2014年05月31日

求道会館1.外観

先週土曜日(24日)に東京・本郷の求道会館見学に行ってきました。
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見学できるのは毎月第四土曜日の13:00〜14:30だけです。
諸事情により 変更もあるので公式サイトで確認が必要です。
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求道会館 (東京都指定有形文化財)
所在地 文京区本郷6丁目20番5号 指定  平成6年3月22日
「 浄土真宗大谷派の僧侶であった 近角常観(1870〜1941)が, 大正4年(1915)11月に, 広く公衆に向けて信仰を説く場として建築した建物である。 設計はヨーロッパ近代建築を学び その日本への定着を試みていた 建築家 武田五一(1872〜1938)であった。
 建物の規模は地上2階, 建築面積307.470平方メートル。 レンガ造りで, 屋根は石綿板葺きである。
 建物の内部正面には 純和式の白木造りで 銅板葺屋根の六角堂が配され, その後方の壁面に 大アーチの石膏レリーフが描かれている。 一階は木製の長椅子式, 二階はギャラリーで 畳敷に会衆が参列する形式である。 また「床の間」付の畳敷の小会堂もあり, 様式に和式の要素を取入れ, 独特の内部空間をつくりあげている。小屋組は, 木材を用いて 鉄骨式に組み立てた当時の最新式の構法であり, この小屋組は日本最初の試みである。
 本建築は, ヨーロッパの教会堂の空間構成を基本的に踏襲しながら, 要所に 伝統的な日本の社寺建築のモチーフを用いた 独特な様式を伝えるとともに, 当時の最新式の構造を有する建造物で, 建築家 武田五一の円熟期の代表的作品の一つに数えらえている。
  平成6年12月20日 建設  東京都教育委員会」
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15分ほど早く着いたので 横のほうを見ていると 求道会館 (東京都指定有形文化財)の説明板とともに浩々洞発祥之地という石碑と説明板がありました。
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浩々洞発祥之地
   「浩々洞発祥之地」記念碑
 明治中期, 近角常観師の活躍に対して, 当時の東本願寺新法主・大谷光演(彰如)師が, この地(本郷森川町)を贈られた。
 その後, 常観師が本山の命で西洋事情視察に渡欧することになり, 折しも新法主教育 と, かねての悲願であった真宗大学東京移転を実現するために, 東京にでた清沢満之師 は, ここを借りて生活を始められた(1899年6月・満之37歳)。
 そこに, 学生が寄宿して「浩々洞」という名の共同体が生まれたのである(1900年月)。 そこから, 雑誌『精神界』が発刊された(1901年1月)。
 常観師が帰国されて(同年6月), 浩々洞は本郷東片町へ移転したのだが, この地が, 浩々洞発祥の記念すべき地なのである。
    2002年6月  建之」
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求道会館正面

ファザードは,キリスト教会の様でレンガ造りに当時としては最先端の鉄筋コンクリート円柱を入れ,柔らかな曲面を演出している。
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設計:武田五一
■所在地:東京都文京区本郷6-20-5
■用途:ホール
■竣工:1915年(大正4年)11月
■規模:建築面積307m2 延床508m2
■構造:煉瓦造(一部RC造)木造小屋組石綿板葺き2階建
屋根は二重野地(木造+センチュリーボード)ガムロンシート防水 石綿スレート菱葺一部銅板葺
外壁はモルタル塗一部煉瓦
正面ファサード・玄関ポーチはタイル貼(備前伊部) 一部洗い出しモルタル
笠石は特殊コンクリート(フェロコンクリート)
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横の部分。
「平成8年より7年間にわたって修理工事が行われていましたが、平成14年6月に竣工しました。
関東大震災による被害を受けた後に大規模な改修がなされていましたが、この時に改変された妻壁やバットレスの意匠は、今回の修理工事で推定当初形式へ復原されました。
現在はコンサート、講演会などに活用されています。」
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2階部分の窓はステンドグラス風。中に入ってじっくり見たいものです。
「求道会館はヨーロッパの教会堂建築と寺社建築の融合ー日本於いて初めての試みで大正4年に建立されました。
欧州留学の体験をした僧侶ー近角常観ーが広く信仰を説く場として、当時、新進気鋭の建築家で京都大学建築学科の創始者である武田五一に依頼し、建立されました。」
13時 時間になりました。次は 内部の見学です。

タグ:文化財 建物
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2014年05月30日

ポピー畑と平井大橋

平井運動公園ポピー畑から土手に上がります。
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振り向けば成田エクスプレスが通過中。
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荒川土手から見るとこんな風景。畑は五面だったかな・・・
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荒川サイクリングロード(葛西臨海公園から熊谷までのおよそ90km)
自転車がかなりのスピードで走っていきました。
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河川敷は野球場などのスポーツ施設になっています。
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平井大橋(ひらいおおはし)は、荒川および中川放水路に架かる橋。東京都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)を通す。
東京都内の葛飾区西新小岩と江戸川区平井を結んでいる。
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平井大橋は蔵前橋通りが走る、昭和42年(1967)に開通した、橋長484mの鋼ゲルバー箱桁橋。
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土手にはこんな標識がありました。
A.P.+3.15mキティ台風潮位
A.P.+2.1m満潮位
A.P.±0m干潮位
A.P.はArakawa peilの略で、荒川工事基準面といいます。Peilはオランダ語で「水準線」あるいは「基準」などを意味します。
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平井大橋の荒川土手から平井駅に戻りました。

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2014年05月29日

平井運動公園のポピー畑

5月26日午後に 平井運動公園(荒川河川敷 江戸川区平井五丁目先)のポピーを見に行きました。
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ちょうど満開でした。
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あっちを見てもこっちを見ても赤 赤 赤・・・
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白やピンクも交じっていますが 赤がほとんどです。
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矢車菊の紫が混じれば 極楽浄土の雰囲気になるのですが。。。。。
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畑のように整然と種をまいているようです。
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たしかに雑草が取りやすくきれいに咲いています。
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総武線の電車が頻繁にとおります。
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土手の上 向こうにはスカイツリー。
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少しくもっていて風の強い日でした。青空ならもっときれいかも・・・
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ポピー畑は鉄橋下から平井大橋下までです。
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次は平井大橋に行ってみます。
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2014年05月28日

三囲神社 6

三囲神社境内にはさまざまな石碑や石造物があります。
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 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)           墨田区登録文化財
 

 「元禄6年(1693)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人室井其角が、このありさまをみて、能因法師などの雨乞いの故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだのです。この話は其角自撰句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速効果があったと伝えられています。
 室井其角は寛文元年(1661)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、とくに洒落風の句を得意としました。この碑は安永6年(1777)に建立されたものが摩滅したので、明治6年(1873)に再建されたものです。
 平成18年(2006)12月 墨田区教育委員会」
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宗因白露の句碑
 「白露や無分別なる置きどころ」と刻まれています。文化9年(1812)、西山宗因の流れをくむ素外らが発起人となり、始祖宗因の作品中でもっともすぐれたこの句を選んで建立したものです。
 宗因は慶長10年(1605)肥後(現熊本県)に生まれた江戸時代初期の著名な連歌師、俳人です。連歌では主に宗因、俳諧では一幽、西翁、梅翁などと称しました。のちに大阪天満宮の連歌所宗匠の職につき、連歌界の重鎮として知られました。俳諧を始めたのは晩年に近く、あくまで余技としてでした。詠みぶりは軽妙酒脱、急速に俳壇の人気を集め、談林俳諧勃興の起因となった人で、芭蕉は「此道中興開山なり」と記しています。 平成18年(2006)12月 墨田区教育委員会」
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朱楽菅江あけらかんこう辞世狂歌碑

 執着の心や裟婆に残るらむ 
   よしのの桜さらしなの月    朱楽管江

建立の年代は書かれていない。文化文政の頃にはすでに有名な石碑でした。
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其角惜春の句碑

山吹も柳の糸のはらミかな 晋其角
天保6年(1835)建立
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筆祖 秦蒙将軍もうてんしょうぐんの碑

 光緒8年(1882)清の名筆 揚守敬撰書
応挙筆  明治16年(1883)除幕 光緒は中國清の年号
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木遣音頭きやりおんどの碑
「 地面をつき固める「タコ」を形どり、上部に木遣音頭の来歴、下に町火消の名前が列記してある  明治8年(1875)建立

 左右にある副碑は戦災による損傷が著しいが共に明治初年(1868)の町火消の貴重な足跡を示している」
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その他にも写真に撮った石碑には『富田木歩の句碑(夢に見れば)』、『一菴小林先生之碑』、『石造神狐』、『秦蒙将軍之象の碑』、『野崎車応追悼碑』、『本松斎一得翁之碑』、『一勇齋歌川先生墓表の碑』、『二世本松齋一得君之碑』、『中山善吉の碑』、『菱湖先生の碑』、『老翁老嫗の石像』などがありました。
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三囲神社は 奥が深く苔が生えていてひんやりする境内でした。

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2014年05月27日

三囲神社 5

末社稲荷社が並びます。
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末社稲荷社の鳥居
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末社稲荷社の鳥居
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社殿前の狛狐は玉(左)や子狐(右)を付けた狛犬に良くあるデザイン
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赤い鳥居が並びます。
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末社白狐祠
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老翁老嫗(ろうおうろうく)の石像
「元禄の頃、この三囲稲荷にある白狐祠(びゃっこし)を守る老夫婦がいました。願う事のある人は老婆に頼み、老婆は田んぼに向かって狐を呼びます。すると、どっからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうのです。不思議なことに、他の人が呼んでも決して現れることがなかったそうです。
俳人其角は、そのありさまを「早稲酒や狐呼び出す姥が許」と呼んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を慕って建てたのが、この老夫婦の石像であると伝えられています。老嫗像には「大徳芳感」、唐翁像には「元禄14年辛巳5月18日、四野宮大和時永、生国上州安中、居住武州小梅町」と刻まれています。(平成18年12月 墨田区教育委員会)」
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片隅に置かれていた狐像。

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2014年05月26日

三囲神社 4

三囲神社別殿(大國神 恵比寿神)です。
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隅田七福神 大國神 恵比寿神

「 三囲神社の別殿には、古くから大國、恵比寿二神の神像が奉安されている。もとは三井の越後屋(今の三越)にまつられていたものである。江戸時代の終り頃、町人層の好みが世間のさまざまな分野で表面に現れ、多くの人びとによって師事された時代の流れの中で、隅田川七福神が創始されたとき、当社の二神もその中に組み込まれたのであった。
 大國神は慈悲円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神として、庶民の信仰を集め、その似かよった御神徳から一対の神として崇められることが多い。大國を同じ音の大黒とも書く。」
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手水舎。
鉄製のクロスの鎹(かすがい)が取り付けられている。柵で囲われている手水舎は珍しいのでは?
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水神社。
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中門
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顕名霊社
三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。
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顕名霊社。三井家祖先を奉ったもので、明治7年(1874年)に建立され平成7年(1995年)に当地に移築されたもの。
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金色の狛犬さん。
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三角石鳥居(三囲神社)
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三井邸より移す。原形は京都太秦・木島神社にある。
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三本足の柱を持つ銅屋根に覆われた手水鉢。
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三つ穴灯篭

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2014年05月25日

三囲神社 3

三囲神社の本殿です。
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「本殿・相の間・拝殿よりなる権現造(ごんげんづくり)です。正面約3.7間、側面7.5間あります。
 本殿の細部様式は落ち着いていて、屋根の四方に狐像を配する点は、三囲神社ならではの特徴といえます。本殿虹梁(こうりょう)・海老虹梁に刻まれる文様は江戸時代末期に正統的な彫りを見せています。安政2年(1855年)の大地震の後に棟梁平野忠八により、文久2年(1862年)に本社が再建されたこと、明治17年(1884年)に大工平野芳太郎により大修膳が行われたことなどが、記録等からわかっています。これらの記録と建築的特徴が一致しています。(墨田区)」
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「三囲稲荷大明神」の社号標石があります。
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本殿前に 狛犬 ライオン像 お狐様と並んでいます。
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阿吽のお狐様。三囲神社 昔、荒れた本神社を建て替える際に、出土した神様の像があって、ある時白い狐さんが三回像の周りをめぐったことが名称の言われとか。
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石造神狐 墨田区登録文化財
 三囲のコンコンさん
 「目尻のさがった温和な表情をここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうである 向店は越後屋本店(ほんだな)の道をへだてた向いにあって木綿を主に扱っていた 享和2年(1802)の奉納」
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なんとも柔和な顔立ちで 微笑んでいるように見えます。目が笑っているようです。

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2014年05月24日

三囲神社 2

最初の鳥居です。
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倉稲魂命=宇迦之御魂神を祀る。
「伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。」
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神楽殿
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三囲神社最古の紀年銘
藤堂高睦(伊賀上野城主)が宝永3年(1707)に奉納した当神社で最も古い年代を示す石造物
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もう一つ鳥居があります。
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一対の狛犬がいます。
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狛犬の奥には三越のライオン像です。
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三囲のライオン像(三囲神社)
 「三越の旧池袋店から移した三越のシンボルであるライオン像は、大正3年(1914)当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み、三越本店に一対のライオン像を据えたのにはじまる。戦後、本店の像をもとに各視点に設置されているライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむらいおんである。なお「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の画期的な商売の仕方は、大いに発展し明治29年(1896)三越呉服店につながる。」
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三越の商標。客に出す茶の湯を沸かす銅壷の台石に彫られた。明治29年(1896)から昭和の初期まで実際につかわれていた。
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「三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。三井グループ各社の総務部によって三囲会が組織されており、年に4回代表が一堂に会し祭典を催している」
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2014年05月23日

三囲神社 1

東京・向島にある「三囲(みめぐり)神社」です。
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三囲神社 墨田区向島2-5-17
慶長年間(1596-1615)移築したで神社である。
昔この神社を建てる時、土の中から壷が出てきたので中を開けてみると、老翁の神像が入っていた。
その時狐が現れて、像の周りを三度回ったので、三囲神社となっといわれている。隅田七福神 恵比寿神としても有名。
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「三囲(みめぐり)神社」は江戸時代、三井家の守護社として崇拝され、現在も三井家と三井グループ各社から信仰されている。
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三越マーク!三井家家紋。
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こちらは三越日本橋店屋上の三囲神社です。
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鳥居脇にある日比翁助 石垣の歌碑。 墨田区向島2-5-17  「日比翁助ひびおうすけ 石垣の歌碑 

 いしがきの 小石大石持合ひて 御代は
 ゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勲

日比翁助は号を美勲と称し 三越呉服店の会長 わが国 近代的百貨店の創始者であった
 茲来100年 松を新たに植え 旧観を復した」
境内に入ります。

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2014年05月22日

「日テレ大時計」・汐留

パナソニック 汐留ミュージアムの帰りに宮崎駿デザインの「日テレ大時計」に寄りました。
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この大時計は日本テレビタワーにあります。東京都港区東新橋1-6-1
幅18メートル、高さ12メートル、奥行き3メートルの大きさ。外側は一枚一枚たたいた銅板が1228枚使用されており、総重量は28トンにも及ぶそうです。
この時計は、「誰からも愛される恒久的なシンボルの設置」を目指して、スタジオジブリと日本テレビが共同プロジェクトを立ち上げ、足掛け6年をかけて制作したからくり時計です。
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鍛金という金属の板材を叩き加工する伝統的な工芸技術で作られているそうです。
作者の鯱丸邦生さんは三鷹のジブリ美術館のロボット兵の作者だそうです。
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「中央が「時計盤」、右が「鍛冶屋一族」、左が「鐘一族」という三つの部分で構成され、合わせて32個ものからくりが動く。「鐘一族」側では、鐘の頭をした人形が屈伸やお辞儀をしたり、ドラが鳴ったりする。「鍛冶屋」側では、電球の頭をした人形がカナヅチを使ったり、大砲が煙のような水しぶきを発射したりする。」
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音楽に合わせて、大きな時計の針がぐるぐる回ったりブリキの鍛冶屋らしきの人形がギーギー動いたり、扉が開いたり閉じたりします。
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時計から伸びている足のようなものがつかんでいる球体が開いて出てきた太陽の顔。
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写真では見難いですが最後に大きな音がして大砲から煙が出ます。
行って2〜3分で動いたのでラッキーでした。
月〜金:12時、15時、18時、20時
土日:10時、12時、15時、18時、20時
各時間の約2分45秒前から動作
見た目いかにもジブリなのですが 全体を見てそんなに圧巻という感じではなかったです。
たぶん細かい部分にこだわりすぎているせいかと・・・・
設置してある場所が別の場所ならその大きさと迫力を感じられたのかもしれません。
からくり時計の動作が終わって 下をみると成宮 寛貴さんがいてロケ本番中で時計の音が終わるのを待っていたようです。 
そうとは知らず通路を歩くとエキストラの通行人たちが待機していて 私たち待ち!「すみませ〜〜ん」と慌てて走りすぎました。
タグ:イベント
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2014年05月21日

「フランス印象派の陶磁器 1866-1886 −ジャポニスムの成熟−」展

三越前駅から銀座線新橋駅に行き パナソニック 汐留ミュージアム(東京都港区東新橋1-5-1パナソニック東京汐留ビル4F)に行きました。
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「フランス印象派の陶磁器 1866-1886 −ジャポニスムの成熟−」展を見てきました。
「本展は、アビランド家コレクションを中心に、印象派時代の陶磁器が日本で系統的に紹介される初めての機会です。印象派スタイルの絵付けをした陶磁器をはじめとして、19世紀後半のフランスが憧れた東洋や日本の美術が色濃く反映されたテーブルウエアや陶芸作品に加え、モネやルノワールといった印象派の絵画も含め合計155点展示いたします。」説明文より
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第1部 テーブルウエアの大革命!−フェリックス・ブラックモンの《ルソー》シリーズとジュール・ヴィエイヤール工房ー
ここでは 陶磁器の絵柄に「北斎漫画」その他の日本発デザインが使われています。
おなじみの北斎漫画が絵皿になっていたりして面白い趣向なので ジャパネスク!!という感じでした。
3か所だけ立ち位置が指定された撮影可の場所があります。
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【≪ルソー≫シリーズ 4人用カジュアルセッティング】

第2部 アビランド社の硬質磁器における革命−オートゥイユ工房のデザイン
米国人アビラントが仏・リモージュに移住し、磁器工場を設立。
ブラックモンと出会い、彼を芸術監督として雇い入れ 多色石版術装飾を磁器に応用しました。
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【≪海草≫シリーズ 6人用のティータイムセッティング】

第3部 ファイアンス陶器から「印象派の陶磁器」 テラコッタへ−アビランド社オートゥイユ工房
「バルボティーヌ」という、テラコッタの上から泥しょうをかけ、油絵のように浮き上がった絵付けをする技法
バルビゾン派の絵画様式の、風景画陶磁器が多いです。
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≪パリの花≫シリーズ 8人用のフォーマルセッティング】

第4-1 b器・新しい素材への新しいアプローチ−アビランド社ブロメ通り工房
第4−2 チャイニーズ・レッド−名陶工エルネスト・シャプレ

このほかに 、10点の印象派絵画も展示しています。

これはこれで 画期的でここだけ見たら 感動も格別だったのでしょうが いかんせん超絶技巧!明治工芸の粋をみたばかりで つい比較してしまいました。
別の日ならまた別の見方もできたと思います。

タグ:芸術鑑賞
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2014年05月20日

「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクショ ン一挙公開―」三井記念美術館

三越前駅 三井タワーの千疋屋本店で食事をしたあと 三井記念美術館で開催中の特別展「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」に行って来ました。
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三井記念美術館 東京都中央区日本橋室町二丁目1番1号 三井本館7階
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エレベーターで7階に行くと 鹿さんがお出迎えです。
ここでぐるっとパス(2000円)を購入しました。これ一つで かなりの施設を巡ることができます。
2か月の期限付きですが とてもお得です。
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超絶技巧!明治工芸の粋: 村田コレクション一挙公開.
「それはほとんど無銘の匠(たくみ)たちによって造られた工芸品の数々である。」
技巧を凝らした精緻な作品は「超絶技巧」や「超絶工芸」とも評されています。
明治維新によってそれまで 甲冑(かっちゅう)や刀装金具などを造っていた金工師たちが職をうばわれ外国への輸出工芸品をつくりはじめました。
これら多くの美術工芸品は海外に輸出され日本国内には優品がほとんど残っておらず研究もされてきませんでした。
村田製作所取締役村田理如がこれらを精力的に海外から買い戻してコレクションし、2001年に清水三年坂美術館を開館しました。
「京都・清水三年坂美術館の所蔵品のうち、並河靖之(なみかわやすゆき)らの七宝、正阿弥勝義(しょうあみかつよし)らの金工、柴田是真(しばたぜしん)・白山松哉(しらやましょうさい)らの漆工、旭玉山・安藤緑山らの牙彫をはじめ、驚くべき技巧がこらされた薩摩や印籠、近年海外から買い戻された刺繍絵画など、選りすぐりの約160点を初めて一堂に展観します。」とのことです。
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超絶技巧による、精緻極まりない作品ばかりで驚きます。
芝山細工」漆器に螺鈿、象牙、角、甲羅などを象嵌する技法の作品。
刀の鍔の部分の緻密な細工をしていた職人による 拡大鏡でみなければわからないような細工をほどこした作品。
自在と呼ばれる可動する生き物の置物。蛇、龍、蟹、手長海老、蜂、蟷螂、そして鍬形に兜虫。
極めつけは蝋細工の食品サンプルのごとく並んでいる 野菜 果物・・・
これ全部 象牙細工というから驚きです。タケノコのリアルなこと!!
安藤緑山が秘伝の技でつくったといいます。着色されていて 葉っぱの一枚一枚が本物のようで 想定外のすごいものを見てしばし 目が点になってしまいました。
そして 刺繍!!無銘「瀑布図」(刺繍絵画)なのですが 見る場所によって 滝の流れやしぶきがかわります。
これは 写真や 絵画を超えています。ライオンや猿の毛並みも本物のようでふわふわ感があります。
いやーーもう 感激というかショックというか 日本の技の極め付けをいやというほどみせつけられた気分です。
こういうものが 海外に散逸してしまったことはとても残念です。
しかも 土産用とかでほとんどが 無銘の人の作品・・・
日本人って すごいね。
こんな匠の技 受け継いでいってほしいと思いました。できればもう一度訪れたいです。
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会場を出ると 壁にこんなものが・・・・
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金庫・・・書庫・・・だそうです。
タグ:芸術鑑賞
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2014年05月19日

バルテュス展 東京都美術館

上野 東京都美術館に行きました(5・16)
上野公園は遠足や修学旅行などの生徒でとても混雑していました。
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バルテュス展 東京都美術館 2014年4月19日(土)〜6月22日(日)
ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(1908-2001)の回顧展で 油彩画40点以上や素描や愛用品など、あわせて約100点を展示。晩年を過ごしたスイスの「グラン・シャレ」と呼ばれる住居に残るアトリエを初めて展覧会場で再現しています。
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パンフレット表紙絵は「夢見るテレーズ」
スキャンダラスな少女などの絵が多くあり賞賛と同時に誤解も受けてきました。
この絵を見てもわかるようにバルテュスは光にとてもこだわっていた画家です。
江國香織さんがバルテュスのアトリエを訪ねたときの様子でも(VTRが流れています)、撮影スタッフがライトを当てると「ライトを消しなさい!」といきなり怒り出し絵に光が・・・などと言っていました。
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さまざまな少女の裸体などの絵がありますが 決していやらしい感じではありませんでした。
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ちょっとアンバランスで奇妙な魅力のある絵でした。
このあとチケットがあったので ついでだからと第74回 日本画院展公募展を見てきました。
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平成26年5月12日(月)〜5月18日(日)
いやもう・・・応募者の全作品が展示されていて テレビン油と絵の具のにおいがきつくて・・・
賞を受けている絵はよかったですが その他は趣味程度の絵が多くあって見ていて 頭がくらくらしました。
全部見ないと受賞者の絵がみれないという展示のしかたで 会場も広くて大変でした。

タグ:芸術鑑賞
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2014年05月18日

銀座の柳とサバエドッグ

先日 有楽町・国際フォーラムから銀座のほうに行きました。
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この通りは柳の木が植えられています。
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銀座の柳は、大変有名でした。しかし、昭和43年に銀座通りからなくなりました。
銀座通りから消えた柳は西銀座通りに復活しています。
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銀座の象徴 柳並木
「銀座の柳は明治十年頃に植えられ銀座の象徴とされたが三度の変遷を経て昭和四十三年銀座通りの改修と共に姿を消した
このたび西銀座通りが東京都のシンボルロードとして歩道拡張と共に御影石鋪装を施し面目一新されたことを機に並木を柳に代え銀座の象徴復活を果たした
西銀座通会はこの柳が末長く人々に愛され親しまれ続けることを願いここ数寄屋橋公園に碑を建立する」
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隣には 銀恋の碑があります。 所在地 銀座5丁目1-1 数寄屋橋公園
銀恋の碑
 「大高ひさを作詞、鏑木創作曲による歌謡曲「銀座の恋の物語」は昭和36年石原裕次郎と牧村旬子のデュエットで発表され、以来爆発的にヒットし、デュエット曲のスタンダードナンバーの最高位を占めるにいたりました。この功績を永く後世に伝えるため、平成2年7月銀座通連合会・西銀座通会・テイチク(株)によってゆかりの地銀座に歌碑が建立されました。碑の左右には座席を設け、碑を挟んで記念写真が撮れるようになっています。」
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そしてこんな碑も並んでいます。
京橋奨兵義会忠魂碑之跡碑 銀座4丁目1番

「旧碑は地下鉄道建設のため築地公園に移し、その跡にこれを建つ 昭和34年3月」
この日を建てるスペースがあるのだから 元碑を再建してもよかったのでは???と素朴な疑問・・・
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銀座2丁目 1丁目界隈には各地のアンテナショップが並んでいます。
お目当ては 福井。青山と違い 銀座という立地で家から近いので時々行きます。
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イートインであつあつのサバエドッグを食べました。
棒状のごはんに上に豚肉ロースを巻き付けて揚げてあります。
棒状ソースカツ丼です。美味しかったです!!

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おみやげは定番 谷口のあぶらあげ。
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そして若狭牛のメンチカツとコロッケ。とてもジューシーです。
福井アンテナショップによく行くのでどうやら顔を覚えられてしまったようです。
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2014年05月17日

明治生命館・東京丸の内

三菱一号館を出て すぐ近くにある明治生命館に行きました。
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ここはもう数回来ています。土・日に無料公開しています。
何度見ても見あきない建物内部です。
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1997年(平成9年)、昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けた。
設計者 岡田信一郎、岡田捷五郎
構造設計者 内藤多仲
施工 竹中工務店
この建物は列柱が建つ外観や顧客用の大空間を内部に持つ点が特徴
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5階分のコリント式列柱が並ぶ古典主義様式
終戦後GHQに接収、アメリカ極東空軍司令部として使用されました。
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現在も本社営業室として使用されています。
1階店頭営業室は、2階までの吹き抜けで2階は回廊となっています。
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執務室・会議室・食堂などが並びます。
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社長室の内装には当時の流行であったスパニッシュ様式も取り入れられています。
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階段踊り場からは 皇居の緑が見えます。
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入館記念にパンフレットを貰いました。
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順路に従い 2階から見学して最後 1階ラウンジに出ます。
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ここは営業室なのですが この大理石の床には化石があります。
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アンモナイトです。探せばあちこちにあるので しばしアンモナイト探しをしました。
警備員の方が親切に教えてくれますが それ以外を見つけるのも楽しかったです。
http://umeno87.sakura.ne.jp/Photo/meiji.html
館内や各部屋の写真は ここにあります。
ありがたいことにここはまだ 撮影可です。

タグ:文化財 建物
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2014年05月16日

三菱一号館歴史資料室/東京丸の内

丸の内三菱一号美術館のある建物です。
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赤煉瓦の建物は、三菱が1894年に建設した「三菱一号館」(ジョサイア・コンドル設計)を復元したものです。
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この中にある 歴史資料室に行きました。
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歴史資料室は美術館とは別に 無料で見ることができますが 2014年5月27日(火)〜9月12日(金)の間、歴史を伝えるコーナーを撤去するというのでその前にもう一度見てみたくて行きました。
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この赤レンガの建物に入るだけでもいいものです。
歴史資料室は三菱一号館の復元の経緯や丸の内の歴史を伝えるコーナーで 旧三菱一号館の当時の事務所空間を再現しています。
内装は漆喰壁や木の格天井などで、明治の雰囲気を感じることができます。
明治期の執務室や明治のビジネススタイル(スーツ、シャツ、帽子、鞄、靴)などの展示もあったり 旧三菱一号館を再現した1/40サイズの模型がったりもします。
当時の設計図や「旧銀行営業室写真」「旧丸の内都市図」「現在の丸の内都市図」も展示してあります。
こじんまりとした部屋ですが 歴史が濃縮されているという感じです。
隣の部屋は「三菱センター デジタルギャラリー
デジタルの映像で 三菱が所蔵する国宝などを拡大したり回転させたりして見ることができます。
所蔵国宝の中でもやはり 曜変天目の茶碗が一番美しくて見ていて飽きないです。
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2014年05月15日

湯島天満宮4

湯島天神手水舎の江戸彫・木鼻の獅子です。
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なかなか立派なものです。
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千社札がたくさん貼られています。
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撫で牛(手水舎右)
撫で牛
「 牛は天神さんのお使いといわれ、湯島天神の境内にも石造りの臥牛が祀られています。
 牛の角を撫でていかれる人や手を合わせていかれる人、体の調子が悪い人は自分の身体の悪い部分を撫でていかれます。多くの人々から「撫で牛」と呼ばれ信仰を集めています。」
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撫で牛(手水舎左)
こちらの牛は古そうです。
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江戸時代から、梅の名所として親しまれてきた湯島天満宮の梅園の梅は終わっていましたが、梅の季節に白梅「白加賀(しろかが)」を中心に約300本が咲き誇ります。
九州の大宰府に流されることになった道真公が「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだ歌はあまりにも有名。
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こじんまりとした庭園もなかなかよかったです。
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本殿と参集殿をつなぐ渡り廊下。
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湯島天満宮例大祭(天神まつり) は 2014/5/24(土) 〜 2014/5/25(日)です。

タグ:神社・寺院
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2014年05月14日

湯島天満宮3

湯島天神境内には諸碑があります。
銅鳥居すぐにある瓦斯灯です。
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瓦斯灯(湯島天神) 文京区湯島3-30-1 

 「青白いがす灯、清らかな白梅
「お蔦、何も言わずに俺と別れてくれ」
「切れるの別れるのって、そんなことは・・・」
これは、有名な新派『婦系図』(原作・泉鏡花)の湯島天神の場である。
この境内には、もとガス灯が5基あったが、そのうち形だけ残っていた男坂上の最期の1基は、昭和40年(1965)頃撤去された。
 ガス街灯は、明治5年(1872)開港地横浜に点灯されたのが最初で、東京には、明治7年(1874)金杉橋・京橋間に85基が設置された。
 ガス灯は、文明開化のシンボルで、明治の時代を象徴するものであった。
 今、ここに、東京ガス株式会社の協力を得て、ガス灯を設け点灯することになったが、これは都内で、屋外のものとしては、唯一つのものである。
 昭和56年(1981)11月2日 文京区観光協会」
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文具至宝碑由来

「中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明治の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた
今や文房具はOA器機にいたる迄その範疇を広げ四宝から至宝に至って戦後の日本国を世界の大国に復興せしめた教育の原動力となった十一月三日(文化の日)を文具の日として定め平成元年を迎えるに当たり先人に報恩感謝の念を捧げつつここ学問の神さま湯島天神の境内に文具至宝碑を建立する
 平成元年十一月三日 文具資料館」
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新派の碑
   「新派」碑由来
この「新派」の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和五十二年十一月一日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。
新派の始まりは明治二十一年十二月自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。風雪はげしい九十年ではありましたが 今日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。
 そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれております当湯島天神様のご境内に移させていただいたものです。
 なお、碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
左側の梅樹は昭和三十一年新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が同じこの場所に並んだ次第です。
 昭和五十四年四月二十六日」
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筆 塚
「婦系図」の作者である泉 鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
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奇縁氷人石 
 「嘉永3年(1850)10月江戸で初めて建てられたもので、右側面に「たづぬるかた」左側面に「をしふるかた」とある。迷子探しの石で都内でも貴重なものである。

 平成9年(1997)3月  文京区」
これは迷子がでたとき、子の名を書いた紙を右側に貼って探し、迷子がいた時、その子の特徴を書いた紙貼って知らせた「迷子しらせ石標」の名残りです。このことからも、境内が人で賑わい、江戸有数の盛り場であったことがわかります。
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水平式日時計
「此の日時計は御大典を記念して寺島又吉氏、奥村ぬい氏より鍛冶橋の欄干を軸に日時計を作り奉納されたもので、御参拝の人々から親しまれてきました。戦後の混乱期に放置のまま永い間忘れられておりましたが、今回スイス・ラドー日本総代理店酒田時計貿易株式会社の御好意により、水平式日時計として復元して戴いたものであります。
 昭和52年(1977)3月 湯島神社」
続きます。   

タグ:神社・寺院
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2014年05月13日

湯島天満宮2


湯島天神 夫婦坂を上ったところとに摂末社が並んでいます。
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摂社 戸隠神社
祭神:天之手力雄命、例祭:10月10日
道真公が祀られる以前からの地主神。
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末社 笹塚稲荷神
祭神:宇迦之御魂神、例祭:3月旧二の午の日
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本殿後ろから
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拝殿横から
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授与所
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正月から3月までは合格祈願の絵馬やお守りを求める受験生で溢れます。
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社殿の狛犬。台座の梅が面白い。
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宝物殿
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銅鳥居のすぐ左手に火伏三社稲荷社
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タグ:神社・寺院
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2014年05月12日

木場公園大橋下・矢車菊

割り込み記事ですが・・・昨日の日曜日
木場公園大橋下の矢車菊がそろそろ終わりそうというので慌てて見に行きました。
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途中の工事現場の壁面に苔が張り付けてありました。
スナゴケで壁面の温度を下げる効果だそうです。
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一面というわけではなく ある個所に・・とう感じで固まって咲いていました。
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雑草も多くて・・・・
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ポピーはこぼれ種が咲いたという感じで少なかったです。
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もしかしてこれからなのかもしれませんが・・・・雑草が多くてある個所だけ固まって咲いていました。
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2010年に見た時は極楽浄土のようできれいでしたがもうそういう感じではありませんでした。
http://umeno87.sakura.ne.jp/Photo/10bara.html
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こんな花も咲いていました。
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桃色昼咲月見草。
そろそろバラ園も綺麗に咲いているころでしょうね。
タグ:
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2014年05月11日

湯島天満宮1

先月のことですが 湯島天神に行きました。
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春日通りの夫婦坂のほうから行きました。
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急な階段を上るだけで疲れます。
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湯島天満宮 東京都文京区湯島3−30−1
湯島天神は、正式名称を「湯島天満宮」と言い、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と菅原道真が奉られています。その起源は古く、雄略天皇の御宇二年(458)に創建と伝えられています。
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社殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営されました。平成5年(1993)お木曳き(造営の開始)の神事が行われ、遷座祭(完成)まで2年7か月を要しました。
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「458年(雄略天皇2)に天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を奉斎したのがはじまりと伝えられる古社。
 1355年(正平10)に湯島の里人が夢のお告げによって菅原道真公を祀り、1478年(文明10)に当時の江戸城主、太田道灌によって再建されたといわれています。
 江戸時代には幕府より格別の加護を受け、多くの文人、学者もここを訪れ、現在も学業成就・受験合格を願う受験生で賑わっています。」
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江戸時代、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめました。湯島天満宮は”湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わいました。
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境内には13種類のウメが合わせて300本あり、その樹齢は70年から80年になります。
。神紋は「加賀梅鉢紋」。九州の大宰府に流されることになった道真公が「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだ歌はあまりにも有名。
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境内側から 御茶ノ水方向を見ています。
この鳥居は銅製です。
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銅製表鳥居(都指定文化財) 
 寛文7年(1667)9月創建され、寛文11年(1671)修理した銘がある。下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。
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三十八段の石段坂側鳥居。別名は天神男坂。
次 境内を見ていきます。

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2014年05月10日

ハートライン・シンフォニー

日の出桟橋 レストラン船シンフォニーモデルナです。
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船内はホテルのように豪華です。
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デッキから見ています。
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水上バスのホタルナ、ヴァンテアン、スカイツリーのショットです。
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デッキの明かりとりがおしゃれです。
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船内から見ればこんな感じです。
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このクルーズはハートラインというそうです。なるほど 航路がハート型です。
デートにもいいし 結婚式もできるので ピッタリかも!
タグ:観光
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2014年05月09日

清澄公園

清澄公園です。江東区 清澄 2-2
清澄庭園に隣接する無料部分の公園です。
入口に案内板があります。
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清澄公園は、明治時代に岩崎家が造園した清澄庭園の西部分を戦後整備して造られました。
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「清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、このとき図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7月に公開しました。」ということです。
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深川親睦園当時:西洋館

英国人建築技師ジョサイア・コンドルの設計監理によるもので、明治19年(1886)に着工して明治22年(1889)に竣工しました。鹿鳴館時代の建築技術が生かされた建坪782坪(約2581u)で、鋳鉄製テラス、イスラム風ドーム、オランダ風の装飾破風などのデザインを有していました。しかし、大正12年(1923)の関東大震災の際に焼失してしまいました。
  清澄庭園管理所
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現存する大正記念館の場所には、河田小三郎設計の「日本館」が建っていました。
 往時は西にJ・コンドルの西洋館  東に柏日本館を持ち 至珠の名園であった。
これらの建造物は鹿鳴館時代の明治文化を反映した豪華さにおいて、岩崎家の権勢を天下に誇示したものでした。
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園内には小さめな芝生広場と砂地の広場と、池と流れがあるだけです。
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大きな藤棚の花は終わっていました。
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昔ながらの時計台。後ろの建物は中村学園。
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遊具類は流れに掛かる橋みたいな物が2つあるだけです。庭園の南側に児童遊園があります。
その児童公園に隣接しているのが 深川図書館です。
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深川図書館は明治42年東京市立図書館として創立された、都内では日比谷図書館に次ぐ歴史を持つ図書館.
建物は建て替えられました.吹き抜けの階段ホールにはステンドグラスがあったりして荘厳な作りです。1909年の開館当時.のファサードのイメージを復元したそうです。
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深川図書館から出てすぐの交差点にある滝沢馬琴誕生の地です。
滝沢馬琴誕生の地  江東区平野1-7・8付近
安永4年(1775)、9歳で父親と死別し、その後は、松平家の孫の遊び相手として一家を支えていましたが、安永9年(1780)、14歳の時に松平家を出ました。門前仲町に住み、文筆で身を立てようと、寛政2年(1790)山東京伝のもとに入門しました。翌寛政3年(1791)正月に処女作として、京伝門人大栄山人の名で黄表紙「尽用而二分狂言」を発表しました。以後、儒教思想にもとづく教訓、因果応報による勧善懲悪を内容とした読本を続々と著し、読本作家の第一人者と称されました。
 天保5年(1834)ころより眼を患い、晩年は失明しながらも、口述・代筆で著作を続けました。
 読本・黄表紙から随筆にいたるまで、約470種にものぼる著作を残しています。
 平成9年(1997)3月 江東区教育委員会
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滝沢馬琴(曲亭馬琴)の代表作「南総里見八犬伝」は、日本古典文学最大の長編小説です。
 この物語は、全九輯から成り、文化11年(1814)から天保12年(1841)まで、28年かけて書かれました。
 このモニュメントは、当時刊行された106冊の「里見八犬伝」を、モデルにしたものです。

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2014年05月08日

清澄庭園 4.磯渡り

池に沿って歩きます。小高いところを歩く道もあるのですが ここは磯渡りをしてみます
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下を見て歩くのが精いっぱいです。
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岩で崖を模しているのでしょうか。上のほうには小高い傘亭跡があります。
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景色を眺めるゆとりも出ました。
傘亭跡に上ってみましたが 展望台のように台座があるだけでした。
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傘亭跡 からの眺めです。

「傘亭は昭和初期の竣工より80年以上が経過し、この度の東日本大震災で被害を受けて傘部の亀裂、柱の傾斜が認められ、安全に利用が出来なくなったため、平成24年1月に撤去されました。」
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傘亭跡から下ると 磯渡りは続きますが危険防止なのか柵がありました。
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ここは新しそうな石橋。浮き輪が見えます。落ちる人いるのかも。。。。
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長瀞峡の石橋です。
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池の眺めも良いです。
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そろそろ池の周りを1周。元の場所に戻るため 磯渡りをします。
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途中でこんな光景が・・・
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鯉が餌をねだっています。エサは売店で販売のものです。
もう・・うじゃうじゃ・・鳥もおこぼれ狙い。しばし見ていると岩に半身せり出して餌を貰おうとする鯉もいて 驚きました。
亀や鯉、水鳥たちも数多く しかも人懐こい。嶋に山に 磯に。それぞれの楽しみがあってここはまさに癒しの空間でした。
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入園口から出ます。大正記念館入口です。
清澄庭園を出て 隣の清澄公園に行きます。

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2014年05月07日

清澄庭園 3 涼亭

清澄庭園 涼亭です。
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1909年(明治42年)に建てられた数寄屋造りの建物。
東京都選定歴史的建造物に選定されている。
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藤棚の藤の花はもう終わっていました。
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建 物    建設年 明治 42 (1909)
設計者    設計者 保岡 勝也
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非公開ですが 集会施設として利用可能。銅版葺数奇屋建築の平屋で27畳の畳敷きの涼亭。
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「都指定名勝の都立清澄庭園内の数寄屋造りの建物。
屋根は、銅板葦きの数寄屋造りで、座敷には、当時貴重であったガラス障子を用い、その 外側三方に水上の吹抜縁を廻らしている。昭和60年に全面改修工事を行っているが、創建時の姿を残している。」
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涼亭近くから見た対岸の景色。ここでも スカイツリーですけど・・・・
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涼亭は 明治42年(1909)年に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために、岩崎家が建てたものです。昭和60(1985)年、全面改築工事を行い現在に至っています。
池に浮かぶその姿は、清澄庭園のシンボル的存在です。
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緑の中の料亭。ここからの景色はビルなどもなく 空が大きく見えて抜群です。
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涼亭から再び 左回りに巡ります。
自由広場をすぎたあたりに ある石碑には 清澄園記 とかかれています。

「本園はもと岩崎男爵の別荘なりしを大正13年6月に東京市に公園として寄付せられたるものなり。」。寄付の理由は関東大震災など細かく書いてありました。
次は 磯渡りで池を巡ります。

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2014年05月06日

清澄庭園 2

富士山手前にある九重塔です。
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石仏群(江東区文化財登録)の文字が見えます。
九重塔と富士山塚の間の小路に入ります。
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ちょうど裏側に石仏様がいました。
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正面の石仏群です。
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清澄庭園 石仏群(江東区文化財)
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富士山の前に戻ります。
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ここからの眺めです。
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山頂から続く石の滝があります。山は立ち入り禁止です。
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枯滝(石組)
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あちこちに 岩崎家が各地から集めた奇岩名石の数々があります。
これは真鶴石です。ここを過ぎ左に行きます。
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自由広場 です。大きな八重桜の木の花が咲くころはきれいです。
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花菖蒲田がありますが 花が咲くのはもう少し先です。
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菖蒲園の前の木です。
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説明板がありました。
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芭蕉の句碑
「古池や かはづ飛び込む 水の音」。
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「古池の句」碑由来
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自由広場を出ると目の前にこんな景色が広がっていました。
歩を進め 見る場所を少し移動するだけで違った表情を見せる清澄庭園はまさに名園です。
次は少し戻り 涼亭に行きます。

posted by うめのはな at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2014年05月05日

清澄庭園 1

みどりの日(5月4日)無料開放日だったので 都立清澄庭園に行きました。
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朝一で行ったので9時少しすぎ 人はあまりいませんでした。
(そのあとから かなり来てました)
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清澄庭園(きよすみていえん)は、東京都江東区清澄にある都立庭園。池の周囲に築山や名石を配置した回遊式林泉庭園で、東京都指定名勝に指定されている。
東京都江東区清澄3-3-9
分類 回遊式庭園
面積 81,091.27m2
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この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。
明治18年彌太郎急逝後 弟岩崎彌之助 は江戸時代の大名庭園に勝る三万坪に及ぶ江戸庭園名残の庭 「清澄庭園」 を明治24年に完成させました。
泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉(りんせん)庭園」です。
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入ってすぐが 大正記念館
大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿。戦災で失われ、貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建された。集会施設として利用可能。
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入ると目の前には大きな池が広がります。
東京の町中とは思えない 異空間が広がっています。
他の庭園とは違い 周辺の大きな建物は少なく、空と空気と日本庭園の醍醐味を味わえる場所です。
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石の上を渡る磯渡りが3か所程あります。
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大正記念館横です。
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このあたりは飛び石の上を歩きます。
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対岸に見えるのは 涼亭です。
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富士山。この庭園で最も高く大きな築山です。
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対岸から見た 大正記念館
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池には 中の島、鶴島、松島があります。
このまま左回りに 富士山のほうに向かいます。
posted by うめのはな at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2014年05月04日

鎮護堂・浅草伝法院

伝法院通用門の先にあるのが鎮護堂(ちんごどう),「お狸様」とも呼ばれます。この狸,伝法院の守護であり,火災や盗難除けに御利益があるそうです。
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鎮護堂(ちんごどう 通称・おたぬきさま)/伝法院の鎮守
所在地 東京都台東区浅草
祭 神 荼枳尼天(狸神)
ご利益 火伏せ、商売繁盛、盗難除け
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狸神(お狸さま)を祀っていますが祭神はダキニ天で、豊川稲荷と同じ神様です。
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もともとは戊辰戦争で上野の山を追われ、浅草寺境内の藪に住みついた狸の乱行を鎮めるため、伝法院の鎮守として狸社を祀ったということです。
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加頭地蔵尊
破損した頭部をつないであるため「加頭地蔵(かとうじぞう)」の名がある。「首がつながる」との俗信から、サラリーマンらの信奉も集める。
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水子地蔵尊
昭和54年(1979)9月建立。
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幇間塚
「幇間(ほうかん)」とは、男芸者のことである。幇間有志によって、幇間物故者供養のため、昭和38年(1963)に建立された。碑には浅草生まれの小説家・劇作家・俳人である、久保田万太郎氏の俳句がある。「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」
チンゴの名からか、近くにあった吉原や玉ノ井の遊女、たいこもち(幇間:ほうかん)、芸能人から信仰されていました。
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神木公孫樹
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲の折、焼夷弾(しょういだん)を浴びながらも、その猛火から鎮護堂を守ったと伝えられる推定樹齢400〜500年の公孫樹(いちょう)である。今でも木には当時の焼け跡が残っている。
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伝法院庭園に続く門(閉じられています)
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屋根の上の飾りが気になるのですが・・・・よく見えません。
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伝法院の庭から見た鎮護堂(ちんごどう)です。

posted by うめのはな at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2014年05月03日

浅草散歩

お肉が食べたくなって 浅草国際通り沿いにあるステーキ松波でランチしました。
銀座線田原町駅・つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩3分くらいの場所です。
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鉄板を囲んで座り 目の前でステーキを焼いてくれます。
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ステーキ+サラダ+焼きもやし+味噌汁+漬物+食後のコーヒー。ランチはとても安く 税込1620円でした。
丁寧に脂を取り除いて焼き 脂身だけカリカリに焼いてステーキのあとで出してくれます。
ソースは、醤油ベースとマスタードベースの2種類。何もつけなくても塩コショウだけで十分美味しいです。
目の前で焼いてもらえると 少し幸せな気分になりました。
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窓には 額縁の絵のような花が咲いていました。
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浅草六区通りです
浅草六区通りは、伝法院通りからつくばエキスプレス・浅草駅へと通じる、全長約100メートルの通りです。
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明治期に七つの区画に整備された際六番目に整備された地区だったことに起因し、以後明治後期の映画、大正期の浅草オペラ、昭和
初期の浅草レビューと大衆娯楽の中心地でした。
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仲見世の終点あたりから左手が伝法院通りです。伝法院通りの終点が、六区通りの始まりです。
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江戸八百八町の街並みを再現したのが伝法院通りだそうです
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伝法院通用門です。
タグ:グルメ 浅草
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2014年05月02日

旧芝離宮恩賜庭園

浜松町駅北口から徒歩1分ほどに東京都立旧芝離宮恩賜庭園があります。
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東京都立旧芝離宮恩賜庭園 (港区海岸1-4-19)
開園年月日/大正13年4月20日 
面積/43175.36平方メートル、庭園42035.40平方メートル、開放公園1139.96平方メートル
樹木数/高木1900本、低木3400平方メートル、芝生5500平方メートル
大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷。明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開された。
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旧芝離宮恩賜庭園は現存する大名庭園としては最古の庭園で、老中大久保忠朝が8年の歳月をかけ作ったもの。中国の西湖を模した石造りの西湖の堤や樹齢200年の藤棚などがあります。
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昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。
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回遊式泉水庭園です。
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当時 泉水は海水を引き入れた「潮入りの池」でした。引き潮の時は中島から浮島に渡れたり、潮の干満により州浜や島々の風景が劇的に変化したといわれています。現在は海水の取り入れができなくなり、淡水の池になっています。
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作庭当時は海岸に面していましたが現在では周囲の埋め立てとビル群により海の眺望は失われました。一部が鉄道の増設用地に提供され面積が狭くなりました。
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池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。石組みにより滝を模す枯滝などです。
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池の周囲には築山や豪快な石組みの枯滝、中国の杭州にある西湖の堤を模した石造りの堤を備えています。
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この石柱は 忠朝が小田原藩主の頃、後北条氏に仕えた戦国武将・松田憲秀旧邸の門柱を運び入れたもので、茶室の柱として使われたと推定されています。
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園内には竹山がいくつかあります。
大山 - 園内で最も標高の高い山
根府川山 - 忠朝の藩地小田原から運び入れた火山石などからなる山
唐津山 - 忠朝は以前唐津藩主でもあったためその名を冠してつくった山
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砂浜を模す州浜 や大島  蓬莱山を模す中島  浮島があります。
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ボタンの花が咲いていました。
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ちょうど見ごろでした。
老中・大久保忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。
浜松町の駅すぐなのですが 浜離宮とは違い ここは人が少なくゆっくり廻ることができます。大名庭園の穴場かも・・・
posted by うめのはな at 06:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 港区・品川区