2014年09月30日

山本亭5長屋門・葛飾柴又

山本亭の見学者用玄関を出て 右に行きます。
防空壕跡という標識が見えます。
yamamoton (1).jpg
第二次世界大戦中に建設された鉄筋コンクリート造りの強固な防空壕だそうです。
屋内から地下に下りる直線的な階段があり、地下室は約6畳の部屋が2室、シャワー室で脱出口があるとのこと。
地下室は 公開していませんが ここが脱出口かな?
yamamoton (2).jpg
家屋外回りの庭園を歩きます。この道は無料で通り抜けができます。
yamamoton (3).jpg
屋内の庭園茶室に入る木戸。
yamamoton (4).jpg
旧玄関前にあった 瓦。
どういうものなのかわかりませんが このあたりは瓦工場の跡地だそうです。
yamamoton (5).jpg
長屋門が見えてきました。
yamamoton (8).jpg
長屋門(ながやもん) 
「瓦葺きの木造平屋(1階建て) で伝統的な長屋門(武家屋敷でみられる門) の形式を受け継ぎながらも、外観・内部ともデザインを洋風化している。 通路の両側にある袖部屋(そでべや) は、広さが3畳ほどで、当時は門番が常駐し、客人のお付きの人、人力車の車夫(人力車を引く人) などが控えていたとされている。 ステンドグラスの上げ下げ式窓などが一層洋風の雰囲気を醸し出している。」
yamamoton (6).jpg
6角形のタイルが敷かれた床に、ステンドグラスの窓など、外観・意匠を洋風化している点が特色です。
yamamoton (9).jpg
和洋折衷様式の特異な長屋門は、昭和5年から8年に住居兼用であった古い長屋門を取り壊し新築されたものです。
yamamoton (10).jpg
中央部の円形メダイヨン内の8角形電灯
yamamoton (11).jpg
長屋門から玄関を見ます。
yamamoton (12).jpg
道路側からみます。
yamamoton (13).jpg
立派な長屋門に塀です。ちなみにこの近隣の家の表札には山本と書いた大きなお屋敷がありましたからきっと一族のお住まいなのでしょうね・・・
目の前の急な石段を登り 柴又公園の上に行きます。
posted by うめのはな at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月29日

山本亭4 和室と庭園・葛飾柴又

鳳凰の間から庭園側の和室に戻ります。
yamamotog (5).jpg
和室6部屋のうち角部屋にあたる2部屋は、床の間、違い棚、明かり障子、欄間から成り立つ伝統的な書院造りです。
yamamotog (13).jpg
庭は角部屋の「花の間」の床柱を背にして眺めるのが一番素晴らしく見えるように設計されているそうです。
yamamotog.jpg
和室の天井も高く 欄間も凝っています。
yamamotog (4).jpg
すべての部屋は廊下を挟んで庭に面し ふすまを開ければ開放的な空間となります。
yamamotog (12).jpg
角部屋が 花の間。
yamamotog (3).jpg
山本亭の庭園について
 「山本亭のように、昭和初期の資産家の庭園が当時のまま残されているのはまれであり、都内では旧安田邸(墨田区)、徳富邸(世田谷区)があります。
 当庭園は、縁先や近くに池泉を、背後には緑濃い植え込みと築山を設け滝を落とすという典型的な書院庭園であり、庭園面積は890uです。
 滝は池の最も遠い部分の入江奥に設けられ、庭園の奥行きの深さと心地好い滝の音を作り出し、また限られた池水面をより広く見せるための手法として池の諸方向に入江を設け、池岸を多様に変化せしめています。」
yamamotog (2).jpg
庭園の面積は約890uで、マツ、ツツジなど約400本の樹木が植えられています。
yamamotog (6).jpg
昭和初期における庭園様式を現在まで残した買う少ない例で同様の庭園に旧安田邸、徳富邸があります。
yamamotog (11).jpg
廊下は、天井が数寄屋風で、自然光を意識した大きなガラス戸やガラス欄間となっています。
yamamotog (7).jpg
古い時計がかけられています。
yamamotog (8).jpg
旧式な電話機
yamamotog (10).jpg
クジャクの欄間
yamamotog (9).jpg
天井の明かりとり。
築造年代が少なくとも3時期に分かれ、東側の座敷3室と台所が古く、玄関・廊下・応接室等の順になっているそうです。
大正時代には珍しい二階建てですが 見学は1階だけです。
posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月28日

山本亭3 鳳凰の間・葛飾柴又

旧玄関には人力車があります。資産家らしく今で言う マイカーですね。
yamamotiy (1).jpg
そとからみた玄関。
人力車の手入れは行われているようです。
ygenkan.jpg
この時も 係りの人が手入れしていました。
yamamotiy (8).jpg
玄関の間 には葛飾区在住の日展理事 福田千恵 作「花菖蒲」
yamamotiy (2).jpg
玄関すぐ右手は鳳凰の間
yamamotiy (3).jpg
入室はできませんから 写真だけ。
yamamotiy (7).jpg
鳳凰の間 邸内で唯一の洋間で昭和初期独特のデザイン。
yamamotiy (5).jpg
白漆喰仕上げの高い天井や、寄木を用いたモザイク模様の床のほか、大理石の暖炉もあります。
yamamotiy (4).jpg
暖炉はヒーターのようです。
yamamotiy (6).jpg
玄関脇に洋風の空間を設けたのは 当時ではめずらしく、客人の応接室だったようです。
yyoukan.jpg
外観も洋館風。
posted by うめのはな at 07:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月27日

山本亭 2・葛飾柴又

貰ったパンフレットです。
ypanf.jpg
内側には山本亭の沿革が書いてあります。
山本亭の沿革 
「この建物は、地元ゆかりの合資会社 山本工場(カメラ部品製造) の創設者 故山本栄之助翁の住宅として建てられ、山本家四代に亘る居宅となっていたものを昭和63年に葛飾区が取得したものです。
 山本家はもと浅草の小島町(現・台東区)にありましたが大正12年の関東大震災で被害を受け、その直後柴又のこの地に移転してきたものです。
 建物は、木造瓦葺き二階建で床面積は1階400u、2階50uに地下室、土蔵、長屋門等からなり、大正15年から昭和5年の間、数次に亘る増改築を重ね現在の姿となっています。 その様式は都内でもめずらしい伝統的な書院造から洋風建築までの広がりをもっています。
 また庭園は、縁先近くに池泉を背後には緑濃い植え込みと築山を設け、滝を落とすという典型的な書院庭園の様相を見せています。(面積890u)
 山本亭は大正末期から昭和初期の時代精神が反映された和洋折衷の建物と純和風の庭園とが見事な調和を保っており、その文化財的価値は高く評価されています。」
ypanf1.jpg
山本亭の間取り図です。
yamamoto2 (12).jpg
入ってすぐが 舞の間です。
山本亭の各和室では「カフェ山本亭」を営業しており、甘味などをいただくことができます。
yamamoto2 (1).jpg
お茶を飲む先客がいたため 全体は写せませんでした。
yamamoto2 (8).jpg
坪庭もあります。
yamamoto2 (10).jpg
座敷前の庭に面した広い廊下、広い中廊下、土蔵に面した裏側の廊下と廊下がたくさんあります。
yamamoto2 (3).jpg
「星」「月」「花」の和室が並びます。
yamamoto2 (6).jpg
茶室は見学できませんが 水屋がありました。
yamamoto2 (7).jpg
土蔵もあります。
yamamoto2 (4).jpg
外から見た蔵です。
ykura.jpg
蔵の前には 使用していたと思われる展示品がありました。
yamamoto2 (5).jpg
区登録有形文化財 山本亭(やまもとてい) 附 庭園
「 大正末期から昭和初期に建築された和洋折衷の建物と庭園とが調和したもので、同時代に建築された建物等が消失していくなかで葛飾区のみならず都内においても、日本の建築史を知るうえで貴重な文化遺産です。
 建物は、木造2階建て及び土蔵・地下防空壕・長屋門からなり、伝統的な書院造を骨子として洋風建築の要素を取り込み、随所に近代和風建築の特徴を有しています。 また、庭園は、縁先の近くに池泉を背後には緑濃い植え込みと築山(つきやま) を設け、滝を配すなど書院造の庭園を基本としたもので、昭和初期における庭園を現在まで残しています。 葛飾区教育委員会」
yamamoto2 (11).jpg
「鳥」 「雪」 「風」の和室が並びます。
yamamoto2 (9).jpg
先にすすみます。
posted by うめのはな at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月26日

山本亭 1・葛飾柴又

柴又帝釈天の白い塀に沿って山本亭へと歩きます。
yamamoto1 (2).jpg
途中にみちしるべがあります。
yamamoto1 (3).jpg
甥の満男が生きる意味について寅さんに問うたときのセリフが書かれています。
yamamoto1 (4).JPG
葛飾柴又 寅さん名言集  第39作寅次郎物語
yamamoto1 (5).jpg
そのまままっすぐ行くと 「山本亭」裏門です。
通り抜けは自由です。と書いてあります。
表門の長屋門まで庭を通って行くのは 無料です。
ynagaya.jpg
表門の長屋門。ここは後ほどゆっくり見学します。
yamamoto1 (6).jpg
ここは見学者用の入口です。100円で中に入ることもでき、通り抜けなら無料。

yamamoto1 (9).jpg
山本亭 東京都葛飾区柴又7ー19ー32
yamamoto1 (11).jpg
山本亭は大正末期から昭和初期に建築された和洋折衷の珍しい建物です。
yamamoto1 (12).jpg
外からみると 一見普通の家に見えるのですが 昭和時代の富豪の邸宅で内部は実に豪奢です。
yamamoto1 (7).jpg
ここが受付。
喫茶(抹茶など)のご利用もできるそうです(有料)。
「寅さん記念館に行かれますか?」と問われ ついでだから行くことにしました。
寅さん記念館(山田洋次ミュージアム)&山本亭セット料金
一般 600円→550円
セットだと割引になります。
posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月25日

邃渓園「大客殿」3・柴又帝釈天

大客殿と回廊に囲まれるスペースにある日本庭園が「邃渓園」です。
suieien (1).jpg
屋根付きの回廊でひとまわりすることができます。
suieien (3).jpg
昭和59年になって、庭を回遊できるように回廊が作られたそうです。
suieien (2).jpg
邃渓園のなかには茶室「不答庵」があります。その名は中国の詩人「李白」の漢詩「山中問答」によるとのことです。
suieien (4).jpg
池泉式庭園 「邃渓園」―江戸最後の名庭―
suieien (5).jpg
向島の庭師永井楽山の設計により、昭和40年に造園されました。
suieien (6).jpg
回廊をめぐると景色がかわります。
suieien (8).jpg
奥に見えるのが大客殿。ちょうど対面になります。
suieien (7).jpg
物見台がよく見えます。
suieien (9).jpg
湧き出るご神水
suieien (10).jpg
帝釈天に仕える神猿
suieien (12).jpg
この位置が外部から庭園への出入り口になります。
suikeien.jpg
普段は閉じられています。
これで 柴又帝釈天参拝は終わりです。
やはり 有料の彫刻ギャラリーと大客殿が素晴らしくて印象的でした。
機会があれば再訪したいです。
ここから 山本亭に向かいます。
posted by うめのはな at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月24日

邃渓園「大客殿」2・柴又帝釈天

ガラス障子の広縁を巡らす 「大客殿」。畳み敷の広縁です。
sdaikyakuden (1).jpg
左側が「邃渓園」になります。
sdaikyakuden (2).jpg
大客殿は昭和4年製の建物。右手に和室が左手に庭がある。
sdaikyakuden (3).jpg
「帝釈天の板本尊」複製だと思います。
sdaikyakuden (4).jpg
広縁の縁の正面中央に張り出した部分中央には(物見台)が設けられ名庭邃溪園がよく見えます。
sdaikyakuden (5).jpg
建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葦き。
建物内部は四部屋からなる書院造り。
彫刻原型が上部にずらっと並べられています。
sdaikyakuden (7).jpg
彫刻ギャラリーの、原型です。
sdaikyakuden (6).jpg
横山大観筆(彫刻下絵) 「群猿遊戯図」 です。
sdaikyakuden (8).jpg
和室内部に入ることはできませんが 広縁から写真撮影は可です。
sdaikyakuden (9).jpg
床の間のある部屋でなんと上部は シャンデリアです。
大客殿は、信徒の接待所として設計された建物だそうです。
sdaikyakuden (10).jpg
一番奥の頂経の間が上段の間。
天井には杉の一枚板を鏡板に用い、折上げ部分に漆を塗っている。
sdaikyakuden (12).jpg
床の間の「南天の床柱」 は、日本一のものといわれ、直径30cm、滋賀県の伊吹山にあった樹齢約1,500年の南天の自然木を使用したものです。 
sdaikyakuden (13).jpg
和室の前の広縁。
ここから 回廊を巡ります。
posted by うめのはな at 07:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月23日

邃渓園「大客殿」1・柴又帝釈天

彫刻ギャラリーを出て 回廊(渡り廊下)を行きます。
kyakuden1 (1).jpg
「大客殿」、邃渓園は彫刻ギャラリーと共通の券で行くことができます。
kyakuden1 (2).jpg
右は祖師堂
kyakuden1 (7).jpg
回廊上部にも彫刻が施されています。
kyakuden1 (10).jpg
外からみればこんな感じです。
kyakuden1 (9).jpg
外からの大客殿入口。(入れません)
kyakuden1 (8).jpg
東京都選定歴史的建造物 「柴又帝釈天題経寺大客殿」
 帝釈天題経寺は寛永年間に創設された日蓮宗の寺院で、境内には、文化・文政の頃の釈迦堂をはじめ、明治以降に建てられた諸堂が多く現存する。 北側の和風庭園(邃渓園) に面した大客殿は、信徒の接待所として設計された建物で昭和4年(1929)に完成した。 この年には釈迦堂拝殿の造営も行われている。建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葺き。ガラス障子の広縁を巡らし、縁の正面中央に張り出し部分を設けているところが外観上の特徴である。 建物内部は四部屋からなる書院造りで、一番奥の頂経の間が上段の間である。 また、床の間には、近江の伊吹山山麓にあった 「日本一」 と言われる大南天の床柱がある。
東京都選定歴史的建造物
所在地  葛飾区柴又7−10−3
設計者  大工棟梁  鈴木源治郎
建築年  昭和四年(1929)
東京都生活文化局
kyakuden1 (4).jpg
周りを楽しみながら回廊を歩きます。
kyakuden1 (5).jpg
ここから邃渓園(すいけいえん)、「大客殿」 に入ります。
kyakuden1 (6).jpg
大客殿 入口です。
posted by うめのはな at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月22日

彫刻ギャラリー2・柴又帝釈天

風雨塵埃にされされ、金網等があり鑑賞しにくかったので、堂周りに、新たに廻廊をめぐらし、総ガラス張りの「彫刻ギャラリー」を作ったそうです。彫刻は上から下まで彫られていて、観覧しやすいように2階と1階に分かれています。
tgyara.jpg
エアコンが効いているので ガラス張りでも涼しく鑑賞できます。
tgara (3).jpg
この辺に階下に降りる階段があります。
tgara (4).jpg
どこにも彫刻が施されています。
tgara (6).jpg
こんなところにも・・・・びっしり。
tgara (5).jpg
階段の途中に絵馬の展示があります。
葛飾区登録有形民俗文化財指定の 「柴又帝釈天絵馬」 です。「祈願によって帝釈天さまが出現し、御神水が湧き出でる様子」が見えます。
tgara (2).jpg
「帝釈天の絵馬は明治時代に信者から奉納されたもので、当時の柴又帝釈天の賑わいと信仰を知る貴重なものです。 明治7年(1874) 奉納のこの絵馬は当時の参詣の様子を描いたもので、本堂の奉納提灯や手水場(ちょうずば) の手ぬぐいなどに往時がしのばれます。」 説明文より
tgara (7).jpg
階下部分の彫刻です。
tgara (8).jpg
季節ごとの彫刻があり、龍が支えています。
tgara (9).jpg

tgara (10).jpg
見事な龍に見とれてしまいました。
tgara (11).jpg
柴又帝釈天に参拝するひとは多いけれど ツアーなどでは時間がなくて素通りすることが多いそうです。
「彫刻寺」と言われるくらい素晴らしい 彫刻ギャラリーも見学することをお薦めします。
400円の入場料で 大客殿・日本庭園「邃渓園」も見ることができます。
言葉でいいあらわせないほど彫刻ギャラリーに感動しました。 次 大客殿・日本庭園「邃渓園」に向かいます。
posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月21日

彫刻ギャラリー1・柴又帝釈天

柴又帝釈天は「彫刻の寺」と言われるほどで 境内の建造物には彫刻が施されています。
帝釈堂拝殿の奥に位置する帝釈堂内殿には外壁を囲むように彫刻が施されていて 彫刻ギャラリーとして公開されています。
tyoukokug (14).jpg
ガラスで覆われて保護されています。
彫刻ギャラリーと庭園(400円で両方入場可)は 一見の価値ありの場所です。
帝釈堂から そのまま行くことができます。
tyoukokug (10).jpg
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われています。
胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面は素晴らしいの一言。
tyoukokug (1).jpg
大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作。
tyoukokug (7).jpg
羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。
tyoukokug (2).jpg
それぞれに「法華経説話彫刻」の題と作者 簡単な説明があります。
tyoukokug (3).jpg

tyoukokug (4).jpg

tyoukokug (5).jpg

tyoukokug (6).jpg

tyoukokug (9).jpg

tyoukokug (11).jpg

tyoukokug (12).jpg

tyoukokug (13).jpg
彫刻の細かさと立体感に圧倒され ただただ見とれているだけです。
じっくりみれば一日見ていても飽きないでしょう。
四面を廻ると 階段を下りて下の部分を見ます。
posted by うめのはな at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月20日

柴又帝釈天境内2

映画「寅さんシリーズ」でおなじみの柴又帝釈天は正式には、経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)という日蓮宗のお寺です。
taisyakute k (1).jpg
これは帝釈堂。明治時代、名人・坂田留吉棟梁が仕上げた総欅造りの帝釈堂。堂内には、日蓮聖人親刻の帝釈天板本尊が祀られています。
taisyakute k (2).jpg
葛飾区登録有形文化財
 柴又帝釈天 題経寺・諸堂内
  及び 二天門 建築彫刻一括
     平成4年(1992)2月5日登録
「帝釈堂、祖師堂、二天門、には多くの木彫により建築浮彫装飾が施されています。特に帝釈堂は設計林門作、棟梁坂田留吉の指揮のもとに作られました。内陣外側の胴羽目彫刻10枚は法華経説話を題材にして、加藤寅之助・金子光清・木嶋江運・石川信光・横谷光一・石川銀次朗・加府藤正一・山本一芳・今関光次・小林直光等の彫刻師により制作されました。大正12年(1923)9月、それぞれの彫刻師のもとに運ばれていた欅の彫刻材は、関東大震災によって、すべて焼失しました。その後欅材を全国に求め、発願から十数年の歳月を費やし、10枚の胴羽目彫刻は昭和9年(1934)に完成しました。
 彫刻の下絵は高山栄州が描いています。胴羽目の寸法はそれぞれ縦1.27m、横2.27m、厚さ20cm襖1枚の大きさです。
 他堂や二天門の内外に、施された彫刻も、同じように貴重なものです。
 葛飾区教育委員会」
taisyakute k (3).jpg
帝釈堂の扁額。「喜見城」。帝釈天の居城だとか・・・
帝釈堂の拝殿にも様々な彫刻がありますが、さらに奥の内殿(彫刻ギャラリー)にて本格的な彫刻を見ることが出来ます。
taisyakute k (12).jpg
帝釈天は(柴又七福神 毘沙門天)です。
 題経寺(柴又七福神 毘沙門天
「甲冑を着けた毘沙門天は、インドの神様で右手に宝棒(鉾)を持ち、左手に宝塔を捧げ、足下に悪業煩悩の天邪鬼をふみつけている。仏教の教えを守るとともに、招福・財福を授けてくれる神様である。
 また、別称多聞天といい、四天王のひとりとして、北方守護神として祀られている。
葛飾区 葛飾区観光協会」
taisyakute k (11).jpg
渡り廊下で祖師堂(本堂)とつながっています。
taisyakute k (9).jpg
祖師堂 日蓮宗としての本堂で本尊「大曼陀羅」が安置される。
かつて帝釈堂として信心を集めてきたお堂です。
明治時代、現在の帝釈堂が建てられたことで、旧帝釈堂であった本堂は現在の地に移され、祖師堂になりました。
taisyakute k (10).jpg
日蓮宗 経栄山 題経寺 (柴又帝釈天)
taisyakute k (8).jpg
祖師堂の正面にある南大門
taisyakute k (6).jpg
釈迦堂(開山堂)
文化・文政期のもので、柴又帝釈天最古の建造物。
堂内には白鳳期の釈迦立像や日栄上人像、日敬上人像が祀られています。
taisyakute k (7).jpg
釈迦堂横にある2体の座像。
posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月19日

柴又帝釈天境内1

二天門の正面は帝釈天のご本尊を安置する帝釈堂です。
taisyakuten.jpg
正面に伸びている松は瑞龍松(柴又帝釈天 題経寺)です。
taisyakuten1 (10).jpg
千葉県の中山の法華経寺の題経院日栄上人は、葛飾柴又へ寄った際、見事な枝ぶりの松の木を見とめ、近づいてみると松の下に霊泉が涌いていました。
taisyakuten1 (5).jpg
日栄上人は師の日忠上人を開山に仰いでこの地に庵を開きました
これが経栄山題経寺のはじまりです。寛永年間(1629)年開山。
taisyakuten1 (9).jpg
御神水:江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵(いおり)を結んだ。その霊水は現在も湧き出している。
taisyakuten1 (8).jpg
浄行菩薩:タワシで菩薩を洗い清め、お参りされることで、罪や穢れを清めてくれる。
taisyakuten1 (1).jpg
手水舎(境内右側) :総ての彫刻に刻銘、後藤流彫工。昭和初期
taisyakuten1 (7).jpg
鐘楼堂
寅さんの映画によく出てくる鐘つき堂。
taisyakuten1 (11).jpg
「昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m、四手先の豪壮な桝組と木彫を施し、関東一の鐘楼と言われる。梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高い。」
taisyakuten1 (6).jpg
鐘楼前の 門。
taisyakuten1 (4).JPG
帝釈天出現由来碑:葛飾区指定有形民俗文化財
「この碑は、安永8年(1779)題経寺本堂改修のとき発見した日蓮聖人自刻の帝釈天坂本尊を後世に伝えるため、弘化2年(1845)俳人鈴木松什および檀徒石渡忠右衛門等が協力し、その由来を記し、併せて帝釈天の功徳を述べている。
 碑の総高1.48メートル、撰文は宮澤雉神遊、書は萩原?(羽に軍)、刻者は窪世昌である。題経寺縁起の整ったものは、明治29年(1896)に作成されたが、碑は、それ以前における由緒資料として貴重である。
 葛飾区教育委員会」
taisyakuten1 (3).jpg
境内を順に見ていきます。
posted by うめのはな at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月18日

柴又帝釈天山門(二天門)

参道の終わり山門(二天門)に向かって右に 赤いポストと公衆トイレがあります。
赤ポストは たてもの園で見ましたがこれは現役のようです。
sibamatap.jpg
その後ろには 帝釈天散歩の標識。駅からは数分です。
sibaamta2 (9).jpg
赤いところを巡ります。
後ろには「柴又帝釈天遺跡」の石碑
sibaamta2 (3).jpg
古墳時代後期から奈良・平安時代の遺跡地だそうです。
「柴又は、奈良の正倉院に伝わる日本古代史上著名な「養老5年(721)下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記載されている嶋俣里の故地として知られています」
sibaamta2 (10).jpg
柴又帝釈天山門(二天門)
 帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する。そして、帝釈堂内に、東方守護の持国天、北方を守る多聞天が、帝釈天の脇士として配置されている。
sibaatani.jpg
明治29年、江戸期建築の最後の名匠と言われた、坂田留吉棟梁によって造りあげられた、総欅造りの豪壮な門である。
sibaamta2 (4).jpg
日光東照宮の陽明門を模したと言われ、桝組は、三手先、扇タルキの見事な出来映え。 
帝釈天の中でもひときわすぐれた建造物と言われています。
sibaamta2 (1).jpg
屋根には千鳥破風と唐破風が施されています。
sibaamta2 (5).jpg
見事な浮彫りの装飾彫刻は、帝釈天の見所の一つです。
sibaamta2 (2).jpg
大工は坂田留吉棟梁、彫物師は後藤流の加藤勘蔵師、総欅造りの門。
sibaamta2 (8).jpg
この彫刻をみるだけでも 素晴らしい!
sibaamta2 (7).jpg
羽目板の彫刻。龍。
sibaamta2 (6).jpg
竹に虎。
山門の表内側と 丁寧に彫刻を見て境内に入ります。
posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月17日

柴又駅〜参道・フーテンの寅さん

東京スカイツリーの押上駅から京成線に乗り 高砂駅で金町線に乗り換え柴又駅に行きました。
sibamata1 (4).jpg
高砂、柴又、金町のたったの3駅しかない京成金町線です。
路線距離:2.5km 平日ダイヤで89往復、4両編成。
もとは帝釈人車鉄道と言って、人力の鉄道で 帝釈天の参拝客を柴又〜金町間を往復していたそうです。
sibamata1 (3).jpg
柴又駅へのアクセスは高砂から来るか、金町から来るかのどちらかです。
sibamata1 (7).jpg
京成柴又駅。東京都葛飾区柴又4−8
sibamata1 (6).jpg
駅前のフーテンの寅像
「旅発つ寅次郎がさくらを振り返る」姿を表している。地元商店会と観光客の募金によって1999年に建てられた。銅像の足元には山田洋次監督による寅さんの故郷への思いが刻まれている。銅像が建っている柴又は関東の駅100選に選ばれている。」説明文より
寅さんは損ばかりしながら生きている
江戸っ子とはそういうものだと
別に後悔もしていない
人一倍他人には親切で家族思いで金儲けなぞは爪の垢ほども考えたことがない
そんな無欲で気持ちのいい男なのになぜかみんなに馬鹿にされる
もう二度と故郷になんか帰るものかと哀しみをこらえて柴又の駅を旅立つことをいったい何十辺くり返したことだろう
でも故郷は恋しい
変わることのない愛情で自分を守ってくれる
妹のさくらが可哀想でならない
ーごめんよさくら いつかはきっと偉い兄貴になるからなー
車寅次郎はそう心に念じつつ故郷柴又の町をふり返るのである
 1999年8月 山田洋次」
sibamata1 (5).jpg
柴又駅の横の子育て地蔵尊は“おりつ地蔵”。
説明板によれば 昭和7年、5歳の律子ちゃんが実父に殺されたのを不憫に思った有志が幼い霊を慰めるために建立したお地蔵様です。
sibamata1 (9).jpg
参道入り口にある「映画の碑」 
所在地 葛飾区柴又7ー3ー9
映画の碑
私 生まれも育ちも葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎
人呼んで フーテンの寅と発します  
  山田洋次
sibamata1 (8).jpg
帝釈天参道入り口
京成柴又駅から帝釈天までの約200mの参道は、昔ながらの趣が残っています。
sibamata1 (11).jpg
参道は途中に車道を一本挟んで、参道が帝釈天まで延びています。両側にはいろいろなお店が並んでいます。
年6回の庚申の日には、格別の賑わいを見せるそうです。
sibamata1 (10).jpg
数あるお店の中でも特に有名な ”高木屋” 
ここはロケの際の休憩場所として使われたり、実際の映画の中で登場する とらや(40作目からはくるまや)のモデルともなっているお店です。
sibamata1 (12).jpg
男はつらいよ」の撮影に第一作から第四作目まで使われた とらや
現在の店舗は老朽化のため建て替えられましたが 店舗の奥には、寅さんも使った階段が残っています。
参道をさらに進みます。
タグ:観光 柴又
posted by うめのはな at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛飾区・荒川区・足立区

2014年09月16日

天明家2・江戸東京たてもの園(終)

土間にはかまどがあります。そばには 屋根の葦の見本が置かれていました。
tenmyou (11).jpg
この日は囲炉裏に火が入っていました。
煙によって屋根に乗っている萱(藁)を燻(いぶ)すことで、虫よけにもなり家の寿命が長くなるということです。
tenmyou (1).jpg
座敷に上がりました。畳敷の広い空間が広がります。
tenmyou (4).jpg
畳が敷いてあるのは豪農の証拠です。
tenmyou (8).jpg
煙でかすんで見えます。
tenmyou (5).jpg
右の部屋だけは板敷きなのですが ここは産室だそうです。6畳ほどの広さでなにもない部屋です。
tenmyou (3).jpg
書院の付いた立派な床の間もあります。
tenmyou (7).jpg
障子の文様に注目。
tenmyou (6).jpg
網代文様の障子が優雅です。
tenmyou (9).jpg
格式高い 品の良さがあちこちに見られます。
tenmyou (10).jpg
縁側、廊下かも。
tenmyou (2).jpg
外から見た書院の間です。
庭をひとまわりして 天明家を出ます。
これでたてもの園の見学は終わり 出ました。バスで武蔵小金井駅に向かい 帰宅しました。
posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月15日

天明家1・江戸東京たてもの園

下町中通りを見学したあと 天明家という表示のある茂みを入っていくと立派な長屋門があります。
tennyo  (2).jpg
天明家「てんみょうけ」の入口である長屋門
天明家(農家) 江戸時代の豪農が住んだ、長屋門をもつ格式高い農家。
長屋門は郷士や富農でないと持てないはずなので、天明家はかなり規模が大きい豪農だったと思われる。
天明家は、江戸時代、鵜ノ木村(現在の大田区内)で名主を務めた旧家だそうです。
tennyo  (7).jpg
主屋から見た長屋門。下男下女といった使用人たちが住んでいたのでしょうね。
tennyo  (3).jpg
たてもの園に移築された天明家の建物は、庭園を含む主屋と長屋門、それに飼葉小屋です。
tennyo  (10).jpg
旧所在地:大田区鵜ノ木一丁目/江戸時代後期
正面に千鳥破風(ちどりはふ)をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます。
tennyo  (4).jpg
今年春に屋根の吹き替えが終わったところだそうで きれいでした。
茅葺きの雄大さに圧倒されます。
杉皮が挟まって模様になっています。
tennyo  (8).jpg
「千鳥破風(屋根の斜面の中程に装飾あるいは換気・採光のために設ける三角形の破風)」の切りそろえられたヨシの切り口や角度が美しいです。
tennyo  (6).jpg
切りそろえられた新しい茅葺屋根。どこか郷愁を誘います。
福井県坂井市に千古の家(坪川家住宅)国指定の重要文化財があります。
江戸時代初期に建てられた県内最古の民家。正面が入母屋造り、背面が寄棟造りの茅葺屋根です。
天明家の屋根を見て そこを思い出しました。
tennyo  (9).JPG
ちょうど 囲炉裏に火が入っていましたが ここは中に入ってみることにしました。
posted by うめのはな at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月14日

子宝湯・江戸東京たてもの園

下町中通りはは「千と千尋の神隠し」のイメージの元となっているそうです。作中で重要な舞台となった「油屋」のモデルの「子宝湯」で、「東京型銭湯」の典型的な建築物です。
現在、特別展「江戸東京たてもの園と千と千尋の神隠し」が開催されています。
kodakarayu (9).jpg
「東京の銭湯を代表する建物です。神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など贅(ぜい)をつくした造りとなっています。
旧所在地 足立区千住元町/1929年(昭和4) 」説明文より
kodakarayu (1).jpg
「江戸東京たてもの園物語」(株式会社スタジオジブリ)によればあまりの立派さに、お賽銭をあげて拝んでいた人もいたということです。
入母屋破風・唐破風・兎毛通し・宝船に乗る七福神の彫刻・折上げ格天井・ペンキ絵(銭湯背景画)・九谷焼三六角タイル絵・広告などの銭湯建築や内装、籐製の脱衣籠・体重計・ベビースケール・ベビーベッド・木製の風呂桶&風呂椅子などが再現されています。
kodakarayu (7).jpg
子宝湯(足立区千住元町)は昭和4年(1929年)に建てられ、昭和63年11月に廃業後、平成5年に江戸東京たてもの園内に移築された。
銭湯の最盛期に建てられたこともあって、贅沢なほどに飾り付けが施されています。
施主さんも大工さんも石川県出身の人だとのこと。九谷焼のタイル絵が番台や洗い場などにもあります。
kodakarayu (2).jpg
昔懐かしい脱衣籠
kodakarayu (3).jpg
吹き抜けの豪華な折上げ格天井(格子型の天井)が印象的な、「子宝湯」の脱衣所。高窓があり自然採光や換気などが考慮されている。
kodakarayu (6).jpg
天井の扇風機。昔のポスター。
子供のころ行った銭湯を思い出します。近所に銭湯があり夕方になると通っていました。
広い風呂。カーンと響く風呂桶の音。体重計。風呂上がりに飲む フルーツ牛乳が美味しくて楽しみでした。
kodakarayu (5).jpg
男湯の富士山のペンキ絵。
kodakarayu (4).jpg
女湯の方に向かって富士山の裾野(すその)が広がっているように描かれている。
kodakarayu (8).jpg
柳の木の下に 顔無しが現れそうな 子宝湯です。
posted by うめのはな at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月13日

仕立屋・和傘屋・鍵屋(居酒屋)・江戸東京たてもの園

「萬御仕立物所」の看板と格子窓の町屋は「仕立て屋」です。
easta (5).jpg
こういう格子・〈出桁造り〉の町家は福井・三国町でもよく見かけられます。
なんとなくなつかしい感じがしました。
旧所在地:文京区向丘一丁目
1879(明治12)年築。
easta (6).jpg
内部を大正期の「仕立屋」の仕事場と想定し、再現している。
 通常の仕立屋は、特段に店構えなどをせずに自宅を仕事場としており、親方のもとに弟子が住み込みで働くのが普通でした。ここでは親方と弟子4人の仕事場を再現していると説明がありました。
easta (2).jpg
川野商店(和傘問屋)
旧所在地:江戸川区南小岩
大正15年(1926年)築
重厚な屋根の造りや江戸以来の町屋の特質を継承する格子戸などの造りが建物の特徴。
東京での和傘の製造は、江戸時代は青山辺りが中心でしたが、明治中頃から小岩に移転したと思われます。
easta (3).jpg
竹の豊富な土地 また傘を天日干しするために広い土地を必要としたためと思われます。
店舗と住居である主屋と渡り廊下及び板蔵(復元せずからなっていました。
easta (1).jpg
鍵屋(居酒屋)
旧所在地:台東区下谷二丁目
1856(安政3)年築。
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋で、関東大震災と太平洋戦争の戦災を免れた貴重な建物。
谷中界隈は現在も出桁造りの町屋やその奧の長屋など、東京の古い街並みが比較的残る地域です。
kagiya.jpg
中に入るとカウンターがあり 女将さんのような女性がいて説明してくれました。
本当に営業しているかのようです。
明治から大正、昭和初期まで酒の小売店を営み、昭和の初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始め、戦後の昭和24年(1949年)から本格的に居酒屋として営業を始めたとのことです。
easta (8).jpg
奥は座敷になっています。
建物は正面に向かって右側にカウンター席を持つ土間の店、左側に四畳半の店座敷を置き、それぞれに独立した出入り口が設けられています。
posted by うめのはな at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月12日

万徳旅館(旅籠)・江戸東京たてもの園

青梅市西分町に幕末に建設され、明治初期に増築された万徳旅館(旅籠)です。
manotku (1).jpg
竣工:江戸期末〜明治初期(1850〜1860年代)
旧所在地:東京都青梅市西分町
「出桁造り」という形式で、何本もの腕木が壁に取り付き、「出桁」と呼ばれる長い横材を支えます。内部は昭和20年代の情景を再現し、平成23年9月3日より公開されています。
manotku (7).jpg
青梅街道に面して建っていたこの旅館は、富山の薬売りなどの行商人が多く利用していました。
帳場には薬売りの箱があります。
manotku (6).jpg
食事処ですかね・・・。
行商人や御岳山詣での人々の宿だったそうです。
manotku (3).jpg
室内にはあがれませんが 通り抜けることはできます。
万徳旅館は、明治中期頃に2階部分を増築し、客室を増やしている。
manotku (2).jpg
1階客間。
manotku (4).jpg
衝立だけの五右衛門風呂。
manotku (5).jpg
釣り井戸。
古い状態のままで平成5年頃まで営業を続けていた。創建当初に近い姿で、室内は旅館として営業していた1950年(昭和25)ごろのようすを復元している。
今なお江戸時代の旅籠の面影をとどめ ている貴重な旅館です。
posted by うめのはな at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月11日

小寺醤油店・江戸東京たてもの園

今でも地方に行けば 普通に見られるようなお店があります。
syouuy (3).jpg
小寺醤油店
旧所在地:港区白金五丁目
1933(昭和5)年築。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の出桁造り
syouuy (5).jpg
大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。
syouuy (4).jpg
白金台の裕福な人々が多く住む地域で繁盛していたそうです。
主な商品は日本酒であるが、醤油や味噌などの他、清涼飲料水や調味料、缶詰なども売っていた。
昭和30年代後半まで、量や重さを計って売る「量り売り」という売り方で、店内は昭和30年代の風景を再現。
syouuy (8).jpg
看板で醤油店と掲げているのは、創業者が醤油醸造の蔵元で修行していたためと伝えられている。
syouuy (7).jpg
居住部分との境は大坂格子としており、商家の造りの特質を継承している。
syouuy (9).jpg
隣の蔵は、袖蔵といい、在庫の商品や生活用具を収納するためのもの。
鉄筋コンクリート造2階建で、屋根は主屋と同じく切妻造り桟瓦葺きであるが、平入りの主屋に対して、袖蔵は妻入りである。
syouuy (2).jpg
資料室のようになっています。
syouuy (1).jpg
裏側。壁面は黒ダイヤという石の入ったモルタル塗りで、江戸時代の蔵にみられた黒漆喰塗りの雰囲気を出している。
posted by うめのはな at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月10日

花市生花店、武居三省堂・江戸東京たてもの園

宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』 の映画の登場人物の一人・釜爺の部屋のモデルとなった「武居三省堂」などがあります。
神田にあった花屋と文具屋が並んでいます。
bungu (2).jpg
右:花市生花店
旧所在地 / 千代田区神田淡路町1丁目
竣工年 / 1927年 ( 昭和2年 )
昭和初期に建てられた看板建築の花屋です。
平成3年まで営業していた生花店で、銅板の葺き方は多彩で、店名の文字の部分は、非常に細かい七宝紋様が見られます。
bungu (4).JPG
2階の窓の下には梅・桜・菊・牡丹などの花が飾られ、3階には蝶と菊が対角線上にあしらわれている。
銅板の模様は、下絵を描いたカシの木を大工が掘り、その型に銅板を乗せ打ち出すという手法で作られているそうです。
銅板葺とモルタル造形をミックスした看板建築。
bungu (1).jpg
武居三省堂(茶色いタイル
竣工年 / 1927年 ( 昭和2年 )
 旧所在地 / 千代田区神田須田町1丁目
明治初期に創業した文具店です.当初は書道用品の卸をしていましたが,後に小売店に変わりました。
建物は震災後に建てられた看板建築で前面がタイル貼りですがスクラッチタイルではありません。屋根の形にも特徴があります。
二つの建物は 間口2間。当時は認められていなかった筈の、木造3階建ての店舗兼住居です。
壁が3階まで建ちあがっているは正面だけです。
bungu (5).jpg
店内は壁も利用して 文具がならべてありました。
昭和30年代を再現したと言う店内の展示。
宮崎監督が「たてもの園の中で、一番、好きな建物」と公言している文具店の「武居三省堂」の「桐箱」は、「窯爺」(かまじい)のいるボイラー 室の壁いっぱいの引き出しにそっくりなのです。
bungu (3).jpg
蔵を再現した 店舗型休憩棟」として1階は無料休憩所。
2階は うどん蕎麦などの食堂になっています。
bungu (6).jpg
古さを出していますがこの建物は歴史は無いようです。
posted by うめのはな at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月09日

大和屋本店(乾物屋)・江戸東京たてもの園

木造3階建ての商店があります。
戦前の乾物店を再現した大和屋本店(乾物屋)です。
yamatoya (1).jpg
右のでっぱりは タバコ売り場。昔はこういうお店よく見かけました。
設計者 不詳
竣工年 1928年 ( 昭和3年 )
旧所在地 港区白金台
公開日:平成2 3年9月 3 日 (土)
yamatoya (3).jpg
「大和屋本店は、港区白金台の通称目黒通り沿いに在った木造3階建ての商店である。3階の軒下は何本もの腕木が壁に取り付き出し桁と呼ばれる長い横材を支える出桁造りと言う形式をもつ一方、間口に対して背が非常に高く、2階のバルコニーや3階窓下に銅板を用いるなど、看板建築の特徴を備えたユニークな建物である。建物は創建当初の1928年(昭和3年)に復元している。
大和屋本店は創建当初から乾物類の販売を手がけ 海産物の仕入れが困難になった昭和10年代後半以降しお茶と海苔などを販売していた。復元にあたり店舗部分は鰹節や昆布、豆、スルメ、海苔、鶏卵などを販売する戦前の乾物屋の様子を再現している。大和屋本店では煙草も販売しており、店舗前面に煙草屋の造作が取り付けられていた。今回取り付けられている煙草屋の造作は昭和20年代もので武田清氏よりご寄贈頂いたものである。」説明文より
yamatoya (2).jpg
さまざま乾物が並ぶ店先。
yamatoya (4).jpg
この角度から見ると3階の床面積は2階の4割程度なのが分かります。
yamatoya (5).jpg
板張りの壁のこの感じ・・・・3階建てではありませんでしたが 田舎の家を思い出します。
yamatoya (6).jpg
裏から見ています。
posted by うめのはな at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月08日

丸二商店(荒物屋)・江戸東京たてもの園

同じく看板建築である丸二商店(荒物屋)です。
maruhiti (3).jpg
丸二商店(荒物屋)昭和初期に建てられた荒物屋です。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。銅板の意匠は青海波や一文字、網代などの紋様を用いるなど趣向を凝らしたものである。
建設年  昭和初期
復元年  平成10年
旧所在地 千代田区神田神保町3丁目
構造    木造2階建て
maruhiti (4).jpg
創建時より昭和20年中頃まで、施主の夫人である池田節さんによって荒物屋が営まれていました。
店内は商売が最も盛んであった、昭和10年代の荒物屋の店先の様子を再現しています。
maruhiti (6).jpg
鍋や釜、ざる、ほうき、七輪などの生活日用品はなんでもそろっていたといわれます。
maruhiti (7).jpg
丸二商店の裏には、創建時から隣接していた長屋が復元されています。
maruhiti (1).jpg
長屋はいくつかの小規模な住宅を横に連結して建てられる住居。
江戸時代の江戸の町で誕生し、戦前に至るまで東京での庶民の一般的な住まいでした。
maruhiti (2).jpg
丸二商店横にあった路地の情景も再現。
maruhiti (8).jpg
こんな風景 いつかどこかで見たような・・・・
posted by うめのはな at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月07日

植村邸・江戸東京たてもの園

関東大震災の後に建てられた、防火対策の施された看板建築の特徴を表しているのが  全体を銅板で覆われた植村邸です。
uemura (7).jpg
全体的には洋風ですが、2階が和風の作りになっていて和洋折衷のデザインになっています。
設計者 / 植村三郎さんが自ら設計され他と思われます。
竣工年 / 1927年 ( 昭和2年 )
旧所在地 / 中央区新富町2丁目11-11
植村氏は金銀細工師で、元は1階が店舗か作業場だったとおもわれます。
uemura (8).jpg
2階の窓上のアーチ部分に施された星形の装飾。
星形のUとSを重ねたマークは、この建物を建てた植村三郎氏のイニシャルだと考えられています。
屋根の軒下の歯型のような装飾はデンティル(ギリシア語の歯の意)と呼びます。
縁の欄干の先が反り返っているものを、刎高欄(はねこうらん)と言うそうです。
緑青がレトロな不思議な感じを生み出しています。
ura.JPG
裏から見た3階の腰折れ屋根 ( キャンブレン屋根 ) の特徴。
uemura (6).jpg
植村邸1階部分の説明板
uemura (4).jpg
内部の障子 ガラス など、本格的な和風。
uemura (5).jpg
1階が店舗だったらしく脇には2階にあがる階段があります。
2階も純和風だそうです。
posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月06日

村上精華堂・江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園、東ゾーンに行きます。
東ゾーンは下町中通りといい 昔の商家 銭湯 居酒屋などがあり下町の風情を楽しむことができます。
復元した建物で当時の暮らしや商売の道具 商品などを展示しています。
murakami (7).jpg
現在地と書かれている建物から見ます。
murakami (1).jpg
村上精華堂(化粧品店)
竣工  :1928年(昭和3年)
復元  :1999年(平成11年)
旧所在地:東京都台東区池之端二丁目
構造  :木造地上3階
murakami (3).jpg
洋風なのは外観だけで中は和風です。看板建築の特色のひとつです。窓は縦長。
看板建築の特色
1 建物の表面を下から上まで看板のように飾る。
2 間口に対して建物の高さがある。
3 軒の出がほとんどなくて平板の看板のよう。
murakami.JPG
村上精華堂は内部は和風。3階にも座敷があるし床柱もあります。
murakami (6).jpg
外観はイオニア式の列柱、3階バルコニーに松という和洋折衷の建物です。
murakami (5).jpg
店内に展示されている、イオニア式の柱の頭部。
murakami (4).jpg
化粧用のクリームや椿油、香水の製造・販売をしていたそうです。
murakami (2).JPG
奥の土間で化粧品の製造を行い、卸売りや、小売りもしていたとのこと。
製造販売というところでしょう。
posted by うめのはな at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月05日

建築家ピエール・シャローとガラスの家・汐留ミュージアム

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の「建築家ピエール・シャローとガラスの家」を見に行きました。
建築家ピエール・シャローとガラスの家―ポンピドゥー・センター・コレクションが魅せるアール・デコ時代の革新」
panag (4).JPG
建築家ピエール・シャローとガラスの家
2014年7月26日(土)〜2014年10月13日
東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4F
ピエール・シャロー。日本初の個展だそうです。
ガラスの家というものに惹かれて見に行きましたが ガラスの家は展示するわけにもいかず 会場内のモニターのスライドショーで外観・内部を見ます。ガラスの家は 1931年に完成した ダルザス医師の自宅兼診療所。
「ガラスの家」巨大なガラスブロックのファサードで9m×9mもあります。階段は金属製。得意とした可動式のタンスや間仕切りなどもあります。明るくていいのですが 暑いだろうなぁ・・・と。
通風用の窓が壁面に縦一列に ついていました。(開け閉めは電動なんだろうか・・・)
panag (2).JPG
展示では、代表作の図面、写真、映像を中心に家具や照明器具 建築模型、デザイン画などを見ることができます。
会場内は撮影禁止です。
こじんまりした会場ですが 人はあまりいませんでした。
panag (1).jpg
会場出口のロビーには椅子とモニターTVがあって ガラスの家の映像を流していました。
誰でも見れるのかどうかはわかりませんが これを見るだけでもいいかも。。。。。。
タグ:芸術鑑賞
posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 港区・品川区

2014年09月04日

都電7500形・江戸東京たてもの園

都電の黄色い電車がありました。
tatemonode (2).jpg
都電7500形です。
1962年(昭和37年)に登場した東京都交通局の路面電車(都電)車両。
tatemonode (1).jpg
渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車輌です。交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて1972年(昭和47)から順次廃止されました。
製造年:1962年(昭和37)
所属営業所:青山営業所→柳島営業所→荒川営業所
車体塗色は新造時の都電標準色カナリアイエロー、窓下赤帯、黄色味は従来よりも濃い。tatemonode (5).jpg
6番系統の都電。行先表示は新橋行き、南佐久間町停留所の場所は新橋の手前。
新橋から虎ノ門、六本木、西麻布、渋谷へ行く路線は、昭和43年まで走っていました。
tatemonode (3).jpg
7514号車。定員は96名、座席定員は26名
板張りの床と、ロングシートが並んでいます。
天井には蛍光灯の他、扇風機が等間隔に4基設置されているが、暖房装置は設置されていない。
tatemonode (4).jpg
運転席。駆動用のマスコンとブレーキがあります。
次は 東ゾーン下町中通りに入ります。
posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月03日

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部・江戸東京たてもの園

東の広場とんがり帽子の展示物があります。
tatemonop (1).jpg
上野消防署(旧・下谷消防署)望楼上部
大正14年(1925年)から昭和45年(1970年)まで使用された望楼(火の見櫓)。全高23.6mのうち上部7mを移設。
1925(大正14)年竣工
旧所在地:東京都台東区東上野五丁目
tatemonop (4).JPG
説明板があります。
tatemonop (3).jpg
三脚四層式外廊型
tatemonop (5).jpg
中にはいることはできません。
半鐘がついています。まるでお寺の鐘のようです。
turik.JPG
半鐘の吊り下げ部は竜頭になっています。どんな音なのか聞いてみたい・・・
posted by うめのはな at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月02日

銀座煉瓦街の煉瓦・江戸東京たてもの園

以前あったボンネットバスが見当たらなくて テントだけが残っていました。
そのテントの先に古びた煉瓦があります。
tatemonop (6).jpg
銀座煉瓦街の煉瓦があります。
tatemonop (7).JPG
銀座煉瓦街(ぎんざれんががい)は1872年(明治5年)の銀座大火の後、都市の不燃化を目指して煉瓦造により造られた街並み。
1988(昭和63)年に銀座8丁目のビル工事現場から見つかった銀座煉瓦街の初期の煉瓦壁の一部。
tatemonop (8).jpg
銀座煉瓦街のレンガはフランス積みの工法です。
ginzarenga (2).jpg
こちらは 江戸東京博物館本館(両国)にある銀座煉瓦街の壁です。
さりげなく置かれているので 気が付かず通りすぎてしまうことがあるかもしれません。
ginzarenga (1).jpg
銀座煉瓦街のジオラマも同じく 本館にあります。
ginzarenga (5).JPG
金春(こんぱる)屋敷跡/金春通り煉瓦遺構の碑(中央区銀座8−6)
「銀座は日本に二箇所しか建設されなかったきわめて貴重な煉瓦街の一つです。もう一つは丸の内の煉瓦街でした。しかし今日では残されたこうした遺構から明治時代の煉瓦街を窺い知るほかはありません。
設計者はトーマス・ジェイムス・ウォートルスというイギリス人です。フランス積みで、明治五年から十年にかけて当時の国家予算の四%弱を費やし、延べ一万メートル余もあったといわれています。
この煉瓦は銀座八丁目八番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたものでゆかりの金春通りに記念碑として保存される事になりました。
下の絵は、明治初期のガス灯や張り板、提灯など当時の金春通り煉瓦街を偲ばせる古い写真を元に銅板に彫金したもので、見る角度により昼夜の陰影が出るよう微妙な細工が施されております。
銅板画制作 第十一代 銅昭
平成五年九月吉日
銀座金春通会建之」碑文
kyoubasi2.jpg
京橋にある銀座煉瓦之碑 中央区銀座1-11先
煉瓦が発掘されたのを契機に昭和31年(1956年)当時のままの「フランス積み」という方式で再現し、そこに煉瓦の碑が建てられた。
ginzarenga (3).jpg
碑のそばには明治7年(1874年)のガス燈の実物が復元されており、さらにその隣には大正11年(1922)に造られた京橋の親柱が残されている。
posted by うめのはな at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市

2014年09月01日

万世橋交番・江戸東京たてもの園

以前 万世橋のたもとに置かれていた旧万世橋交番です。
tatemonie (9).jpg
万世橋交番
建築年 明治後期(推定)
復元年 1993年(平成5)
旧所在地 千代田区神田須田町一丁目
構造   煉瓦造平屋建
建築面積 13平方メートル
tatemonie (5).jpg
正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、平成5年の移築の時にはトレーラーでそっ くり運びました。
神田須田町周辺は、江戸時代から目抜き通りの一つで、人通りが多く、近くにあった江戸 城へ入るための筋違橋門は昼夜を問わず開いていたという。
万世橋交番は、1923年(大正12)の関東大震災により、駅とともに大きな被害を受 けたが、のちに、以前のとおりのデザインに修復された。
万世橋駅ー東京駅間の開通や、震災後の区画整理などによって利用者が急激に減り、19 43年(昭和18)に廃止された。万世橋交番は以後、巡査の休憩所や交通係詰所として利用さ れていた。
tatemonie (7).jpg
3畳ほどの畳敷きの休憩 宿直用の部屋と簡単な流しとガス台があります。
tatemonie (10).JPG
交番脇には昔懐かしい 赤ポストと消火栓。
tatemonie (8).jpg
昭和のなつかしい赤ポスト・・・各地でまだ現役で置かれているものもあります。
posted by うめのはな at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小金井市・小平市・日野市