2014年02月28日

浅草寺 宝蔵門・五重塔

仲見世をすぎると 宝蔵門です。
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この門は、仁王門浅草寺宝物殿を兼ねたものです。
当初は仁王を納めていたところから仁王門と言われ、平安時代の中期から建てられていたと伝えられる。1649年(慶安2)に家光によって、本堂などと共に木造では最後の楼門が建築されました。
昭和20年(1945)の空襲で本堂と共に焼失しましたが、ホテルニューオータニの創業者、大谷米太郎氏の寄進で再建されたのは昭和39年(1964)です。
浅草寺の宝物の収蔵庫になっているため宝蔵門の名前がついています。
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中央の「小舟町」の提灯は日本橋小舟町奉賛会より奉納されたものです。
宝蔵門に安置されている仁王像は彫刻家村岡久作(右の吽形像)・錦戸新観両氏が大相撲力士をモデルに制作したものです。
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提灯の裏側のみごとな龍です。
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門の北面の両側に「浅草名物」のひとつ「大わらじ」がかけられています。
片方だけの大きさが長さ4.5m、巾1.5m、重さ500kgもある大きなものです。
このわらじは村岡氏の出身地山形県村山市の「奉賛会」から奉納されたものです。
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仁王門横には五重塔があります。
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五重塔(浅草寺)
[そもそも仏塔とは、遠くインドで釈尊の遺骨(仏舎利)を起塔供養したのがはじまり。アジア東漸を経て、さまざまな形となった。五重塔もその一形態。
 浅草寺五重塔は、天慶5年(942)、平公雅によって創建されたのをはじめとする。その後、数度倒壊に遭うも、その都度再建された。徳川家光によって再建された国宝五重塔も、昭和20年(1945)3月の戦災によって惜しくも焼失した。(戦後までの五重塔は、今と反対側の本堂向かって右側にあった)
 以来、浅草寺は十方各位のご信助を得て、また新たにスリランカ国の王立寺院より「聖仏舎利」を勧請(五重塔最上層に奉安)し、昭和48年(1973)に現在の五重塔を再建するに至った。
 地上からの高さは約53メートルある。(塔内非公開) 金龍山 浅草寺」
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江戸時代、家光再建の五重塔は、上野の寛永寺・谷中の天王寺・芝増上寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれていました。
歌川広重・歌川国芳などの浮世絵の格好の画題としても全国に知られていました。
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大香炉です。線香の煙を悪いところに当てると良くなる言われがあります。
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手水舎の沙竭羅龍王像
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天井には「墨絵の龍」(東 韻光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅(さから)龍王像)をまつる。
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高村光雲作の龍神像(沙竭羅(さから)龍王像)ですが 現在のものはレプリカで本物は宝物殿に所蔵されていて普段は見ることができません。

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2014年02月27日

浅草寺・雷門

東武鉄道浅草駅です。
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松屋浅草店、東武鉄道浅草駅 :東京都台東区花川戸1-4-1
設計:久野節 施工:清水組 竣工:昭和6(1931)年10月
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造7階建て、地下1階
駅ビルテナントとして「松屋浅草支店」の名で開店した。当時の浅草店は久野節設計で、昭和初期を代表するアール・デコ調の建造物。
長さが150メートル近くあるこの建物、電車6両分が収まります。当時は 隅田川からみれば 軍艦のようだったのかもしれません。
東武鉄道が竣工当時の外観へ戻す復元工事を実施したそうです。
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雷門通りにあるのが浅草神谷バー。東京都台東区浅草一丁目1番1号の住所が象徴的
日本最初明治13年(1880年)創業のバー。電気ブランで有名。
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多くの文人にも愛された「神谷バー」。1階はビアホールスタイルです。洋風居酒屋的で見知らぬ人と相席でにぎやかでした。
電氣ブラン<オールド>は40度で 舌がびりびりしてちょっと飲めませんでした。
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雷門通りを 浅草寺へと歩きます。
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 雷門です。 東京都台東区浅草2-3-1
雷門(かみなりもん)は、浅草寺の山門。正式の名称は、風雷神門(ふうらいじんもん)。
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雷門(風雷神門)
「 天慶5年(942)、平公雅によって創建されたのが始まり。
 門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)」と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿は、お馴染みのものである。また、門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。
 現在の門は、慶応元年(1865)の浅草田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)に松下幸之助氏のご寄進により修興された。
 浅草寺参詣の入口にあたる「総門」として、また、東京・浅草の顔として全国的に有名。
 金龍山  浅草寺」
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浅草寺(浅草観音)
628年に創建された都内最古の寺院。
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像です。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりといいます。
現世利益の「浅草観音」として多くの人から信仰されています。
江戸時代には徳川家康が幕府の祈願所に指定。江戸文化発展の中心地です。
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元々の雷門は942年の建立。現在の門は、松下電器産業(現 パナソニック)の創設者松下幸之助が、昭和35年に寄進したもの。大提灯には、「松下電器」の文字。
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参道側には 風雷神門の文字。
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大提灯の下側にはみごとな龍。
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観光客でにぎわう 仲見世をぶらりと歩きます。
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2014年02月26日

東京スカイツリー夜景

浅草吾妻橋手前から見た景色です。
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そしてアサヒビール本社ビル。墨田区役所と並んでいます。
この地区をリバーピア吾妻橋といいます。スカイツリーも間に見えます。
アサヒビール本社ビルはビールジョッキでビール色の建物の上部は泡のイメージだそうです。
スーパードライホールの上にある「炎のオブジェ」はフィリップ・スタルクによってデザインされたもの。
炎というより・・・・
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墨田区側から見たスカイツリーです。
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夕方からライトアップできれいです。
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この日の色は 江戸むらさきでした。

タグ:観光
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2014年02月25日

鎧橋・鎧の渡し跡

兜町の東京証券取引所です。
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東京証券取引所 東京都中央区日本橋兜町2番1号
東京証券取引所前の通りは平成に入って 「平成通り」 と名付けられました。
そこから「日本橋川」 を小網町のほうに渡る橋が鎧橋です。
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これは船上から写しました。
現在の橋は昭和32年(1957年)7月に完成したもので、ゲルバー桁橋とよばれるものです。
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石垣が残っています。「鎧の渡し跡」です。
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鎧の渡し跡

 所在地 中央区日本橋小網町8・9番
        日本橋茅場町1丁目1番 日本橋兜町1番

「鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。
古くは延宝7年(1679)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。

伝説によると、かつてこの付近には大河があります、平安時代の永承年間(1046〜53)に源頼義が奥州平定の途中、ここで暴風逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。
また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。

この渡しは、明治5年(1872)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。

縁日に 買ふてぞ帰る おもだかも
逆さにうつる 鎧のわたし
          和朝亭国盛

平成20年3月 中央区教育委員会」
反対側には鎧橋の説明板があります。
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鎧橋
鎧橋が最初に架かったのは明治5年(1872年)で、当時の豪商が自費で架けたのが始まりです。橋が架けられたのと前後して米や油の取引所、銀行や株式取引所などが開業し、この地は大いに賑わいました。
その後、明治21年(1888年)には鋼製のプラットトラス橋に架け替えられました。
その頃の様子を文豪 谷崎潤一郎は「幼少時代」でこんな風に書いています。
「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・・

私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・
対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。」
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親柱 ともいえない鎧をデザインしたような親柱
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鎧橋の親柱そばにあった地蔵様
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案内板はなく 台座の右側に「大正十四年乙丑壱月吉日建立」とある。
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橋の袂の緑地にある像です。

タグ:史跡・名勝
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2014年02月24日

明徳稲荷神社・茅場町

日本橋日枝神社摂社境内北側奥に倉稲魂神を祀る稲荷社があります。
明徳稲荷神社です。
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明徳稲荷神社の創建年代は不詳
元禄年間(1688-1704)には茅場町交差点に祀られていたといい、関東大震災後の区画整理により当地へ遷座
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日枝神社としての説明には載っていないが日枝神社摂社と境内を接しています。
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明徳稲荷神社由来碑と大部芳之助氏顕彰碑。
明徳稲荷神社は「翁」「祇園」の二社が合祀されている。
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創祀不明。元禄時代(一六八八-一七〇四)より現在の茅場町交差点角のところに祀られ、毎月八日の縁日には茶番・狂言等にて賑わう。震災後区画整理により現地に奉斎される。現在の地は日枝神社摂社と境内を接し、霊験顕著なる翁稲荷、町内鎮座の祇園稲荷を合祀する。(東京都神社名鑑より)
タグ:神社・寺院
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2014年02月23日

いいことありそう!!

おとといの午後3時頃 浅草神谷バーの前で東京ディズニーシーのダッフィーバスに遭遇しました。
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ちょうど信号で止まったので 写真を撮ることができました。
あれよあれよと 人が集まり撮影会のようでした。
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助手席には ちゃんとダッフィーが座っていました。
車体もぬいぐるみ仕様の ふわふわ もこもこなんですが車内ももこもこだそうです。
運よく こんな 楽しいバスに出会えて いいことがありそうです!
バスには 「いっしょだと、いいことありそう」と表示されていました。
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うしろまで 全部もこもこ。
全国を旅するダッフィーのふわふわジャーニーバス
東京ディズニーシーを出発して 20日〜22日が東京・神奈川で3月31日まで九州、中国、四国、近畿、東海の各地を巡るそうです。
出会えると いいね!
タグ:イベント
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2014年02月22日

日本橋日枝神社摂社2・狛犬

日本橋日枝神社摂社の境内の狛犬です。中央区日本橋茅場町1-6-16
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二匹の狛犬は天を仰いでいるようです。
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遠吠えする狛犬にみえます。
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やけに反り繰り返っています。
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東京証券取引所が近いので 景気がうわむけ〜の遠吠えなのでしょうか。
首都東京を守る天の神様を呼んでいるのでしょうか。
奉納の銘は昭和9年(1934)。満州事変(1931)、五・一五事件(1932)、国際連盟脱退(1933)、二・二六事件(1936)を経て、日中戦争開戦(1937)へと続く不穏の時代が続いていました。
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昭和9年6月奉納   建立 1934年(昭和9年)6月
材質 石材
石匠 水道橋 野村保太郎
奉納者 駒込肴町 酒井八右衛門
酒井八右衛門と野村保太郎コンビは神田神社の狛犬も奉納しています。
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神田明神狛犬 昭和8年の奉納
神田明神と山王日枝神社は、江戸・東京を代表する神社です。
タグ:神社・寺院
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2014年02月21日

日本橋日枝神社摂社1・茅場町

東京メトロ東西線茅場町駅からすぐ、交差点北東のビルに囲まれた奥に鳥居が見えます。
千代田区永田町にある山王日枝神社の摂社です。
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日本橋日枝神社摂社 中央区日本橋茅場町1-6-16
天正18年(1590)の創建で、寛永年間(1624-1645)に永田町の山王日枝神社の祭礼の際、神輿の休息所である御旅所が設けられて境外摂社となりました。
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摂社 日枝神社」と刻まれた社号標石が建てられています。、これは大正四年(1945)に本社の日枝神社が官幣大社に昇格したのに伴い、本社の境外摂社とされたことによるものです。
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天正十八年(1590)に徳川家康が江戸入府し、日枝神社の祭礼に八丁堀北嶋祓所の御旅所まで神輿が船で神幸したことを始まりとして、寛永年間に現社地が御旅所に定められた。
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御祭神は大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦神で、昭和三年(1928)に境内末社の北野神社・稲荷神社・浅間神社を本殿に合祀。
現在の社殿は関東大震災後の昭和3年(1928年)の造営。
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ビルの谷間の神社ながらも なかなか立派で落ち着いた境内です。
 
タグ:神社・寺院
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2014年02月20日

江戸橋〜日本橋・麒麟の翼

日本橋本町側から昭和通り、 江戸橋を渡ってみました。江戸橋JCTのあるところです。
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江戸橋を渡ると高速道路出入り口があるため 歩行者はトンネルをいかなければいけません。
東野圭吾作 『麒麟の翼』で 中井貴一さん演じる青柳武明が江戸橋のトンネル内で刺されて致命傷を負いますが 青柳はその場から傷ついた身体を引きずり、日本橋にある麒麟像まで歩き、その場で息絶えてしまいます。
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これが その歩行者用 トンネルです。
トンネルを抜けると 野村證券本社ビルがそびえています。
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そして 日本橋へと向かいます。
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これが 麒麟の像です。
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ROJI 中央区日本橋 1-1-1
一度聞いたら忘れないこの住所にあるのが国分株式会社の本社ビルでROJIは1FのK & K ブランドのセレクトショップです。
この地に 1712年(正徳12年)、土浦の醤油醸造所:『大國屋』が創業し、現在は『K & K』で親しまれています。
いいものが手に入るので このお店のファンで時々買い物します。
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店の奥は日本橋川に面しています。
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壁には、日本橋の袂(たもと)の『大國屋』時代の錦絵が飾られていました。
300年ほど前の日本橋の姿です。
日本橋はよく行く場所なので 日本橋川クルーズをはじめいろいろブログで書いています。
ブログ1 の中央区に書いています。
http://umeno87.sblo.jp/category/1537178-1.html

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2014年02月19日

大横川沿いの河津桜・江東区

木場公園に行ったついでに 大横川沿いの河津桜を見てきました。
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現在開花しているのは、茂森橋〜豊木橋の間に植えられたものです。 半分くらいはも2月はじめから咲いていたようで 雪で花が傷んでいました。
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南側の河津桜はまだつぼみ。順に咲くのでかなり長く楽しめます。
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東京スカイツリーが見えます。
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もう少ししたら 全部が咲いてもっとみごとな景色になります。
お昼になったので ここから徒歩7〜8分の江東区役所に行き 8Fで食事しました。
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江東下町食堂です。職員食堂を兼ねていますが誰でも利用できます。
食券を買いカウンターに出します。
日替わり定食のボリュームを見たら食べきれないと思いました。それでも500円。ラーメンなどの麺類も豊富ですし 丼物やカレーなどメニューも多いです。300円くらいから最高でも数百円で安いです。
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窓からスカイツリーを眺めながらゆっくり食事することができました。
区役所の食堂は安くていいですねぇ〜
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2014年02月18日

都立木場公園

昨日 都立木場公園に紅梅・白梅を見に行きました。
中央広場の雪はもうほとんどありませんでした。
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都市緑化公園の日本庭園の様子です。 人が歩かないところはまだ雪が残っていました。
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白い梅が咲いていました。
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紅梅も咲いていました。
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水琴窟のそばの木々がきれいでした。
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日当たりのいい広場や ジョギングコースなどにはもう雪はないのですが 隅のほうの日影にはまだ残っています。
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雪の重みでたくさん枝が折れていました。
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14日の雪は東京も多摩や西部は雪がおおくて大変でしたが 都心や東部は西ほどではなかったらしく 道路も雪はほとんどありません。
2月8日の雪のほうが多かったと思います。
雪の日は ほとんど閉じこもって外ばかりながめていたので昨日は いい散歩日和になりました。
posted by うめのはな at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

2014年02月17日

人形町散歩14・久松町区民館

小川橋由来の碑から遊歩道を歩くと 児童公園があり久松小学校・幼稚園と久松区民館が見えます。
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久松小学校・幼稚園と久松区民館の間の道路は子どもの往来が多い為か、「中央区こどものあそび場」として遊歩道になっています。
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久松区民館の前は小学校です。久松児童公園と久松小学校校庭は地続きですが 花壇の仕切りがあって学校側には立ち入れません。
そのため離れて全景を撮ることはできませんでした。
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レトロなファザード中央区久松区民館 中央区日本橋久松町1番2号
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道路側から写します。
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日本橋久松町は日本橋地域の中でも、公的な施設が集約したエリアであす。「久松」や「久松町」の名称が、警察署名や学校名などに使用されています。江戸時代この地域は武家地で、元年3年(1617)松平越前守邸が上地となり、邸跡に四辻が出来て、橘町が起立した時と同じ頃、本多豊前守邸跡(1・2番地辺という)が町屋となったといわれています。
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久松町になったのは明治5年(1872)4月です。
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青線が今回歩いた道の一部です。末広神社は忘れてしまっていきませんでしたので この次行きたいです。
人形町界隈の他の地区については ブログ1の2013年1月の 次の記事に書いています。
人形町通り 中央区

http://umeno87.sblo.jp/article/61543119.html

玄冶店跡/ 三光稲荷神社/椙森神社
http://umeno87.sblo.jp/article/61568231.html

身延別院 中央区
http://umeno87.sblo.jp/article/61516443.html
大安楽寺 伝馬町獄処刑場跡
http://umeno87.sblo.jp/article/61494673.html
十思公園(じっしこうえん)・中央区
http://umeno87.sblo.jp/article/61470914.html
日本橋大伝馬町・本町 界隈
http://umeno87.sblo.jp/article/61446646.html

十思スクエア(旧中央区立十思小学校)
http://umeno87.sblo.jp/article/61424677.html

タグ:建物 人形町
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2014年02月16日

人形町散歩13・笠間稲荷神社

日本橋浜町にある笠間稲荷神社です。中央区日本橋浜町2-11-6
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日本三大稲荷のひとつ茨城県笠間稲荷神社の東京別社です。
江戸時代末期に笠間藩主牧野氏の邸内社でした。、本社より御分霊を奉斎して建立されたといいます。紋三郎稲荷とも称されるといいます。
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笠間稲荷神社 日本橋七福神 寿老
笠間稲荷神社は、寿老神は長寿の神、お導きの神、幸運の神として運命を開拓してくださる福徳長寿の守護神です。
江戸時代中期、常陸笠間稲荷神社の御分霊を奉斎、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰されていました 。
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笠間の8万石殿様、藩主牧野遠江守康満の江戸屋敷がこの地にあり、邸内神として、故郷の笠間稲荷を祀ったのが始まりです。明治になって、屋敷は無くなりましたが邸内神の”笠間稲荷”だけは当地に残り、今に伝わっています。(宮司談話)  日本橋七福神の一つです。
 家臣・山崎平馬は国元から参勤交代で、当地浜町の下屋敷まで来る時の道中逸話がこの噺です。牧野遠江守の江戸藩邸(上屋敷)は、神田・水道橋外にあった と言われています。
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ちょうど節分祭の準備なのか工事中で境内には入れませんでした。
明治座脇にあるのが ここの分社です。
久松警察署のある浜町緑道に戻ります。小川橋由来 躇彰碑があります。
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小川橋の由来
「この地は江戸初期に開さくされた浜町堀で大川に接し物資の輸送路として大きな役割を果たし後に浜町川と呼ばれたところである
明治十九年十二月三日払暁馬喰町にピストル強盗事件が発生し久松警察署小川佗吉郎巡査は現場に急ぐ途中橘町付近で不審なあんま姿の男を発見格闘となり重傷を負いながら浜町河岸まで追跡しその男を捕えた
この男は清水定吉といい当時十年余にわたりピストル日本刀を持って東京府内を荒し廻りその間の被害は八十余件にのぼり五人を殺害するなど稀代の兇賊であった
小川巡査はこの功により二階級特進し警部補に任命されたが当時の傷がもとで明治二十一年四月二十六日二十四歳でこの世を去った
東京府民は小川警部補の尊い死を惜しみこの橋を小川橋と名付け不滅の功績を讃えた 世は移り浜町川も埋め立てられゆかりの橋もその姿を消したがその跡地に由来の碑を建立し小川警部補の功績を顕彰する
昭和四十九年四月二十六日 建立」
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この碑から続く 緑道を歩きます。児童公園になっています。
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2014年02月15日

人形町散歩12・浜町緑道・弁慶像

水天宮仮宮の交差点から 甘酒横丁のほうに少しあるくと浜町緑道があります。
神田川と隅田川を結んでいた掘割は埋めたてられ、浜町緑道となっています。
人形町駅と浜町駅のちょうど中間辺りに南北に延びる遊歩道です。
浜町緑道には、歌舞伎十八番の武蔵坊弁慶・勧進帳の像があります。
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弁慶の像 中央区日本橋人形町2丁目
江戸歌舞伎発祥の地、江戸三座の中村座、市村座がありました。
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弁慶像について
「今を遡ること三五〇年前、現在の人形町あたりに葦屋町と堺町という街があった。
当時この街では、江戸三座と言われていた芝居小屋のうちの市村座と中村座の二座が歌舞伎を上演しており芝居街と呼ばれていた。また、浄瑠璃による繰り人形の芝居小屋も数軒あり、歌舞伎と合わせて庶民の人気を集めていたという。
ここで使われた人形の製作と、修理に当たった人形師達は、この周辺に住み人形細工と人形の販売をも業としていた。
以上が人形町の名のいわれとされており、ここ人形町界隈は、今日隆盛を極める江戸歌舞伎発祥の地と呼んでも差し仕えないといえる。
この度、緑道の改修に当たって、入口の広場に歌舞伎十八番の内でも人気のある勧進帳の武蔵坊弁慶像を設置するとともに、その背面に関所風の冠木門を設けて江戸情緒をかもしだし、往時をしのばんとするものである。中央区土木部」
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奥も緑道が続くのですが 冠木門やトイレが和風です。
冠木門とは反対側の緑道を久松町に向かって歩きます。
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この時期水はありませんでしたが せせらぎがあったりしてとても落ち着く緑道です。
緑道の片隅に 黒い直方体の御影石でできた漢方医学復興の地の碑がありました。(碑の台座にに座って弁当を食べていた人がいて見落としやすいです。そのため 全体を写せませんでした)
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漢方醫學復興の地
 和田啓十郎先生は漢方医学がまさに絶滅せんとしたとき この地において衣を薄うし 食を粗にして得たる資金を以て明治四十三年 醫界之鐵椎を自費出版し 漢方医学の復興に立ち上がった
今や漢方再興の気運に際会し 先生の旧趾に碑を建て その偉業を顕彰するものである
昭和五十三年十月十日
 日本東洋医学会
 東亜医学協会
 日本医史学会
明治時代は、ドイツ医学を範として医事制度を確立し、漢方医学が冷遇され没落していった時代でした。この地で開業した医師・和田啓十郎は、衣服や食事にかかる費用を倹約し「医界之鉄椎(いかいのてっつい)」を自費出版、漢方医学の復興に大きな影響をもたらしました。
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久松警察署前に出ました。
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警察署の前の通りは金座通りといいます
日本橋浜町界隈はかつては近くに金座があった場所です。この右手には 笠間稲荷神社があります。

タグ:人形町
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2014年02月14日

人形町散歩11・水天宮仮宮

明治座のある交差点 浜町公園遊歩道の向かい側に水天宮仮宮があります。
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平成25年3月1日より、日本橋蛎殻町の水天宮が本社殿建て替えに伴い、日本橋浜町の仮宮に遷座しています。平成28年度には本殿が完成するとのことです。
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かなりシンプルな造りですが 参拝の客は絶えません。
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水天宮仮宮 中央区日本橋浜町2−30
江戸時代から安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集めています。
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以前 行ったときに写した水天宮です。
安産のお犬様が 見当たりませんでした。
この「子宝いぬ」は現在 水天宮駅直結のロイヤルパークホテル1階ロビーのエスカレーター付近(正面入り口から入り左奥)にいるそうです。ここから仮宮への無料バスも出ているとのこと。
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宝生弁財天
久留米藩第九代藩主有馬頼徳(よりのり)公が加賀藩第十一代藩主前田斉広(なりなが)公と宝生流能楽の技を競われた際 弁財天に願を
かけ、見事に勝利を収めた。
それ以来、宝生弁財天と敬われ芸事をはじめ学業・金運のご利益が名高いと現在に至るまで篤く信仰されている。
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お犬様のかわりに 手水舍の横に安産子育て河童像があります。
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「安産子育て河童
足下と胸・肩に、赤ちゃん河童がしがみついています。
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交差点出ると 中央区・コミュニティバス(愛称名「江戸バス」)が止まっていました。
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2014年02月13日

人形町散歩10・明治座

都営地下鉄浜町駅前にそびえる高層ビルに明治座があります。
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明治座  東京都中央区日本橋浜町二丁目
1873年(明治6年) に喜昇座(きしょうざ)として創建
初めて明治座に行ったときは 明治座はどこだ?と探しました・・・
1993年に、再開発で建て替えた賃貸オフィスビルの浜町センタービル低層階を占める形となりました。
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劇場客席は建物3階からエスカレータで移動します。
各階ロビーや食堂など、劇場内にはたくさんの絵画が展示してあります。
明治座の幕の内弁当は有名ですが 30分程度の幕間に客席で食べることもできます。
食堂利用もできるので 以前行ったときにはそこででゆっくりと食べました。
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明治座の脇にある小さな神社です。中央区日本橋浜町2−31−1
明治座の神社かと思ったら 「笠間稲荷神社 明治座分社」です。
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演目の成功を祈って、出演者やファンの方が手を合わせる神社として有名だそうです。
明治座の前の 緑道入口に明治観音堂があります。
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明治観音堂 東京都中央区日本橋浜町2
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で、下町一帯は灰燼に帰し、明治座も例外ではなく外側を残し焼失しました。
コンクリート造りで焼けないと思われていた明治座に避難した数千人の人たちは、高温の炎でなくなりました。
その被害者たちを慰霊するため建立したのが「明治観音堂」なのです。
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明治観音堂建立の由来
本堂は昭和二十年三月十日の
戦災に依り戦没せる幾多の霊の
冥福を祈る為建立す
昭和二十五年十二月
発願主 新田新作

タグ:人形町
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2014年02月12日

人形町散歩9・浜町公園

清正公寺前にある中央区立総合スポーツセンターです。
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中央区立総合スポーツセンター 
(日本橋浜町2−59)
浜町公園内にある施設、屋内競技のできるアリーナ、武道場、体育館のほかに、トレーニングルーム、温水プール、ゴルフ練習場、エアライフル場、弓道場など地下2階から5階まで、数多くの運動施設が揃っています。(区民以外の利用も可)
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浜町公園は昭和4年に開園、江戸時代は熊本藩細川家の下屋敷の庭園でした。
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中央区の公園の中では最大の面積を誇り、区を代表する公園として知られています。
映画「容疑者Xの献身」の舞台でもあります。
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平和都市宣言碑 あかつき公園と佃公園にもあります。
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これはあかつき公園。佃公園はまだ行っていません。
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園内にデイキャンプ場や運動広場などもあります。
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浜町公園前にそびえる高層ビルは明治座です。

タグ:庭園・公園
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2014年02月11日

人形町散歩8・浜町公園清正公寺

日本橋浜町公園の一角に 小さなお寺があります。
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清正公寺と書いてあります。浜町公園横の通りの入口です。
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公園側の 正面にまわりました。
江戸時代、この地は細川藩の下屋敷であった場所です。清正公寺は文久元年(1861)細川斉護が熊本の日蓮宗本妙寺から勧請、創建したものとのこと、熊本本妙寺の別院です。
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清正公寺 都内中央区日本橋浜町27
祀られているのは"加藤清正公"です。
加藤清正は慶長16年(1611)、秀吉の一子秀頼の後見人として家康と二条城で会見しましたが、その後まもなく49才で死去しました。
加藤家は2代忠広の時に取り潰しになりました。加藤清正公は名君であり皆から敬愛されていたので、熊本藩を引き継いだ氏が領民からの信頼を得ようと 建てた寺だそうです。
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清正公を偲んで熊本藩中屋敷跡地に創建した「覚林寺」が東京都港区白金台一丁目にあります。
覚林寺・清正公堂及び山門(港区) 梅の華ブログ東京散歩1参照
http://umeno87.sblo.jp/article/59841351.html
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清正公寺は浜町公園の一角です。とても広い公園です。次 浜町公園内を歩きます。

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2014年02月10日

人形町散歩7・松嶋神社

水天宮交差点から新大橋通りを東に二つ目の角をまがるとビルの1階奥に松嶋神社があります。
他の神社とイメージが違っていたので戸惑いました。
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前の通りは大門通りで 歩道からしか写真が写せないので全体を撮ることはできませんでした。
創立の年代は、詳らかではないが 昔 この辺りは入り江の小島でした。下総柴田家がこの地に移り 屋敷の中にお稲荷様を祀ったとされています。松嶋稲荷大明神と唱えました。周囲が歓楽街であったため、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の芸妓どころや庶民の参拝で大いに賑わったそうです。
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松嶋神社(大鳥神社) 中央区日本橋人形町2-15-2 (松島ビル)
日本橋七福神 大国神
御祭神
稲荷大神・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・日前大神(天照大神)・北野大神(菅原道真公)・手置帆負神・彦狭知神・淡島大神・八幡大神・猿田彦神・琴平大神・天日鷲神(大島大神) 大宮龍売神(おかめさま) 大国主神(だいこくさま)
この神社は大鳥神社で11月の酉の市には熊手市も出るので商売繁盛、大国さまは富と財力を与える福の神としてにぎわいます。
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平成6年に建設された11階建てビルの1階に鎮座。
松嶋神社でお祀りされている七福神は、大国様です。
大国主神(おおくにぬしのかみ)をお祀りしているので、大国神と呼んでいます。
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「鎌倉時代の元享(1321)以前、この辺りが入り海であった頃小島があり諸神を勧請し、夜毎掲げる燈火を目標に舟人が航海の安全を得たと伝えられる。島内松樹鬱蒼たるにより人々松嶋稲荷大明神と唱え、正徳3(1713)新町が開設される時に社号に因んで町名を松嶋町と称した。当時付近を埋め立て武家屋敷を造営するために、日本各地から技をもつ人々が集められそのまま住まいを構え町の中心に位置した松嶋稲荷に、それぞれの故郷の神々の合祀を頼んだために他社に比べ御祭神が14柱と多い。
 明治7年4月2日松嶋稲荷神社の名称を以って村社に列格される。
 大正5年6月10日松嶋神社と改称。
 昭和8年2月1日都市計画法の実施に伴い蛎殻町4丁目に改称せられ、その為松嶋町は消滅する。」
松嶋神社の「良い夢を見ることができ、それが正夢になるかも」という『良夢札』をいただくことができます。
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新大橋通りと清洲橋通りとの交差点です。
日本橋浜町Fタワー(20階建)の前の プラザ棟.には時計塔があります。
このまま 新大橋通りを浜町公園へと向かいます。
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2014年02月09日

人形町散歩6・茶ノ木神社

水天宮前交差点です。正面の建物は交番。水天宮らしい建物です。
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本来 交番の後ろに水天宮の社殿が見えるのですが 現在建て替え中で明治座の前に(仮社殿)があります。
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水天宮前交差点よりやや北西、1本道を入ったところにある茶ノ木神社です。
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茶ノ木神社(茶の木神社)〔佐倉藩中屋敷跡〕中央区日本橋人形町1-12-10
祭神  倉稲魂大神     日本橋七福神の布袋尊
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茶ノ木神社(布袋尊 
「お茶ノ木様」と町内の人に親しまれている茶ノ木神社の御祭神は倉稲短市井大神(ウカノミタマノオオカミ)で伏見系の稲荷様である。
昔この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の城主大老堀田家の中屋敷であって、この神社はその守護神として祀られたものである。社の周囲に巡らされた土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、芝と茶の木の緑が見事であったと伝えられている。
その中屋敷内は勿論のこと周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、いつのころから誰言うとなく火伏の神と崇められ、堀田家では年1回初午祭の当日だけ開門して一般の参拝を自由にされた由「お茶ノ木様」の愛称で町の評判も相当であったと伝えられている。
また、新たに昭和60年(1985)布袋尊を御遷座合祀申し上げて日本橋七福神詣りに加わることになった。
布袋尊は実在した中国唐代の禅僧で、阿弥陀菩薩の化身といわれている。福徳円満の相が喜ばれ、世の清濁を併せ呑む大きな腹をして袋の中にいっぱいの宝物を入れ、人々に福運大願を成就させる和合成就の神様として崇められている。
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下総佐倉堀田家の中屋敷があった地ですが 佐倉堀田家は、五代藩主正睦が藩内で蘭学を推奨し、佐倉順天堂を開くことになりました。
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毎年八十八夜に当たる日には、献茶会が行われます。本殿脇の垣根がお茶の木で、献茶会では、実際に茶摘も行われるそうです

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2014年02月08日

人形町散歩5・甘酒横丁

谷崎潤一郎生誕の地の少し先に 老舗洋食店「小春軒」(開店明治45年)があります。
その並びには行列が・・・
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まだお昼前ですがこれは 「玉ひで」さんの行列です。
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お昼がすぎれば こんな感じです。
玉ひで(たまひで)は、日本の東京都中央区日本橋にて江戸時代中期から営業を続ける老舗鶏料理店。
所在地 中央区日本橋人形町1-17-10 『玉ひで』
宝暦10年(1760年)現在の人形町3丁目にあたる地に屋号を『玉鐵』と称して、軍鶏専門の店を創業。
鳥鍋の残りの割下に卵をとじる食べ方をヒントにわが国最初の「親子丼」を考案。以来、親子丼発祥の店としてその名を知られています。
多くの老舗が軒を並べる人形町界隈でも、昼時の行列はひときわ目を引きます。
その1軒先には大正8年創業「喫茶去(きっさこ)快生軒
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向田邦子さんも常連だったといいいます。
ちなみに「喫茶去きっさこ)」とは禅の言葉で「お茶をどうぞ」という意味らしいです。
このまままっすぐ進むと 地下鉄人形町駅があり甘酒横丁の交差点になります。
甘酒横丁」交差点から明治座までの約400mの小さな通りが甘酒横丁と呼ばれる通りです。
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甘酒横丁
甘酒横丁の由来
 「明治の初め頃にこの横丁の入口の南側に尾張屋という甘酒屋があったことから昔は『甘酒屋横丁』と呼ばれていた。 当時の横丁は今より南に位置しており道幅もせまい小路であった。
明治の頃この界隈には水天宮様をはじめ久松町には明治座が櫓をあげており近くには”末廣””喜扇亭””鈴本亭”の寄席が客を集めていた。
また穀物取引所の米屋町、日本橋の川岸一帯の魚河岸、兜町の証券取引所が隣接していることからもこの界隈が賑わっていた。
関東大震災後の区画整理で現在のような道幅になり、呼名も『甘酒横丁』と親しまれ人々に呼びつがれている。 」
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ビルあり 下町風なお店ありの通りです。
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これはレトロ風ですがなつかしいというより 「なんだこれ?」でした。
BARだそうですから 昼は閉店していました。
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新旧いろいろなお店が並んでいますが この甘酒横丁は「新参者」の舞台として有名になったせいか 加賀恭一郎さんなじみのお店の一つであるたい焼きやさんは長蛇の列でした。新参者で出てきた、煎餅屋さんなどもみかけました。その他にも焼鳥屋さんとかお茶屋さんとか豆腐屋さんとかいろいろありました。時間帯が昼すぎだったのですが 行列はたい焼きやさんだけでした。
でもじっくり見て回るにはとても面白い通りです。観光地と化した谷中権座より落ち着いて 回ることができお値段も安い!
今度は お店めぐりでゆっくりすごすことにします。
タグ:人形町
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2014年02月07日

人形町散歩4・人形町の名前の由来

日本橋小学校から甘酒横丁に向かう通りの角に魚久本店があります。
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その前にはこんなプレートがあります。
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「今、魚久本店のあるこのあたりは、江戸時代末期、姫路の殿様 酒井氏の屋敷があり、又その後には明治維新の三傑の一人、西郷隆盛が明治政府の参議となった頃、居を構えていた場所です。」
日本橋小学校からこのあたりにかけての広い土地が 西郷隆盛屋敷跡です。
その対面の歩道にはくじららしきモニュメントがあります。
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近寄ってみれば やはり くじら です。人形町の名前の由来が書かれています。
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鯨と海と人形町 所在地 中央区日本橋人形町1-6-10先
作  松橋博   中田浩嗣
「あやつり人形のバネは今でも鯨ヒゲが使われています。
特に人形浄瑠璃から伝承された文楽人形の命とも言える精妙な首の動きは、弾力に富んだ鯨ヒゲでなければ出せないそうです。
ここ人形町一帯は寛永10年(1633年)頃から、江戸歌舞伎の「市村座」「中村座」、人形浄瑠璃の糸あやつり人形結城座、手あやつり人形の薩摩座などの小屋が集まり、江戸町民の芝居見物が盛んでした。
そして、それらの人形を作る人形師や雛人形、手遊物などを商う店がたくさん立ち並んでいたところから、昭和8年(1933年)、正式に人形町という地名になりました。   2002年7月」 
ここから少し先に 谷崎潤一郎生誕の地 があります。
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駐車場の壁に説明書きがあります。
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谷崎潤一郎生誕の地  所在地 中央区日本橋人形町1-7-10

 谷崎潤一郎(1886〜1965)は、明治19年(1886年)7月24日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。
 同25年(1892年)、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国大学国文科を仮定の事情で中退したのち、第二次「新思潮」の同人となり、「刺青(しせい)」、「少年」など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文芸界で名を成しました。

 のち、日本的な伝統美に傾倒し、「蓼(たで)喰ふ虫」、「春琴抄(しゅんきんしょう)」、「細雪(さきのゆき)」、「少将滋幹の母」などを遺しています。その間、昭和12年(1937年)、芸術院会員に推され、同24年(1949年)には文化勲章を受章しました。平成7年3月 中央区教育委員会」
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実は ここは飲食店でこんな看板がありました。(関係の有無は不明です) 

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2014年02月06日

人形町散歩3・小網神社境内


狭い境内ですが妙に居心地が良くて去りがたい。
しかし 絶え間なく人が訪れるので 立ち止まっているわけにもいきません。
なんとか社殿の彫刻を写しました。
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社殿の正面
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強運の龍
『戦時中、度重なる空襲から神社を守り、出征した氏子全員が無事に帰還したことから別名「強運の龍」と呼ばれ、強運厄除けの力が宿るといわれています。』
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木鼻の獅子
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本殿彫刻 「養老の滝」
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小網神社狛犬 昭和4年
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左手には弁財天様の「銭洗いの水」があります。
『この水で銭を洗い清めると福徳が授かる』と書かれています。
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福禄寿も祀られています。
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正月は元日より七日まで「日本橋七福神詣」が行われます。
辧財天 および福禄寿は、第三の巡拝杜に当り、宝船や色紙を受けて日本橋の八神杜をまわる参拝者で賑わい はとバスも運行されるそうです。
小さいながらも 「強運厄除」のパワースポットとして 人気があるようです。
不思議なパワーがありそうで 再訪したい気がしています。
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2014年02月05日

人形町散歩2・小網神社

江戸の下町で人気の小網神社に初詣を兼ねて1月31日行ってきました。
日本橋小学校のすぐ近くです。
日本橋七福神の福禄寿・弁財天としても崇敬を集めている他、下町八社巡りの一社です。
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人形町の片隅というか 日本橋川そばというかビルの間の小さな神社なのですが 平日というのに参拝の人が絶えません。
これにはちょっと驚きました。正月初詣は多くの参拝者で賑わい、はとバスも運行されるそうです。
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小網神社 中央区日本橋小網町16-23
530年の古社。建物は中央区文化財。強運厄除のご神徳。
『強運厄除』とはなんとも心強いです。
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神楽殿  中央区民文化財
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神楽殿は五角形でかなり珍しいらしく、本殿共々、木造神社として中央区民文化財に指定されています。
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こじんまりしていますが総檜造りの立派な本殿です。
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小網神社の由緒

小網神社の創建年代は不詳ですが、悪疫消滅鎮静を祈願するために、恵心僧都が文正元年(1466)稲荷大神を勧請、時の領主太田道灌が小網稲荷神社と命名したといいます。明治6年村社に列格していました。
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)[稲荷大神]
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)[辨財天]
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小網神社 

 日本橋七福神 福禄寿 弁財天
 東京下町 八社福参り 強運厄除

中央区民文化財
 小網神社の社殿及び神楽殿

 社伝によれば、小網神社は小網山万福寺を別当寺として、室町時代中期、当地に祀られた稲荷社に起源するという。稲荷社は、明治時代初めの神仏分離令により、小網神社と称し、東堀留川の河岸地の一画であった現在地を社地と定めた。そして現在、小網町及び人形町の一部の氏神として、また東京下町に広く信仰を集めている。
 境内には、昭和4年(1929年)の造営による社殿及び神楽殿が残っている。社殿は伝統的な神社建築の形式を備え、向拝には優れた技法による昇り龍・降り龍・獅子・ばく・鳳凰等の彫刻がほどこされている。また道路際に建つ神楽殿は、五角形という特殊な平面形態を持つ。この社殿及び神楽殿は、中央区に現存する数少ない木造の神社建築として、棟礼等の造営に関係する資料とともに中央区民文化財に登録されている。
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鳥居をくぐってすぐ右手には手水舎。
右上に見える白いものは「まゆ玉」です。
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繭(まゆ)に入ったおみくじです。
『まゆ玉は、多産、生命力を意味する縁起物で、おみくじを抜いた後のまゆ玉はお守りにもなるそうです』
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社殿には【強運の龍】の彫刻 があります。
ここで有名なお祭りが十一月の下町の奇祭、どぶろく祭です。
五穀豊穣を感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」で供え物のにごり酒「どぶろく」を参拝者に振る舞ったことが起こりだそうです。
小網神社では、ススキでできた強運厄除けのお守り「下町のみみずく」をどぶろく祭りと正月元旦に売るそうですが 人気でなかなか手に入らないようです。

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2014年02月04日

人形町散歩1・日本橋小学校等複合施設

日本橋小網界隈を歩いていると 蔦の絡まる駐車場がありました。
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その後ろには しゃれたビル。
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実は 東京都中央区立日本橋小学校なのです。
中央区立日本橋小学校は、東京都中央区日本橋人形町一丁目にある公立小学校。
9階建てで中庭がなければオフィスビルに見えます。
建物内に、幼稚園・日本橋図書館やサウナ付きの区立プール・区関係施設が複合しています。
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玄関側から見ると 日本橋幼稚園・日本橋図書館の文字も見えます。
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大伝馬町の十思小学校と当地にあった東華小学校が統合し1990年日本橋小学校として発足しました。
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江戸時代、この界隈は姫路藩酒井家の下屋敷でした。
その後明治になってから 西郷隆盛の屋敷で明治四年から六年まで住んでいたとかかれた説明板があります。
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西郷隆盛屋敷跡

「明治初め、この地域には明治維新の元勲西郷隆盛(1827〜1877)の屋敷がありました。
明治6年(1873)の「第壱大区沽券図」には、「蛎殻町1丁目壱番/二千六百三十三坪/金千五百八十六円/西郷隆盛」とあります。屋敷には長屋に15人ほどの書生を住まわせ、下男を7人雇い、猟犬を数頭飼っていたといわれています。維新後、西郷隆盛は郷里鹿児島にいましたが、明治4年(1871)に新政府から請われて上京し、参議に就任、同明治4年(1871)年10月に岩倉具視を特命全権大使とし、大久保利通、木戸孝允等を副使とする使節団が米欧へ派遣された後には、筆頭参議として留守政府首班となり、学制・徴兵制度・地租改正などの重要政策を実現しました。以下略・・・中央区教育委員会」
日本橋人形町1-1、日本橋小網町14番、日本橋蛎殻町1-10〜13番が西郷隆盛の屋敷があったところらしく、この場所はその広大な屋敷の一部です。
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2014年02月03日

信濃町煉瓦館・旧食養研究所跡

信濃町駅前に巨大な煉瓦つくりの建物があります。
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信濃町煉瓦館です。
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慶応病院の敷地の一部、旧食養研究所跡に建てられました。
片隅にその記念碑があります。
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医学部食養研究所跡地記念碑
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旧食養研究所跡
「食養研究所は大正15年に益田孝ら財界人の厚意により設立され、栄養増進、食事療法、ビタミン学の研究等が行われていました。昭和2年には臨床細菌研究室も併設、栄養研究に加えて医学部の研究拠点として、臨床と基礎の共同研究が推進されました。昭和8年には医学部食養研究所の研究成果実践の場として大学病院に病院食養部が設置され、日本初の病院給食へとつながっています。食養研究所は平成2年11月27日に幕を閉じるまで、慶應義塾医学はもとより日本の医学の発展に大きく貢献しました。碑の後方には医学部食養研究所の壁の一部が残されています。」
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建物全部が煉瓦ではなく レンガ部分は外側のみ。
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ガラス張りのビルをレンガの壁ではさんでいます。
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長方形に大きな円がくりぬかれたデザインです。
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下部は煉瓦で カーブを描いています。
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信濃町煉瓦館 東京都新宿区信濃町35番地
竣工:1995年 設計者 内藤設計,清水建設
構造 SRC  地上階数 6 階  地下階数 1 階
外装 韓国産ホフマンレンガ中空積みおよびスライスホフマンレンガ改良圧着張
特徴 エントランス部は巨大な円,
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煉瓦は 黒く焦げています。
ホフマン窯は日本の近代化を支えてきたが、現在稼働しているものはない。

タグ:建物
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2014年02月02日

慶応大学・信濃町

JR信濃町駅です。
「信濃町」の地名は、譜代大名の永井信濃守家(大和国新庄(櫛羅)藩主1万石)の屋敷があったことに由来。
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駅近くには慶応大学病院があり医学部の建物があります。
近年その建物が次々と建て替えられているので 今のうちに残っている古い建物を見ておこう思いました。
線路に沿って西に歩きますが 病院の建て替え工事中のフェンスで囲まれています。
その脇を右に曲がると 建て替えられてしまった立派な校舎があります。少し歩くと見えてきたのが三四会館です。
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これは三四会(医学部同窓会)の建物。
その隣にあるのが 信濃町メディアセンター 。
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信濃町メディアセンター (旧北里記念医学図書館)。
この図書館は、 初代医学部長・北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう 1853-1931)を偲んで、 全国の篤志家からの募金30万円を基にして、1937年(昭和12年)10月7日に竣工し、 1944年(昭和19年)3月に慶應義塾に寄贈されました。
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竣工 1937年(昭和12年)  東京都新宿区信濃町35
設計 和田順顕  鉄筋コンクリート造2階建て
外装   正面ポーチ錆花崗岩、稼働正面階段花崗岩、壁面は艶消しタイル貼り
建築様式 近世復興式 円アーチが美しいロマネスクスタイルです。
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入口の御影石の列柱が特徴です。ドア枠などは新しいものだと思います。
その隣は医学部予防医学教室の建物です。
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よくぞ残っていてくれた・・という感じです。
すでに80年以上たっているのでいつ取り壊されても不思議ではありません。
この建物だけが慶應の校章をつけています。
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慶應医学部 予防医学教室
正面 鉄筋コンクリート造4階建て
竣工 1929年(昭和4年)  設計 曾禰中條建築事務所
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直線模様のついた壁,バルコニーも直線です。上部にはダクトがへばりつき 武骨な感じです。
この前面の建物は解体工事中でした。
間に合ってよかったという感じでした。 

タグ:建物
posted by うめのはな at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区

2014年02月01日

浜松町駅の小便小僧さん

東京・JR浜松町駅 山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに小便小僧の像があります。
港区のボランティア団体により、季節によって衣装を変えることで知られ、通勤・通学客の目を楽しませています。
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以前はJRを利用することが多かったので 浜松町駅に立ち寄り 小便小僧を見ることもありました。 最近は地下鉄やバスを利用すのでかわいい小便小僧を見ることもなかったのですが 今月の小便小僧さんを何年かぶりに見ることができました。
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お正月らしく 羽織・袴の小僧さんです。
裸の小僧さんに ある寒い日女の子が毛糸の帽子を被せたのが衣装を着せる最初であったとされています。
仮縫いまで済ませた服を持ち込んで現地で縫い合わせることで着用させているとのことです。
いろいろな衣装で 楽しませてくれます。
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これはもうずいぶん前に写した写真です。可愛くて和みます。
毎月 写真を撮っている人もいるので ネットで探してみると面白いでしょう。
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posted by うめのはな at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 港区・品川区