2014年01月31日

冬・ふるさと福井の味

福井から美味しいものが送られてきました。
この頃は アンテナショップなどでも手に入るのですが どうも好みの味ではないものが多いので 送られて来た食べ物は本当にありがたいし 懐かしい味を堪能できます。
冬は「こたつでみかん」最近はそうでもないようですが 福井では昔から「こたつで水ようかん」なのです。
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そんなに甘くなくて 水のごとくのど越しつるん でちょっと普通の水ようかんとは違います。
福井でも ところ変われば微妙に 甘さや硬さが違うのですが 私は三国の「水ようかん」が天下一品、好みの味です。
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これは 「羽二重もち」 絹のごとくなめらかで柔らかく 甘さもほんのり。」実に美味しいのです。
メーカーも各社あってやはり味はそれぞれ違いますが 私が好きなのはこれかな。
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忘れちゃいけない 「越前そば」東京で食べるおろしそばは 冷たいつけ蕎麦なのですが 福井では 暖かい掛け蕎麦もおろしそばなのです。ねぎと鰹節と 大根おろし。これまた福井の味です。
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蕎麦とくれば日本酒。私はお酒はほとんど飲みませんが 送られてきたときはほんの一口いただきます。
福井は水がいいのでお米も美味しく 地酒も各種あって美味しいです。
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最近ご飯に乗っけて食べているんのが「はまな味噌」これも三国のものが一番おいしい。
はまなみそはナスの具が入ったほんのり甘めのおかず味噌.
しかし 本来私が食べたいのは 家庭でつくる「なと味噌」
福井県嶺北地方北部(主に旧 三国・芦原・金津・坂井町)では、冬になると『なとみそ』を作ります。「なっとみそ」だそうですが 我が家では「なとみそ」と言っていました。
醤油の原料の豆麹(豆と小麦のこうじ)にナスの塩漬けやチソなどをませ合わせ、米糀で作った甘酒や醤油で味付けをした「おかず味噌」のこと。手間はかかるのですが たくさん作り置きして ごはんのたびに食卓にあがります。なつかしい「母の味」です。
もうひとつ 「茄子のからし漬け」があります。
地がらしで漬けた茄子のからし漬は、福井の郷土料理ですが からいので子供のころはあまり食べれませんでした。
今は無性に食べたいです。どの家にも伝わる 「おふくろの味」ですが 我が家も母がなくなり途絶えてしまいました。

タグ:グルメ 福井
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2014年01月30日

明治記念館6 庭園・さざれ石

1000坪の庭園にはおよそ2000本、50種類の樹木が繁っているとのこと。
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とても手入れの行き届いた美しい庭です。
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新緑の季節には手で芽を摘み、冬になればコモを巻き大切にしているそうです。
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雪吊りをして手をかけて手入れをしてあります。
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みごとな 臥龍梅です。
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庭の片隅にある 鬼瓦です。
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菊花紋入り鬼瓦(おにかわら)」です。
明治記念館はもともと当時の皇居であった赤坂御所の別殿として明治14年に建築され、写真の「鬼瓦」は、昭和41年に行なわれた屋根の大改修時に記念として残されたものです。
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その隣には 天然記念物のさざれ石。国歌「君が代」に歌われたさざれ石です。石灰石が雨水で溶け、長い年月をかけて凝結、浸蝕し、コケむしてできたものといわれています。
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天然記念物の「さざれ石」
「この石は、学名石灰質角礫岩といいます。

石灰質が長い年月の間に雨水に溶解され、その時に生じた粘着力の強い乳状液が次第に大小の岩を凝結して巨岩化し、河川の浸蝕作用により露出し苔むしてできたものです。
千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまでと国歌「君が代」にも謳われているように珍しい石 目出度い石であるといわれています。

奉納者 岐阜県揖斐郡春日村 昭和63年10月26日奉納 」
今回の 明治記念館訪問は十分楽しめました。

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2014年01月29日

明治記念館5 庭園から

庭園から建物を見ます。
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本館(ラウンジ「kinkei」
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集会・宴会・会議に使用される部屋が各種あります。
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緑の芝生は外側は人工芝でした。

おそらく衣装が汚れないように・・とのことだと思います。
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2014年01月28日

明治記念館4 館内

明治記念館の内部を少し見てきました。
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エントランスホールの2階から見ています。
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ホールや廊下には横山大観や川合玉堂、村下松園、中島千波ら有名な画家による絵画が整然と配置されており、日本画の展覧会のようです。とうとう絵画の鑑賞会になってしまい ぐるりと絵を見て回りました。レプリカもありましたが 下手な美術館にいくよりよほどよかったです。
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入ることはできませんでしたが もちろん式場や披露宴会場の内外にも絵が飾られているそうです。
あちこちの部屋で 企業などの会合などが行われているせいか 人の出入りはわりとありました。
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2階は桜のじゅうたんでした。
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庭園からみればこういう建物です。
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庭園から見た 明治記念館の「儀式殿」です。
内部には儀式殿に続く石畳(稲田石)の通路があるそうです。
庭園に出て 外から建物を見てみます。
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2014年01月27日

明治記念館3 ラウンジ「kinkei」

仏滅だったせいか 結婚式もなくラウンジも空いていたので ゆっくりとくつろげました。
貸し切りになるとせっかく行っても閉鎖されて一般客は利用できません。
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隣には「コーヒーの間」と建築当初から現代風の名付けられた部屋があり、現在は、サロン・ド・エミール(約32坪)となっています。この2室のみが格天井で床は寄木張り床です。この日はサロン・ド・エミールが休業していました。
サイフォンで入れるコーヒーが美味しそうでしたが 紅茶とフレンチトーストのセットを頼みました。
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紙のテーブルマットが素敵で持ち帰りたい誘惑にかられます。
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ボーンチャイナ MADE IN ENGLANDのティーセット。一人紅茶は3杯分ありました。
ミルクティを頼んだのですが紅茶が美味しくて そのままストレートで香りを楽しみながら飲みました。
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ティカップの中の模様がかわいい・・・
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自慢のフレンチトースト  〈プレーン〉ドリンクセット 1,260円
ものすごく美味しかったです。さすが一流と思いました。もちろん接客もとてもよかったです。
分煙なので タバコのにおいが少々気になりました。禁煙じゃなかったです。
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2階から見た ラウンジです。
このあと 館内を見て回ります。

タグ:グルメ 建物
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2014年01月26日

明治記念館2 「金鶏の間」

「金鶏」(ラウンジ「kinkei」)に入ります。
普段はラウンジとして使用されていますが、パーティーなどで貸切になると入れません。
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明治憲法草案審議にあてられた歴史ある部屋です。
明治の趣を今に残す 由緒あるこのラウンジで食事やお茶をすることができます。
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天井は格調高い格子。シャンデリアには“ほや”
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鳳凰が舞う金の壁紙。釘隠は菊の御紋
手入れの行き届いた庭園を眺めながらゆったりとくつろげます。
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金屏風と説明書き。
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床は寄木。
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額縁はここを描いた「枢密院憲法会議」の絵の写し(聖徳記念絵画館に本物があります)
金鶏の壁、格子天井など忠実に描かれています。釘隠は菊の御紋。
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部屋の真中には黒漆塗り大鏡付のマントルピース。
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外から見ていますが木の引き戸です。当時の面影が感じられます。
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明治記念館(旧赤坂仮皇居御会食所
明治14年(1881)大正7年(1918)に移築
設計 宮内省(木子清敬)
構造 木造平屋建
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瓦屋根の大宮御所風の宮殿造りで 菊のご紋が見えます。
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高床式の木造大宮御所造り。
高床式ですので、数段の階段がありますが、これが“”(宮殿にのぼる階段)です。
“陛下”と言うのは、宮中の(陛の上の)方に直接申し上げるのではなく、(陛の下の)お取次ぎに申し上げますという意だそうです。
下々の人は階段の下から お取次ぎの人に用を申し上げるのですね。
皇室関連の建物は、一般の目に触れる機会はあまりなく、明治宮殿も戦災によって焼失してしまいました。、明治記念館本館は明治の木造宮殿建築を実際に見ることのできる貴重な建物です。
いよいよ 明治の趣を今に残す 由緒あるラウンジでお茶します。

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2014年01月25日

明治記念館1「憲法記念館」

信濃町駅から外苑東通り「権田原」交差点に出て 明治記念館に行きました。
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 明治記念館  港区元赤坂2-2 (明治神宮外苑)
外苑東通りに面した正門の左の門柱は「明治記念館」、右側は「憲法記念館」と別々の銘板が表示。
警備員にラウンジに行きたいとを告げて 中に入ります。
入ってすぐの右に 石碑があります。
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憲法記念館碑
徳川宗家16代当主の徳川家達(いえさと)の揮毫による憲法記念館の由来を記した記念碑。
御会所時代に明治憲法の審議場として利用されていた由緒から、「憲法記念館」と称されました。
伊藤博文はここを会場として、貴族院、衆議院議員など朝野の名士千余名を招いて盛大な憲法発布20年紀念祝賀会を開いたといわれています。
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現在は 明治神宮による結婚式場などに利用されています。
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エントランスに入ると最初に豪華なシャンデリアが目に入ります。
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明るく開放的なエントランスロビーです。
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螺旋階段
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1F階段の奥 左側に「金鶏の間」と呼ばれている部屋があります。
広さ約56坪の「御会食所」です。
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「本館」。別名「憲法記念館
1881年(明治14年)赤坂(現在の迎賓館赤坂離宮)に仮皇居が設けられた際に別殿「ご会食所」として完成。
1888年(明治21年) 明治天皇の臨席の下、帝国憲法の草案の審議の御前会議(枢密院憲法会議)が何度も開かれた。
1908年(明治41年)「ご会食所」が憲法制定の中心となった伊藤博文に下げ渡され、伊藤邸内(現品川区大井)へ移築。「恩賜館」として保存される。
1918年(大正7年)明治神宮へ「恩賜館」を奉献。現在地に移築竣工、「憲法記念館」と改称される。
次 この「金鶏の間」に入ります。

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2014年01月24日

「クリーブランド美術館展─名画でたどる日本の美」

東京国立博物館 平成館 で開催中の「クリーブランド美術館展─名画でたどる日本の美」を見てきました。
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この特別展は 是非見たいというものでもなく チケットがあったのでついでという感じ。
はじまったばかりの平日だったのですいていました。
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クリーブランド美術館展─名画でたどる日本の美」
平成館 特別展示室第1室・特別展示室第2室 2014年1月15日(水) 〜 2014年2月23日(日)
クリーブランドは、五大湖のひとつ、エリー湖の南岸に位置するオハイオ州第2の都市です。
クリーブランド美術館の日本美術コレクションは、「GHQの美術顧問」を務めていたシャーマン・リー館長によって形成されたということですがGHQと聞くと その収集の方法が気になるところです。
東京国立博物館とクリーブランド美術館の交流から生まれた展覧会だそうで 50点が里帰りしました。
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第一章 神・仏・人
第二章 花鳥風月
第三章 山水
終章 物語世界
ですが ピカソ、モネ、ルソーなど、西洋絵画の名品も来日しています。
雪村、始興、蘆舟、蕭白に暁斎。人気の絵師の展示が個人的には面白かったです。
燕子花図屏風 渡辺始興筆 は  尾形光琳を慕った始興の代表作なのですが光琳の同名の屏風によく似ているのですが 燕子花の茎が描かれていないことに気付きます。
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雷神図屏風 「伊年」印 は 雷神の顔が・・・(パンフレットから)
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雪村《龍虎図屏風》の虎の顔がユーモラス。
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川鍋暁斎《地獄大夫》 派手であでやか。
割と地味なほうの展示会で 空いているのでゆっくりと見ることができました。
タグ:芸術鑑賞
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2014年01月23日

東京国立博物館本館

東京国立博物館本館そのものが国の重要文化財です。
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今回は目的が国宝 松林図屏風でしたので 本館全体を見て回ることはしませんでした。
入口だけの写真になります。
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東京国立博物館本館  所在地: 台東区上野公園内 
建築年: 昭和12年(1937) 設計: 渡辺仁 施工: 大林組
構  造: 鉄骨鉄筋コンクリート造 地上2階地下2階
特  徴: 洋風のコンクリート建築物に
和風の屋根を載せた帝冠様式の代表作品
ジョサイアコンドルの設計による旧本館が関東大震災で損壊したため設計は公募により再建。
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入口の天井照明
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吹き抜けのエントランス、大理石の階段(ドラマでも見かけます)
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踊場ステンドグラス
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2階から階段手摺です。
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天井には明かりとり。
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階段の照明。
階段付近の写真だけですが とても豪華です。
展示室数が多くとても広いので ところどころに小ホールやテラスの休憩所があります。
その扉や照明などの造作もとても魅力的ですが今回は巡りませんでした。

自在置物―本物のように自由に動かせる昆虫や蛇―

本館 14室  2008年11月18日(火) 〜 2009年2月1日(日)
自在置物とは、主に江戸〜明治に作られた、金属製で出来た生き物の置物で、その足や首などが自在に 動かせます。
この展示もよかったです。
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金工細工の展示もありました。
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特集陳列 / 博物館に初もうで−午年によせて−
本館 特別1室・特別2室 2014年1月2日(木) 〜2014年1月26日(日) 開催中です。
これも駆け足で見てきました。午の関連したものが展示されていました。
本館だけを目的に一日がかりで来るのもいいかもしれません。

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2014年01月22日

国宝 松林図屏風 東京国立博物館

上野東京国立博物館へ行きました。
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東京国立博物館2013年度 あなたが観たい国宝NO.1に輝く 国宝 松林図屏風が特別展示されています。
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本館です。
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本館入口です。
正面の階段からそのまま 本館 2階2室へ行きました。
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第2室「国宝室」 - 国宝1点のみを交替で展示 展示されているのが国宝 松林図屏風です
国宝 松林図屏風  6曲1双 紙本墨画

長谷川等伯筆(はせがわとうはくひつ) 各縦156.8 横356.0 安土桃山時代 16世紀

2014/01/02から2014/01/26まで本館 2室で展示
「草稿ともいわれるが,靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を,粗速の筆で大胆に描きながら,観る者にとって禅の境地とも,わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た。等伯(1539-1610)の画技には測り知れないものがある。彼が私淑した南宋時代の画僧牧谿の,自然に忠実たろうとする態度が,日本において反映された希有の例であり,近世水墨画の最高傑作とされる所以である。」
東京国立博物館説明文
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部屋が暗いのでうまく写りませんが日本美術史上の最高傑作の 一つといわれる国宝「松林図屏風」。
基本的に撮影可ですが フラッシュは禁止。常設で撮影不可なものは表示があります。
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中央に椅子があり たくさんの人が座ってみていました。
初冬の朝靄か雲霧(又は驟雨)がかかる松林の風景を描いた作品.
見ていると 早朝の自然を包む霧の湿り気が感じられ すぅーっと風が吹くような感覚になります。
美しい景色を見ていて飽きないように この絵も見ていて飽きることがないのです。
離れてみれば静かで繊細な絵に見えるのですが 近くでみれば荒々しい筆使いです。
力強い松を書くのに、等伯は藁筆や、使用しても洗わずに固くなった筆を用いたとも言われています。
余分なものを一切描かず 墨の濃淡と筆使いだけで、光の強弱を生み 霞に包まれた松林を描いています。
前から本物を見たかったので 今回見ることができてよかったです。
「松林図屏風」は、目には見えない湿り気や風を感じます。これが本物を見るということなのですね。

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2014年01月21日

神楽坂散歩17 神楽坂仲通り

神楽坂仲通りです。いよいよ今回の神楽坂散歩も終わりです。
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神楽坂仲通り(かぐらざかなかどおり)

神楽坂仲通りは、神楽坂下から神楽坂を上がり右側に曲がり大久保通りに抜ける横道です。
神楽坂通りは逆転式一方通行という交通規制があります。午前と午後で一方通行の向きが変わります。
正午一時間のランチ・タイムは歩行者天国です。
神楽坂仲通り商店会という商店会があり飲食店が多いからでしょうね。
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神楽坂仲通りを軽子坂のほうに少し戻ります。
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神楽坂仲通りから見た かくれんぼ横丁です。
かくれんぼ横丁の石畳は兵庫横丁の石畳と同じデザインの石畳です。
かくれんぼ横丁は、神楽坂仲通りと兵庫横丁を結ぶ横丁で、「お忍びで遊びに来た人を後ろからつけてきても横に入られるとわからなくなる」ところから名付けられた横丁です。 花柳界の雰囲気を今も残している場所です。
石畳や黒塀、趣向を凝らした建築など江戸情緒を残しています。
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神楽坂仲通りから早稲田通りに戻ります。
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飯田橋駅西口で 今回の神楽坂散歩は終わりです。
次の機会にはは 矢来町 や赤城神社方面を散歩しようと思っています。

タグ:神楽坂
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2014年01月20日

神楽坂散歩16 芸者新道

本多横丁側から入った芸者新道です。
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芸者新道は、神楽坂に待合や置屋、料亭が集まっていた頃の花柳界の名残を名に残す路地です。
本多横丁から神楽坂仲通りに抜ける道です。まっすぐで緩やかな坂になっています。
この芸者新道は、明治時代にできた道で、芸者さんたちが近道に利用することが多かったそうで 「ロクハチ通り」と呼ばれたこともあるそうです。料亭の一回目の開始が後6時で、二回目が8時からだったことに由来するそうです。
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途中で見かけた 日本初のシードルバーの文字。
シードル(りんごの発泡酒)で 林檎を発酵させて造られるアルコール飲料。
元料亭を改装した建物で2012年秋オープンのBARレストランだそうです。
その先を行くと 仲通りにぶつかる手前に越前そばの旗がありました。
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これはもう入らねば・・と昼食タイム。
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落ち着いた和風な感じで 広いです。
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越前おろしそばをいただきました。
店主の原崎さんと同郷のよしみでお話しました。
勝山の生まれで平泉寺や奥越のことなどなつかしく話してくれました。
数年前にこの神楽坂で開業したそうです。もちろん越前のそば粉を自ら手打ちしているそうです。
日本橋の清恵さんの蕎麦より細めで江戸風でした。
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神楽坂 九頭龍蕎麦 新宿区神楽坂3−3
角地で この先は神楽坂仲通りです。
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神楽坂の矢来公園辺りには江戸時代当時4万坪の広大な敷地を有していた、若狭小浜藩邸がありました。
福井と神楽坂はご縁があり 福井IN神楽坂のイベントなどが行われています。
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2014年01月19日

神楽坂散歩15 本多横丁

兵庫横丁から本多横丁に入ります。
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本多横丁 新宿区神楽坂3丁目と4丁目の間
本多横丁は、「神楽坂最大の横丁」と言われ、飲食店を中心として50軒以上の店舗が軒を連ねています。
お蔦さんの神楽坂日記 :西條 奈加(著)この本は本多横丁に住む僕とお蔦さんの物語です。
もと芸者でいまでも粋なお蔦さんは、神楽坂・本多横町 で履物店を営んでいるという設定。 人情味あふれる内容。粋なお蔦さんの姿が書いてありとても面白いです。シリーズ本です。 この影響で神楽坂を散歩してみました。
由来を書いた説明板がありました。
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本多横丁

 その名の由来は、江戸中期より明治初期まで、この通りの東側全域が旗本の本多家の邸地であったことによる。御府内沿革図書第十一巻切絵図説明に、本多修理屋敷脇横町通りとあり、往時は西側にも武家屋敷の立ち並ぶ道筋であった。なおこの本多家は、碌高1万5百石をもって明治を迎えた大名格の武家と伝えられる。
 神楽坂界隈は明治以降、縁日と花柳界で知られる商店街として発展し関東大震災後より昭和初期には、連日の夜店が山の手銀座と呼ばれる賑わいをみせ、この横町も、多くの人々に親しまれるところとなった。
 後の太平洋戦争末期には、この地も空襲により焼土と化したが、いち早く復興も進み、やがて本多横丁の旧名復活を期して商店会発足となった。
 石畳の路地を入れば佳き時代の情緒を伝え、また幾多の歴史を秘めて個性豊かな商店通りとして歩みを続けている。
 昭和60年(1985)7月 本多横丁商店会
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ここを進むと 右側(西側)に路地が2つならんありました。
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見返り横丁。旅館「和可菜」の裏で袋小路になります。
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見返し横丁。見返し横丁は見返り横丁よりも新しく出来て、言葉のあやでついた名だそうです。
ここも先は袋小路です。
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本多横丁の東側に行くのは2本の路地があります。これは芸者新道です。
もうひとつは「かくれんぼ横丁」です。
ここから 芸者新道に入っていきます。

タグ:神楽坂
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2014年01月18日

パテックフィリップ展 聖徳記念絵画館

割り込み記事ですが 昨日17日明治神宮外苑 聖徳記念絵画館へ特別企画『パテックフィリップ展〜歴史の中のタイムピース〜』を見に行こうとでかけました。
途中山手線が急停車したりして電車に閉じ込められたり 何やら先行き不安が・・・・
信濃町駅から神宮外苑へ行く人が多い。。。。まぁ少し待ってもしかたないか だって3日間しか開催されないのだから・・と思いつつ歩きます。
聖徳記念絵画館について 唖然!声もでないくらい驚きました。
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テントがいくつも並んでいて ぐるり取り巻く長蛇の列!
黒くアリさんのように見えるのは人の行列です。
近寄ってみると なんと”整理券”を貰うだけで並んでいる人たちの行列なのです。
それも2時間ほどあとの15:00からの整理券です。という表示がありました。
誰も何もいわず整然と整理券をもらうために並んでいる姿が日本人らしいと言えばそうなんですが なんとなく痛々しい。
整理券もらって チケット買って入場できるのはいったい何時なんですか?と問い詰めたい気分になります。
17:00まで 入場はその30分前とあるのに 見れるのか・・という疑念がわきました。
天気がよく穏やかな日でよかったですが 雨風などというった日には運営者はどう対応するんだろうと・・よからぬ心配を・・
17日〜19日の3日間しかも 土日となれば 初日より混むかも。
もっとなんとかならなかったのだろうか・・とあまりの混雑ぶりに おそれをなしてみることを諦めました。
諦めは早いほう。こうなったら美味しいものでも食べて帰ろうと開き直り その場を立ち去りました。
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2014年01月17日

神楽坂散歩14 兵庫横丁

もっとも神楽坂らしい場所と言われる神楽坂・兵庫横丁に入ります。
兵庫横丁は、風情ある石畳、黒塀 文人たちに愛された町屋づくりの落ち着いた料亭などが並ぶ 歩行者専用の路地です。
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この兵庫横丁は、神楽坂界隈の最も古い道で、鎌倉時代からの鎌倉古道で、当時の要衝だったそうです。
要衝とは、軍事・交通・産業の上で大切な地点の意味。「つわもぐら」と呼ばれました。
兵庫とは「兵=つわもの、庫=ぐら」のことで、「兵器を納めておく倉、すなわち、兵器庫」で武器商人の町であったことからついた名。
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さらに進むと道幅が狭くなり段差もあります。
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石段にしゃがむ老女はかけた石畳をもとに戻していました。
大切な文化遺産ですものね。町の人も守っているのでしょうね。
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石段、石畳や料亭が並ぶこのあたりは 撮影スポットですし映画やテレビのロケでも使用される風情あるところです。
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「神楽坂 幸本(よしもと)」です。
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反対側に「旅館 和可菜」脚本家、小説家御用達の旅館で 山田洋次、野坂昭如、色川武大などなどの作家がここでカンヅメになっては
原稿を上げたそうです。何でも女将さんは女優「木暮美千代」さんの実姉ということです。
ランチも食べることができるみたいでした。メニューを見る若者が・・・
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黒塀と石畳と緑。風情ある兵庫横丁でした。ここだけでも神楽坂に来た満足感にひたれます。
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タグ:神楽坂
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2014年01月16日

神楽坂散歩13 寺内公園

安養寺を出て神楽坂上の交差点を大久保通りを少し行くと高層マンションがあります。その手前の細い路地を入ります。
とても細い道で高層マンションの脇です。そこに小さな公園があります。
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寺内公園(じない)
です。新宿区神楽坂5−43
この公園は高層マンションに隣接するだけではなく、ごく普通のアパートや、石畳の敷かれる神楽坂路地裏的料亭とも隣接しています。
なんとも言えない雰囲気で 隣にそびえる高層マンションのほうが場違いな気がします。
かっての花街 料亭の華やかな時代 そして 民間アパートや住宅がひしめき合った時代 現在の高層マンションと3つの時代を見ることができます。
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鱗張り(扇の文様)石畳 大きな板を置いた庭園風 そしてアスファルト舗装とこれまた3つの顔をもっている公園です。
寺内公園の一帯は鎌倉時代の末から「行元寺」という寺が置かれていました。
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寺内公園の由来
この「寺内公園」の一帯は、鎌倉時代の末から「行元寺」という寺が置かれていました。御本尊の「千手観音像」は、太田道灌、牛込氏はじめ多くの人々が信仰したと伝えられています。寺の門前には古くからの町屋「兵庫町」があり、3代将軍家光が鷹狩りに来られるたびに、兵庫町の肴屋が肴を献上したことから「肴町」と呼ばれるようになりました。
 江戸中期の天明8年(1788)、境内の東側が武家の住まいとして貸し出されるようになりました。この中に、貸地通行道(後の区道)という、人がやっとすれ違える細い路地がありました。安政4年(1857)頃、この一部が遊行の地となり神楽坂の花柳界が発祥したと伝えられています。明治4年(1871)には、行元寺と肴町を合わせて町名「牛込肴町」となりました。(昭和26年からは「神楽坂5丁目」になっています。)
 行元寺は、明治40年(1907)の区画整理の際、品川区西五反田に移転し、大正元年(1912)に大久保通りができました。地元では、行元寺の跡地を「寺内」と呼び、味わい深い路地のある粋な花柳街として、昆沙門さまの縁日とともに多くの人々に親しまれ、山の手随一の繁華街として賑わっていました。
 文豪、夏目漱石の「硝子戸の中」大正4年作(1915)には、従兄の住む寺内でよく遊んでいた若き漱石の神楽坂での思い出話がでてきます。また、喜劇王・柳家金語楼と歌手・山下敬二郎の親子や、女優・花柳小菊、俳優・勝新太郎、芸者歌手・神楽坂はん子などが寺内に住んでいました。このように多くの芸能人や文士に愛された「寺内」でもありました。
 日本経済のバブル崩壊後、この一帯は地上げをうけましたが、その後の高層マンション建設に伴って、区道が付け替えられ、この公園ができることになりました。公園内には、地域の人たちのまちへの思いやアイデアが多く盛り込まれています。
 いつまでも忘れることのない歴史と由緒あるこの地の思い出をこの「寺内公園」に託し、末永く皆様の思い出の場として大切に護り育てましょう。 平成15年3月吉日  新宿区
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広大な土地を持っていた行元寺は、江戸時代に寺の境内を町屋や遊興の場所として賑わっていました。
町屋が増えるにつれ、町並みが迷路のように複雑になっていったとのことです。
公園の先は石段があり細い石畳となっています。
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「クランク坂」と呼ばれる曲がりくねった道です。
振り袖火事で府内から移転してきた多くの武家屋敷で活気にあふれ、遊興の場所として花街ができます。この行元寺境内(現在の神楽坂5丁目あたり)が神楽坂花柳界の発祥の地といいます。
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ここから先 兵庫横丁に入っていきます。
道はさらに細くなっていきます。

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2014年01月15日

神楽坂散歩12 安養寺〜瓢箪坂

神楽坂散歩9の地蔵坂から神楽坂通りに出て神楽坂上の交差点まで歩きます。
大久保通りの神楽坂上交差点の向こうにあるのが安養寺です。
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医光山 長寿院 安養寺 (通称:神楽坂聖天・江戸観音16番) 東京都新宿区神楽坂6-2
安養寺左門には、大聖歓喜天王。安養寺右門には本尊薬師如来 天台宗と刻まれています。
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門を入りすぐの建物は聖天堂で、神楽坂聖天の名で知られる聖天さま(大聖歓喜天)が祀られています。
札所本尊の十一面観音は、聖天さまの本地仏として聖天堂内に祀られています。
安養寺は天正十九(1591)徳川家康公築城の際に、城内平川口より田安へ移転し、天和三年(1683)四月、神楽坂に移転したそうです。
薬師瑠璃光如来が鎮座する本堂は一階玄関手前の階段を上がったところ。
薬師如来 (やくしにょらい)は、東方浄瑠璃界の教主で、その名の通り医薬を司る仏。医王という別名。
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洗心宝生水・宝生弁財天
門を入って右側、聖天堂手前に祀られているのが宝生弁財天。緑の蔦に囲まれていて見えにくいです。
銭洗い弁天で 水盤の洗心宝生水の水でお金を洗います。
「洗心、賽生水」と刻まれた石柱があります。
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安養寺の右側の路地を入るとこんな石段が・・・
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実はこんな坂道です。瓢箪坂といいます。東京都新宿区白銀町 
瓢箪坂は白銀公園から大久保通り方向に向かう坂で 坂上の正面に見えるのが白銀公園です。
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瓢箪坂
瓢箪坂の坂上にある瓢箪坂説明柱には「坂の途中がくびれているため呼ばれるようになったという」と書かれています。
その他に近辺に瓢箪がなっていたとする話や、急坂のため通行人が瓢箪をお守り代わりにしたとする話もあります。
坂を下り再び交差点に戻ります。
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2014年01月14日

神楽坂散歩11 日仏学院

外堀通りに出て 少し行き右に曲がると高台に日仏学院の建物が見えます。
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アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)はフランス政府の公式機関。新宿区市谷船河原町15
フランス文化発信拠点。フランス語学校を中心に、図書室、映画館、ショップ、レストランを備えています。
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設計は近代日本建築の草分け、そしてコルビジェの弟子、坂倉準三。1950年頃の作品だそうです。
二重螺旋構造の塔を配した建物とのことですが内部は見ていません。
アンスティチュ・フランセ東京(日仏学院)に入る脇に小さな神社「築土神社」があります。
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九段にある「築土神社」の一番遠い氏子に当たるため飛地社として造られたようです。
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「堀兼の井」という説明板があります。
「掘兼の井」とは、井戸を掘ろうとしても水が出ない井戸とか、水が出ても掘るのに苦労した井戸という意味である.
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所在地  新宿区市谷船河原町九番地

 掘兼の井とは、「掘りかねる」の意からきており、掘っても掘ってもなかなか水が出ないため、皆が苦労してやっと掘った井戸という意味である。掘兼の井戸の名は、ほかの土地にもあるが、市谷船河原町の掘兼の井には次のような伝説がある。
 昔、妻に先立たれた男が息子と二人で暮らしていた。男が後妻を迎えると、後妻は息子をひどくいじめた。ところが、しだいにこの男も後妻と一緒に息子をいじめるようになり、いたずらをしないようにと言って庭先に井戸を掘らせた。息子は朝から晩まで素手で井戸を掘ったが水は出ず、とうとう精根つきて死んでしまったという。 平成3年十一月 東京都新宿区教育委員会
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すぐ横の坂は 逢坂です。
昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになった。
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奈良時代の昔、都から小野おのの美作吾みさごという人が武蔵国の国司として赴任しました。そこで、美しいさねかずらという名の娘と出合い、二人は相愛の仲に。美作吾に帰還の命令が出て、やむなく都に帰って、死亡しています。さねかずらは美作吾の霊とこの逢坂の上で再会しましたが、生き甲斐を失い、坂下の池に身を投げて死んだといいます。
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2014年01月13日

神楽坂散歩10 東京理科大学近代科学資料館

再び飯田橋です。
飯田橋西口、外堀通り沿いには東京理科大学があります。
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外堀通り西端に建つ1号館脇の細い坂に入ると、左手にグクラシックな外観の建物があります。
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「近代科学資料館」です。
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東京理科大学近代科学資料館 東京都新宿区神楽坂1-3
東京理科大学近代科学資料館は,東京理科大学創立110周年を記念して,1991年(平成3年)に建設されました。
外観は明治39年に建設された東京理科大学の前身である東京物理学校の木造校舎を復元しています。
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副称は、二村記念館
展示物は、東京物理学校(東京理科大学の前身)から引き継がれ、保存された資料や寄贈資料。
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常設展示
(1)計算機の歴史:算木,ネーピアの算具,そろばん,計算尺,手動計算機,電気計算機,電卓,機械式微分解析機,リレー計算機,電子計算機,マイコン,パソコンなど
(2)録音技術の歴史:エジソン蓄音器,ベルリナー蓄音器,初期のテープレコーダーなど
(3)東京物理学校の歴史:創設期の資料,昔の理数教科書,実験器具など
初期のころのパソコンやファミコン、なつかしい電卓らテープレコーダー 計算機やタイプライターなどが並んでいました。
江戸時代の和算書から始まり、多くの算木が並んでいました。江戸時代の そろばんは見ものです。
日本人って 計算力はどこよりすぐれているのも昔からこういうものを使っていたのだと感心しました。
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もらった パンフレットの表紙もこの写真でしたが これは玄関前に飾られていたものです。
空の斜めの線が宇宙ステーションの軌跡だそうです。
外堀通りから 庚嶺坂を眺め次の日仏学院に向かいます.

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2014年01月12日

銀座散歩ーセルペンティ・朝日稲荷・神宮の森

日本橋からメトロリンク日本橋(無料バス)に乗り 京橋駅から銀座へと向かいました。
ひときわ目立つのが 「ブルガリ銀座タワー」に巻きつく蛇を模したイルミネーション。
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ヘビは同ブランドの「セルペンティ」の名で知られるおなじみのモチーフ。10階建てのビルを囲むように輝いています。
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ブルガリ銀座タワーをぐるりと囲むように設置されていて 圧巻!夜はきれいでしょうね。
少し先の銀座松屋の角をまがるとビルの片隅に朝日稲荷神社があります。
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朝日稲荷神社 中央区銀座3-8-10
中央区銀座にある稲荷神社です。銀座八丁神社めぐりの一社。朝日稲荷神社の創建年代等は不詳ですが、安政大地震で社殿が倒壊してから放置されていたといいます。関東大震災で三十間堀の堀底が隆起し、神璽が現れたことから社殿を再建したといいます。
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ビルの一角の小さなスペースで、一・二階部を吹き抜けにしてあります。
実は本殿はこのビルの屋上にあります。
拝殿と本殿が離れた場所にあるので拝殿前に備えられたマイクで収録したリアルタイムの音声を、屋上本殿前に設置されたスピーカーで流しているそうです 。願い事もリアルタイムで本殿に届けられるらしいのですが・・・・。
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少し先の角を曲がると(ちょうど松屋の裏)キヤノンギャラリー銀座です。
東京都中央区銀座3-9-7
キヤノンギャラリー銀座で開催中の写真展を見ました。
「神宮の森」〜日本人のこころ〜「神宮の森」〜日本人のこころ〜森 武史
会期:2014年1月6日(月)〜 1月15日(水)
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あまり宣伝していないので 知る人ぞ知るという感じです。おいてあった絵葉書の写真です。
森武史氏のライフワークとして撮影を続ける、「神宮の森」。伊勢神宮周辺の山々に広がる神聖な場所の自然な姿を見ることができました。
見ているだけで 神秘的で神々しい神宮の森が感じられました。
まさに 日本が日本人の心がそこにありました。
2014年版キヤノンカレンダー写真作家に選出されたそうです。
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2014年01月11日

「星星會展 日本画の伝統と未来へ」日本橋高島屋

日本橋高島屋で開催中の「星星會展 日本画の伝統と未来へ」を見てきました。
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■1月2日(木)→13日(月・祝)
■日本橋高島屋8階 ホール
星星會展は、2005年に第1回を開催し、以降隔年で展覧会を開催。8年間の活動を経て第5回展をもって完了するグループ展です。
星星會、5回全ての作品が一堂に会す巡回展で5回分の約80点が展示されています。
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星星會の掉尾を飾る記念展となります。
出展メンバーは下田義ェ、竹内浩一、田渕俊夫、牧進の四氏で、自由な立場で創作活動に邁進し、新作の大作を中心に発表しています。同世代の作家がその所属団体を越えて活動し、緊張感を持って新たな日本画の世界に挑戦する非常に意欲的な会です。
「小さな星でも切磋琢磨によって大きな星として輝くようになる」ことを願い 故山辰雄先生は「星星會」と命名したそうです。
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竹内浩一氏の動物を描く 表情豊かな絵からはじまります。淡い絵なのですが 動物がどこか人間に似ていて親しみやすい絵でした。
白っぽい画面に、墨で描いています。それがまた 奥が深いというか動物を通して語りかけているような絵です。
私は とても好きです。
下田義寛氏の富士は雄大でなおかつ穏やかで 自然そのままで空気さえ感じられました。
田淵俊夫氏は風景画中心。なつかしさを感じさせる 滝、紅葉の山、水田。人間の営みの風景なのですが人は登場しません。この人の展示会は以前にもみましたが 今回のほうがずっといいです。
田淵俊夫展ーいのちの煌めき: 松涛美術館

http://umeno87.sblo.jp/article/57070655.html
牧進氏は日本の四季折々の美しさを描いた風景画を多く描いている。瞬間を描いているように思う。風 花弁 トンボ・・・たしかに存在したその時を描いているのかな。泳ぐ鯉。水の中の大小の小石。透明感があってまるで今にも動きそうな鯉です。
こんなにたくさんの日本画の大作を見ることができてよかったです。
しかも ゆったりとしたスペースで 人に邪魔されず 近くから少し離れたところからとみることができました。
離れてみると 絵が浮き上がっていてまさにそこに何かがあるような感じがしました。
6階のギャラリー(画廊)に小作品が展示してありましたが これだけの絵を見たあとでは 売り物として描かれた絵はつまらなかったです。
外に出ると高島屋のショーウィンドウは星星會の絵でした。
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ガラスに反射して うまく見えませんが・・・・こんな風でした。

タグ:芸術鑑賞
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2014年01月10日

神楽坂散歩9 地蔵坂

道路をはさんで光照寺の前は 新暦調御用所(天文屋敷)跡です。
現在は日本出版クラブ会館です。
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この敷地に大きな銀杏の木があります。
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戦災で生き残った銀杏の木だそうです。
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この前の通りは 地蔵坂といいます。
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地蔵坂
この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それにちなんで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。
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わらだな横丁
光照寺の子安地蔵が信仰を集めた。また境内に住む狸が地蔵に化けて、夜な夜な坂を通る人を脅かしたということから命名された。また、藁を商う店が多かったことから、その一帯は藁店(わらだな)横丁とも呼ばれる。
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地蔵坂を下ると 神楽坂通り(早稲田通り)に出ます。
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ここまでの経路です。
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神楽坂下から神楽坂上までの 神楽坂通り南側を歩きました。
タグ:神楽坂
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2014年01月09日

神楽坂散歩8 光照寺

宮城道雄記念館から地蔵坂にむかう途中に光照寺があります。
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光照寺は、慶長年間創建で、正保年間にここに移ってきたと言う増上寺系列の浄土宗寺院ですが 入口に牛込城跡という説明板があります。
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牛込城跡    新宿区登録史跡 所在地 新宿区袋町15番地 登録年月日 昭和60年12月6日
「光照寺一帯は、戦国時代この地域の領主であった牛込氏の居城があったところである。
堀や城門、城館など城内の構造については記録が無く、詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。
牛込氏は赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532〜55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。
天文24年(1555年)重行の子の勝行は姓を牛込氏と改め、赤坂、桜田、日比谷付近も含めて領有したが、天正18年(1590年)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は取り壊される。
現在の光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきたものである。
なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国旅人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。
平成7年8月 東京都新宿区教育委員会」
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本殿。牛込城跡の面影は残っていない。
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木造地蔵菩薩坐像
所在地 新宿区袋町15番地
登録年月日 平成9年3月7日
寄木造り、黒漆塗り。像高31センチ。13世紀末(鎌倉時代)の作品で区内でも最も古い仏像彫刻のひとつである。寺伝によると、この像はもともと近江国三井寺にあり、後宇多天皇の皇后が弘安年間(1278〜88)に、後の後二条天皇を出産する際、難産であったため、この像に祈ったところから「泰産地蔵」と呼ばれたという。江戸時代には芝増上寺に移され、正徳年間(1711〜16)に増上寺の末寺である光照寺に安置され「安産子育地蔵」として信仰をあつめた。光照寺前の地蔵坂はこの像に因むものである。

木造十一面観音坐像
登録年月日 平成9年3月7日
一木造り、白木仕上げ。像高70センチ。18世紀末(江戸時代後期)の作品で作者は木食明満である。
明満(1718〜1810)は、円空とならび称される像仏聖で、全国を旅して鉈(なた)彫りの仏像を約千体彫ったと伝えられる。新宿区教育委員会 平成9年5月
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阿弥陀三尊来迎図
新宿区指定有形文化財 絵画
所在地 新宿区袋町15番地
指定年月日 平成10年2月6日
絹本着色、木製の板に貼り付けられた状態で厨子に納められている。
縦102.2センチ、横39.4センチ(画像寸法)。
場面左上から右下に向かって、阿弥陀如来が観音・勢至の二菩薩を従えて来迎する(臨終の床についた者を極楽に迎えるために降りて来る。)様子を描いたもので14世紀後半(室町時代)の作品と推定される。

法然上人画像
新宿区指定有形文化財 絵画指定年月日 平成10年2月6日
絹本着色、掛軸装されている。縦89.5センチ、横41.3センチ(画像寸法)。
浄土宗の宗祖法然上人の肖像で15世紀後半(室町時代)の作品と推定される。
平成10年3月
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光照寺の供養塔
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海ほうずき供養塔
昭和16年に東京のほうずき業者が立てたもの。
海ほうずきは大きな貝の卵のことで卵のまず袋に小さな切れ目を入れて、中身を洗い流し、きれいに乾かしてから口に含み、「ブーブー」と鳴らして遊ぶものだという。神楽坂の縁日で飛ぶように売れたため業者が供養しました。
この辺りはかなりの 高台で江戸の後期には天文台が置かれた事もあったという場所です。

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2014年01月08日

神楽坂散歩7 宮城道雄記念館

毘沙門天から来た道を戻ります。
ちょっとした路地にも石畳があります。
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老舗「割烹 加賀」
の角を右に曲がります。「笑門」のしめ飾りです。
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少し行くと アンティークなお店の窓に帽子の型が見えました。
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帽子デザイナー・ヨネダマキさんのお店だそうです。新宿区若宮町11
どんどん歩いて 住宅街に入ったところにある中町公園へ。
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普通の児童公園ですが 都会の真ん中の公園にしては緑が多いです。
このあたりは以前は、牛込徒町(うしごめかちまち)と呼ばれていたそうです。徒歩で戦う武士のことを徒士(かち)と呼んでいたそうです。
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公園の向かい側に 大きな石碑があります。
宮城道雄氏の記念石碑です。
筝曲の演奏家であり、「春の海」をはじめ、多数の名曲の作曲家として知られた、宮城道雄。
彼の偉業を記念し昭和53年「宮城道雄記念館」が建てられました。
音楽家の記念館としては、日本で最初のものです。
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宮城道雄記念館 東京都新宿区中町35
宮城道雄の偉業を顕彰するとともに、今後の日本音楽の発展に寄与するため、昭和53年(1978)12月6日、故人が晩年まで住んでいた敷地に建設された、日本で最初の音楽家の記念館です。目で見る展示のほか、耳で聴く設備などがあります
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この記念館の中には宮城道雄記念館検校の間があります。
国登録有形文化財(建造物)
昭和前 木造平屋建、瓦葺、建築面積21u 東京都新宿区中町34-1
「敷地の西北隅に位置する。木造平屋建、建築面積21uの小規模な建物。寄棟造桟瓦葺とし、東・南面には深い庇を出し、外観に陰影を与える。6畳の主室には西面中央にトコ、その両脇に琵琶トコと違棚を構える。洗練された意匠をもつ瀟洒な書斎。」
昭和23年建築。昭和30年移築。(記念館開館中は外観のみ公開)

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2014年01月07日

神楽坂散歩6 毘沙門天(善國寺)2

毘沙門天は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったことから、寅毘沙と呼ばれる そうです。
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新宿区指定有形民俗文化財 所在地 新宿区神楽坂5丁目36番地
 指定年月日 平成21年11月6日
新宿区指定有形民俗文化財 善國寺の石虎いしとら
 安山岩製の虎の石像で、像高は阿形あぎょう(右)が82センチ、吽形うんぎょう(左)は85センチで、台石、基壇部も含めた総高は、両像ともに2メートルをこえる。台石正面には浮彫があり、虎の姿を動的に表現している。
 嘉永元年(1848)に奉納されたもので、阿形の台石右面には、「岩戸町一丁目」「藁店わらだな」「神楽坂」「肴町さかなまち」などの町名と世話人名が刻まれ、寄進者は善國寺周辺の住民であったことがわかる。石工は原町の平田四郎右衛門と横寺町の柳村長右衛門である。
 善國寺は毘沙門天信仰から「虎」を重視し、石虎の造立も寄進者らの毘沙門天信仰によると考えられる。また、台石に残された寄進者名や地名は、江戸時代後期における善國寺の毘沙門天信仰の広がりを示している。
 石虎は都内でも珍しく、区内では唯一の作例である。戦災による傷みが見られるが、貴重な文化財である。
 なお、阿形の台石正面にある「不」に似た刻印は、明治初年のイギリス式測量の几号きごう水準点で、残存している数は全国的にも少ない。 平成21年12月  新宿区教育委員会」
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概要 嘉永元年(1848年)、町内題目講中によって寄進された。
造立年は不明。
石虎は都内でも珍しく、区内では確認できる唯一の作例である。
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阿吽一対で所在。
像高は阿形が82.0cm、吽形が85.0cm 
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本堂左に浄行菩薩があり、身代わり菩薩としても知られています。
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柄杓で水をかけてお願い事をします。
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またその奥に出世稲荷があります。
明治末期に境内に出世稲荷があることから、縁日が開かれるようになり、「神楽坂の毘沙門様」として賑わいました。東京で縁日に夜店が出るようになったのは、ここが発祥といいます。。
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藤棚があるので 花の咲くころは優雅な景色になることでしょうね。

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2014年01月06日

神楽坂散歩5 毘沙門天(善國寺)1

神楽坂から若宮八幡神社を通り外堀通りに繋がる庚嶺坂(ゆれいざか)を神楽坂通りのほうに戻ります。
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この標柱の前にあるのが毘沙門天(善國寺)です。
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毘沙門天(善國寺) 新宿区神楽坂5-36
朱色の門、朱色の本堂で目立ちます。
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この毘沙門天善國寺は桃山時代末の文禄四(一五九五)年に創設された寺で歴史があります。
お寺の位置は変遷しており、江戸中期の寛政4(1792)年に移転してきた日蓮宗池上本門寺の末寺です。
神楽坂の中心として親しまれ境内にある毘沙門天(寅の日)と出世稲荷(午の日)の2つの縁日で賑わい、年に4回寅の日に本尊の毘沙門天像(区文化財)が開帳(一般公開)されます。新宿七福神のひとつ。
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毘沙門天善國寺は昭和二十年の東京大空襲でも失われましたが、昭和二十六年に再建されたそうです。
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毘沙門天像の解説板 があります。
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「新宿区指定有形文化財 彫刻 善國寺毘沙門天像
所在地 新宿区神楽坂5丁目36番地 指定年月日 昭和60年7月5日

 「神楽坂の毘沙門さま」として、江戸時代より信仰をあつめた毘沙門天立像である。
 木彫で像高30センチ、右手に鉾、左手に宝塔ほうとうを持ち、磐座いわざに起立した姿勢をとる。造立時期は室町時代頃と推定されるが、詳しくは不明である。加藤清正の守まもり本尊ほんぞんだったとも、土中より出現したともいわれる。
 善國寺は、文禄4年(1595)徳川家康の意を受けて日惺上人により創建された。この像は、日惺上人が鎮護国家の意をこめて当山に安置したもので、上人が池上本門寺に入山するにあたり、二条関白昭実公より贈られたと伝えられる。
 毘沙門天は、別名を多聞たもん天と称し、持国じこく天・増長ぞうちょう天・広目こうもく天と共に四天王の1つである。寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に世に現れたといい、北方の守護神とされる。
 善國寺の毘沙門天は、江戸の3毘沙門と呼ばれ、多くの参詣者を集め、明治・大正期には東京でも有数の信仰地として賑わった。現在も、正月・五月・九月の初寅の日に毘沙門天を開帳し、賑わいを見せている。
   平成21年12月    新宿区教育委員会」
もうひとつの 新宿区指定有形文化財 は石虎です。次に見てみます。

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2014年01月05日

亀戸浅間神社の茅の輪

割り込み記事ですが 本日 亀戸浅間神社の茅の輪をくぐってきました。
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夏にくぐれなかったので 新年はぜひくぐりたいと思っていました。
亀戸浅間神社の茅の輪のブログ記事はこちらです。
http://umeno87.sblo.jp/article/70276266.html
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関東一と言われるおおきな 茅の輪を 左 右 左とくぐりぬけました。
茅の輪は「亀盛睦会」の会員のかたたちが 旧中川の河川敷でカヤを刈り取り細竹の輪を芯にしてカヤの束を巻き付け、その上から荒縄で縛り作り上げたそうです。
大晦日午後5時より年越しの大祓い神事を斉行、その後、一旦くぐりを止めて、新年午前0時よりくぐれました。茅の輪解体は1月6日です。
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社殿です。東京都江東区亀戸9丁目15−7
亀戸浅間神社の詳細は 梅の華ブログ 1にあります。
http://umeno87.sblo.jp/article/69509802.html
この日から数回に分けて書いています。

タグ:神社・寺院
posted by うめのはな at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 江東区

神楽坂散歩4 庚嶺坂〜若宮公園

神楽坂若宮八幡神社から外堀通りに繋がる庚嶺坂(ゆれいざか)です。
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庚嶺坂を外堀通りから見ています。庚嶺坂は若宮八幡神社神社から毘沙門天(善国寺)まで続く 神楽坂界隈の路地の類では最大級の長さを誇る坂です。
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庚嶺坂(ゆれいざか) 案内柱 より
「江戸初期この坂あたりに多くの梅の木があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、 他にも坂名の由来は諸説あるという(『御府内備考』)。
別名「行人坂」「唯念坂」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。」
この坂の近くに 区立若宮公園があります。
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若宮公園は、江戸の武家屋敷の面影を残し、冠木(かぶき)門や 白壁、石段があります。
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江戸の武家屋敷のイメージで作られた公園です。
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白壁に囲まれた公園の隅に大きな石が置かれていました。
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和風な公園です。しかし 若宮公園の地下には、新宿区の防災緊急品ストックヤードが設けられているそうです。
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若宮公園内の案内板 区立若宮公園 若宮町20
「江戸時代の通称「振袖火事」(1657年)以降、雑木林や草原であった牛込地区に武家が移り住み、武家屋敷中心の町が形成された。 敷中心の町が形成されたました。したがってこの公園は江戸時代の牛込を思いおこされる武家屋敷をイメージした 和風広場公園として整備しました。」

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2014年01月04日

神楽坂散歩3 神楽坂若宮八幡神社

小栗横丁から若宮神社に行きました。
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神楽坂若宮八幡神社(かぐらざかわかはちまんじんじゃ)新宿区若宮町18
祭神:仁徳天皇、応神天皇 境内社:長喜火防稲荷神社
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神楽坂若宮八幡神社は鎌倉時代の文治五年秋、右大将源頼朝公が奥州の藤原泰衡を征伐するため発向し、その時この場所で下馬宿願し奥州平治の後、鎌倉・鶴岡の若宮八幡宮を分社したものとの事です。
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境内設置説明板
「神楽坂若宮八幡神社縁起録
 若宮八幡神社は鎌倉時代に源頼朝公により建立された由緒ある御社で
  御祭神 仁徳天皇 応神天皇
当社の御由来は
若宮八幡宮は若宮坂の上若宮町にあり(或は若宮小路ともいへり)別当は天台宗普門院と号す 傳ふに文治五年の秋右大将源頼朝公奥州の藤原泰衡を征伐せんが為に発向す其の時当所にて下馬宿願あり後奥州平治の後当社を営鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を移し奉ると云へり(若宮は仁徳天皇なり後に応神天皇に改め祭ると云ふ)文明年間太田道灌江戸城鎮護の為当社を再興し社殿を江戸城に相対せしむるなり当社は文明の頃迄は大社にして神領等あり美れいなりしという。
神域は黒板塀の神垣南に黒門あり門内十歩狛犬一対(明和八年卯年八月奉納とあり)右に天水釜あり拝殿は南に面する瓦葦破風造梁間桁行三間向拝あり松に鷹象頭に虎を彫る「若宮八幡神社」の横額源正哥謹書とあり揚蔀(アゲジトメ)にて殿内格天井を組み毎格花卉を描く神鏡晶然として銅鋼深く鎭せり以て幣殿本社に通ず本社は土蔵造りなり。
本殿東南に神楽殿あり瓦葦梁間二間桁行二間半勾欄付「神楽殿」の三字を扁し樵石敬書と読まる背景墨画の龍あり落款梧堂とあり境内に銀杏の老樹あり。
明治二年神佛混淆の禁令あるや別当光明山普門院(山州男山に同じ)復飾して神職となる。
例大祭は九月十五日 中祭五月十五日 小祭一月十五日に行はれ社務所は本社の東に在り 現在氏子は若宮町神楽坂一丁目二丁目三丁目の四ヶ町なり」
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狛犬さん
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手水舎
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境内社の、長喜火防稲荷神社。建物のガラス越しに祠やお供え物が見えます。
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神社全体が新しく、社殿の下は駐車場で高い位置に社殿があるため 道路からよく見えます。
明治20年ごろでは、若宮小路があったそうです。
若宮八幡神社と外堀通りを結ぶのが庚嶺坂(ゆれいざか)です。
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2014年01月03日

神楽坂散歩2 見番横丁〜石畳

伏見稲荷火防神社の隣に 青い標柱があります.
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見番横丁。
標柱にはには次の通り記載されています 。
[芸者衆の手配や、稽古を行う「見番」が沿道にあることから名付けられた。 稽古場からは時折、情緒ある三味線の音が聞こえてくる。 芸者衆の手配や、稽古を行う「見番」が沿道にあることから名付けられた。 稽古場からは時折、情緒ある三味線の音が聞こえてくる。 」
青い標柱の裏の建物は一見ごく普通の建物ですが、これが見番です。
見番は検番とも書きますが、芸者衆の手配、玉代の計算などを行う花柳界の事務所や稽古場のことです。
現在も東京神楽坂組合の稽古場がここにあります。
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右に曲がると 見番横丁なのですが 左折します。
左に曲がると 車が入らない細い石畳の路地です。
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神楽坂の石畳です。
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ここを右に入ります。
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ここは神楽坂の風情を楽しめる代表的な路地の一つです。
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熱海湯階段
名前の通り”熱海湯の脇にある石段の坂道。
中ほどに数寄屋造りの「別亭.鳥茶屋」や「前田/レスキャリエ」などの名店が軒を連ねています。
夜はもっと情緒ある風景になるのでしょうね。
この路地を「熱海湯階段」と呼ぶのは銭湯熱海湯があるからです。ロケにもよく使われているらしいです。
「熱海湯階段」は昔、芸者さんがお座敷に出る際に通ったといわれ「芸者小道」とも呼ばれます。
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小栗通りです。
実は小栗通りの中ほどに銭湯の「熱海湯」があり地元の人は、「小栗通り」を「熱海湯通り」とも呼んでいるそうです。
名の由来は小栗という名の武家屋敷がこの通りの両端にあったから「小栗通り」 別名「小栗横丁」と言われています。
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小栗通りは下町の雰囲気でコインランドリーや豆腐さんや百屋さんなどがありました。
タグ:神楽坂
posted by うめのはな at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 新宿区