保護のため水などをかけないで下さい と書かれています。
 佃天台子育地蔵尊には、天台地蔵比丘妙運の刻銘があります。
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入口には お清めの水と由緒書きがあります。
佃天台子育地蔵尊
 「子供の様々なことから守り、長寿延命、家内安全、諸願成就の地蔵尊といわれ、古くから佃島の人々は、もちろんのこと多くの人々に信仰されてきました。」
移転させることもなく大切に守り お地蔵様とともに生きてきた 佃の人々の気持ちがよくわかりました。
タグ:神社・寺院
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2014年10月28日

佃波除稲荷神社・中央区佃

手押しポンプのある路地を抜けると 堀があり小さな公園になっています。
右に行くと 堀沿いに於咲稲荷波除稲荷神社あります。
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於咲稲荷波除稲荷神社中央区佃一丁目8番4号?
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鳥居を共有して、波除稲荷神社(左)と於咲稲荷神社(右)が鎮座しています。
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手水舎
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波除稲荷神社(左)
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於咲稲荷神社(右)
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玉垣の寄進者名。これを見ると 町の歴史が見えてきます。
大阪 摂津の国から 家康とともに江戸に移り住んだ漁民たちが 隅田川の河口を埋め立てて佃島を作ったと言われています。
佃島は漁業に従事する人が多かったのです。
佃煮発祥の地でもあります。
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大きな石がいくつかあって 地元の猫ちゃんが見張っていました。近寄ってカメラを向けても動ぜず。
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佃波除稲荷神社の力石  区民有形民俗文化財
「佃堀の河岸地にある波除稲荷神社(於咲稲荷神社)の鳥居脇に、三個の力石が置かれています。
長径51センチメートル前後の 楕円形の石で、どれにも「さし石」の刻銘があり、材質は安山岩です。
佃島では漁業に従事する若い衆などが、力競べとして石を持ち上げることが盛んに行われました。
石の一つは「佃大市」「佃辰」「佃清」「吉松」など力持ちの名も刻まれています。」中央区教育 委員会
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力石を「さし石」と呼び、持ち上げることを「さす」とか「あげる」と呼んで、関東大震災のころまで、その習慣は続いていた そうです。
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2014年10月27日

月島観音〜佃島・中央区月島

西仲通り地域安全センターから少し先に 月島温泉があります。
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月島温泉は月島の埋め立ての時期とほぼ同じ開業といわれる古い歴史のある銭湯です。
本当の温泉ではなく 「温泉気分で楽しんで欲しい」ということらしいです。
風呂のない長屋の人たちには重宝しているようです。
月島観音もこの奥にあります。
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月島観音(月島開運観世音) 東京都中央区月島3-4-11
「昭和26年(1951年)、地元の篤志家によって観世音菩薩と一光三尊如来を安置する小さな堂が路地の奥に建てられたのが始まり。平
成13年(2001年)、再開発によって建てられた現在のビル内の以前とほぼ同じ場所に移設された。」とあります。
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信州善光寺別院 本誓殿 月島開運観世音 と記されています。
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開運・祈願成就のほか遺失物発見や病気平癒にご利益があるとされて、参拝者が多く 特に毎月27日の縁日にはにぎわうそうです。
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もんじゃストリートを戻り 高速道路下の交差点に行きました。
寺院のような建物があります。
「佃島説教所」と書いてあります。
寺号佃島説教所
住所中央区月島1-2-9
宗派浄土真宗本願寺派
「現在の「築地本願寺」の前身、「築地御坊」再建に至る話である。その昔、浅草近くにあった寺が大火で焼失した折、幕府が示した建
替地は八丁堀の海上だった。海を埋め立て、再建に尽力した佃島住民と門徒交流の場、「佃島説教所」は昭和9年に建てられた。」説明文より現在は説教所のほか 地区の集会や葬祭に使用されているようです。
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高速道路下をつっきり 左にまがり路地に入ると なつかしい手押しポンプがありました。
このあたりは 佃島になります。
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2014年10月26日

月島西仲通り・もんじゃストリート

大江戸線月島駅で下りて 月島西仲通り商店街へ行きました。
月島明治20年から行われていた埋立てによりできた地域です。東京湾内に月の岬という観月の名所があったことにちなんで、当時の東京市参事会の決議により命名されました。
月のマークがありました。
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昼前なので 案内所が開いていなくて・・・12時からだそうですが 観光客には不親切だなぁ〜と。
もっとももんじゃは夕方からが賑わうのかもしれませんが せめて観光マップくらいは置いてほしかったかな。
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月島西仲通り商店街:別名「もんじゃストリート」)には70軒以上のもんじゃ店が連なる通り
東京都中央区月島
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寺子屋で小麦粉をといたものを文字の形に焼き、食べさせながら文字を覚えさせたというのが、文字焼き→もんじ焼き→もんじゃ焼きの由来。とのことです。
土手を作って作る方法のもんじゃ焼きは月島派の焼き方
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歩道にはみ出す形の元交番
交番が建てられた後に道路が拡張した為、歩道上にはみだしました。
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現在は「西仲通り地域安全センター
平成19年頃までは「日本最古の交番」でした。
大正10年(1921)に、月島警察署の前身である京橋月島警察署に造られた5つの派出所の内の一つ。
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当初は木造でしたが 関東大震災(大正12年)後の大正15年(1926)に、現在の鉄筋コンクリート構造で竣工。
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広い車道と車道をつなぐかたちである 幅2mにも満たない路地を覗くと 長屋が連なる昔ながらの下町風景がみられます。
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路地を挟む住宅は、玄関や窓が直接路地に面している長屋の風景です。
路地はあたかも住民の共有庭のようで部外者は立ち入りがたいです。
映画のワンシーンのようです。
ぶらりと歩いてみた不動産屋さんの広告には ちゃんと「長屋」と書いてあります。
戦前の建物は 風呂無しのようで格安みたいです。
リノベーションした家屋は場所柄 賃料は相場並み。
背後に超高層マンションが林立する月島。町なかの長屋の風景が何とも言えず 面白くていいですね。
タグ:観光 建物
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2014年10月25日

新川〜中央大橋・メッセンジャー

於岩稲荷田宮神社のそばに小さな新川金刀比羅神社があります。
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 新川金刀比羅神社   中央区新川2-15-14
新川金刀比羅神社は、中央区新川にある金刀比羅神社です。新川金刀比羅神社は、天保年間(1830-1844)武蔵国山岡吉右衛門邸に創建、明治8年当地に遷座したといいます。
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手水舎
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拝殿
ブルーシートが・・・近寄る気になれずそのまま出ました。
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佃地域と新川をつなぐ 中央大橋を渡ります。中央区新川2〜中央区佃2(中央大橋)
永代橋と東京スカイツリーが見えます。
メッセンジャー像があります。  
「両都市と両河川をつなぐ有効を記念して、パリ市は東京都へオシップ・ザッキン作「メッセンジャー」を寄贈する。 
1992年10月27日 東京にて   ジャック・シラク」
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メッセンジャー」(Le messeger)
「本作品は、1937年オシップ・ザッキン(Ossip ZADKINE)47才の時の作品である。
この都市に開かれた「パリ万国博覧会」に出品された作品であり、オシップ・ザッキンの作品の中でも大作の一つのに数えられている。
当時の万国博覧会の案内書によるとこの作品は「希少木材を求めて海外に船を派遣するフランスの守護神を表したもの」とされている。
「メッセンジャー」は、パリ市の徽章にも描かれている帆船を思わせる船を描いている。」説明板より
川のほうに向いているので 橋の上からはこんな風にしか写せません。
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隅田川テラスとリバーシティ。
正面の白い建物は聖路加タワー。
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中央大橋を渡り 振り返れば新川のビル群が見えます。
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新川はオフィスビルと、マンションなどの住宅地が混在する下町風の比較的静かな場所です。
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2014年10月24日

於岩稲荷田宮神社境内・中央区新川

本殿前の狐さんです。愛嬌のある顔しています。
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本殿横にある石造の鳥居は明治30年(1897年)1月に造立されました。
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中央区民有形文化財
 於岩稲荷田宮神社の鳥居・百度石
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「於岩稲荷田宮神社は、4代目鶴屋南北の戯曲で、文政8年(1825)に初演された「東海道四谷怪談」の主人公、お岩の伝承を持つ神社です。社地は歌舞伎俳優の初代市川左団次の所有地であったと伝えられ、花柳界や歌舞伎関係者などの人々の参詣で賑わいました。境内の本殿横にある石造の鳥居は明治30年(1897)1月に造立されました。花崗岩製のこの鳥居は、中央区に現存する中では2番目に古い鳥居です。鳥居の形式は「神明鳥居」に属し、柱下部には断面が花形の根巻と四角い台座が付いています。
鳥居の奥にある百度石は民間信仰である「お百度参り」のための石塔です。中央区内に現存する百度石のうちでは最古のものです。左側面には「大阪浪花座興行記念 四代目市川右団次]と刻しており、市川右団次がお岩の上演を記念して奉納したものです。戦前・戦後を経て、現在もこの百度石でお百度参りを祈願する人も少なくなく、庶民の信仰とともに生きています。
鳥居・百度石はともに中央区民有形文化財に登録されています。平成11年、中央区教育委員会」
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百度石
「鳥居の奥にある百度石は民間信仰である「お百度参り」のための石塔です。中央区内に現存する百度石のうちでは最古のものです。左側面には「大阪浪花座興行記念 4代目市川左団次」と刻しており、市川左団次がお岩の上演を記念して奉納したものです。戦前・戦後を経て、現在もこの百度石でお百度参りを祈願する人も少なくなく、庶民の信仰とともに生きています。
 鳥居・百度石は共に中央区民有形文化財に登録されています。
  平成11年(1999年)3月 中央区教育委員会」
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稲荷社
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村田竹次郎顕彰碑
「明治の初期に田宮神社が当地に建てられる時に第一區十番組(千組) 組頭 霊岸島 濱町事 村田竹次郎が江戸鳶 木遣りで地業を行いました。」
先客は まだ動かず。邪魔しないように 鳥居から一礼だけして 境内を出ました。
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2014年10月23日

於岩稲荷田宮神社・中央区新川

越前堀公園から鍛冶橋通りを横切り 隅田川方向に少し行くと「於岩稲荷田宮神社」があります。
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一人の女性が深々と頭を下げて 入っていったのでよく見ると「於岩稲荷田宮神社」とあります。
一瞬???と考えて あーーお岩さんか!と。
あの「四谷怪談」の於岩さんを祀っています。
「東海道四谷怪談」(1825年初演)の主人公お岩を祀るため、芝居小屋に近い当地に、明治のはじめに創建したといいます。
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参道です。こじんまりした 神社です。
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ビルの谷間だからなのか 苔むしていてヒンヤリしていて いい感じです。
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手水舎。
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拝殿前の鳥居です。
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お狐様。
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於岩稲荷田宮神社 中央区新川2-25-11
「四代目鶴屋南北の「東海道四谷怪談」(1825年初演)の主人公お岩の伝承をもつ神社。御祭神は豊売比売大神、田宮於岩命。明治の初め、歌舞伎役者や崇敬者の願いを受けて芝居小屋に近く便の良い当地に創建され、江戸の寛永時代から田宮家於岩様(1636年没)を祀る四谷左門町の「四谷於岩稲荷田宮神社」とともに参詣されている。(中央区神社案内より)
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拝殿前に行こうと思うのですが 先客の女性が 長い間祈っていましたので近づくのを遠慮しました。
芝居で四谷怪談を演じる前には、新川の於岩稲荷田宮神社に関係者はお参りすると言います。
於岩稲荷田宮神社」は、四谷左門町が創建者で、怪談噺の歌舞伎が大当たりし出演していた役者が「四谷」にお詣りしました。出演前に参拝しないと病気になったり、事故がおこるといった噂が出て、「祟り」と結びついてしまいました。新富座など芝居小屋に近い所に祀ってほしいということになり、隅田川の畔にあった「田宮家」の敷地内に社殿をたてたとのことです。
しかし 神社の説明によれば もともとは於岩さんは、夫・田宮伊右衛門とは人も羨む仲のいい夫婦で、信仰のおかげで幸せに暮らした。その幸せにあやかろうというのが「お岩さん信仰」。
200年後、劇作家の「四代目・鶴屋南北」が、美人で良妻のほまれ高かった於岩さんを、怪談話の主人公にに仕立ててしまったのだといわれています。
女性が動かないので 境内を先に見ました。
タグ:神社・寺院
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2014年10月22日

越前堀児童公園2・中央区新川

越前といえば 福井なので 前から新川あたりは親しみ深い場所でした。
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園内には、この公園敷地から出土したものではありませんが、越前堀の石垣石が移設展示されています。
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出土した越前堀の石垣石
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石の由来 中央区新川1-12(越前堀児童公園)
「この公園で使用した石は、昭和60年(1985年)東京都が日本橋川右岸改修工事をした際雉(きじ)橋付近から発生した石垣の一部です。
徳川幕府は慶長10年(1605年)第二期江戸城建設にあたり、江戸城およびお濠の石垣採取輸送を中国、四国、九州の31大名に命じました。石の大部分は伊豆半島の東海岸から切り出され江戸まで運ばれましたが、石の切り出し、海岸までの輸送、陸揚げ等一連の作業は困難をきわめ、たいへんなお金と労力と犠牲がはらわれています。
また石には、各大名、組頭、石工等のものと思われる紋や目印等が刻まれているものもあります。中央区土木部公園課」
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「ここに展示した石は、「石垣石」と呼ばれる越前堀の護岸に用いられたものです。平成18年(2006)、新川二丁目で行われた遺跡の発掘調査で見つかりました。その一部をゆかりある当(越前堀)公園内の堀跡付近に移設しました。
江戸時代、この辺りは越前国福井藩主松平越前守の屋敷地でした。屋敷は三方が堀に囲まれ、これが「越前堀」と通称されていました。越前堀の護岸は石積で、今でも土木工事や遺跡の調査中に出土することがあります。堀の幅は12〜15間(20〜30mほど)もあり、運河としても利用され、荷を積んだ小舟が通っていたようです。
明治になり、屋敷の跡地が「越前堀」という町名となりましたが、堀は次第に埋め立てられていきます。大正12年(1923)の関東大震災以降、一部を残して大部分が埋め立てられ、わずかに残っていた隅田川に近い部分も、戦後完全に埋め立てられました。その後、町名が改められ「新川」となって現在に至ります。
今では往時をしのぶ「越前堀」の名は、この区立越前堀児童公園に見られるのみとなりました。
なお、この公園は関東大震災後につくられた「帝都復興小公園」の一つである「越前堀公園」から始まっています。
平成20年3月、中央区教育委員会」
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青のラインが推定される越前堀
赤印が 石垣石の出土位置
越前堀児童公園をまたぐようにに堀があったようです。
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霊巌島の由来碑があります。
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越前堀児童公園のあたりは川や堀割に囲まれた島状の土地になっており、そこにあった寺の名に因んで霊岸島と呼ばれていました。
寺の南方には越前福井藩・松平家の中屋敷(浜屋敷)がありました。
寺は深川のほうに移転しましたが霊岸島の名は残り 松平家の周囲に掘られた舟入堀は「越前堀」と呼ばれ地名となりました。
関東大震災であたりは壊滅し 区画整理ののち1930年に越前堀公園が誕生しました。
亀島川と日本橋川・隅田川に囲まれて 島(霊巌島)のようになっていたのですね。
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(中央区HPの説明図より)
現在は 永代通りには永代橋 八重洲通りには佃島にわたる中央大橋などがあります。
鍛冶橋通りが新川を横切って永代通りにつながっています。
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2014年10月21日

越前堀児童公園1・中央区新川

ぶらぶら歩いて 中央区新川にある越前堀児童公園に散歩に行きました。
半分以上は 遊具などのある広い児童公園になっていて子供たちがたくさん遊んでいました。
子供の顔が入ってしまうので 写真は撮りませんでした。
最近は勝手にカメラを向けるだけで 犯罪になるらしく 人が写らないようにするか 顔がわからないようにしていますが 特に子供がいればカメラは向けませんし 写りこまないようにしています。
というわけで 越前堀児童公園の史跡のほうだけ写してきました。
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越前堀児童公園   東京都中央区新川一丁目12番1号
開園当初のものと思われる名板をはめ込んだ碑があります。丸い部分には「東京市 越前堀公園」「昭和五年五月」と記されています。
その横には越前堀跡の解説板があります。
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越前堀跡
所在地 中央区新川一丁目・二丁目
「江戸時代、この辺りは越前福井藩主、松平越前守の屋敷地でした。屋敷は三方が入り堀に囲まれ、これが「越前堀」と通称されていました。越前堀の護岸は石積みで、今でも建築工事昼夜遺跡の調査中に、越前堀のものと見られる石垣石が出土することがあります。堀の幅は12〜15間(20〜30mほど)もあり、運河として用いられ、荷を積んだ小舟が通っていたようです。
明治になり、越前守の屋敷地が「越前堀」という町名になりましたが、堀は次第に埋め立てられていきます。大正12年(1923)の関東大震災以後、一部を残して大部分が埋め立てられ、わずかに残っていた隅田川に近い部分も、戦後完全に埋め立てられました。その後、町名が改められ「新川」となって現在に至っています。
今では往時をしのぶ「越前堀」の名は、ここの越前堀公園に見られるのみとなりました。中央区教育委員会」
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敷地の下には埋め立てられた越前堀の遺構が埋まっていると思われます。
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そう広くはないですが石を使った遊歩道のようになっています。
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幕末期は越前福井藩松平越前守慶永(よしなが)、32万石の3万坪の屋敷がありました。この屋敷は四方を堀で囲まれており これから地名が越前堀と名付けられました。幅が20m〜30mあり、運河の役割もしていたという。次第に埋め立てられてしまいました。戦後、この地は町名も改められ「新川」になりましたが 深川富岡八幡宮のお祭りでは 越前堀の法被を着て 神輿を担いでいます。
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続きます。
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2014年10月20日

Windows8.1

昨年 PCを買い換えたのでWindows8を使っていました。
起動は速いし 特に使いにくいということもなかったです。
無料での8.1への アップデートを促す画面が何度も出ましたが 不便はないし めんどうなのでいつもキャンセルしていました。

ところが 2〜3日前 いきなり8.1のダウンロードが完了しましたと再起動を促すお知らせが出て・・・
いきなり再起動。すぐするとか少しあとだの選ぶ画面があります。
え!?と思ったけれど 今やるのも 後でやるのも同じだろうと しかたなくすぐ再起動 OKボタンを押しました。
お知らせには 30〜40分かかり自動で3〜4回再起動をします。と書いてありました。

なぜいきなりなんだろうか・・と思いましたが まぁ 見ていようと開き直りそのまま待ちました。
インストール、完了中ですだの 準備中だのでて 簡易設定を選びます。再び PC設定中だの デバイス設定中だのその他の環境だの 次々再起動し自動でやりはじめ たしかに30分ほどかかりましたが なんとなく無事終わったようです。
よくエラーが出て うまくできないという話を聞いていたので 無事終了しなぁんだ〜簡単だったと思いました。
自分で設定することは 何もありませんでした。全部自動でやってくれたようです。
そのまま 使えましたから・・・・

何が変わったかと言えば ロック画面が変わってました。好みじゃないので速攻変更しました。
今まで 起動するとスタートメニューの画面になっていたのが いきなりデスクトップ画面になり一手間減ったくらい。
スタートボタンと称するマークが 今までのウインドウズのように画面左下にちょこんと 入りましたがこれは スタートメニューに戻すボタン。
でも慣れているので 電源は今まで通り右から設定を出して ON/OFFします。

タスクバーのいらないものを消して・・・今まで通りです。
色がちょいと濃くなったかなぁ・・くらいだけど よけないアプリがインストールされているみたいです。
これはあとで消すことができるし あまり変わったとか便利になったとかは感じず 無事終わったという気がします。
 何でもWindows8は サポート期間が短くて 8.1発売後2年間だそうです。
いい機会だったかもしれません。
とにかく 何の問題もなくてよかったです。
Windowsの更新が29個もあったのには 参った・・・。

次はまた東京散歩です。
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2014年10月19日

北総の小江戸「佐原」13(終)・馬場本店酒造

佐原散歩最後は 酒蔵見学です。
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馬場本店酒造 千葉県香取市佐原イ 614
戦前までは7件の酒蔵があったそうですが、現在残るのはこちらと東薫酒造の2軒のみ。
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佐原まちぐるみ博物館の一つで 立ち入り禁止区域以外は自由に見学できます。
馬場酒造は天和年間(1681〜1683)に糀屋として創業し、天保十三年(1842)に造り酒屋になったそうです。
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国産もち米を使用し、江戸時代から手造りの製法を守っている伝統みりん 最上みりんと書いてあります。
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現在の主力銘柄「糀善(こうぜん) 」とは、糀屋という屋号の善兵衛さんが造った酒という事で、代々続くこの蔵の代表銘柄。
大吟醸は明治15年勝海舟が来店し、逗留したことを記念して「海舟散人」と命名したそうです。
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蔵は江戸期に建てられた建物を何度も修復し使用しているとのこと。天井の梁は年代を感じます。
蔵には約10メートルの浅井戸があり、仕込みに用いる水は全て井戸から汲み上げられる地下水を使用しているとのことです。
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街のシンボルと言われる 煉瓦の煙突は高さが13mあり、明治31年の建築。
レンガはイギリスから輸入。この時代赤レンガはよく使われていたようです。
東日本大震災の前年に耐震補強工事を行ったため倒壊を免れたそうです。
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かつて酒造りに使われていた槽(ふね)(しぼり機)、桶、樽など古い道具や、昔の生活用品も展示してあります。
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写真は酒樽に酒名を記す為の焼き印。
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桶や樽 絞り布などの展示物
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入口の壁にあった 消防のポンプ
馬場酒造を出て 隣の東薫酒造をちらりと覗き 佐原駅に向かいます。
途中にあるのが 諏訪神社。
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石段の上に鎮座されているようですが歩き疲れて体力がなくなり前を通っただけです。
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すぐ隣の佐原公園の 伊能忠敬像。
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佐原秋まつりのチラシの地図です。
黄色い部分をてくてく歩きました。
今回の佐原散歩はこれで終わりです。
帰路も 成田線〜総武線快速エアポートを利用しました。
タグ:千葉県 建物
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2014年10月18日

福井県三国町の山車人形・番外編

佐原山車会館を見たかった理由の一つは 私のふるさとである福井県三国町の山車と比較してみたかったということです。
さすが 日本最大級江戸優りの山車人形で大きかったです。
この電線の多い町中をあんな大きな山車が通れるというのも 仕掛けがあるからできることなのだと思います。
さて 福井三国町の山車人形ですが 三国 (資料館・郷土館). みくに龍翔館に展示してあります。
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三国 (資料館・郷土館). みくに龍翔館
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展望台からは海が見えます。
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展示してある 山車人形1基
山車人形が登場したのは、今から約二百年前、安永、天明年間だそうです。
山車の大きさは明治中期には約11m(人形8.5m)にもなりましたが、明治41年の特設電話の設置に伴い電話線が布設されたため、現在の約6.5m(人形4.0m)の大きさに定着しました。
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明治時代の山車の写真です。
現在もこのくらいあれば 佐原に負けず劣らずだと思いますが・・・・
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上からみても 大きいとわかります。
「町内には18台の山車屋台があり、毎年6台が奉納されます。
三国の山車屋台の特徴は三輪であることがあげられますが、それは、道幅が狭いため、山車を曳くためには鋭角に曲がる必要があることから3輪になっています。」説明文より
とにかく 三国の町中は 道幅が狭くて曲がっているので 電線を持ち上げながら渡るという光景が見られます。
時代に沿った 人形の大きさになったのもしかたのないことなのでしょう。
子供のころは わが町の山車が一番!!と思っていたのですが ねぇ・・
三国祭保存振興会
こちらに 三国祭りと山車の詳細が書かれています。
現在の祭りの山車も紹介しています。
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2014年10月17日

北総の小江戸「佐原」12・水郷佐原山車会館

水郷佐原山車会館(大人400円)に入ります。
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最初にビデオシアターがありますが 時間がないので パス。
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展示室に行きます。
ここでは佐原の祭り のシンボルでもある幣台(やだい)と、祭りに関する数々の資料を展示しています。
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1階山車展示室
大きな山車人形に圧倒されます。
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山車の構造
「佐原の山車は、4輪2層構造の曳山です。いわゆる「江戸型山車」の形態とは異なり、独自に発展を遂げた形態です。 2本の車軸の上に土台を乗せ、土台に立てられた6本または8本の柱によって2層を支えています。 1層目の柱間には敷居や鴨居などを設け、正面を御簾または玉簾で塞ぎます。側面には障子を嵌め込みます(曳行時には取り外しています)。 1層目の床をはった周囲には擬宝珠高欄様の手摺りが取り付きます。ここには下座連と呼ぶ囃子方が乗り込みます。?
 2層目は露天となっており、周囲に跳高欄を廻しています。 本体の中央には、「迫り出し」あるいは「人形柱」などと呼ぶ真柱を立てて、その先端に「飾り物」と呼ぶ巨大な人形や作り物を取り付けています。
 使用される材料は主にケヤキ材を用い、その他にヒノキ材やカシ材などを用いて造られています。
 大きさ:高さ 約4.0m 間口 約3.2m  奥行 約3.8m
 (これに4〜5mの大人形が飾り付けられています)」説明文より
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山車本体は総欅造り。関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられています。
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巨大な麦藁細工の鯉も展示されています。
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2階展示室の展望窓からは展示されている2体の 山車人形がよく見えます。
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展示されている山車・彫刻・大人形は、夏祭りと秋祭りの前後に入れ替えを行っているそうです。
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山車人形通り出し仕掛け
電線 電話線 信号機等に引っかからないようにするため人形を下げるための仕掛けです。
2階展示室では日本三大囃子のひとつ「佐原囃子」の演奏に使われる楽器や、日本芸術史屈指の名工が手がけた関東彫りの山車彫刻が展示されています。江戸優り文化に触れることができます。
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3階は企画展示室
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明治・大正・昭和を代表する人形師たちの文化遺産を見ることができます。
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実物大の人形。すごく大きいです。
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今年の秋祭りのチラシです。
300年の伝統を誇る「佐原の大祭秋祭り」は14町内の勇壮豪華な山車を曳き回す「山車祭り」です。
国指定重要無形民俗文化財です。
佐原は南北に流れる小野川によって、東側の地域と西側の地域とに区切られています。東側を本宿、西側を新宿と呼びます。
佐原の大祭りは、八坂神社の祇園祭と諏訪神社の秋祭りの総称。
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毎年10月の第2金・土・日曜日に行われる「秋祭り」は新宿諏訪神社のお祭り。千葉県香取市佐原イ1020
(新宿諏訪神社祭礼)
平成26年10月10日(金)〜12日(日)
今年はこの日程で行われました。
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2014年10月16日

北総の小江戸「佐原」11・八坂神社

山車会館を見たくて 八坂神社に行きました。
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八坂神社 香取市佐原イ3360番地
佐原・本宿地区の総鎮守社、創建は寛永14年。
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何も知らずこの県道55号線に面した正面の鳥居から入りましたが こちらは八日市場口と呼ばれ今年の表口だとか・・・
裏側に立つ浜宿口鳥居と一年ごとに正門が交代する面白い慣例がある神社ということです。
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入ってすぐ左手に 「悠仁親王殿下御誕生記念植樹」高野槇が植えられていました。
高野槇は悠仁親王殿下の御印ですね。お健やかにお育ちのようで喜ばしいことです。
全国各地に植えられたようです。
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境内には何やら石碑がありますが 詳細はわかりません。
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手水舎
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八坂神社の社殿。御祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)
江戸時代の初期に創建
現在建っている社殿は100年以上の歴史を有する文化財。
古く佐原諏訪山近傍の天王台に創建。天王台に鎮座していた牛頭天王を、寛永14年(1637年)に現在の宮地へ遷宮し、本宿総鎮守となりました。その後、天保15年(1844年)に社殿が改築。
明治の神仏分離の時に八坂神社と改名。
社宝には旧御輿が一基あります。
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神明造りの本殿。
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境内には水天宮もありました。
船運安全・子育安産の神をお祀りしています
次 山車会館に行きます。
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2014年10月15日

北総の小江戸「佐原」10・まちぐるみ博物館

香取街道沿いは 伝統的な商家があったり看板建築があったりして見どころがたくさんあります。
床屋さんなども和風の造りになっていますし 古い看板などもそのまま残していて 町ぐるみで保存に力を入れていることがわかります。
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すずめ焼き ごま油 など名物の店先を眺めながら歩きます。
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中村屋乾物店
「店舗は、明治25年(1892年)に佐原を襲った大火直後に建築されたもので、当時最高の技術を駆使した防火構造で、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)にもなる建物。間口は3間で、1階は畳敷と通り抜け土間のある店構え、2階は屋根裏を表した倉庫になっている。1階の正面は揚戸と土間の建て込み、2階は観音開きの土戸としている。小屋組み6段、出し桁化粧造りとなっている。
文庫蔵(総檜)は、店舗から1間程離れて建つ3階建ての建物で、1階と2階は明治18年(1885年)の建築、3階は店舗とともに明治25年(1892年)の大火の前の形で再建されたもので、2室(8畳間と6畳間)続きの座敷となっている。
限られた敷地の中に蔵造りの建物が建つため、居室に文庫蔵の3階をあてるなど居住空間の配慮に工夫が見られる。建築当初の様子がそのまま残っており、堂々としたたたずまいである。」説明文より
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「植田屋荒物店」は宝暦9年(1759年)創業というお店です。
「まちぐるみ博物館」の一つとして公開されています。中を拝見しました。
母屋は明治26年(1893年)建築の「寄棟平入2階建て」
母屋の奥に「切妻平入2階建て」の土蔵があります。
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土蔵の中には手作りの品が並んでいて 商品は写さないでくださいと言われたので古い看板を写しました。
荒物屋さんですが 現在は竹細工や木工品等の懐かしい和雑貨を販売しています。
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お土産に 縮緬の可愛いお手玉を買いました。
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正文堂
「大黒柱は欅材、2階の窓は土塗の開き戸、さらに横引きの土戸に板戸と、三重に防火設備を伏した土蔵造りとなっている。 登り龍、下り龍を配した看板が特に目を引く。
「正文堂」の文字は巌谷修の書(明治29年)である。
重厚などっしりとした立派な建物である。
建築:明治13年(1880年)」説明文より
震災でl壊れたのか 看板も1階も新しくなっていました。
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小堀屋本店そばや)
「創業は天明2年(1782年)切妻平入瓦葺きの建物で、奥の土蔵には蕎麦作りの秘伝書や道具類が残っていた。
建物は木造2階建で、店舗、調理場、土蔵が一体となった明治時代の形式をそのまま残している。
表のガラス戸は明治35年に旧佐原市で初めて使われたものであり、貴重な文化財である。
店舗:明治25年(1892)
土蔵:明治23年」説明文より
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2軒隣に昭和4年に建てられた元銀行だった別館があります。こちらもお蕎麦屋さん。
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いかにも銀行という外観です。内部は銀行の建物らしく天井が高いそうです。
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福新呉服店
「文化元年(1804年)の創業、佐原で八代目の老舗。
前面と側面は土蔵造りの堂々とした間口で当時の隆盛が偲ばれる。
店舗奥には、井戸のある中庭があり、文化財の土蔵やトイレなどを一般公開している。佐原の商家の典型的なつくりで、映画、ドラマのロケ地として使われる。
生活空間であるたたずまいそのものが生きている博物館として「佐原まちぐるみ博物館」の一号館となっている。昔の生活道具や衣装なども置かれ、自由に見学できる。
店舗:明治28年(1895年)
土蔵:明治元年(1868年)」
お休み中で見学できませんでした。
次は 八坂神社に行きます。
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2014年10月14日

北総の小江戸「佐原」9・香取街道沿い

香取街道沿いに町並みを見て歩きました。
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中村屋商店
「まちぐるみ博物館」の一つとして、一枚の紙から作られた「連鶴」を展示している。
<建築年代>
店舗:安政2年(1855年)
土蔵:明治25年(1892年)以降
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香取街道沿いは小型な2階建ての店が多いです。
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当時の商売を続けているようで、生きている町並みです。
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このあたりは 紀ノ国屋 虎屋 文明堂など の名が目につきました。
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看板建築です。
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表だけ飾るのが看板建築の特徴です。
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香取街道を八坂神社のほうへと歩きます。
タグ:千葉県 建物
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2014年10月13日

北総の小江戸「佐原」8・佐原三菱館

忠敬橋を渡り 佐原三菱館に向かいます。
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旧川崎貯蓄銀行佐原支店(佐原三菱館)
竣工 1914年(大正3年)
所在地 千葉県香取市佐原イ1903
設計 清水組
施工 清水組
構造 煉瓦造2階建て、銅板葺
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千葉県有形文化財
イギリスより輸入したレンガを使った2階建ての洋館で内部は吹き抜けになっており、2階周囲に回廊がある。屋根は木骨銅版葺きで、正面建物隅にドームを設けてある。
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煉瓦と花崗岩で構成されるデザインは、英国の古典的なルネサンス様式によるもので当時の近代洋風建築を代表する貴重な建築物。
「三菱銀行佐原支店旧本館」の建築物は、大正3年11月「川崎銀行佐原支店」として竣工し、その後、第百銀行・三菱銀行と合併・変遷しながら営業を続け、平成15年に佐原での営業を閉じました。」
老朽化や東日本大震災によって大きなダメージを受け、現在見学者は入館できません。
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1989年(平成元年)に佐原市へ寄付されて、 現在は観光案内所として活用されています。
建設当時の町並みや、舟運の写真、銀行の見取り図などが展示されています。
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1階大金庫室の中では 佐原三菱館建設百周年記念展が開催されます。
金庫室って初めて入りましたが わりと広いです!
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金庫室の中の 模型や写真。
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佐原三菱館 佐原町並み交流館1階フロアの金庫室
9/10(水)〜10/15(水) 10:00〜17:00   (10/14休館日)
大正三年建設・当時の町並み・商店街を写真で再現しています。
三菱館の内部見学ができなかったのは残念です。
外に出て再び 街並みを歩きます。
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2014年10月12日

北総の小江戸「佐原」7・続 伊能忠敬記念館

敷地内を見てみます。
何やら 和風の建物が見えます。
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でした。
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その前には 象限儀
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そして 伊能忠敬像
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隣にあるのが一等水準点
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『一等水準点 交3981号
 一等水準点は、東京湾平均海面からの高さ(標高)を示すもので、全国の主要国道等に沿って約2km毎に設置されています。水準点の高さは、上下水道をはじめ、洪水対策などの工事や管理の基準になっています。また高さを繰り返し測ることにより、地盤沈下調査、地震予知研究など国民生活の安心・安全を確保するためにも利用されています。
この一等水準点は、明治28年2月に参謀本部陸地測量部が、佐原市内の香取街道沿いに設置したものを、平成14年8月に測量の先駆者でもある伊能忠敬ゆかりの地へ移設したものです。
緯度 北緯 35度53分17秒787
経度 東経140度29分48秒892
標高    3.7107m
平成14年8月現在   国土地理院』
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マンホールのふたも佐原オリジナル
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駐車場から見ていますが 厠の存在感が大きい・・・・
記念館を出ます。
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2014年10月11日

北総の小江戸「佐原」6・伊能忠敬記念館

伊能忠敬記念館入口に 珈琲 遅歩庵いのう があります。
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塀が新しくなっていますので 震災で被害をうけたのでしょうね。
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ドラマ「東京バンドワゴン」の古書店「東京バンドワゴン」と言う古本屋さんの外観は、珈琲 遅歩庵(ちぶあん)いのう」で撮影されました。
今でも「東京バンドワゴン」の看板がかかっています。
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伊能家17代目当主経営のカフェなんですが 残念ながらこの日はお休みなのか閉まっていました。
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伊能の表札が見えます。
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同じ敷地内にある 伊能忠敬記念館のほうに向かいます。
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伊能忠敬記念館 千葉県香取市佐原イ1722-1
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ガラス越しに見える 象限儀
測量地の緯度を求めるために、北極星などの高度を観測した器具。
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伊能忠敬記念館、重要文化財から国宝に指定された2345点の資料群など伊能図とも呼ばれる「大日本沿海輿地全図」を始め、伊能忠敬の人となりや全国を測量した足跡などが年代順に紹介されています。」
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今から200年前の江戸時代中期に、初めて実測による 正確な日本地図 を作製するため地球1週分近くの距離を測量して歩いたといわれています。
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記念館すぐ右わきにある「楫取魚彦 旧宅跡」の石碑」
「伊能茂左衛門家」の屋敷跡で 「魚彦」は本名を伊能景良(かげよし)といい、茂左衛門家の七代目の当主。
楫取魚彦(かとり なびこ)は、香取の浦に魚をとる夫、と自分を一幅の絵の中にに見立てた国学者としての雅号であり、俳諧では青藍(せいらん)、絵画では楫浦(しゅうほ)と号した。
同郷で遠縁の親族が測量家の伊能忠敬(伊能三郎右衛門家)である。
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記念館は佐原の町並みにふさわしい外観になっています。
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2014年10月10日

北総の小江戸「佐原」5・伊能忠敬旧宅

佐原は日本で最初の実測地図を作り上げた「伊能忠敬ゆかりの地」としても知られています。
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忠敬橋
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樋橋のそばには国指定史跡・伊能忠敬旧宅があります。
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東日本大震災で被害を受けて 復旧工事のため閉館中です。
外観は修復が終わっているようでした。
10月11日(土)午後から開館予定だそうです。
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伊能忠敬(1745−1818)が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家で、国の史跡に指定されている。
醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が残っている。
土蔵は古い様式を残し、また店舗と正門は忠敬が婿養子に入る以前に建てられていたことから、佐原でも古い時代の建物。
<建築年代>
店舗・正門:不明
書院:寛政5年(1793年)
土蔵:文政4年(1821年)以前
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小野川に面した旧宅の正面には「だし」と呼ばれる荷揚げ場があり、今は観光船の乗り場になっています。
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対岸には 伊能忠敬記念館があります。
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その伊能忠敬記念館のすぐ隣にある 洋館風の建物。
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民家なのかもしれませんが なんとなく気になって写しましたが詳細はわかりません。
次 伊能忠敬記念館に行きます。
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2014年10月09日

北総の小江戸「佐原」4・伝統的建造物

2011年3月の東日本大震災で佐原の歴史的町並みは 地震の揺れと液状化の被害を受けています。
小野川の護岸は崩れ 川底は数百メートルに渡り隆起しました。
県指定有形文化財8件(13棟中10棟)をはじめ、伝統的な建造物の80余棟が被害を受けたそうです。
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以前はブルーシートなどで覆われていた町並みもほとんど復旧していました。
地震の修復時 漆喰不足で困ったそうです。
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しょうゆ みりんの文字が見えます。一部修復ですね。
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3階建ての蔵。ここも手直しした跡がうかがえます。
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正上(千葉県有形文化財)
創業は寛政12年(1800年)5月。
土蔵は明治初期の建築。
「まちぐるみ博物館」の一つ
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<建築年代>
店舗:天保3年(1832年)
土蔵:明治元年(1868年
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「佐原まちぐるみ博物館」は佐原おかみさん会によって運営され 観光施設ではなく 、く、生活に密着した形で佐原の伝統の技や文化にふれることのできる新しい形の博物館です。
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参加している民家が自慢のお宝や家に伝わる伝統の品々など、特色ある展示を公開しています。
現在45軒だそうです。
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並木仲之助商店
明治34年(1901年)創業以来 日用品雑貨荒物卸業を営み、平成10年より和紙とお香などを販売
建物は、明治25年(1892年)の建築。

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旧油惣商店(千葉県有形文化財)
創業は寛政6年(1794年)で、奈良漬けづくりを始めた。明治から昭和戦前までアメリカへ輸出。
旧店舗は、木造・寄棟妻入二階建・瓦葺で、間口三間半、奥行五間の大規模な総二階建。
土蔵は切妻平入二階建・瓦葺で屋根裏を含めると三階建、棟札に「寛政十戌午歳九月 立之大工 佐吉立之 」とある。
<建築年代>
店舗:明治33年(1900年)
土蔵:寛政10年(1798年)
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とよはし(樋橋) 伊能忠敬旧宅前にある橋です。
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樋橋 「じゃあじゃあ橋」から落水されます。
観光用につくられたもので、30分ごとに落水させているそうです。
乗合舟の船着場が見えてみます。
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もとは江戸時代の前期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋でした 。
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300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋なりました。
橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので、「 じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれていました。
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2014年10月08日

北総の小江戸「佐原」3・小野川沿い

少々元に戻り 中橋のあたりに目を向けます。
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重要伝統的建造物群保存地区」には昔からの家業を引き継いで、現在も営業を続けている商家が多いそうです。
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生きている町並み」として評価が高い。
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歴史景観をよく残し、またそれを活かしたまちづくりに取り組んでいることが認められ、平成8年12月、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
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木下旅館  住所:千葉県佐原市佐原イ498
木の下旅館」は、1901年(明治34年)に建てられた。現在も「営業中」で宿泊できます。
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 「木の下旅館」は「昔」は「利根川水運」の「船宿」だったそうです。
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江戸情緒あふれる佐原の歴史的町並みの中心を流れる小野川。
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共栄橋
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利根川が物資の主な運輸網だったため、分流の小野川周辺には、旅館や商店が立ち並んでいました。
川べりには商店や宿や蔵が並び、昔の繁栄ぶりをうかがうことができます。
小野川の水運で発展した江戸情緒あふれる佐原です。
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「町並み観光中央案内所」
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2014年10月07日

北総の小江戸「佐原」2・昼食

午前11時10分に佐原駅について小野川沿いを歩きましたが 11時半に昼食の予約を入れていたので 見物はあとにしてお店に急ぎました。
伊能忠敬記念館から1〜2分ほど歩いた小野川沿いのお店です。
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板塀の和風な感じですがイタリアンです。
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リストランテ「Casa Alberata」
千葉県香取市佐原イ1727
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外観は完全に庭園付きの日本建築です。
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なんと屋敷社まであります。
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中村屋商店の隠居所として使われていた建物を和モダンな空間に改装したそうです。
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日本家屋ですが テーブル席。
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中はモダンです。エスプレッソマシンも見えます。
シェフはイタリアのリグーリア州にあるリストランテで修行をしたのち佐原に戻り 実家を改装しお店をオープンしたとのことです。
イアリア語でCasa(カーザ)は家、Alberata(アルベラータ)はシェフの苗字である並木という意味です。
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地元の食材をいかした 料理です。
これは前菜。トウモロコシのスープが美味でした!
そのあと パスタを食べました。
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ゆったりまったり 美味しいランチを食べて出ると こんな景色が広がっています。
次は 小野川沿いの町並みを見ていきます。
posted by うめのはな at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都以外

2014年10月06日

北総の小江戸「佐原」1・千葉県

佐原に行きました。
東京駅から9時17分発快速エアポートに乗ると10時半に成田駅につきます。
この横須賀線快速、千葉駅までは快速ですが千葉駅からは各駅なので千葉〜成田が30分ほどかかってしまいます。
ともかく乗り換えがないので のんびりと座って車窓をながめながら行きました。
以前 十数年前ですが 千葉県に住んでいた時 毎日のように通っていた 千葉〜成田の成田線の風景があまり変わっていなくて 逆に驚きました。
成田駅で友人と待ち合わせ。銚子行きの成田線に乗り換えます。
発車まで10分ほどあるのですが すでに電車が入線していました。
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成田駅〜佐原駅まで30分。のどかな田園風景が続きます。
佐原は香取神宮や銚子に行くとき 車で通りすぎたことは何度かありますが 町中を歩いて見物するのは 今回がはじめてです。
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佐原駅ホームには 大人形山車の写真がありました。
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佐原駅 千葉県香取市佐原イ
2011年2月から供用開始した佐原の町並みをイメージして建設された駅舎だそうで 古い町並みにふさわしい駅舎です。
情緒ある駅舎でなんとなく ほっこりしました。歴史と観光を売りにするら こうでなきゃ!という心意気も感じられました。
駅舎の中には 観光交流センターもありました。
残念ながら 30分に1本 時間帯によっては1時間に1本の電車ですから 人はほとんどいませんでした。
観光バスかマイカーなんでしょうねぇ・・・・
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駅前を左に曲がり 線路沿いに歩きます。10分ほどで小野川沿いにつきます。
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開運橋。
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町を南北に流れる小野川沿いと香取街道沿いには古い商家が立ち並び「北総の小江戸」と呼ばれています。
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映画やドラマの撮影のロケ地にもよく登場します。
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千葉県北部の佐原は、古くから水郷の町として栄えました。
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川沿いには江戸時代や明治・大正・昭和の初めに建った商家や土蔵が立ち並んでいます。
どこかの撮影所みたいです。
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商家など町の歴史的景観を残す町並みは重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
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重要伝統的建造物群保存地区
重要伝統的建造物群保存地区伊能忠敬旧宅(寛政5年(1793)建築・国指定史跡)のほか県指定文化財も8件(13棟)が小野川沿いや香取街道沿いに軒をつらねています。
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小野川沿いの柳は みな川面に垂れています。
道路側はきれいに刈ってあります。街並みがよくみえるようにとの工夫だそうです。
この柳がまた江戸情緒を醸し出しているんですよねぇ〜
posted by うめのはな at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都以外

2014年10月05日

運転免許証更新でした。

お散歩 一休み。
9月が誕生月なので 先日運転免許証の更新に行ってきました。
ペーパードライバーなので 優良区分のゴールド。5年更新です。
十数年前都内に引っ越した時 車を手放しました。
なんせ 駐車場代が月3万はするし 出かければ駐車場探しに苦労します。
バスや地下鉄の交通の便がいいので 車は必要ないです。
それでずっとペーパードライバーなのですが 身分証明書代わりに更新しています。
東京都では 免許更新センターが2か所 運転免許試験場が3か所 ほかに優良なら指定警察署で更新できます。
以前はやはり優良で田園調布警察署で更新しましたが 警察署でも即日免許証がもらえました。
この時は1時間かからなくて 驚いたものでした。東京都は即日交付です。

千葉県にいたときは 警察署で更新手続きをして 別の指定日に講習に行かないと免許証を貰えなかったので仕事をしている人は2日仕事を休まないといけませんでした。

講習を受けている間に出来上がるというのはとてもいい仕組みです。
今回私は 江東運転免許試験場で更新しました。
駅近くだし 車での来場は不可というのも ペーパードライバーにとってはありがたいのです(笑)
平日 午前中9時すぎに行きました。
人は絶え間なくやってきます。それでも受付で並ぶということはなかったです。

受け付け前にある端末で、IC免許証の暗証番号を4桁×2個を端末に打ち込み印刷をし それを持って窓口に行き書類を受け取ります。
いくつも端末が並んでいたので 混むときは行列なのでしょう。
0番窓口で葉書を出して手数料を払います。(3100円)ここも待ちなし。
視力検査は数人待ち。左目 右目 両目の3回ですんなり合格。
ちょいと並んでいる 隣の窓口で必要事項が記入された書類をもらう。
その後すぐ 写真撮影。写真代は不要です。
次になると鏡の前に立ちますが そんなところで今更 どうしようもないので 手で髪をなでるだけ。
椅子に座って あっという間に撮影。
ここまでベルトコンベアーのような流れ作業です。

写真撮影が終わると 講習です。
2階の受付に書類を出すと教本と半券のような物を渡され 講習会場へ行きます。
いくつも会場があって 講習中の教室もあります。
講習は30分おきにやっているので 途中の場合は少し待ちます。
30分の講習が終わり引換券をもって 4階の窓口に行くと 免許証ができあがっていました。
1時間ちょっとかかりました。
しかし 休日は混むようです。ロープが幾重にも張られていました。ひどいときは長蛇の列だそうです。
一日がかりで試験場で過ごす人もいますから 4階にはちゃんと食堂も売店もありました。

新しい免許証を手にし 端末で番号を打ち込み ICチップの確認をして写真を見ます。
5年に一度 写真を撮るのですから確実に老化していくのがわかりなかなかどきっとする瞬間になりました。
ともかく 無事更新が終わりました。

次は ちょいと足を延ばし千葉県佐原の散歩です。
posted by うめのはな at 06:55| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2014年10月04日

葛飾柴又寅さん記念館2

葛飾柴又寅さん記念館入ってすぐは 撮影風景の再現です。監督などスタッフの紹介です。
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葛飾柴又撮影所
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次の寅さんの『 生い立ちコーナー 』では 帝釈天参道界隈のセットです。
帝釈天のミニュチュアがあります。壁には古い映画のポスターなどがあります。
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懐かしい「くるまや」のセット」です。
「このセットは第1作から最終48作まで撮影に使用したセットです。
大船撮影所の閉鎖とともにこの記念館に保存されることになりました。
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2階の寅さんの部屋へ上がっていく階段です。
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茶の間です。
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隣の印刷所。
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くるまや の模型。壁には映画の写真。マドンナと寅さん。
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昭和39年代の帝釈天参道を遠近法を用いて、精巧な模型で再現したジオラマ。高さは2mくらいあります。
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「人車鉄道」
明治32年から大正2年まで、帝釈天への参拝客らを乗せて、金町〜 柴又間の約1.5キロを運行していた人力の鉄道。
人が押している様子が スイッチをいれると動いて再現できます。
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寅さんに関するには 台本をはじめとする小道具や資料が並んでいます。
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寅さん埴輪
2001年(平成13年)8月4日、奇しくも渥美清の5回目の命日に、柴又八幡神社古墳から寅さんによく似た埴輪が出土しました。
その埴輪の複製です。
帽子や目つきなど本当に寅さんに似ていますね。不思議なことです。
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寅さんの全財産。これ一つで全国を回りました。
豊富な写真や資料 映像で寅さんファンは楽しめる記念館です。
記念館を出て 柴又駅へ。
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ふーてんの寅さんを再び眺めて帰宅の途につきました。
寅さん像は これから出かけるようにも 久しぶりに帰ってきたようにも見えました。
posted by うめのはな at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年10月03日

葛飾柴又寅さん記念館1

葛飾柴又寅さん記念館は 山田洋次ミュージアムと共通券で入館できます。
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葛飾柴又寅さん記念館(葛飾区観光文化センター内) 
東京都葛飾区柴又6ー22ー19
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入館口の上には・・・・
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寅さんがいました。
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寅さんの雪駄。
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「葛飾柴又は、豊かな自然と温かい心が通い合う街。 東京の北東部、江戸川のほとりに位置する葛飾柴又は、水と緑と下町の風情あふれる町並みが調和した門前町です。」(寅さん記念館 パンフレット)
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吹き抜けの中庭には こころのふるさとマップがあります。
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全ロケ地を焼き付けタイルで地図化したものです。
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こんなところにも寅さん。
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寅さんの休み石。
次 入館します。
posted by うめのはな at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年10月02日

山田洋次ミュージアム・葛飾柴又

山田洋次ミュージアムは2012年12月15日オープンしました。
葛飾柴又寅さん記念館の向かいにあります。これは1階からの出入り口です。
展示室は2階にあります。
東京都葛飾区柴又6-22-19 葛飾区観光文化センターB棟2階
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エントランスには、撮影現場の膨大な写真でつくられた、山田洋次監督の巨大な肖像写真があります。
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そして中央には映写機材や映画のフィルムがシンボルとして展示されています。
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1961年のデビュー作『二階の他人』から、2014年1月公開の『小さいおうち』までの作品群を8つのテーマにわけて展示。
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他に作品が受賞した様々な楯やフイルムがあります。
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監督が追い続けるテーマ「家族」が感じられるミュージアムです。
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エレベーターで1階に降ります。
エレベーターの壁には 作品のタイトルがびっしり・・・・
次 お向かいの葛飾柴又寅さん記念館に行きます。
posted by うめのはな at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区