2014年03月31日

大横川沿いの桜2014

本日の 桜のトンネル、大横川沿いの桜です。
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大横川沿いの桜は平日とあって人もいなくて ゆっくり見ることができました。
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桜のトンネル、遊歩道になっています。
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花見船が門前仲町黒船橋から出て 大横川のさくらを眺めながら高橋〜隅田川へと通っていきます。
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土日も晴れるといいですね〜週末には桜吹雪になるかもしれません。
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橋の上に行きます。
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両サイド桜並木ですが 遊歩道は右側だけです。
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こんな景色も見ることができます。
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木場公園に向かいます。
木場公園大橋から 仙台堀川(隅田川方向)を見下ろします。
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新緑の柳の緑がきれいです。
次は 木場公園大橋を渡り 南側の桜を見ます。

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2014年03月30日

春を探して・・木場公園

ついでに木場公園大橋の下の花畑を見てきました。
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コブシの花が咲いていました。
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菜の花畑はほんの少し残っているという感じです。これからポピーの準備に入るのでしょうか・・
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階段を上り橋の上に出て 花壇のほうに行きました。
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ユキヤナギが満開です。
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ミドリアムの花壇を少しだけ覗いてきました。
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こちらの菜の花は勢いがあって満開!
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藤のような花を見つけました。
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木五倍子(キブシ)と書いてあります。普通は白黄色ですが これは赤花です。
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ミドリアムの壁をみるとつるを這わせた紫の花が目に入りました。
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ハーデンベルギアというマメ科の植物だそうです。
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よく見ると 濃い紫色の胡蝶蘭のようにかわいい花でした。

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2014年03月29日

木場公園の桜開花状況2014

昨日 木場公園の桜の開花状況を見てきました。
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バーベキュー広場前の枝垂れ桜はピンク色です。
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つぼみもかなり膨らんでいました。
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バーべキュー広場のソメイヨシノもつぼみが膨らみ きょう明日にでも わっと咲きそうです。
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日当たりのいい木はぼちぼち花が咲きはじめでした。
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こちらはミドリアム脇。 エドヒガン桜は満開でした。
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花見なのかで語らうご夫婦・・・
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このあたりには数本のエドヒガンがあり ソメイヨシノの満開前でよく目立ちます。
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ソメイヨシノもいいけれど この桜も綺麗でいいですねえ・・・
ついでに木場公園脇 大横川沿いの河津桜の様子を見てきました。
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もう今年はおしまい。花が散ってピンクのじゅうたん。葉桜です。また 来年!

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2014年03月28日

浅草神社の夫婦狛犬

浅草神社の境内に可愛い狛犬が並んでいます。
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寄り添う夫婦狛犬が何とも言えず 微笑ましい。朱の和傘があいあい傘のようです。
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この狛犬は江戸時代の始めに作られたものだそうです。寄り添い何を語るのか・・・
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この狛犬を一緒に見るだけで 夫婦円満になりそうです。
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境内に置かれていた 社殿前とは別の天水桶です。詳細はわかりません。
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扇塚は使い終わった扇を供養する塚
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見慣れた顔だと思えば 両津勘吉さん。
「友情は 

  いつも宝物

 昭和51年(1976)に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して以来、多くの人々に愛されてきた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。物語の舞台となるここ浅草は主人公である両津勘吉を育み、また多くの感動を生み出してきました。この碑は、両津勘吉の少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなみ、人を思いやる気持ちの大切さ、そして子供たちが夢や遊び心を忘れず健全に成長してくれるよう願いを込めて建てられました。
  平成17年(2005)8月6日 建立」

 そのほかにも 浅草神社境内にはいろいろな石碑があります。
『河竹黙阿弥顕彰碑』、『久保田万太郎句碑』、『初代花柳壽輔句碑』、『初代市川猿翁句碑』、『初代中村吉右衛門句碑』、『粧太夫碑(柿本人麻呂歌碑)』、『花柳寿輔碑』、『扇塚』、『神木『槐』の木』、『川口松太郎句碑』、『花塚』、『『友情はいつも宝物』碑』、『檜前の馬牧』などが目につきました。
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これは 地下鉄銀座線浅草駅構内に飾ってあった 三社祭の神輿です。
もうすぐ浅草神社例大祭 (三社祭) ですねぇ〜。

タグ:神社・寺院
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2014年03月27日

浅草神社

浅草神社は、台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社です。
通称に三社権現、三社様といい 5月の例大祭は三社祭といいます。
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浅草神社(東京都台東区浅草2-3)
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神楽殿
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拝殿手前には 大きな狛犬があります。
天保七丙年申三月(1836年)  奉納者は田町の文三郎と山川町の大工虎五郎
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江戸大火で幾度も焼失し再建を繰り返したため 材木商や種々の職人を束ねる大工の棟梁が大きな利益を得たそうです。
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拝殿前にも狛犬があります。ブロンズ製です。 尻尾が豪快!
昭和三十八年五月に社殿復元記念として建立。
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拝殿
現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定.

「柏板(びんざさら)」 都指定無形民俗文化財
<御祭神>
土師真中知命(はじのまつちのみこと)
桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)

桧前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)
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 「慶安2年(1649)に完成した現在の社殿は、徳川家光が再建したもの。建築様式は、本殿と幣殿とは接続しているが、幣殿と拝殿とは分離し、その間に渡廊下「石の間」(弊殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造となっている。朱漆仕上げで、本殿と幣殿の内法長押以上は極彩色である。この社殿は江戸時代初期の代表的権現造として評価が高く、国の重要文化財の指定に指定されている。
 毎年5月17・18両日の大祭は、江戸時代から「三社祭」と呼ばれ、特に第三日曜には、本社神輿の宮出し・宮入りがあり、氏子町内の百基余の町神輿も集り、拝殿では都指定無形民俗文化財「柏板(びんざさら)」の奏演という神事舞も行われ、人々が群集し、賑やかである。台東区教育委員会」
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「数多くの霊獣が描かれています。ほとんどが架空の動物ですが、いずれも平和の象徴であったり人々の幸福を願う存在です。浅草神社」

タグ:神社・寺院
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2014年03月26日

日の出桟橋〜吾妻橋

JR浜松町駅北口を出て 大門方向を振り向けば 東京タワーが見えます。
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東京タワーを背に 四季劇場を過ぎ 竹芝桟橋へと向かいます。
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竹芝桟橋で食事をしていると ちょうど クルーズ船ヴァンテアンが着くのが見えました。
ヴァンテアンクルーズの写真はここです。
http://umeno87.sakura.ne.jp/Photo/vingtetun.html
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窓から レインボーブリッジと水上バス ホタルナが見えました。
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竹芝から日の出桟橋に移動しました。
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ここから浅草行き」の水上バスに乗ります。
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桟橋には 御座船「安宅丸」がいました。
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この船にも一度くらい乗ってみたいと思いつつ 浅草行きに乗ります。
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勝どき橋を過ぎていきます。
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佃公園 石川島灯台跡(中央区佃一丁目)が見えました。
白い和風の建物は石川島灯台の復元です。
「石川島灯台は、慶応2年(1866)、石川島人足寄場奉行が隅田河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので、六角二層の堂々たる灯台でした。」
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何度も乗ったので 特に写真を写すこともなくのんびり過ごしました。
寒いので 船上デッキは閉鎖。二階席も窓がついていました。船内は暖房がきいて暖かかったです。
吾妻橋に到着しました。

タグ:観光
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2014年03月25日

白山神社 3


境内にはいくつかの境内社があります。
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【富士浅間社・稲荷社・三峯社・玉津島社・天満天神社・山王社・住吉社の合祀社
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近寄れなくて ピンボケですし 社号の表示がなく不明です。
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八幡神社
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八幡神社由緒 
説明板より
当社は人皇七十代後冷泉帝永承六年(一〇五一年)四月奥州安部の一統王威を掠む、是に拠て征伐勅宣を蒙り伊豫守源頼義、御嫡男八幡太郎義家両大将軍は官軍を率て発向したもう、当所は其の時の奥州街道なり。然るに敵将此の辺に兵を伏駒を込数千の薪を集め焼亡さんと計るとき、両大将当社前の桜木に御旗を立て岩清水八幡宮を奉勧請御祈誓ありて後、一戦に敵を討捕し討伐後ここに感謝の意をもって八幡神社を創建せらる。
白山神社の境内の地主神に在りて御神徳顕著にして崇敬者多し。昭和五十年老朽化せし社殿改修し同年十二月十日遷座祭施行す」
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関東松尾神社 拝殿・本殿の左側にあります
関東松尾神社由緒 説明板より
「当社は関東松尾神社と称し、江戸時代白山神社の境内地に京都嵐松尾大社の御分霊を奉勧請す。昭和二十八年六月酒類関係業者により、老朽化せし御社を改修し盛大に遷座祭を施行す。本社なる松尾大社は大宝元年京都嵐山北松尾山に鎮座せられ、京都の大社にて旧制 秦氏神 官幣大社である。この神酒造の神として世に著れ、酒蔵札にも『奉祭祀 常磐堅 松尾大明神 乃利乃利 磐夜守日護幸賜』とあり、酒造家の尊信が頗る厚く、現に遠近より酒造・酒販業者の餐する者甚だ多い。この勧請社なる当社も酒類関係業者の尊崇厚く、毎年新嘗月なる十一月に吉日を選んで大祭が厳修せられている。」
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境内の両側には神輿庫が並んでいます。
5年に一度の例大祭は神輿渡御があり盛大だそうです。
白山神社はあじさいまつりが有名です。神社から白山公園にかけて約3000株のアジサイが咲きます。
あじさいまつりの期間中は、アジサイに覆われた「富士塚」が一般公開されます。
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浅間神社・富士塚
白山公園の隣、社務所の裏に富士塚があります。
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手すりがあり石段を上るようです。まだ 非公開で行くことはできませんでした。
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富士塚の上の浅間神社です。
機会があれば アジサイに覆われた 富士塚も見てみたいです。
タグ:神社・寺院
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2014年03月24日

白山神社 2

白山神社拝殿です。
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拝殿正面の扉に彫刻が施されています。
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正面屋根です。神紋が「三子持亀甲瓜花」と珍しいそうです。
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拝殿・向拝竜
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拝殿向拝左右木鼻
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彫刻はなかなか立派なものです。
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江戸尾立ち 狛犬 安永9年(1780)製。[石屋五郎兵衛]
定期的に眼に金を入れているらしく、光っています。
阿形の頭の上には饅頭のようなものが載り、吽行の頭の上には角が生えている。かなり珍しいのではないかと・・・
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天水桶 文政9年、1826年製 川口の永瀬源内 作
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境内には 万組という石の水槽もありました。

タグ:神社・寺院
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2014年03月23日

白山神社1

神保町駅から都営三田線に乗り 白山駅で降ります。
駅を出てすぐに見えるのが白山神社の鳥居です。
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白山神社 文京区白山5-31-26
鳥居をくぐってすぐ右に稲荷社があります。
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正一位稲荷大明神/福受稲荷神社
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10段ほどの石段を上ると 境内です。
石段すぐ左わきに 石碑があります。
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「孫文先生座石」
説明文には  宮崎滔天がこの神社に近くに住んでいて 孫文先生は滔天氏宅に寄寓していた。
明治43年5月中旬の一夜、孫文先生は滔天氏と共に境内の北の石に腰掛けながら、中国の将来及び其の経綸について幾多の抱負を語り合った。その折 夜空に光芒を放つ一條の流星を見られ、此の時祖国の革命を心に誓ったとありました。
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手水舎と白旗桜の立札
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白山旗桜   別名白旗桜
文京区白山の白山神社境内にある八幡神社の御神木になっているのが白山旗桜で、かつては江戸三名桜に数えられていました。先代の木は枯れてしまい 現在あるのはその後継樹です。
八幡神社の前と白山神社の本殿脇の2本あります。
平安時代に源義家が奥州出兵の時に源氏の白旗を立てかけた桜だといわれています。
見た目はオオシマザクラの様に白く5枚の花びら以外に旗弁という雄しべが花びらのように変化したものが花の中央に2、3枚ある珍しい桜です。中心部に立っている花びらを旗弁(きべん)というので旗桜といいます。
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白山神社 拝殿
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本殿は 一段高いところにあります。
「白山神社は、文京区白山にある神社です。白山神社は、東京十社の一社となっており、明治時代には准勅際社・府社に列格していました。白山神社の創建年代は不詳ですが、天暦年間(947-57)に現本郷一丁目附近に創建されたと伝えられています。元和2年(1616)二代将軍秀忠の命により現在の小石川植物園の地へ遷座、慶安4年(1651)白山御殿造立に伴い、明暦元年(1655)当地に遷座したといいます。五代将軍家綱の生母桂昌院の崇敬篤く、元禄3年(1690)正月29日社領30石の御朱印状を拝領していました。地名白山は当社の在るところから、また小石川は、白山神社本社のある加賀国石川郡(石川県)より名づけられているといいます。」
タグ:神社・寺院
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2014年03月22日

山の上ホテル水出しコーヒー・錦華坂

先日 御茶ノ水の山の上ホテル・コーヒーパーラーヒルトップで食事をしました。
水出しコーヒーが美味しいので許可をもらい装置を写してきました。
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水出しコーヒーの器械が3台あります。
1台につき2リットル、合計6リットルを約10時間かけて抽出するそうです。「水出し」ですが上部に氷が入っています。
コーヒー豆の酸化を極力抑えるためだそうです。
飲んでみたら 経験したことのないような 美味しさ!一口目・・・濃い!の印象でしたが実は透明度が高くて 苦味・えぐみのないコーヒーです。口の中にふわっと香りが広がるような コーヒー本来の香りとコクがありました。
あと引く美味しさ やみ付きになりそうです。食後でしたが 胃のもたれもなくなって まさに食後のコーヒーの役割をはたしていました。
水出しコーヒーは豆本来の味が出て カフェインは少ないのでクリアで濃い味。寒いのでアイスではなくホットで頼みました。
そのままだと ダッチコーヒー。ホットにする場合は手鍋で温めて、ストロングコーヒーとして出すようです。
山の上ホテルについては 以前もブログで詳しく書いています。
http://umeno87.sblo.jp/article/66078445.html

http://umeno87.sblo.jp/article/66147302.html
ホテル裏側から 錦華坂〔きんかざか〕 に出ます。
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千代田区猿楽町一丁目〜神田駿河台一丁目
「この坂を錦華坂といいます。名称は坂下に錦華小学校があるからです。この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。
 この坂は大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により新らしく作られた道路です。
 「議決要綱の三」には"南甲賀町より袋町三番地を横断して裏猿楽町二番地先錦華小公園東側に通ずる六米街路を新設"とあります。千代田区」

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錦華公園です。
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錦華公園
 「大名屋敷の庭園であった歴史ある公園です。水と緑と砂場複合遊具があり、都会の中のオアシスです。
 公園に隣接する錦華小学校は、明治6年開校の夏目漱石も学んだ歴史のある学校で、 現在はお茶の水小学校となっています。
 校庭の外に夏目漱石記念碑があります。昼間は学生やビジネスマンがお昼をとったり、神保町古本屋街に訪れた人が休んでいたりします。千代田区」
斜面の公園で上のほうは大名屋敷の名残の石や水のある庭園風。
下は児童公園になっています。公園隣のお茶の水小学校の植え込みには夏目漱石の石碑があります。
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吾輩は猫である 名前はまだ無い  明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ
かつての錦華小で(昭和31年の23区地図には錦華小とある)、明治7年(1874)錦坊学校の分校として開校し、同23年錦華小学校となり、卒業生に夏目漱石や永井龍男などがいます。
ここから神保町駅に向かいました。徒歩五分ほどです。

タグ:グルメ
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2014年03月21日

窪町東公園〜湯立坂・旧磯野家住宅表門

簸川神社から茗荷谷駅へと向かいます。
窪町東公園を右手に見て 長い坂を歩きます。
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窪町東公園は道路に沿った細長い公園です。遊歩道的ですが公園です。
緑が濃くて 綺麗に整備された流れや水車のある池があったりもします。
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この坂を湯立坂といいます。下から写していますから 左側が公園の緑です。
向かって左側は 緑が多い敷地がありますが これは財団法人大谷美術館が管理地です。
緑の中に 銅板の古い家が見えます。旧磯野家住宅です。
旧磯野家住宅は、関東大震災後新潟の「石油王」中野貫一が譲りうけ、戦後はホテルニューオオタニ創業者一族である大谷哲平が入手し、現在は財団法人大谷美術館が所有しています。
【国指定重要文化財】で実業家の磯野敬(1868-1925)が建設した住宅。銅板葺の屋根や銅板が張り廻らされた外観から通称「銅御殿(あかがねごてん)」として知られていますが 通常は非公開です。年に何度か見学会があるそうです。
坂を下りきると 標柱があります。
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湯立坂
「里人の説に往古はこの坂の下は大河の入江にて氷川の明神へは河を隔てて渡ることを得ず。故に此所の氏子ども此坂にて湯花を奉りしより坂の名となれり。」(江戸志)
この標柱の反対側に 財団法人大谷美術館が管理する 旧磯野家住宅表門があります。
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旧磯野家住宅 表門 東京都文京区小石川五丁目19番4号 重要文化財
大正/1913 四脚門、切妻造、南北屋根塀及び脇門附属、銅板葺
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旧磯野家住宅は,実業家の磯野敬が建設した住宅である。
 主屋は明治42年着工,大正元年竣工で,車寄を備えた平屋建の書院棟,3階建の応接棟,平屋建の旧台所棟などからなる。屋根は銅板葺で,外壁にも銅板を張る。
 材料は,国産の吟味された良材をふんだんに使用している。棚,天井,建具,欄間などの造作や意匠,狂いのない塗壁に熟達した木造建築技術の一端が窺われる。
表門は大正2年に竣工で,尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門である。
 磯野家住宅は,東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築のひとつであり、材料・意匠・技法・構成において伝統的な木造建築の技術と明治以降の大工技術の創意とが融合した近代和風建築の作品として高い価値がある。文化財データーベースより 」

湯立坂の脇は 窪町東公園ですが 公園の上(北側)には筑波大学附属小学校、その東側に守山藩の上屋敷であった占春園 教育の森などがあります。旧東京教育大学の敷地です。
 
 
 
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駅に向かう途中に窪町東公園・カイザースラウテルン広場があります。
神話空間への招待 「カイザースラウテルン広場」 

 文京区は、うるおいとやすらぎのあるまちづくりの一環として「彫刻のあるまちづくり」事業を推進し、区内の公園などに彫刻作品を設置しています。
 この彫刻作品は、本事業と併せて、区とドイツ国カイザースラウテルン市との「姉妹都市提携」(1988.3.28)のシンボルの一つとして設置したものです。作品の創作は、同市出身の彫刻家ゲルノ卜・ルンプフ氏(カイザースラウテルン大学教授)に依頼し、夫人のハルパラ・ルンプフさんとの共同制作により完成しました。
 「神話空間への招待」はヨーロッパの長く多様な歴史的伝統の中にいきづく伝説上の動物である一角獣を中心に6点の彫刻により構成された作品群の名称です。
 また、この彫刻作品が両市民の友情と信頼をさらに深め、姉妹都市提携の記念として末長く愛され親しまれることを願い、この広場の通称を「カイザースラウテルン広場」としました。文京区案内板」

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2014年03月20日

御殿坂・小石川白山教会

現在の小石川植物園の場所は 当初 白山神社がありその後 代将軍徳川綱吉の白山御殿になりました。
屋敷の脇の坂は御殿坂と呼ばれたそうです。
御殿坂は小石川植物園の東側を北向きに上るやや長い坂です。
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御殿坂 :文京区白山2丁目と3丁目の間
左手は 小石川植物園の塀と緑が続きます。
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御殿坂(大坂・富士見坂)
【標 識】
説  明: 「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり。この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(『改撰江戸志』)
 「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見えし故に、富士見坂ともいえり」(『江戸志』)
 白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。
 綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に”赤ひげ”で有名な小石川養生所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。
 明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
    植物園の松の花さへさくものを
     離れてひとり棲むよみやこに  若山牧水(1885-1928))
文京区教育委員会  昭和58年6月」
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坂を上り切ったあたりに白亜の教会が見えます。
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小石川白山教会 白山2−37−3
明治35年(1902)に宣教師館と14.25坪の小さなチャペルを建てたのが始まりだそうです。
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外壁もきれいで 維持管理がきちんとできているようです。
敷地内には 幼稚園があります。

タグ:建物
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2014年03月19日

簸川神社・文京区

旧東京医学校本館を出てすぐにあるのは 簸川神社(ひかわじんじゃ)です。文京区千石2-10-10
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もともと現在の小石川植物園の御殿坂辺にあった貝塚の中の古墳上に第五代孝昭天皇の時代に創立。
承応元年(1652)徳川5代将軍綱吉の別邸建設、白山御殿造営のため原町に移され、さらに元禄12年(1699)に景勝の地ということで現在地に遷座したとのことです。
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氷川神社の末社であるが、簸川と書きます。
「江戸時代は氷川大明神と称し、別当・宗慶寺を有し、江戸七氷川に数えられた。明治に入ると氷川神社へ改称したが、大正時代に「氷川」は出雲国「簸川」に由来するという説から、簸川へ改めた。」
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一の鳥居から二の鳥居まで急な石段です。
石柱の「ドン白粉本舗」が気になって調べましたら その昔 「ドンの歌」というCMソングがあることがわかりました。
野口雨情作詞 萱間三平(中山晋平)作曲で ドンはけせうの女王さま♪という歌だそうです。
当時は大きな白粉の会社だったのでしょう。
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二の鳥居すぐにある 狛犬。(昭和6年奉献)
右手には古い狛犬さんがお守りするお社があります。
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境内社と狛犬さんです。 江戸尾立 (寛政11年(1799)己未5月吉日建立)
巣鴨村の総鎮守だった名残として木造の社の前にある狛犬には「巣鴨」の字が見られます。
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境内末社
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平成23年に建立された神楽殿(左)と参集殿(右) 稲穂がありました。
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社殿。東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失、昭和33年(1958年)に再建されている。
社号標は昭和15年、紀元2600年記念で建立。大鳥居は昭和41年建立。
明治23年10月には、皇太子(のちの大正天皇)が植物園を御参詣された折に、簸川神社も御参拝。天皇家がお参りになった全国でも珍しい民社でもあります。
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総コンクリート造りの本殿ですが 神明造の立派な本殿です。

タグ:神社・寺院
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2014年03月18日

亀戸中央公園・梅林

亀戸中央公園B地区の 豊後梅が見ごろです。
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先日の 旧中川河津桜の対岸、江東区の公園です。
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亀戸中央公園 江東区亀戸八・九丁目
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この公園は、日立製作所の亀戸工場のあったところを整備したもので、A・B・Cの3地区に分かれています。
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 ブンゴウメ(豊後梅 バラ科は 大分県の県花・県木です。
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梅の実を採るのは主に豊後系で アンズの近縁種だそうです。
亀戸中央公園には東京ではめずらしいアンズの林もあります。
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2014年03月17日

小石川植物園4・旧東京医学校本館

小石川植物園には日本庭園があります。
日本庭園は、古くは徳川5代将軍綱吉が幼少の頃住んでいた白山御殿の庭園に由来します。
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日本庭園の向こうに見えるのは 東京大学総合研究博物館 小石川分館です。
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植物園側から行けますが 戻ることはできません。
入館は無料で 博物館の入口は別にあります。
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建物の全体像は植物園内からしか見ることができません。
植物園側から 博物館へと入りました。
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屋根の上の塔屋の丸い部分には、時計が組み込まれていたそうです。
屋根の上の手すりの形状も、時計が撤去されたのと同じ時期に変更されたとのことです。
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東京大学総合研究博物館 小石川分館  国・重要文化財  (旧東京医学校本館)
竣工 1876年(明治9年)  設計 西郷元善(工部省営繕局)
構造 木造2階建て、塔屋付、桟瓦葺
「この建物は、木造2階建ての擬洋風建築物で、 正面入口部にはポーティコが設けられており、 竣工当初、塔屋の四面には時計が配されていましたが、 1911年(明治44年)赤門脇へ移築される際、平面規模の縮小と共に、屋根の上の搭屋、 車寄の上の手摺などの形状が変更されました。

その後、1965年(昭和40年)に解体され、 1969年(昭和44年)に小石川植物園内の現在地に再建されました。
東京医学校の前身は、 1858年(安政5年)に伊東玄朴(いとう・げんぼく 1800-1871)らによって設立された神田お玉ヶ池種痘所です。 その後、幕府により官営化され、 幾度かの名称変更を経て1874年(明治7年)5月に東京医学校となりました。

その後、東京医学校は、 1877年(明治10年)4月に東京開成学校と合併し東京大学となり、 東京医学校自体は、東京大学医学部となりました。」
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裏側が入館口です。
昭和44年(西暦1969年)に本郷構内より移されました。
現在は、東京大学総合研究博物館の小石川分館として、一般公開されています。
東京大学に関係する建造物では現存する最古のものですが 内部は改装されていて 窓は二重になっています。
竣工時の古い柱を生かした内装や屋根の木部がむき出しで見えるようになっています。
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正面の車寄せ部分です。
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「擬似洋風建築」で赤い色は東大赤門の色ですし 手すりの形状はまるで古いお寺や橋の手すりのようです。
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車寄せから見た 日本庭園です。
植物園には戻れないので 博物館出入り口からでます。

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2014年03月16日

旧中川沿いの河津桜

江戸川区側の旧中川の河川敷に植えられた河津桜が満開です。
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ソメイヨシノより一足早く咲く、濃いピンクが特徴の河津桜です。
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2月下旬から3月中旬まで、旧中川沿いで見ることができます。(平井3丁目 JR総武線鉄橋南側)
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総武線とスカイツリーと河津桜のショットです。
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ふれあい橋を見ています。
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今年は2月に雪が降ったりして寒い日が多かったせいか 開花が少し遅れてまだまだ見ごろです。
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桜ですねぇ〜春爛漫という感じです。
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河津桜が50本ほど、開花の早い大寒桜[おおかんざくら]が数本あります。
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夕暮れどき まわりは赤く染まっていきます。
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3月15日の旧中川 河津桜。割り込み記事でした。
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小石川植物園3・太郎稲荷、次郎稲荷

けもの道のような石段を下ると 池があり 崖下に小さな鳥居が見えました。
小石川植物園の敷地内には太郎稲荷、次郎稲荷があります。どちらも崖地を利用しています。
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太郎稲荷
由緒はわかりませんが 祠は再建したようで新しいものに見えます。
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この狐様は 阿吽の形で 陽気なお顔です。
その奥に 狛犬があります。
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阿吽 逆で置いてあります。
子犬くらいの小さな狛犬さんで なかなかかわいいお顔です。
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祠は新しいのでしょうが 周りの石造物は古そうでした。
池に沿って歩き 梅林・松林をすぎたあたりで 次郎神社を探しました。
崖下道の突き当たりのわかりにくいところにあるのが次郎神社
池の飛び石を渡ると右手に鳥居が見えました。探さないと下からはわかりにくいです。
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次郎稲荷
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鳥居はそこそこ新しそうに見えたのですが 次郎稲荷は森の中の古代遺跡のようでした。
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モノノケでも出てきそうな感じで あちこちに壊れた狐様が埋もれていたりもします。
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この狐様は凛々しいお顔で 狐というよりオオカミに見えました。
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突き当りの崖になぜか 祠も横の鳥居も鉄製です。
祠の後ろに朽ちた鳥居が・・鉄製の鳥居の後ろには埋もれた狐様が何体もあります・・・
そこかしこに古い狐さまや遺構が残っています。
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古い歴史があるらしく文政13年の文字が読めるものもあります。
崖下ということで 崩れたのかもしれません。でも ここはそのままがいいのかもしれません。
神秘的なモノノケの森に迷い込んだ感じがして小石川植物園に来ているということを忘れてしまいそうでした。
再び飛び石を渡ると 餌を狙う サギに出会いました。
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しばらく見ていたら無事 小魚を捕獲しました。
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2014年03月15日

小石川植物園 2

イロハモミジの並木道を少し行くと右手に メンデルの葡萄 ニュートンのリンゴがあります。koisikawas (2).jpg
メンデルの葡萄
「遺伝学の基礎を築いたメンデルGregor J.Mendel(1822-1884)が実験に用いた由緒あるブドウの分株です。
 第2代植物園長を務めた三好学が大正2年(1913年)、チェコのブルノーにメンデルが在職した修道院(現在のメンデル記念館)を訪れたとき、旧実験園に残っていたブドウの分譲を依頼して、その翌年に送られてきたものです。
 その後、メンデル記念館のブドウは消滅したことがわかり、本園のブドウを里帰りさせて、現地にも同じブドウの株を復活させました。(案内板)」
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ニュートンのリンゴ
「物理学者ニュートン Sir Isaac Newton (1643-1727)が、リンゴの実が木から落ちるのを見て 「万有引力の法則」を発見したという逸話は有名です。 ニュートンの生家にあったその木は、接ぎ木によって各国の科学に関係ある施設に分譲され育てられています。 この木は昭和39(1964)年に英国物理学研究所サザーランド卿から日本学士院長 柴田雄次博士に贈られた枝を接ぎ木したもので、植物園でウイルスを除く処置を受けた後、昭和56(1981)年に植え出されました。(案内板)」
もう少し先に温室があります。
温室で平成22年開花した ショクダイオオコンニャクは有名です。
その温室の前に 案内板がありました。
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乾薬場跡 Remains of place drying herbal medicines
「薬園当時、朝廷や幕府に献上する薬草の幹薬場にあった平石(伊豆石)の一部が当時の位置に残されています。 この平石は石畳と呼ばれ、この上に薬草を並べて乾燥させました。 乾燥場は約40坪(約132m2)あり、女人禁制で、その周囲は竹矢来で厳重に囲われていたそうです。 」
イロハモミジの並木道を抜けたあたりに 精子発見のイチョウがあります。
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精子発見のイチョウ Ginkgo biloba (maidenhair tree)
「1896年 平瀬作五郎はこの雌の木から採取した若い種子において精子を発見しました。それまで種子植物はすべて花粉管が伸張し造卵器に達して 受精すると思われていたので 世界の学会に大きな反響を起こしました。
これは日本の初期の生物学者による世界的な発見で、生物学史上の偉業とされています。
昭和31(1956)年にこの木の下に精子発見60周年記念碑が建立されました。
イチョウには雄株・雌株があり、精子が発見された株は、なんと雌株なのです。秋にはギンナンがたくさん実ります。」
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旧養生所の井戸
「小石川養生所は貧困者のための施療所で、町医者小川笙船の意見により、享保7年12月(新暦1723年1月)につくられ、明治維新の時に廃止されるまで続きました。 この養生所の井戸は現在も残っており、水質が良く、水量も豊かで、大正12(1923)年の関東大震災の時には避難者の飲料水としておおいに役立ちました。」
この井戸のそばに桜が咲いていました。カンザクラです。
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この前のほうは 植物分類標本園や薬園保存園となっていてたくさんの植物が植えられています。
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植物分類標本園
「生きた植物をみて、植物の分類体系を学べるように、東アジアに分布する種を中心に、約500種の代表的な植物(科の中で代表的な属、もしくはこの園内で栽培できる種を選んで)が、ほぼエングラー(1844〜1930; ドイツの植物分類者)の分類体系に従って植えられています。東側(売店側)からシダ植物・双子葉植物・単子葉植物となっています」
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次は 売店の脇から 石段を下り池のある下の道に出ます。

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2014年03月14日

小石川植物園 1

小石川植物園に行きました。東京都文京区白山三丁目7番1号
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入園券は植物園の正門前のお店で販売しています。
小石川植物園は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」が正式な名称で 国の名勝および史跡に指定されています。
面積 : 161,588m2(48,880坪)
開園 : 1877年(前身の御薬園を含めると、1684年。日本で最古の植物園)
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この地はもともと、徳川5代将軍綱吉の小石川にあった別邸であり 貞享元年(1684)には薬草を栽培する御薬園がこの地に移転されました。8代吉宗は享保の改革を進めるなかで、病気に苦しむ庶民を治療する「小石川養生所」をここに置きました。
明治10年(1877)に東京帝国大学の附属となり、以来、植物の実地研究が行われてきました。いわば日本の近代植物学の発祥の地でもあります。
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入園してすぐ目につくのが ソテツ Cycas revoluta Thunb. です。説明文を詠みます。
「1896年(明治29年)当時に、東京農科大学助教授であった池野誠一郎博士は、裸子植物のソテツに精子が存在することを初めて明らかにしました。正門近くにあるこの株は、池野博士が研究に用いた鹿児島市に現存する株の分株で、鹿児島県立博物館のご厚意によって分譲されたものです」
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小石川植物園本館
竣工 1939年(昭和14年)     設計 内田祥三
鉄筋コンクリート造2階建て、塔屋付
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柴田記念館  旧東京帝国大学理学部植物生理化学実験室。
竣工 1919年(大正8年) 設計 東京帝国大学営繕課
木造平屋建て
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この建物は、 1919年(大正8年)に東京帝国大学教授・柴田桂太(しばた・けいた 1877-1949)により設立された植物生理化学実験室で、 1934年(昭和9年)まで利用されました。
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広さは24坪の小さな平屋の建物は 一見山荘風です。
柴田博士や植物園の歴史を紹介する資料や,植物学関連の出版物などが,展示されています。
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柴田 桂太氏(1877-1949) は、日本の植物生理学者・生化学者・微生物化学者。薬学者柴田承桂の長男。
東京帝国大学教授。
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柴田記念館からイロハモミジ Acer palmatum Thunb.の並木 を歩きます。

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2014年03月13日

浅草寺・弁天堂

宝蔵門手前の右手、ニ尊物の前の通りを少し行くと弁天堂があります。
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小高い丘の上にあります。
左の長方形の石造物は 扇入れ。日本舞踊で使用した扇を供養する塚です。
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弁天堂をお守りする いかつい顔の狛犬さんたちです。
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弁天堂
「弁天大と呼ばれる小丘の上に立つこのお堂は、昭和58年(1983)に再建されたもの。
 ご本尊は白髪のため「老女弁財天」といわれる。関東三弁天(神奈川県江ノ島・千葉県柏市布施と合わせ)の1つとされ、小田原北条氏の信仰が篤かった。
 境内の鐘楼の鐘は、元禄5年(1692)5代将軍徳川綱吉公改鋳の江戸時代の「時の鐘」として、芭蕉の句『花の雲 鐘は上野か浅草か』で有名。現在は、毎朝6時に役僧が撞き鳴らし、大晦日には「除夜の鐘」が点灯される。
 弁財天さまのご縁日は、「巳の日」で、堂内にてお参りができる。 金龍山 浅草寺」
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浅草時の鐘
江戸時代の「時の鐘」
「浅草寺の弁天山の「時の鐘」は、元禄5年(1692年)に五代将軍徳川綱吉の命により作られました。 鐘の大きさは龍頭、鐘身あわせて総高2.12m、口径1.16m、直径1.52mあります。1945年の空襲で戦火を浴びましたが無事に残り、鐘楼は焼け落ちたため1950年に再建されました。
 上野と浅草の時の鐘は松尾芭蕉の句「花の雲鐘は上野か浅草か」にもある通り、あまりにも有名ですが、芭蕉が聞いたのは、上野の時の鐘だったと言われています。」
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松尾芭蕉の句碑くわんをんのいらか見やりつ花の雲
この句碑は、寛政8年(1796年)、芭蕉の103回忌に、浅草寺本堂の北西、銭塚不動の近くに建てられたものが、戦後この地に移建されたと書いてあります。
一度 浅草を離れます。浅草神社は次の機会に・・・・

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2014年03月12日

浅草寺・宝蔵門周辺

浅草寺境内に入る前(宝蔵門手前)に、右手に地蔵尊が並んでいます。
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平和地蔵尊
昭和20年3月10日の東京大空襲では浅草を始め下町を中心に10万以上が犠牲になりました。
傍らに由来が書かれている石碑もあります。石碑によれば、当時の様子は「その血潮は川となって流れた」ほどで、「その惨状はこの世のものではない」と書いてあります。
戦争犠牲者の霊を慰めるため平和地蔵尊が建立されたとのことです。
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母子地蔵  平成9年に建立
「第二次世界大戦末期ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(旧満州)で避難行の末命を落とした日本人の数は二十万人を超えると云われています。
 酷寒の曠野を逃げ惑うの母子が生別れとなったり飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなどその悲劇は数知れません。
 犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会かなわない親と子の心のよりどころとして二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつここに、母子地蔵を建立いたしました。」デザイン  ちばてつや
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阿弥陀如来像 
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二尊仏
 [この観音(右)・勢至(左)二菩薩の金銅坐像は「二尊仏」(にそんぶつ)、一般には「濡れ仏」(ぬれぼとけ)の名で知られ、信仰されている。蓮台も含めて4.5メートルの像高を誇り、江戸初期を代表する優れた仏像である。
  江戸時代前期の貞享4年(1687)、現在の群馬県館林の高瀬善兵衛(たかせぜんべえ)が願主となって建立した。善兵衛は江戸日本橋の米問屋に奉公し、のちにその主家への報恩と菩提を弔う為に造立した.金龍山 浅草寺」
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久米平内堂
「 久米平内(くめのへいない)は江戸時代前期の人で、天和3年(1683)に没したといわれる。彼の生涯については諸説あるが、剣の道にすぐれ、多くの人を殺したので、その罪を償うために日ごろ修めていた「仁王座禅」の自分の姿を石に刻ませ、人通りの多い仁王門の近くに埋めて「踏みつけ」させたという。それが転じて「文付け」となり、のちには恋の仲立ち役の神さまとなって崇拝された。現在でも願いをこめる女性の姿を見かける。金龍山 浅草寺」
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「三宝荒神堂」の、のぼり。台所守護の文字が見えます。
三宝荒神とは日本特有の仏教における信仰対象の1つで、仏法僧の三宝(仏・法・僧)を守り、不浄や災難を除去する神とされることから”かまど神”として祀られ、転じてかまど⇒台所⇒家計の守護神。
一礼・三拍手・一礼で、お札は神棚に祀ります。
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「浅草不動尊」天台宗の「宝光山大行院」で、関東三十六不動霊場の二十二番目のお寺です。
浅草寺とは別のお寺です。
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地蔵菩薩
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左の膝を降ろしている「なで仏」 厄除け、開運、虫封じなどにご利益があるらしい。
病気のある人が悪い部分を撫でるらしく ピカピカに輝いていました。
同じ敷地内にあるため「浅草不動尊」と「三宝荒神堂」の区別がつきませんでした。

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2014年03月11日

浅草寺・境内

新奥山から戻りつつ 浅草寺の境内を歩きます。
境内西側植え込みの中に お猿さんのような顔をした像が目につきます。
多くの人々が雲に乗って、先を見つめている様子を描いたものだそうです。
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朝倉文夫作「慈雲の泉」像
東洋のロダンと称された朝倉文夫氏の25歳の時の作品。
植え込みの中に 碑文があり説明が書かれています。
昭和40年、この地に噴水塔が建てられたのを記念してここに配されたもので 朝倉氏の娘である彫刻家朝倉響子氏が寄贈したもの。
明治41年、『雲』と題して作られ、人々の未来へかける期待のまなざしを表現したもので、彼の真価を評価された傑作である。この作に近代的な噴水を配して改めて『慈雲の泉』と名付けたとのことです。
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谷中の朝倉彫塑館玄関前には 元の「雲」という像が置かれています。
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平和の時計塔
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正観世音菩薩碑

「正観世音菩薩」と碑の正面に刻まれている。当寺には観音さまを表した金石が多く奉安されているが、その中でもひときわ大きい碑である。
この石碑の銘文は長年の風雪により摩滅が進んでいるが、「文」や「窪世」とわかる所が残されていることから、江戸時代の有名な石工の大窪世祥が、文化・文政年間(1804?29)頃に文字を彫ったと思われる。
他にも世祥の金石は3基、境内に残されており、当寺にも関わりの深い人であった。江戸町人の信仰を載せた金石が運ばれ
活気付く境内の様子が目に浮かぶようである。

南無観世音菩薩  金龍山 浅草寺」
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旧石燈籠 部分 
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五重塔前には真新しい 狛犬さん。
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材質は大理石のような感じです。
境内でわすれちゃいけないのが この木。
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戦災公孫樹
「 浅草寺本堂東南に位置する公孫樹(いちょう)は、樹齢八百余年といわれ、源頼朝公(1147〜99)が浅草寺参拝の折、挿した枝から発芽したと伝えられる。
昭和5年(1930)に当時の文部省より天然自然記念物に指定されたが、昭和20年(1945)3月10日の戦災で被災し、天然自然記念物の指定は取り消されたが、あの戦災をくぐり抜けた神木として、今も多くの人々に慕われている。金龍山 浅草寺」
境内の東側に見えるのが 二天門です。(内側から写しています。)
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二天門[にてんもん](重要文化財)
「この二天門は、慶安2年(1649)頃に浅草寺の東門として建立されたようであるが、江戸時代を通じて浅草寺観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。なお、浅草寺の東照宮は元和4年(1618)に建立されたが、寛永8年(1631)と同19年の火災によって、浅草寺の他の諸堂とともに消失し、その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移された。
 明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天・増長天の二天に変わり、名称も二天門と改称した。
 現在安置されている二天像は、京都七条の仏師、吉田兵部が江戸時代初期(17世紀後半)に制作したもので(東京都指定有形文化財)、昭和32年に寛永寺の厳有院殿(四代将軍徳川家綱)霊廟の勅使門から移されたものである。
 二天門は昭和25年、国指定重要文化財に指定された。
 平成23年3月   台東区教育委員会」

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2014年03月10日

浅草寺・新奥山

割り込み記事がありましたが 浅草寺に戻ります。
江戸時代 現在の浅草寺本堂西北一帯は「奥山」と呼ばれていました。その由来は 本堂の奥にあることから「奥山」と呼ばれたといいます。
江戸随一の盛り場で大道芸人や見世物小屋で大いに賑わう著名な場所でした。
明治以後、盛り場は浅草寺西側の浅草公園六区へと移ります。
六区は日本一の興行街・映画のメッカとなり多くの芸人たちを生み出しました。
現在は「新奥山」として整備され、諸碑が建立されています。
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瓜生岩子女史の銅像  台東区浅草2丁目7番
 「岩子は通称。正しくは”岩”という。文政12年(1829)2月15日、岩代耶麻(いわしろやま)郡(現在の福島県耶麻郡)熱塩村渡辺家に生れたが、9才の時、父を失い、母は岩を連れて生家へ帰った。そのため、岩は母方の姓瓜生氏を称した。14才の時、若松(現福島県会津若松市)の叔母に預けられ、その夫で会津藩侍医を勤める山内春瓏の薫陶を受け、堕胎間引きの防止に関心を持つに至る。17才で佐瀬茂助を婿に迎え、若松で呉服屋を営み、一男三女を生んだが、早くに夫を亡くした。明治元年会津戦争で孤児となった幼童の教育に尽力したほか、堕胎等、当時のさまざまな悪習を正し、明治22年貧民孤児救済のため福島救済所を設立するなど、社会事業の推進に努めた。
 明治30年4月19日、福島で没す。享年69。生涯を慈善事業に捧げた岩の善行を賞揚し、同34年4月、篤志家によって、浅草寺境内にこの銅像が造立された。台石正面には、下田歌子女史の撰文を刻む。
  平成8年7月        台東区教育委員会」
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力石・熊遊の碑
「力石(ちからいし)と読み、「さし石」とも呼ばれる。江戸時代後期、酒屋・米屋の人足たちの間で、酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて、その力を競うことが流行した。ここにある力石は、境内で行われた「力くらべ大会」で競い持ち上げられたものである。
  「力石・熊遊(くまゆう)の碑」は、明治7年(1874)、熊次郎という男が持ち上げた百貫(約375キロ)ほどの力石であり、新門辰五郎(しんもんたつごろう)らがその記念として建てた。金龍山 浅草寺」
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戸田茂睡(とだもすい)墓(都指定旧跡)
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すぐ前に 半七塚と大きなガマ蛙 があります。
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岡本綺堂の「半七捕物帖」の主人公、神田三河町の目明し半七の塚です。昭和24年11月に建立
新奥山には、諸碑や芸能に関わる碑が多いです。いくつか見てみます。
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石井漠「山を登る」記念碑
日本の創作舞踊の創始者石井漠は大正6年浅草オペラ座の旗揚げ公演など現代舞踏を樹立。題字は谷崎潤一郎
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映画弁士塚 題字 鳩山一郎
無声映画時代の弁士たちを記念し、昭和33年に建立。徳川無声など104名の名が記されている。
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喜劇人の碑
笑いの先人達の名前を残そうと1982年に建立。
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のんきな父さんと永生之壁
手前が初代曾我廼家五九郎こと武智故平の顕彰碑
 昭和38年11月5日建立
「群盲撫象」の文字と「のんきな父さん」の像が描かれている。
後ろが永生の壁 昭和40年建立
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三匠句碑
 「
ながむとて花にもいたし頸の骨   宗因
 花の雲鐘は上野か浅草か      芭蕉
 ゆく水や何にとどまるのりの味    其角
 江戸時代前期を代表する俳人三匠の句が刻まれている。
西山宗因 慶長10年(1605)肥後(熊本県)の生まれ。
後、大阪に住み談林の俳風を開く。この句は「新古今集」にある西行法師の和歌「ながむとて花にもいたく・・・」からとった句。天和2年(1682)没。
 松尾芭蕉 正保元年(1644)伊賀(三重県)の生まれ。数次の漂白の旅に出て作品集や紀行文を残し、「おくのほそ道」は世に知られている。蕉風俳諧を樹立。元禄7年(1694)大阪で没。
 榎本其角 寛文元年(1661)江戸に生まれる。蕉門十哲の一人。のち焦風を脱し、その一派の傾向は、洒脱風などともいわれた。宝永4年(1707)の没。
 碑は文化6年(1809)の建立。台石には明治27年春(1894)の移築の由来が記されている。
  平成8年3月            台東区教育委員会」

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2014年03月09日

小石川植物園の梅林

小石川植物園の梅林を歩いてみました。(3月7日)
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小石川植物園の梅林は木の種類や数が 多くみごたえがあります。
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梅林では、1月から3月までの長い期間、いろいろな品種の花が次々と咲きます。
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赤、白、ピンクといった色とりどりのいろんな梅の花が咲いています。
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枝垂れ梅もみごとです。降る雪のごとき 白い花が咲いていました。
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梅林を歩くとほのかに梅の香りが漂います。
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梅林と日本庭園です。
梅が終わると いろいろな品種のさくらが咲きます。 桜の隠れ名所と言ってもいいでしょうね。

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2014年03月08日

大横川沿いの河津桜2

昨日 再び大横川沿いの河津桜を見てきました。
前回より 南側 豊木橋〜大横橋の間の河津桜はきれいに咲いていました。
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豊木橋方向
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満開という感じかな・・・
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大横橋方向
橋の向こう側の河津桜はこれから・・・つぼみも膨らんでいたので今日明日にでもいっせいに開花しそうでした。
昨日は 日本橋の丸善で「新生丸善日本橋店7周年記念 安野光雅原画展 〜千曲川とイタリアの風景〜 」を見てきました。
原画の即売会で 書籍も同時に販売していました。
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夕方 日本橋駅に降りたら粉雪が舞っていました。
すぐやみましたが ところによってはかなり舞ったようでした。
15時半ころ 茗荷谷駅近くを歩いていたときにはかなり粉雪が舞いましたが数分程度でやんだので TVで浅草の様子を見て驚きました。
なごり雪ですねぇ・・・・
タグ:イベント
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2014年03月07日

浅草寺・淡島堂

浅草寺西境内地図をみればわかりますが、道を1本へだてたところにあるのが淡島堂です。
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淡島堂(浅草寺)
御祭神  少彦名命(すくなひこなのみこと)
「淡島堂は、元禄年間(1688〜1703)紀伊国(現在の和歌山県)の加太神社を勘請したものである。加太神社は、淡島と呼ぶ小島に鎮座し、淡島明神の俗称があるため、この堂も淡島堂と呼ばれている。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、堂内には両手で宝珠を持つ坐形の神像を安置する。
 淡島明神は、江戸時代より女性の守り神として、信仰を集めた。現在も毎年2月8日、ここで針供養が行なわれ、女性の参詣人が群集する。針供養は、日頃使いなれた針に感謝し、柔らかな豆腐にさし、供養する行事。

かつては、この日に限り女性は針仕事をしない風習があった。
 平成8年(1996)3月 台東区教育委員会」

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現在の淡島堂は以前の旧影向堂を改修し移築した物で、昭和30年(1956)までは浅草寺の仮本堂でありました。
淡島堂では毎年2月8日に針供養会が行われます。
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魂針(こんしん)供養之塔 昭和57年(1982)和服裁縫教師の方々により建立。
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胎内くぐりの石灯籠
「この石灯籠は「胎内くぐりの灯籠」として江戸時代から有名であったもので、参拝の子どもがこの灯籠の下をくぐることで、虫封じや疱瘡(ほうそう)除けになると伝えられている。金龍山 浅草寺」
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天水桶 明和7年(1770)造立
「太平洋戦争最中の、昭和18年(1943)11月18日、この天水桶内にご本尊さまをお厨子ごと奉安し、本堂の地中深くに納めたため、ご本尊さまは戦火を逃れたという。

戦後の昭和22年(1947)3月7日、ご本尊さまは再び地中より掘り上げられ、その無事が確認された。
境内には慰霊塔もあります。金龍山 浅草寺」
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浅草大平和塔
大平和塔昭和38年(1963)建立。浅草地区の3万人余の戦災殉難者の霊をまつる。台座の銘にはノーベル物理学賞の湯川秀樹博士の直筆「みたまよ、とこしえに、安らかに、われら守らん、世界の和」。

塔上部の「和」は浅草寺中興第24世貫首、清水谷恭順大僧正の筆
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地蔵尊像(石造)
浅草三業地の戦死者慰霊のため造立。
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写経供養塔
写経供養塔平成6年(1994)10月26日落慶。木製銅板葺、花崗石造。総高8.8m・屋根軒長3.7m・相輪高3.2m
浅草寺では昭和33年(1958)以来、観音経百万巻写経運動を発願し、現在に至っている。この写経供養塔には、ご信徒の皆様が浅草寺に納められたお写経の経題と巻数を奉納している。 金龍山 浅草寺」
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この場所から 新旧3つの塔を見ることができます。
西境内にはツアー客や観光客はほとんど来ませんから ゆっくりと巡ることができます。

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2014年03月06日

浅草寺・西境内地蔵尊

浅草寺西境内庭園には、多数のお堂や地蔵、仏像などがあります。
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出世地蔵尊(出世)
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商徳地蔵尊(商売繁盛)
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子育地蔵尊(子授け・子育)
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めぐみ地蔵尊(「めぐみ」受け、長寿) いろいろな衣装を着るそうです。
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恵日須・大黒天堂(商売繁盛・金運)
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七福神で「恵日須」 と書くのは珍しい?
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お堂の前には 小さな二匹の狛犬さんがいます。
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赤いべべ着た 阿吽の狛犬さんです。愛嬌はないなぁ・・・
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2014年03月05日

浅草寺・西境内諸堂

橋本薬師堂です。
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「薬師」とは「医者」という意味です。薬師堂は薬師如来を本尊とする仏堂の呼称である。 薬師如来は大乗仏教において病気平癒等の現世利益に効験のある仏として信仰されています。
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浅草寺に現存する古建築の一つ.
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橋本薬師堂
「当初は観音堂の北方にあって、北薬師と呼ばれた。慶安2年(1649)3代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のかたわらにあったので、家光自身が橋本薬師堂と名付けた。平成6年(1994)、現在の場所に移転した。
 現在の建物は、桁行三間(約5.35メートル)、梁間三間(約5.10メートル)、屋根は入母屋造、瓦葺。外部はかなり改変され、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているが、浅草寺境内に遺存する堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で、二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古建築である。薬師如来坐像を本尊とし、他に前立の薬師如来と十二神将像が安置されている。
 平成8年(1996)3月 台東区教育委員会」
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聖観音菩薩像(千日参供養仏)(浅草寺)
「 観音さまは、われわれの苦しみをとり除き、お願いをきいて、「慈悲の心(あたたかい心)」を与えてくださる仏さま。
 この像は、尾張国の孝山義道の発願により、享保5年(1720)に建立された。
 台座に「千日参供養佛」と刻まれている。銅製。
 金龍山 浅草寺」
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九頭龍権現(浅草寺)
 「龍神さまは、仏教をお守りし、雨を操り、われわれに五穀豊穣や福徳を授けてくださる。
 この九頭龍権現は長野県戸隠山の地主神で、昭和33年(1958)の本堂再建にあたって、その成就を祈るべく勧請された。現在も浅草寺の伽藍安穏の守護神である。  金龍山 浅草寺」
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金龍権現(浅草寺)
「寺伝の縁起によれば、浅草寺ご本尊観音さまのご示現にあたり、天より百尺ばかりの金龍が舞い降りて、その功徳を讃え観音さまをお守りしたとされることから、浅草寺の山号を「金龍山」という。これにより奉安されたのが、この「金龍権現」である。
 このことに因み、現在、3月18日と10月18日の年2回、浅草寺境内にて寺舞「金龍の舞」が奉演されている。   金龍山 浅草寺」
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銭塚弁財天(浅草寺)
「弁財天さまは、七福神のお一人で仏教をお守りする善神である。芸能や学問の上達、財宝や福徳の神とされる。
 この銭塚弁財天さまは、福徳財運の弁財天さまとして、特に信仰が篤い。
 金龍山 浅草寺」
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芸事の神様でもあります。
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浅草六区は多くの芸人を輩出した町です。

posted by うめのはな at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 台東区

2014年03月04日

浅草寺・西境内影向堂周辺

浅草寺西境内影向堂周辺を行きます。
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日本庭園風で美しいです。
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朱色の本堂と石橋が見えます。
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尊勝陀羅尼の碑
仏頂尊勝陀羅尼を梵字で刻す。元治元年(1864)の建立。
「仏頂尊勝陀羅尼」は 唱える人に息災延命などの御利益を授けるお経だそうです。
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影向堂(浅草寺)
影向堂−十二支生まれ年守り本尊のお堂(ようごどう)

平成6年、浅草寺中興開山慈覚大師生誕千二百年を記念して建立された「影向堂」は内陣に聖観音菩薩像とその左右に十二支生まれ年の守り本尊八体の像が祀られている。影向とは影が形にしたがい、響きが音に応ずるように仏さまの大きなお力が、それぞれの人の機縁に応じて現れ、利益を与えて下さる事であります。十二支に応じて八体の影向尊がおられる。

聖観音菩薩 / 18日(せいかんのんぼさつ)
千手観音菩薩−子 / 17日(せんじゅかんのんぼさつ)
虚空蔵菩薩−丑・寅 / 13日(こくうぞうぼさつ)
文殊菩薩−卯 / 25日(もんじゅぼさつ)
普賢菩薩−辰・巳 / 14日(ふげんぼさつ)
勢至菩薩−午 / 23日(せしぼさつ)
大日如来−未・申 / 28日(だいにちにょらい)
不動明王−酉 / 28日(ふどうみょうおう)
阿弥陀如来−戌・亥 / 15日(あみだにょらい)
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お堂の上、棟飾りには、火伏せの咒まじないとされる金箔押しの鴟尾しびを置く。鴟尾を取り付ける際は不思議と雨を呼ぶといわれており、平成6年(1994)夏の建立時も記録的な日照りであったが、鴟尾を取り付けると突如として雨が降り、人々を感動させた。
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金箔押の「鴟尾(しび)」。長さ0.7m・高さ0.8m・幅0.3m 「阿吽(あうん)」の龍がそれぞれ浮彫りされている。
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六地蔵石灯籠
石幢とは石塔の一つで、龕部(仏像を納める厨子のこと)の六面にお地蔵さまが刻まれている。
 造立年代は不明だが、一説に、源義朝参拝の折に鎌田正清によって建立されたといわれる。
 しかしながら、石幢造立が流行した室町時代の可能性が高い。
 もとは雷門の東方にあったもので、後に花川戸、明治になってこの地へ移された。
 金龍山 浅草寺
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金網越しにしか拝観することは出来ませんが 6角形の灯篭の各面にお地蔵様が彫られています。
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高さ2.3m、六角小松石造り。火袋に「六地蔵尊」を刻す。
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一言不動尊(浅草寺
「怒りのお姿をした不動明王さまは、そのお姿をして教化し難い者を導き、その力でわれわれの迷いの心を打ち切ってくださる仏さま。
 この一言不動産は、何か願い事を一つに限って祈願すると、その願いがかなうとされ、古来より霊験が著しいといわれている。
 享保10年(1725)造立。   金龍山 浅草寺」
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六角堂(ろっかくどう) 浅草寺最古の建築物
東京都指定有形文化財(建造物)
 浅草寺六角堂 一棟
     昭和27年(1952)11月3日指定

 「六角堂は『浅草寺誌』(文化十年編)に元和4年(1618)の建立とあり、江戸時代初期の建立と考えられ、浅草寺内で最古の遺構である。
 木造で単層の六角造り瓦(かわら)ぶき形式で、建物中央の直径は1.82mあり、一面の柱真々は0.91mである。
 建物の基礎は、六角形状に廻(まわ)した土台を布石の基礎で支え、その下部に11段の石積みをした1.5m余りの井戸上の穴が掘られている。
 六角堂という特異な形式であり、都内においては遺例の少ない建造物で、貴重な文化財である。
 もとは東方21.8mの場所{現・影向堂(ようごうどう)の南基壇上に元位置の表示あり}に建っていたが、平成6年(1994)10月境内整備のためにここに移された。
※東京都文化財保護条例(昭和51年(1976)3月31日改正)により文化財の指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更したので、石造標識については、このように読み替えてください。
  平成8年(1996)3月25日 東京都教育委員会」
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 日限地蔵尊
 「六角堂のご本尊。
 地蔵菩薩さまは、慈悲のお心で、この娑婆世界だけでなく地獄や餓鬼道にもおもむき、衆生を救われる仏さま。
 特にこの日限地蔵尊は、何かのお願い事に対し、日数を定めて祈願すれば、古来より霊験があるとされる。
 造立年代は不明。木造。  金龍山 浅草寺」
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三峰神社 
浅草寺境内にある秩父三峯神社の末社。浅草寺の方は「峰」です。
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江戸時代には火事が多かったため、江戸市中には火防祈願のための三峯講が多くありました。

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2014年03月03日

和で遊ぶ女の手仕事展・東大島おひなさま展


割り込み記事です。
本日は 3月3日 ひな祭り。
江東区東大島文化センター(大島8丁目)で 「第8回東大島おひなさま展〜和で遊ぶ女の手仕事展〜」が開催中です。
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江東区東大島文化センター(大島8-33-9)
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区内で活動するグループ「ちりめん細工 江戸の針」などのメンバー約60人の作品だそうです。
縁起物の“熊手”など40点他 “ひなのつるし飾り”や干支の馬など約1000点が展示されています。
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うさぎ雛 可愛いです。
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うさぎの座り雛
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いろいろなお雛さま。
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ひなのつるし飾りは、約10センチの人形や金魚、鶴などを糸でつないだもの。
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色とりどりのちりめん細工が並びます。
3月7日までです。開館時間:9時〜21時  入 館 料:無料
タグ:イベント
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