2014年08月31日

皇居正門石橋飾電燈・江戸東京たてもの園

再び たてもの園です。
伊達家の門から武蔵野のハケ前を通り東ゾーンへ向かいます。小川があり石橋が見えてきます。
この石橋にあるのは 皇居正門石橋飾電燈です。
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「石橋の欄干両側にある男柱石に計6基設置されていたもののひとつです。飾電灯の台座 にあたる男柱石の部分は、展示にあたり復元したものです。
年代 明治20年代
旧所在地 千代田区千代田
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青銅鋳造、高さ2.7m。脚部は獣足を四隅に踏張り、アーチ形蛇腹を渦巻で受け、旭日と獅 子で飾る。縦溝付柱身の上下はアカンサスで飾り、柱上に1灯、四方の腕から各1灯を吊る。
「皇居正門、通称「二重橋」の手前側の石橋に設置されていた飾電燈6基のうち1基である 。据付けは1888(明治21)年。正式に点灯が開始されたのは1893(明治26)年からと伝えられる。 以後、90年以上にわたり二重橋を照らしてきたが、1986年(昭和61)設備更新のため廃止された 。
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同じものが皇居東御苑にもあります。(東御苑のもの)
横浜市「電気の資料館」と犬山市「明治村」にもあります。
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2014年08月30日

日本発掘 発掘された日本列島2014・第二企画展示室

江戸東京博物館企画展会場6階から5階に降ります。
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第二企画展示室です。
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旧石器時代から近世までの発掘調査の成果の速報展示。
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平安時代の貴族藤原良相(813〜867年)の邸宅跡(京都市中京区)で出土した9世紀後半の土器片などもあります。
発掘された土器に書かれていた文字は最古(1,000年前)の平仮名だそうです
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岩手県山田町畠中遺跡出土人面付き土器 縄文後期(3500年前)
少し尖がった人面がついた縄文土器。
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壁には歴代のポスター・・・
会場を出るとすぐに 地域展の展示があります。
新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
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発掘された縄文土器やイルカの骨なども展示されていましたが ぎょっとしたのがこの顔。
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谷加賀町二丁目で出土した縄文人骨の復元模型(12号人骨)
「身長161、2cm、40代、頭頂部付近に陥没骨折が治癒した痕跡が認められるほか、脊椎及び肩関節に炎症の痕跡が見られます。死亡年は紀元前3310年〜3026年の間。」説明文より
「平成24年11月、市谷加賀町二丁目遺跡で発見された約4千〜5千年前の縄文人骨は保存状態が良く酸性土壌の武蔵野台地では極めて珍しい出土事例でした。」
隣のモニターでは 人骨の出土状況、修復・復顔作業の様子、縄文人のルーツや暮らしぶりなどを映像で紹介しています。
今回は 常設展は見ないで 出ました。
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2014年08月29日

日本発掘 発掘された日本列島2014・江戸東京博物館

江戸東京博物館で特別展を見た後 企画展の日本発掘 発掘された日本列島2014  を見ました。
これは常設展の600円で見ることができます。
常設展示室6階 特設会場(第1会場)と常設展示室5階 第2企画展示室(第2会場)で開催。
どちらかというと これのほうが見たくて 来たようなものです。
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毎年,日本各地では約8000件近い発掘調査が行われているそうです。
平成7年度から始まるこの「発掘された日本列島」展ですが 今回は最近20年間の日本の発掘の集大成。近年特に注目されている55遺跡約1300点の出土品を集めています。
キトラ古墳、高松塚古墳の「バーチャル展示」などもあります。
展示は3部構成です。
第1部 日本発掘 
第2部 新発見考古速報 
第3部 復興のための文化力―東日本大震災の復興と埋蔵文化財の保護― 
展示物のフラッシュなしでの撮影は可です。
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国宝の縄文土偶、合掌土偶が出迎えてくれます。
大きなガラスケースの中に、一人座っています。
普段は八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館にあるそうで まさか国宝の本物に出会えるとは・・・
風張1遺跡(かざはり) 合掌土偶(国宝) ?高さ19.8cm
縄文時代後期(約3600年前:パネル説明では3000年前) ?青森県八戸市
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今城塚古墳(大阪府高槻市) 大王の権威を示す大型埴輪
どれもユニークで面白いですから 写真を全部撮りたいくらいです。
お相撲さん?に見えるのですが・・・愛嬌のある顔、目鼻立ちは修復による再現。額や手、左胸から下がオリジナルだそうです。
隣は万歳!の女性。
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豪邸ですねぇ〜
家形埴輪 史跡今城塚古墳出土
大阪府高槻市 古墳時代後期
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日本最古のドングリ 貯蔵穴と編籠 東名遺跡(佐賀県佐賀市)縄文時代早期(約7000年前)
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野首遺跡出土の板状土偶。胸の位置に顔がある。
表情豊かで ひとつひとつ見とれてしまいました。
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火焔型土器 野首遺跡出土 新潟県十日町市
縄文時代中期 
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吉野ヶ里遺跡出土の筒形器台や高坏。形が洗練されていてきれい。
イモガイ製の貝輪が見えます。おしゃれ・・・・。
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大阪府羽曳野市応神天皇陵古墳出土の水鳥形埴輪
亡くなった人の魂を遠くの世界に運ぶ鳥とのこと。可愛い・・・
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塑像 川原寺跡出土。飛鳥時代
仏様のお顔・・・
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古墳時代から日本でも有数の焼き物の産地として青釉陶器小皿他 博多遺跡群(福岡県福岡市) が並んでいました。 
室町時代(約500年前)
次 5階 第二会場へ。
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2014年08月28日

思い出のマーニー×種田陽平展 江戸東京博物館

24日で夏休みも終わったところが多いので 思い切って江戸東京博物館(両国)に行きました。
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思い出のマーニー×種田陽平展  江戸東京博物館  7/27(日)〜9/15(月・祝)
ジブリだからさぞかし 混んでいるだろうと思いましたが予想に反してすいていました。
何年か前 東京都現代美術館で開催した 「男鹿和雄展」は連日2時間待ちの混雑でしたから拍子抜け・・・
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2014年7月19日(土)公開のスタジオジブリ最新作「思い出のマーニー」(米林宏昌監督)の世界を、同作で美術監督を務める種田陽平が表現する体感型展覧会。
映画も見ていないし ストーリーも何も把握していませんが 物語のキーとなる“湿っ地屋敷”の精密モデルやマーニーの部屋、クライマックスの舞台となる暗闇のサイロなど実写映画のセットのように再現されているというので見てみたくなったのです。
舞台である北海道の架空の街{岸浦町}の海辺の街の魅力が描かれていたりもします。
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「湿っ地屋敷」のジオラマは、時間の変化とともに建物に写る屋根や窓の影、室内からもれる灯りの色、空の色、海の色、が変化します。
裏からものぞいて 精密な屋敷のジオラマを見ることができます。
暗い展示室のなかに 森が再現されていたりします。
マーニーの実物大の部屋は本当の洋館に行った気分でした。
ベッドやピアノ、本棚、机、ソファ 装飾に至るまで細かいものもイギリス様式の部屋でした。
写真が撮れればいいのですが 会場内はすべて撮影禁止なのが残念です。
隣は 嵐のサイロの再現
暗くて 雷がなり本当に雨漏りがしているような雰囲気で 怖いです。
本物に見えた水たまりも泥もつくりものでした・・・
あちこちに たくさんの背景画が並んでいますがどれも そのまま水彩画の芸術作品となるような素晴らしいものでした。
その手書きの背景に アニメの主人公たちを重ねていくのですね。
湿っ地屋敷は設計の図面などもも展示されてたりして 本格的でした。
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 会場を出ると こんなパネルがありそこで記念撮影ができます。
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海辺の街に行った気分になれるかも。。。。
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2014年08月27日

サントリー美術館・ボヘミアン・グラス展(六本木)

広い東京ミッドタウンウェストとガレリアをさまよいながら ガレリア3Fに行きます。
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サントリー美術館です。
東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階
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プラハ国立美術工芸博物館所蔵耀きの静と動 ボヘミアン・グラス 展です。
プラハ国立美術工芸博物館の収蔵品170点を展示。
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十五世紀から現代にいたるボヘミアン・グラスの変遷を、1〜7章に分けて展示しています。
第1章 中世後期:14〜15世紀
素朴な日用品として作られた「フルート形ビーカー」などを紹介。
第2章 ルネサンスとマニエリスム
エナメル絵付けや、ガラスを削るエングレーヴィングの技法で多様な器形が現れてきます。
第3章 バロックとロココ:1650〜1790年頃
ガラスを彫刻のように削り出す「エングレービング装飾」などの無色透明な器の生産が拡大。
第4章 古典主義、帝政様式、ビーダーマイヤー様式、ロココ・リヴァイヴァル:1800〜1865年頃
ビーダーマイヤー様式が現れ、色ガラスが好まれるようになります。
第5章 歴史主義:1860〜1890年頃
歴史的様式に着想を得ながら美術工芸品の質の向上を目指改革運動が起きています。
第6章 アール・ヌーヴォー、アール・デコ、機能主義:1890年頃〜第2次世界大戦
アール・ヌーヴォーやアール・デコのデザインを取り入れたものや、ガラス工芸学校から生まれたユニークな作品など。
第7章 1945年から現代まで
ガラスを使ったアート作品「アートグラス」を紹介。現代美術の域。
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実用品としてのガラスから 装飾品、アートへと。色 材質 形状が変換していく様子が面白かったです。
タグ:芸術鑑賞
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2014年08月26日

東京ミッドタウン・イベント(六本木)

たてもの園は 一休み。
昨日 六本木の東京ミッドタウンに行きました。
東京都港区赤坂9-7-3 、東京ミッドタウン。
フジフイルムスクエア(FUJIFILM SQUARE)です。
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空の写真家&気象予報士 武田康男 「空のふしぎ写真展」
2014年8月15日(金)〜8月28日(木)
これが 見たくて行きました。
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身近な気象現象から、幻想的で目を奪われるような空の写真、ふしぎでなかなか出会えない気象現象など50点ほどの写真を展示しています。みたことのないような 虹や日本のオーロラ。富士山の雲など 色と光が美しい幻想的な写真ばかりでした。
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これは 大江戸線六本木駅8番出口から東京ミッドタウンホールへ向かう途中にある大きなオブジェ。
安田侃(かん)氏の作品。「意心帰」だそうです。
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ミッドタウン・ガーデン 芝生広場のゴジラ
全長108mのハリウッド映画版「GODZILLA ゴジラ」実物の1/7のスケールのゴジラは、高さ約6.6m。
2014年7月18日(金)〜 8月31日(日)
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秋田竿燈まつり 秋田の竿燈は一番大きな「大若」(高さ約12m)
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仙台七夕まつり
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青森ねぶた祭
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東京ミッドタウンに“東北三大祭り”のダイナミックなモチーフが館内に登場。
2014年7月18日(金)〜 8月31日(日)
しかし・・・ミッドタウンは何度来ても 広くて迷って疲れます。
タグ:イベント
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2014年08月25日

伊達家の門・江戸東京たてもの園

西川家別邸の近くには 伊達家の門があります。
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伊達家の門
大正時代に伊達侯爵家(旧宇和島藩伊達家)が白金三光町に建てた屋敷の表門。片番所を設け た大名屋敷の格式で建てられている。
建築年  大正期
復元年  1965年頃
旧所在地 港区白金二丁目
〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現し たような形をしています。
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総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の木彫り の家紋が施されています。
竹に雀紋は天文11年(1542)正宗の曾祖父伊達植宗の三男実元が上杉定実と養子を約した時に伊達家の紋に加わったそうです。
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片番所
片番所を設けた大名屋敷の格式で建てられています。番所が、片側に一つだけなので片番所。
番所は格式を示すもので、両番所を設けることが出来たのは国持大名十万石以上、及び五万石 以上譜代大名。 そして片番所しか許されなかったのは、五万石以上の外様大名と、五万石から一万 石の譜代大名だったそうです。
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番所は番人が詰めるところです
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起くり屋根の番所の広さは六畳、三畳、二畳にトイレ付きの広さ。
中に入ることはできません。
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案内板にあった 番所の平面図です。
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門の内側です。
次は 東の広場に向かいます。
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2014年08月24日

西川家別邸・江戸東京たてもの園

高橋是清邸とは廊下でつながっていますが 中から入ることはできません。外に出て玄関から入ります。
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旧西川家別邸   西川製糸創業者・西川伊左衛門が接客用兼隠居所として用いた和風邸宅。大正11年(1922年)竣工。
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玄関。旧所在地:昭島市中神町二丁目
内部を見学します。
西川家別邸は、1922年(大正11)に現、東京都昭島市に建てられました。
多摩地域は、江戸時代から養蚕・製糸業が盛んでした。
西川伊左衛門が明治26年(1893年)に設立した西川製糸は、多摩地方屈指の製糸工場となり、そ大正15年(1926年)にアメリカのフィラデルフィアで開催された博覧会で高品質を認められて表彰されたとのことです。
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玄関に間取り図がありました。
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西川家別邸は、接客用の部屋と日常使う部屋を分けています。当時の住宅建築の主流をなした造りです。
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隣接する吉祥寺時代の會水庵を描いた作品がかけられていました。
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西側の接客用の部屋と東側の部屋とは、客間を廻るように配された廻り廊下によって結ばれています。
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取引先の業者の中には外国人もいましたが、テーブルや椅子にはしなかったそうです。
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当時「お別荘」と言われており、本邸として使われていたものとは別に、接客用兼隠居所として建てられたものです。
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全部の部屋に行ける北側の長い廊下
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建物には釘が1本も使われていないが、関東大震災にもびくともしなかったそうです。
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風呂は五右衛門風呂みたいでした。
大正から昭和初期に最盛期を迎えた養蚕・製糸業で成功した人の屋敷です。
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2014年08月23日

会水庵・江戸東京たてもの園

高橋是清邸の離れがあった部分に 西川家別邸が移築されています。
なぜ2つの別の屋敷をくっつけて復元したのかわかりませんが もしかしたら、離れがあった頃の高橋是清邸の大きさを再現しているのかも・・・
高橋是清邸とは廊下でつながっていますが、通り抜けられないようになっています。
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会水庵(かいすいあん)が見えます。
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時折 茶会が開かれるそうです。にじり口の前に踏み石があります。
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会水庵(かいすいあん)会水庵宗偏流の茶人、山岸宗住(会水)が立てた茶室です。
1957年(昭和32年)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。 本畳三枚と台目畳一枚からなる三畳台目の小間の茶室です。
[杉並区西萩北五丁目/大正期頃] 説明文より
桟瓦葺の屋根と銅板葺の庇が大正から昭和にかけての茶室の特徴を表しています。
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竹の中柱。
この茶室は三畳台目と勝手から成り、屋根は桟瓦葺で庇は銅板葺、露地には腰掛待合と蹲踞。
建物は、もともと母屋に接続していたので西川家別邸に付ける形とし、可能なかぎり吉祥寺時代に戻して復元したもの。
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露地については面積上の制約から形を変え、腰掛待合の部材の一部と蹲踞、飛石の一部は従来のものを活用したそうです。
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外からみた旧西川家別邸と会水庵腰掛待合。
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2014年08月22日

高橋是清邸2階・江戸東京たてもの園

階段が二箇所にあります。
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二階も一階と同じく多くのガラスが用いられていますが、明治のガラスということで表面が微妙にゆがんでいます。
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窓際の廊下は立ち入り禁止です。
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2階和室。
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みごとな欄間です。
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掛け軸 「不忘無 是清」(無 を忘れず)、これはレプリカとのこと。床の間には説明文がありました。
「是清はこの二間」を寝室と書斎に使っていた。寝室に床の間の前には文机が置いてあって、寝る前はその机で習字をするのが習慣であった。
書斎には大きな洋風机が置かれ、仕事をしたり暇があると読書にふけっていたという。
是清は1936年(昭和11)2月26日早朝、青年将校によって殺害された。 兵士十数名がなだれ込み、白の寝巻姿で蒲団に座っていた是清に銃弾を浴びせ、軍刀で切りつけた。即死であった。
是清は市民から「ダルマさん」と呼ばれ、親しみをもたれていたため、葬儀には別れを告げる人びとが多数参列した。波乱に満ちた83年の生涯であった。」
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暗殺された寝室の開口部は床までガラスになっていて、手すりがあるのですが、『千と千尋の神隠し』の千が過ごした部屋のモデルと言われているそうです。
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左側に孫娘を抱いて優しいおじいちゃんというような是清の写真がある。
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高橋是清邸と廊下でつながっている 旧西川家別邸が見えます。次 そちらにむかいます。
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2014年08月21日

高橋是清邸1階・江戸東京たてもの園

センターゾーンにあるのが高橋是清邸主屋部分です。
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今の季節は木々の緑に隠されて建物がこの位置からはよく見えませんからこの写真は前に写したものです。
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明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋の玄関部分です。車いす用簡易スロープがあります。
2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。
[港区赤坂七丁目/1902年(明治35)]
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両折(もろおり)桟唐戸を持つ玄関です。
「経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主部分である。是清は、赤坂の丹波篠山藩青山家の中屋敷跡地約6,600平方メートルを購入し、1902年(明治35)に屋敷を建てた。総栂普請の主屋は、複雑な屋根構成をもっており、また当時としては高価な硝子障子を、縁回りに多量に使用している。赤坂にあったころは、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だった。
 1936年(昭和11)、是清はこの建物の2階で青年将校の銃弾に倒れた。(2.26事件)。敷地と屋敷はまもなく東京市に寄付され、記念公園となった。是清の眠る多摩霊園に移築され、休憩所として利用されていた主屋部分が、この場所に移築された。」案内板より
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案内板 平面図
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玄関を入ってすぐの食堂だったところが展示室になっていて 若いころの写真やゆかりの品々などが展示されています。
この資料室は撮影禁止です。
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北向きの仏間と全室があります。「花頭窓(かとう)」と、下部に棚があります。書院窓」ともいうそうです。
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1階和室は十畳の二室。
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2008年に行ったときは この和室は茶房になっていて座卓が並んでいました。 うどんや 蕎麦を食べることができました。
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和室は明るく 庭園を眺めることができます。
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庭から見る主屋ですが 格子の壁のようなものがあります。
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格子状のもの これは耐震補強のために設置したものだそうです。
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赤いじゅうたんは見学用に敷かれたもの。
硝子は明治のガラスですと 注意書きがあります。
2階へ行きます。
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2014年08月20日

武蔵野の道 屋外展示物・江戸東京たてもの園

樹木ゾーンに沿って自然散策も楽しめる 「武蔵野の道」があります。
この道沿いに 屋外展示物が並んでいます。それぞれ説明文もあります。
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瀬戸岡1号墳瀬戸岡1号墳
河原石を用いた地下式横穴の石室で墳丘はほとんど見られないことが特徴で
す。
1号墳からは,刀類や鉄鏃(てつぞく),土師器(はじき)の甕(かめ)などが出土しているものの 副葬品は概して少ない。蔵骨器(ぞうこつき)として用いられた須恵器(すえき)の壷も出土しているが これは平安時代になってから古墳が再利用されて納められたものとみられている。
年代:飛鳥時代(7世紀後半)
旧所在地:あきる野市瀬戸岡
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多摩川台9号墳(レプリカ)
大田区田園調布1・4丁目に点在する多摩川台古墳群の中のひとつ。
直径約15mの円墳で 埋葬施設は凝灰岩を用いた横穴式石室の形をしている。
しかし 天上の石が発見されていないことから もとは竪穴式石室的なものだったとみられている。
9号墳からの副葬品として 金環 小玉 直刀 刀子(とうす) 須恵器長頸壷 土師器わんなどが出土している。
年代:古墳時代(6世紀後半〜7世紀初頭)
旧所在地 大田区田園調布4丁目
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方砂遺跡敷石住居址
敷石住居は、縄文時代中期後半から後期頃にかけて、円形、隅丸方形、柄鏡形に比較的平らな川原石
を敷き詰めて造られた住居で、関東地方西部から中部、東海地方東部地域にかけて分布しています。
方砂遺跡敷石住居の中央部分には、石囲いの炉が設けられています。
敷石住居は 縄文時代中期後半から後期中頃にかけて円形 隅丸方形 柄鏡形に比較的平らな河原石
を敷きつめて造られた住居で 関東地方西部から中部 東海地方東部地域にかけて分布する。出土遺
物の特徴から 住居というより祭りなどのために造られたものという見方もある。
方砂遺跡敷石住居の中央部分には 石囲いの炉が設けられている。
年代 縄文時代後期(紀元前二千年頃)
旧所在地 青梅市友田町1丁目
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御殿山遺跡敷石住居址
この住居址からは 中央部分の石囲いの炉や若干の土器片 打製石斧 石皿が発見されている。なお
現在では敷石の多くが失われている。
年代 縄文時代後期(紀元前二千年頃)
旧所在地 武蔵野市御殿山1丁目
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石枡
石枡江戸時代の上水施設です。石枡には砂や泥の撤去、断水や水量調整等の機能がありました
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隣接して、江戸時代上水施設の石樋も設置されています。
年代:江戸時代
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奉供養庚申塔奉供養庚申塔
道教に由来する庚申信仰により建てられた石塔です。庚申講を3年18回続けた記念に建立する例が多くみられます。庚申信仰と三猿が結びつくのは17世紀後半以降といわれています。
年代:1700年(元禄13)
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寛永寺灯籠
将軍徳川家の菩提寺である寛永寺に、八代将軍徳川吉宗の没後、献上されたものです。
年代:1751年(寛延4)6月20日
旧所在地:台東区

このほかにも馬頭観音音、五輪塔 などもあります。
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2014年08月19日

深川八幡祭り2014 神輿連合渡御2

各町会の神輿はどれも立派なもので驚きます。
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深川っ子の義理人情の厚さからか 担ぎ手はとても多いです。「わっしょい」の合間に拍子木が鳴らされ「ちょいさ」「おりゃさ」「よいさ」などの合いの手が入り、観衆も一体となり盛り上がります。
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これは宮元の神輿。富岡1丁目。富岡八幡宮のあるところです。
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高齢化は心配なさそうです。若い人が担いでいます。マンションの新住民や 会社の社員なども参加しています。
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神輿について歩いている人も とても多いです。
老若男女。お年寄りからベビーカーの赤ちゃんまで そろいの法被を着て 粋な姿です。
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こんな先導も見られます。
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道路がぬれていますが雨ではありません。ホースの水・・・・
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纏をまわしながらはとても大変だろうなぁ・・・
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担ぎ手に清めの水を浴びせる水掛けは、誰でもできるので、担ぎ手と一緒になって盛り上がることができます。
消防団の人が水をかけると 神輿について歩いている人のほうからも水鉄砲でかけ返すという光景もみられました。
消防ホースのそばにいたので 何度 水から逃げたことやら・・・・それでも霧状にふりそそぎしっとり。。。。
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琴平は古石場だそうですが 海の守り神「金刀比羅神社」があり、「琴平」とよばれていたそうです。
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2014年 駒番
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しんがりの神輿がゆっくりやってきました。今年は 深濱。
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大漁旗が先導します。深浜は深川の漁師町だったそうです。【深川浦漁業協同組合】は、深川浜十四か町の漁師の組合。
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深濱の神輿は深川一(町神輿)の大神輿だそうです。
江東区富岡1丁目の富岡八幡宮を花火の合図で午前7時半から順次出発した神輿は永代通りを進み 木場、大門通り、江戸資料館通り、清洲橋通り、中央区新川を経て、永代橋を渡ります。
永代橋では手古舞の先導で 神輿を差しあげて渡り 富岡八幡宮へと戻ります。ここから先の永代通りは隙間もないほどの人で埋め尽くされます。今年は あの人気のDJポリスが 絶妙な言葉で呼びかけていたそうです。
また 3年後・・・・。
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2014年08月18日

深川八幡祭り2014 神輿連合渡御1

昨日8月17日(日)は朝から 深川八幡祭り(富岡八幡宮例祭)の神輿連合渡御を見に出かけました。
約370年の歴史がある、江戸の粋を今に伝える深川八幡祭り。
何度見ても 見あきないです。
今年は 少しだけみるつもりが最後まで見てしまいました。
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神田祭、山王祭と並び、江戸三大祭りの1つに数えられる富岡八幡宮の例祭。
2014年は3年に1度の本祭り。大小あわせて120数基の町神輿が担がれます。
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その内大神輿ばかり53基が勢揃いして連合渡御。氏子各町を一周する約8キロのコースを練り歩きます。
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今年は 順不同で町内名も書きません。
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顔の処理もしていません。
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深川のお祭りは「ワッショイ、ワッシヨイ」の伝統的な掛け声です。
「わっしょい」という掛け声は、みんなで力を合わせて「和」を背負う(しょう)という意味から来ているそうで、みんなで「わっしょい」と元気に掛け声をかけると足並みがそろい一つになれるといわれています。

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担ぎ手には女性もいます。
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「水掛け祭」の別名通り、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がるのが特徴で、江戸の粋を今に伝えるお祭りです。毎年30万人の人出となるそうです。
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「越一」の越は越前の「越」です。中央区新川あたりは越前福井藩主、松平越前守の屋敷地でした。
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江戸時代の越前堀の名が残っています。
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新川は志ん川と書かれています。
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消火栓から消防ホースで勢いよく水がかけられています。
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水を浴びながらも元気に神輿を差し上げています。
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差し上げてくれると沿道からはさらに 水がかけられます。
担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がっていきます。
続く・・・・
タグ:イベント
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2014年08月17日

旧三井八郎右衛門邸6・江戸東京たてもの園

1階の南側にある望海床は、大磯の別荘、城山荘より移築したもので当時は画室として使用されていて床にはオンドルが入っていたそうです。
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移築後は一時的に立礼式の茶室として使用され、その後は庭園にあった茶室の待合い室として使用されていました。
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丸木や竹を使ったこだわりのある部屋。
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床の間や建具などに趣向を凝らしている。
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鳥の襖絵はみごと。遊び心を感じさせる茶室。
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望海床から庭を望む。緑が映えます。
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廊下に出てこの右が玄関広間。
お屋敷見学を終えて 三井八郎右衞門邸を出ます。
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2014年08月16日

旧三井八郎右衛門邸5・江戸東京たてもの園

入側と呼ばれる広い回廊はいかにもお屋敷という感じです。
入側(いりかわ):座敷と濡縁(ぬれえん 雨ざらしの縁側)の間の細長い縁側部分。畳敷きとしたものをとくに「縁座敷(えんざしき)」と呼びます。
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ここは京都・油小路邸から移築された部分とのこと。桂離宮をモチーフにしているとか・・・
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櫛形窓。。
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食堂。畳の上にじゅうたんを敷きイスやテーブルを置くという和洋折衷の生活様式。
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書院の客間と食堂。調度品も含めて油小路邸の奥書院「四季の間」だった部分で、本来は4部屋が田の字に配置されていました。この西麻布邸建築にあたり、そのうちの2間を用いて再構成しています。
天井は格天井で、客間と食堂の間の欄間は卍崩しの意匠。
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草花の画が描かれた格天井。金色のふすまや壁。栄華を物語ります。
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1・2階の襖・障子・杉戸に描かれた大半の花鳥風月の絵画は、明治期の円山四条派の画家によ るものだそうです。
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三井邸客間。明治40年に竣工した京都油小路三井邸の部材が用いられている。椅子の材質はカリン。
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右側にある違い棚は、、通常棚板を同一平面上に配置して高さだけを違えるところ、わざと前後にもずらして、さらに立体的にしている。
畳の上に絨毯を敷き、いすやテーブルを置くという和洋折衷式で時代を感じます。
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南側には庭園があります。
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1階部分の南側に突き出た部分の部屋は「望海床」と名付けられた和室で、大磯の城山荘(じ ょうざんそう)にあったものを移築したものだそうです。次はそこを見ます。
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2014年08月15日

旧三井八郎右衛門邸4・江戸東京たてもの園

1階に降りて順路に従います。
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廊下右側は厨房・配膳室です。
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配膳室。三井家が大所帯だったのか 来客が多かったのか・・・
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厨房。業務用と思える設備です。
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ガスオーブンなども設置。パーティの料理なども作ったのでしょう。
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主屋の西側には土蔵が移築されています。蔵は明治7年(1874)の建築当初の土蔵に復元(土蔵内は撮影禁止)。
土蔵の入口です。
3階建で明治7年(1874)に建てられたものである。この土蔵は「越後屋」の「絹蔵」であったと伝えられ、三井家ではとりわけ大事にされていた。3階頭上の小屋組には、墨字で「明治七甲戌年建之」と大書されいます。
箪笥 長持 鎧 掛け軸などなどが収納されていました。
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外から見た土蔵。
資料室のような作りになっていた 土蔵を出て和室に向かいます。
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2014年08月14日

旧三井八郎右衛門邸3・江戸東京たてもの園

階段手すりは意外とシンプルです。
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階段を上りきると 目に入るのが仏間前の廊下の大きなシャンデリアです。
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これは第一国立銀行に飾られていたもので、そのあとは大磯の別荘城山荘使われていたそうです。
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部屋はそんなに広くない部屋ばかりです。
仏間には中央に祭壇のようなものがありますが 撮影禁止です。
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南側2間をを夫婦の寝室にしていますが三井高松氏は北側を枕にしていたようです。
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奥様の寝室には 着替え用の小部屋があります。
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箪笥なども置かれています。
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襖絵も部屋ごとに違って絵が描かれています。
襖の引き手中央には鮮やかなターコイズブルーの七宝焼きがはめ込まれています。
鴨居の釘隠しも同じようになっていました。
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2階は、南側を夫婦の寝室とし、北側に階段室、便所、浴室及び仏間を配しています。
中廊下式平面は大正期に成立した平面形式です。
順路に従い 1階に降ります。
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2014年08月13日

旧三井八郎右衛門邸2・江戸東京たてもの園

玄関ホールです。
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ボール型の照明:アールデコの宝飾デザイナー、ルネ・ラリックによる作品。
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玄関ホール正面 日本画の下はこんな風。和洋折衷の極み・・・
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玄関のすぐ右手には洗面所とトイレ
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バリアフリーになっているので 車いす用の出入り口もあります。
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裏口にはめ込まれたアイアンの装飾がきれいです。
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外からみるとこんな風。中からのほうがきれいです。
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三井八郎右衛門邸の平面は中廊下式と呼ばれる形式です。
1階は南側に木造の客間、食堂を配置し、中廊下の北側には鉄筋コンクリート造の事務室、厨房、配膳室などがあり、北西側で土蔵倉庫につながっています。
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あかじゅうたんの1階廊下。
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2階から見ていく 順路になっています。
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階段は洋風のつくりです。
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2014年08月12日

旧三井八郎右衛門邸1・江戸東京たてもの園

少し戻って 常盤台写真場前にあるひときわ大きなお屋敷を見学します。
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三井財閥一門十一家の総領家、第11代三井八郎右衛門高公氏の屋敷として、昭和27年に建てられたものです。
門構えも風格があります。
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ここから入る 日本庭園もすばらしいです。
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庭園側から見た 旧三井八郎右衛門邸です。
旧所在地:東京都港区西麻布三丁目 竣工:昭和27(1952)年
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玄関の上を見上げると複雑に屋根がかかっています。
本邸であった邸宅が戦災により焼失したため、昭和27年(1952年)に港区西麻布3丁目に新しく本邸を建築しました。
主屋は、京都油小路、大磯、世田谷区用賀、今井町(現港区)にあった三井家に関連する各施設から建築部材、石材、植物などが集められて建てられています。
邸内からは財閥が繁栄していた頃の男爵三井家の勢いがうかがえます。
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ここが玄関前です。車いすの人は右のスロープから入ります。
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玄関です。ん?見たことのある鹿像が見えました。
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三井記念美術館にある雌雄の鹿の像題「嶺」 作者:池田勇八 (北三井家旧蔵)と同じだと思います。
鹿は三井家の象徴なのでしょうか・・・?
建築意匠に使われる アカンサスの花が咲いていました。
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木の扉の中、玄関ドアには 三井家の家紋が入っています。右手に履物を脱ぐ小部屋がありそこで スリッパに履き替えます。
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玄関正面です。金色の壁紙 日本が画など品格があらわれています。中に入ります。
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2014年08月11日

西ゾーンの古民家・江戸東京たてもの園

たてもの園西ゾーンの端には江戸の古民家が集められています。
ちょうどその日は囲炉裏焚きの日でどの民家も煙で・・・・
生田緑地の民家園で 民家をたくさん見たとき 囲炉裏の煙でいぶされて 体中煙臭くなった り咳こんだりしたので 二度目の見学だしこの日は外観だけ見ました。
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八王子千人同心組頭の家
八王子千人同心は、もともと、甲斐武田氏の小人頭に率いられた同心衆でしたが、武田氏の滅 亡後、徳川家康の配下となり、天正18年、1590年家康が関東の領主となると、八王子に配備 されました。
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拝領屋敷地の組頭の家は、周辺の農家と比べると広くありませんが、 式台付きの玄関などは 、格式の高さを示しています。wtatemono (2).jpg
綱島家・農家
江戸時代中期、1700年代に世田谷区岡本に建てられたものです。
綱島家のあった世田谷区岡本は、国分寺崖線と呼ばれる段丘崖の上に広がっています。
以前 岡本民家園を見学したことがあります。
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広間をかこむ長方形断面の大黒柱や、押し板という古い形式の板があります。
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吉野家・農家 
吉野家は江戸時代後期に建てられた農家です。
吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家といわれ、式台付きの玄 関や付け書院のある奥座敷に格式を見ることができます。?
建物内では、昭和30年代の農家の生活の様子を再現しています。
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囲炉裏が台所と土間の2個所にあります。
かまども2個所ありますがいずれも普段のときと人が来た時とに使い分けたそうです。
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格式高い式台付きの玄関の上には 彫物。
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八王子の穀倉
「八王子にあったこの穀倉は、1800年代に建てられたものと伝えられている 。現在内部は3部屋になっているが、もとは柱ごとに仕切りがあり、小部屋3室、大部屋2室の計5室に 分かれていた。穀物の出し入れは前面の落とし板を取り外して行う。」と説明板がありました。
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奄美の高倉鹿児島県大島郡宇検村・江戸時 代末期頃
「奄美大島にあった高床式の倉庫です。湿気や鼠の害から穀物を守るために、建物本体を地面 から高く上げています。
このような高床式の建物は、東京都の八丈島などにも見られます。」
囲炉裏の煙で中には入らなかったので さっと見て次に進みます。
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2014年08月10日

旧北尾次郎邸(デ・ラランデ邸)3・江戸東京たてもの園

そう広くない玄関ホールの左手には2階への階段があります。
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階段の幅も洋館にしては意外と狭いです。
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このような階段の手すりには既視感が・・・・
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これが3階屋根裏に上る階段です。(天守閣に登る急な階段みたい!!)立ち入り禁止です。
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二階は廊下を挟んで6部屋だそうです。
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2階の寝室は当時の借家人(ドイツ人)一家の暮らしを想定して再現したそうです。
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この建物の 名称問題については 見学時は何も知りませんでした。
ただ 外国人設計の洋館にしては どことなく違和感がある建物だなぁ・・・と。
三島海雲が1956年この家を手に入れました。三島食品は、1999年まで所有していました。東京 都が買い取ってから、復元が完成するまで14年かかりました。6〜7億円の費用がかかったといいますから 名称についてはきちんと調査の上正確に決めてほしいです。
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家具が再現されていたのは主寝室だけで他の部屋は何もありませんでした。
せめて 北尾家から見つかった家族の写真や資料。修復復元の様子や説明板。住んでいた人たちの 経歴などの資料でも 並べてくれればいいのに・・と思いました。
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2階ホールがないので かなり窮屈な感じです。
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階段の上から玄関ホールを見ています。
左がカフェです。右が出入り口。
手前に歩くと ガラスの塔(暑くて!)のエレベーターとトイレなどコンクリートの建物にな っているので やはりリゾート地のレストランかペンションに来たみたいな感じがしました。トイレは近代的でした。
この建物はなんとなく落ちつかないので食事の後すぐ出ました。
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2014年08月09日

旧北尾次郎邸(デ・ラランデ邸)2・江戸東京たてもの園

食事のため中に入りました。
食事をしなくても建物内の見学はできます。
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入ってすぐ左手の部屋は何も置いてない部屋でした。
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赤じゅうたんの先がカフェになっています。玄関ホールは普通の洋館ほど広くないです。
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飲み物 カレーライス、ハヤシライス、軽食、各種デザートなどがあります。私はカレーライ スを注文しました。
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天井のシャンデリアです。
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半円形のサンルーム部分です。装飾はどことなく和風。
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北尾次郎氏は気象物理学者であり数学者、農学者でもあり法学者、さらに小説家でもあり画家 、といった明治時代の超万能才人だったそうです。アンティーク調の雰囲気で凝ったつくりです。
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このレリーフの下絵にあたる 墨絵が残っていてそれをデ・ラランデ作として紹介していたよ うですが はたして外国人が墨絵を描くだろうか・・・これも北尾次郎氏作とみたほうが自然だとい う声があります。同感!
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こちらの天使をはじめ、壁画に登場する人物像の多くが三人一組セットのもの。広瀬氏の指摘 によると、家主・北尾次郎が、自分と妻・一人息子をモチーフにしたものではないかという事です。
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1階のほとんどがカフェとなっていて 各部屋のしきりはありません。
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食事をしている人には失礼なのですが自由に見ることができます。
混んでいるときなどはどうなんでしょうかねぇ・・・
できればカフェなどにせずそのまま 見学だけにして欲しかったかな・・・
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これも北尾氏自ら作った考えられている暖炉だそうです。
家族団らん 温かみのある暖炉です。
2階に行きます。
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2014年08月08日

旧北尾次郎邸(デ・ラランデ邸)1・江戸東京たてもの園

たてもの園30番目の建物は2013年4月20日公開された赤い屋根の白い洋館。スレート葺きのマンサード屋根(腰折れ屋根)と下見板張りの外壁、1階の下見板張り部分は白い塗装で、屋根は赤い塗装で印象的な洋館です。
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この洋館は たてもの園の中でとてもインパクトのある建物で スケッチする人も多かったです。
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赤い美しい洋館は1999年まで東京都新宿区信濃町の高台に建っていたもの。
旧トーマス邸で名の知れたドイツ人デ・ラランデが住んでいたということで 東京都はデ・ラランデ邸として公開しています。
デ・ラランデ邸(で・ららんでてい)
「デ・ラランデ邸この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年ころ、ドイツ人建築家ゲ「オルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。
[新宿区信濃町/1910年(明治43)ころ]」
建 築 年 :1910年(明治43)ころ
旧所在地:東京都新宿区信濃町
寄 贈 者 :三島食品工業株式会社」
このような説明になっていますが デ・ラランデ邸という名称は贋作ということで訴訟問題にもなっているようです。
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明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎氏が自邸として設計したと伝えられる木造平屋建て・瓦葺き・寄棟屋根・下見板張りの洋館でした。もともとこの屋敷は、彼が留学先のドイツの建築様式を取り入れて設計し、義足で足が不自由だったドイツ人の妻のために、バリアフリーを最優先として建てられたそうです。
所有者は昭和期まで 北尾次郎(1853ー1907)と、その長男・富烈(ふれつ)で、ラランデは約五年半この家を借りていた、ただの借家人に過ぎなかった。
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土地は北尾次郎の死後もその長男が昭和期まで所有し続けていて土地台帳も残っているとのことです。
ドイツ在住でデ・ラランデの足跡を調査してきた広瀬毅彦氏が土地所有者だった北尾次郎の子孫宅で発見した明治時代の写真等から、北尾次郎が1892年(明治25年)に自ら設計して平屋建ての洋館を建てていたことが分かったと発表。
北尾家の遺品には北尾次郎が書いた増築計画の平面図も残されていたという。
北尾次郎の没年が明治40年、ラランデがこの邸宅に移り住んだのが、それより2年以上後だとのことです。
東京都知事宛公開質問状の内容と写真等の資料を全部読みましたが やはりこれは旧北尾次郎邸というのがいいと思いました。
都は初の 外国人の住んでいた洋館ということで お客を呼びたかったのかもしれませんが。
借家人の名が旧○○邸となるなら 引っ越しが多かった私などいくつ旧○○邸があることやら・・・
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もっと無粋でがっかりしたのが コンクリートの厨房棟とガラス張りのエレベーター棟です。トイレもここ。
これはもう・・・リゾート地にあるなんちゃって洋館のようでガッカリです。
いくらバリアフリーとはいえ さりげなくそれなりにふさわしく作れなかったのかなぁ・・・・
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白い門とアプローチ。この門の作者にも実はチェコ人とか・・・?
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ちょっと名称は抵抗してみました。
旧北尾次郎邸(デ・ラランデ邸)
 設計:北尾次郎
 施工:不詳
 竣工:明治25(1892)年
 増築:明治40(1907)年ころ
 構造:木造3階建て
 旧所在地:東京都新宿区信濃町
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ここが入口です。実は1階は食事ができるカフェになっています。
木造の歴史的展示保存建造物をそのまま飲食店に転用するケースは、これが初めてだそうです。
(2008年に 高橋是清邸だったかな・・・和室でうどん食べたことあるのですがあれは何だったのでしょうか?)
お昼だし せっかくだから食事することにしました。
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2014年08月07日

日本橋 アートアクアリウム2014

2011年から毎年、日本橋三井ホールで夏に開催されている夏の風物詩約5,000匹の金魚が泳ぐ『ECO EDO 日本橋 アートアクアリウム2014 江戸・金魚の涼&ナイトアクアリウム』が今年も開催中です。
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2014年7月11日から9月23日まで 
日本橋三井ホール東京都中央区日本橋室町2ー2ー1 COREDO室町5F
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日本橋架橋100周年記念特別展「アートアクアリウム展 〜江戸・金魚の涼〜」
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過去のアートアクアリウム展示作品もあります。
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幻想的。
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大奥
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和をモチーフにデザイン。江戸ちょうちんが並びます。
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金魚も多いけれど人も多い・・・・
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ストレスで死ぬ金魚もいるだろうし 金魚の入れ替えも大変だろうなぁ・・・と。
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小型水槽も例年通り並びます。
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ガラスの屏風の映像は8分間の芸術作品 屏風水槽「Byoburium」
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最後は 春の桜の映像から、秋の月見、雪景色が、ガラスの屏風の中で季節が移ろいます。
昨年のブログは こちらです。
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2014年08月06日

日本橋の猫

連日33度〜35度の気温で 暑くて出かけることもできません。
こんなに暑くなる前に たてもの園を廻ったので そのブログを書いていますが ちょっと一休み。
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まず 東京駅丸の内北口。
東京駅丸の内駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。
やはりいいなぁ…と。
8月2日 日本橋船着場そばの日本橋親柱の上にはなぜか 猫ちゃん!
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そりゃ〜日本橋には獅子がたくさんいますけど ・・・生の猫がねぇ・・・
なんとなく橋の上を見張っているようです。
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「おっ!誰だ?」
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「何?なんかくれるの?」
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「わたしにもちょうだい!」 こちらはまだ子猫かな・・・首のフリルが暑苦しい・・
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「はやく くれよ!!」
この猫ちゃんの正体はわかりません。
でも 日本橋では時々 猫の里親探し(譲渡会)をやっているそうです。
タグ:観光
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2014年08月05日

常盤台写真場2・江戸東京たてもの園

外観は外壁リシン仕上げの木造作り、当時デザインの主流であったアール・デコの流れを汲む瀟洒な洋館ですが 1階の住居部分は質素なつくりです。
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玄関右手は応接室。
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和室が2つあります。
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長火鉢などなつかしい和室の様子です。
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子供部屋は床と畳の部屋。並んだ椅子が面白い。
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食堂。
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台所。
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風呂場。
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洗面・洗濯場。
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ダイニング。図面ではテーブル奥が暗室らしいです。
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常盤台住宅地の説明板がありました。
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昭和10年、東武鉄道は常盤台一帯を理想的な住宅地として開発・分譲するために、武蔵常盤駅(今のときわ台駅)を開設しました。常盤台住宅地は駅の北側2300坪余りに、駅前ロータリー、曲線を多用した優美な道路、公園、学校、商店街などを計画的に配置した設計で、「住みやすい、環境のよい、健康住宅地」として売り出されました。
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2014年08月04日

常盤台写真場1・江戸東京たてもの園

常盤台写真場です。常盤台写真場健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。
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常盤台写真場 東京・ときわ台に建てられた庶民的モダニズム写真館
 設計:不詳
 施工:不詳
 竣工:昭和12(1937)年
 構造:木造モルタル塗2階建て
 旧所在地:東京都板橋区常盤台1
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写真館と言ってもスタジオと住宅兼用の作りになっています。
玄関には、那智石が埋め込まれています。これは昭和当時流行ったのかあちこちで見かけました。
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玄関。普通の住宅より少し広めです。
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玄関すぐ左手が階段で 写真場に行けるようになっています。
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階段踊り場。2階のスタジオから見ます。
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漆喰壁をきれいに丸く抜いて仕上げています。おしゃれ。光を取り入れる工夫かな?
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階段上がってすぐの待合室のようなコーナーはおしゃれです。
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柔らかな光あふれるスタジオです。
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当時は照明設備が発達していなかったため 最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。
日本の住宅は南の日当たりをよしとしますが 北面窓から入る光は一定していて、ほのかに室内を照らすので安定しています。
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仕度部屋だそうです。
昭和レトロな感じがします。
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鏡台にミシン。昭和初期の雰囲気が出ています。
1階に戻ります。
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2014年08月03日

旧小出收邸2・江戸東京たてもの園

銀色の壁紙の応接間に比べると質素な造りの書斎です。
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説明パネルが4枚並んでいます。
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西片町について
もともとは幕末の困難な政局を背負い、日米和親条約を結んだ阿部正弘藩主を輩出した、備後 福山藩 阿部家の中屋敷でした。
備後福山藩主阿部家の中屋敷を、明治から昭和初期にかけて、阿部家自らが高級住宅地として開発した。
明治時代以降安部家では、養蚕やお茶の栽培を始めるとともに、住宅地としての分譲も始めました。
堀口捨己について
堀口捨巳は大正9(1920)年に帝国大学の建築学科卒業。また卒業直前には大学の同窓生・山田守 石本喜久治らと、〔分離派建築会〕というグループを結成し、若くして大いに注目を浴びる事になった建築家。大正の建築界に新たなる息吹を与えた一人という評価がされている人物である。
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説明板の写真によれば 右端が30歳ころの堀口捨己ではないかと考えられる。
小出邸についてと三角屋根についての説明板もあります。
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台所はとても質素です。
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木の風呂桶。
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1階の茶の間から見た和室。壁はモスグリーン
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日当たりのよい縁側
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2階和室
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2階の和室八畳と六畳。壁はブルーグリーン。
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2階にも縁側のようなサンルームがあって明るいです。
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外に面した窓ガラスは「シリンダーガラス」
庭の植栽も移築前のものを再現したという。
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階段わきにある納戸。同じ平面にある屋根のこう配のスペース部分。
外観のデザインからは考えられないほど 質素な造りでした。
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2014年08月02日

旧小出收邸1・江戸東京たてもの園

旧小出邸です。
小出氏が、夫婦で住むために大正14年(1925年)に文京区西片2丁目に建てられた住宅です。
小出邸が建てられた文京区西片町は、本郷にある東京大学のすぐそばに位置し、明治のころから有数の住宅地でした。
高台で環境がよく、明治の頃より文人や学者が多く住まう、通称「学者町」と呼ばれていました。
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庭に面する側は、1,2階ともガラス戸をいっぱいにとってあり、モダンで明るい住宅。
旧小出收邸
 設計:堀口捨巳
 施工:不詳
 竣工:大正14(1925)年
 構造:木造2階建て
 旧所在地は東京都文京区西片2
日本におけるモダニズム運動を主導した建築家堀口捨己氏が、ヨーロッパから帰国してまもなく設計した住宅、彼の実質的な処女作です。
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ピラミッドのような大屋根が特徴です。
三角屋根に水平ラインの庇、白い壁に水平垂直の大きな窓が特徴的。
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洋風の玄関ポーチ
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柱を釿(ちょうな)で荒削りしています。和洋折衷。
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内側から見るとこんな風。丸くくり抜かれた窓は堀口氏の多くの作品に見られるモチーフです。
屋根の正三角形の屋根と、玄関に設けられた正方形と円の組み合わせによる小窓が幾何学的。
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玄関入ってすぐ左手が応接間です。
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応接間。
平成8年(1996年)まで、ご家族が住んでいたとのことです。
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洋風な外観ですが 応接間・書斎・食堂をの他はすべて和室です。
続きます。
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